閑話(2):ムスティフ・アンジャナ

 ムスティフ・アンジャナは調査人だけれど、その活動内容は一般に知られる調査人のそれとは大きく異なる。

 飛龍種と呼ばれる生き物のほとんどはワイバーンを祖とするということを発見した黒衣の彼女ルーラン・マドリカや、数百という新種の昆虫を発見した冒険学者ドエス・ベルゴリのような、隣人図鑑に新たな記述を刻む彼らとは根本からして活動指針が違うのだ。


「……足跡だ。かなり小さいな」


 樹林の中を歩いていたムスティフは一際大きい気の傍に足跡を見つける。そのそばにしゃがみ込んで、観察を始めた。


「子供か? あいつらは群れを作らねえし状の無い生き物だ、親子愛なんてかけらもない。だから子供の単独は別に珍しい事じゃない」


 考えを巡らせている時にそれを口に出すのはムスティフの癖だった。だけれど悪い癖だとは彼自身は思っていない。

 決していいものでもないだろうけれど。


「しかし本当ならもっと奥地に生息してる筈だが……。まだ幼くて縄張り争いに負けて、エサを求めてこんなに浅い所に出て来たのかもな…………」


 ムスティフは人種よりはるかに長い指で足跡をなぞる。

 近い時間――少なくとも数日の間にできた足跡だ。そしてムスティフが今捜索している獲物は、あまり広い範囲を移動する生き物ではない。自分の拠点を作って、そこを中心としたごく狭い範囲で生活する。


 目的は、近い。

 ムスティフは立ち上がると、足とほぼ同じ長さのむっちりとした尻尾を鞭のようにしならせた。獲物の巣へと至る痕跡を見つけようと黄色と黒の瞳をぎょろぎょろと動かす。それと同時に、武器である槍から持ち運び用に巻いてある布を外し、腰に巻き付けた。


 ムスティフはリザードマンと呼ばれる種族の一人だ。人種よりも高い身長、鱗の覆った皮膚にしなやかに伸びた四肢が特徴の亜人の一種。盟約により定められし十二種族の一つではあるけれど、エルフやハーフリングと異なり大きく人種から外れた容貌から、未だに差別意識が強く残っているのが実情だった。


「……あっちか」


 ムスティフは大股に歩いていった先は細い木だった。その木は途中からがぼっきり折れてしまい、その続きは地面に転がっている。その先も同じような現象が点々と続いていた。

 これは大きな生物が森や林を移動した際にできる典型的な痕跡だ。


 そこにも大きな――人間から比べればはるかに大きいがこの種族の中では小さな足――を見つける。痕跡と足跡を追いかけているとやや開けた場所に出た。


 その中央付近には乱暴にへし折られた木々とぼろきれで組まれた簡単なテントのようなものが鎮座しており、周囲には獣の骨や腐敗した肉片が転がっている。それに伴う蝿も飛び交っており、思わずムスティフは表情を歪ませた。


 このボロ小屋の主はいない様だが――いや、来る。ムスティフは人種よりも優れた聴覚で感じ取る。足音、何かを引きずる音、枝の折れる音――それらが入り交ざり、時々唸り声のような低い声が聞こえながら、段々とそれらは音量を増してゆく。


 そして。


「う……あぁ?」


 そいつが、ムスティフを見つけて声を出した。

 声。そいつは人の姿をしてはいるが、人種の言葉を操ることは出来ない。


 巨人種よりももう少し大きな体に、その巨体にもかかわらずアンバランスに大きい頭部。そこでは充血した大きな――一つしかない大きな瞳が、ムスティフを映していた。

 何度も確認したことだが、やはり姿は小さい。それでもムスティフ倍くらいはある。


 一つ目の巨人サイクロプスだった。巨人ではあるが、巨人種とはルーツの異なる生物。何故か人間に対して異常なまでの敵意と殺意を抱く、知能足らずの化け物だ。


 このサイクロプスも例にもれず、瞳に真っ黒い殺意が宿る。周りに武器になりそうなものが無いことを確認すると、今まで右手で引きずっていたシカの死骸を顔の前に構えた。


 ムスティフはそれを確認すると、自分も槍を構える。これは癖ではなく、種族としての習性だ。

 ムスティフは足音が聞こえた段階で背後に回り込み、奇襲をしかけることだってできた。だけれども、それはしない。どんな相手だろうと、自分を認識して戦闘の意思を持っていることを確認してから獲物を抜く。


 非効率的だということは理解しているし、少なくとも戦闘の上ではメリットになることは少ない。なぜそんなことをするのかとしばしば聞かれるが、それに対してムスティフは「そういう種族だから」という答えしか持っていない。しかしそれで十分だと思っていた。


「来いよ」


 ムスティフの言葉を理解したかは分からないが、サイクロプスは駆けだして鹿を大きく振りおろした。ムスティフは難なくそれを躱す。ベキベキという音とぱあんというはじける音が聞こえ、ムスティフの頬を鹿の血が濡らした。そんなことは分かっている、ムスティフは全く気にも留めずにサイクロプスの横に回り込んだ。


 リザードマンは武を重んじる種族だ。人間のように都市などの大きな共同体を作らず村や集落程度の集まりで自然の中に身を置くリザードマンは、その生きる糧は主に狩猟だ。

 そのために武術は非常に発達しており、また多くの共同体が存在するために流派も様々だ。


 彼らは賢く、進んだ技術を扱う知恵や器用さも持ち合わせているはずなのに、そのほとんどは自然の中での原始的で伝統的な生活に身を置く。愚かだと言う人も少なくないが、その言葉を気にするリザードマンはほぼいない。


