閑話(1):道中・林道を抜けて

 マルカとククルが林道を並んで歩いていると、しばらく先に小さな白い丸が見えた。何だろうと思って凝視しながら歩いていると、だんだんとその輪郭がはっきりと見て取れるようになって、それが兎だということが分かるまであまり時間はかからなかった。


「うさぎだ」


 ククルが見たままを口に出す。

 目や鼻がくっきり見えるようになった頃。つまりその兎にかなり近づいた時だった。

 そのうさぎが、突如として浮き上がった。


「……浮いた」


 姿勢は変わらず、身体のどこを動かすことも無く、兎は宙に浮いたのだった。

そのまま斜め右に進路を取って、なかなかのスピードで空中を移動して木々の間に消えて行った。


 完全に姿が消えるまで見届けてから、ククルはちょいちょいとマルカのケープの裾を引っ張った。


「マルカさん、今のうさぎも隣人なの?」

「そうですよ。今のはウサギドリです」

「ウサギドリ? ……鳥?」

「そうです、鳥なんです」

「どうみてもうさぎだったんだけど……」

「そういう鳥なんです」


 ウサギドリはそのまんま、兎の姿に擬態する鳥だ。ただしその擬態というのが問題で、模様を周囲に溶け込ませるとかその程度の話ではなく、自分を見た生物の認識を操作するという超自然的能力を持っているのだ。


「つまり、他の生き物からはうさぎに見えちゃう鳥、ってこと?」

「その通りです」

「……それって、多分すごいやつだと思う」

「すごいやつですよ」


 姿かたちを他のものだと誤認させるという能力。その能力が技術として確立されたのならどうなるだろうか。


 ……様々な使い方が思いつくけれど、一番はきっと軍事だろうとマルカは思う。

武器を武器だと認識させない。こんな兵器が現れれば戦争の歴史が変わってしまうだろう。

 幸なことにウサギドリの能力はまだ解明されていないし、その目途も経っていない。


「すごいやつを持っているウサギドリですが、その精度が問題なんですよね。さっきの兎、微動だにせずにただふわーっと浮いてましたよね? ウサギドリは兎の姿を相手に見せることができるんですけど、その操作ができないんです」

「…………使いこなせてないの?」

「……多分。それに空を飛ぶ生き物なのに陸上生物の兎の姿を真似しても……余計に目立っちゃうだけですよね」

「へんなの」


 ククルは短くそう言って、動かしている腕のふり幅を大きくした。ぶんぶんと、振り子のように勢いよく振る。

 顔は無表情のままだったけれど、楽しいのだろう。ククルのその様子を見て、マルカは小さく微笑んだ。ククルの代わりに笑った訳ではないけれど。


 感情が上手く表情に出せないククルに対して、マルカは身体――主に手の動きでそれを表現することを教えた。

「どうやって動かせばいいかいまいち分からない」とククルは首を捻ったけれど、「今首を捻りましたよね。それは考えてやってないと思うんです。そういう風に、思うがままに、ちょっとだけ意識してオーバーに動かしてあげればいいんです」と言うと、ククルは少しだけ納得したようだった。


「ここには生息していないと思いますが、カワカブリと呼ばれる鼠がいます」

「カワカブリ?」

「カワカブリは他の動物の死体から綺麗に皮だけを剥ぎ取って、それに群れで潜り込んで、まるで着ぐるみみたいにして操るんですよ」

「……不思議な能力は使ってないのに、ウサギドリよりもちゃんと擬態できてる」

「そうなんですよ。優れた能力を持っているからといって優れた生き物だとは限らないんです。それが生き物たちを知るうえで面白いと感じることですね」


 林道からは様々な生き物が見えた。白い目をした蝙蝠、自分の体くらいの真っ黒な角を持った鹿、そして動く樹。どれが普通の生物でどれが『人ならざるもの』と呼ばれる隣人なのかはククルには分からなかったけれど、その全てが新鮮で初めて見るものだった。