 寛容とはまた少し違う。自分たちが愚かということを知っているのだ。自覚はしているが、その上でこの生活を選択しているのだ。

 愚かでいい。ただ、俺たちはこの生活を愛している。彼らはつまり、そういうこと。


 彼らに宗教は無い。多くの部族に伝えられる英雄はいるが、神はいない。

 自然と共に有る。強いて言うなら、自然中心の思想が彼らの統一宗教だった。

自然と共に生き、自然と共に死ぬ。それがリザードマンにとって『有る』ということ。


 ムスティフは鹿を振り降ろした姿勢のサイクロプスの二の腕目掛けて槍を付きだす。命中。止まっている相手に外すことなんてありえない。

 しかし――浅い。樹皮のように厚い表皮と頑強な筋肉には大きな傷は与えられない。しかしムスティフもまさか一撃で致命傷を与えられるとは思っていない。

 相手はサイクロプスだ。人類の仇敵であるサイクロプス。そして、だから自分がこうして赴いている。


 ムスティフ・アンジャナの目標はサイクロプス。目標は殺すこと――それがムスティフの肩書である特殊調査人の仕事だった。

 要は簡単、殺すことだ。


 人類の外敵で殺意の怪物。

 人ならざるものではあるが『隣人』には到底なりえない存在。

 そいつらを、一匹残らず殲滅することだった。


 彼ら特殊調査人は新たな発見をすることはまずない。これまでに見つかった生態に伴う知識を用いて、その記述を隣人図鑑から抹消するために存在しているのだ。

 彼らは調査人の存在理由と真逆の所にいるため、通常の調査人からの心証はすこぶる悪い。嫌われているという訳ではないが、「調査人という名前を使わないでほしい」という意見が一般的だった。


 しかし人類の生活圏の安全を武力を以ってして保護している彼らの存在を否定することは、誰にもできないのだった。


「ふうぅっ!」


 空気の多く混じった声を上げながら、サイクロプスはムスティフの居た場所を薙ぎ払った。手に握られていた鹿の死骸はもう腰から下だけになっていて何の役割もはたしていないが、それでもサイクロプスはそれを握り締めていた。

 拳が地面を抉る。しかしそこにはもうリザードマンの姿は無い。

飛んでいた。槍を引き抜いていた彼は大きく跳躍し、そして姿勢を低くしていたサイクロプスの腕に着陸、と同時にもう一度飛んだ。


 狙いは頭だ。気味の悪い巨大な目玉の、ぐちゃぐちゃで不細工な顔が張り付いた頭。ムスティフは槍を短く持ち、体重を込めて、槍頭を頭蓋に突き立てた。


 柄まで突き刺さった槍を離して、ムスティフは地面に難なく着地。サイクロプスは何が起こっているか分からないという風に自分の頭に手を伸ばし、そして槍の柄に触れる前にその場に倒れた。その衝撃に当りの木が揺れ葉が落ちる。


 ムスティフが槍を引き抜くと、血とねばっとした透明の液体、それと恋オレンジの様なドロドロしたものがとめどなく溢れてきた。その悪臭は嗅覚の優れたリザードマンにはきつかったし、何度経験してもなれるものではない。それでもこればっかはどうしようもできないことだ。


 ムスティフは腰に刺したナタの様な歯の厚い短刀を抜刀すると、乱暴にサイクロプスの手首に向かって振り降ろした。皮膚も筋肉も骨も堅いサイクロプスを切断するのは容易ではなかった。ムスティフは腕のしびれを感じながら、切断した手首に吊るして運べるようにロープを縛り付けた。


 報告のために討伐した相手の一部を持ちかえらなければならず、首が一番分かりやすいものなのだけれど、サイクロプスの首なんて斬り落とすのも持ち運ぶのも果てしない労力がかかる。

 何よりあんなグロテスクなもの、持ち歩くのは勘弁だった。


 ポーチから乾いた布を取り出すと、槍と短剣についてしまった汚れをふき取る。使った布は持って帰る訳にもいかないのでサイクロプスの左手に握らせた。こうすれば風に飛ばされてゴミになることもなく、後で死体回収人がサイクロプスの死体を回収しに来た際に一緒に持ち帰ってくれる。


 槍はまだ仕舞わない。少なくともこの樹林を抜けるまでは、まだ。音や血のにおいを聞き付けた別の怪物がやってくるかもしれない。


 そして最後に。

 一旦槍は傍らに置いて、サイクロプスの死骸の前で手を合わせた。

 そして祈る。崇拝する神なんていないし、信仰しているものがあるわけでもない。だけれど、祈る。とりあえず、とにかく祈る。これはリザードマン種の風習ではなく、ムスティフ・アンジャナの行う「儀式」のようなものだった。


 意味はないし、何の思想もなく祈るという行為はむしろ死体にとって冒涜的なことかもしれない。そもそもこの殺意の怪物であるサイクロプスの死を悼んだり、それを思わせる行為をするというのは間違っているのかもしれない。

 それでもムスティフは、なんだろう、そうしなきゃいけないような義務感を感じて、ある時からこの儀式を行い始めた。


 ……少ししてからムスティフは槍を肩に担いで、反対の手でロープを握って、何でもないように来た道を引き帰し始めた。

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