「少し歩いただけで、いろんな種類の隣人がいるんだね」

「そうですよ。特にこういった自然の多い場所には多く生息していますね」


 人間の住んでいる場所に潜む隣人もいるけれど、そのほとんどは自然の中に住んでいる。

 不思議なことではない、少し変わった力があったところで隣人たちの多くは『生物』、本来は人の手つかずの自然の中に居るべき生き物だ。


「話で聞いたことにあったのはドラゴンとかサイクロプスとか、そういう怖い危険なものばっかりだったけど、道中でであった隣人たちはそうじゃなかった。可愛らしい生き物たちばっかり」

「そうです。危険な生き物ばかりが注目されてしまいますが、隣人というのは本来敵対する生き物じゃないのです。少しだけ不思議な変わった生き物たち――共存できるから隣人なのです」

「マルカさんのネックレスもそういうこと?」


 ククルはマルカの胸元を指さした。マルカの首元で揺れている灯籠虫のネックレスだ。

 もうこれは光ることは無い。ククルとの旅を初めて二日目の深夜に灯籠虫を灯りに作業していると、突然一際強く発光したかと思うとそのまま燃え尽きるようにして明滅、それから灯籠中は二度と光を発することはなくなった。


「これは……共存とは違います。わたしたち人間が、人ならざるものの力を借りさせていただいているだけです」

「ふうん……」

「いや……違いますね。そんな綺麗なものじゃないです。利用しているんです」


 食肉のために、毛皮のために、獣を殺すのと同じで。

 一方的に、隣人の命と能力を奪っているだけだ。


 この灯籠虫は自然死したもを使っているけれど、それはそうしなければいけないと定められているからであって、例えば以前に着用した火鼠のローブは、あれ一着を編むだけで数十匹の火鼠が狩られている。


 借りているだけ、だなんて、とてもじゃないけれど言ってはならないのだ。


「でも……そういうものなんじゃないの?」


 マルカの心境とは対照的に、なんてことないようにククルは言った。

 視線をきょろきょろと辺りに移しながら、当たり前のことのように。


「さっきのカワカブリの話。カワカブリは他の動物の死体から皮を使うけど、マルカさんはそれを『そういう生態』だと思ってるんでしょ。人間もそういうことなんだよ」

「…………」


 マルカは素直に面食らった。そして、感心した。

 そういう考えはマルカにはなかった。人間を一生物としてとらえ、その愚行――と少なくともマルカがそう考えていることを「そういう生態だ」と言い切る。それは感情が希薄になって人間という主観から離れているククルだからこそできる考えなのかもしれなかった。


*


 何回目かの野宿に、ククルはもう慣れ始めているようだった。

 この林道は多くの旅人が通る道だ。そのため定期的に野宿をするための開けた空間、つまり野営地が存在する。その一つに着くとマルカは荷物をその場に降ろし、ふうと息を吐いた。


「大分歩きましたね。明日には目的地に付くと思います」

「……うん」


 ククルはかなり疲労を感じていた。今日の行軍もそうだし、ここ数日歩きっぱなしで蓄積した疲労もあるのだろう。


「……あの、マルカさん」


 ククルは丸太の上に腰を下ろして、ブーツを脱いだ足を延ばしていた。かったるそうに、ゆっくりと、マルカの方へと首を向けた。


「マルカさんは疲れないの?」

「……疲れます、けど?」

「でも余裕そうだよね。マルカさんは旅慣れてるってのはあるだろうけど、でもあの荷物は慣れとかそういうのじゃないと思うんだけど……」


 その視線はじいっと、マルカの背負ってきた背嚢を見つめている。

 マルカが長い間愛用してきた背嚢だった。ククルと同じくらいの大きさもある、飾りっ毛の無い無機質な背嚢。だけれどその実用性は抜群だった。


「……あの大きさの背嚢にぱんぱんに物入れて、どれくらい重いの? それで、それを持って歩いても全然平気って、ククルさんってどれだけ力あるの?」

「ああ、ああ。なんだ、その事ですか」


 ククルは苦笑して、背嚢を両手で抱えて持って立ち上がった。そして上を見上げ、そのまま上空にぽーんと放り投げた。


 背嚢は高くまで浮き上がった。具体的には……マルカ三人分くらいだろうか。そしてその場に落ちてきた背嚢を、マルカは難なくキャッチした。


「これは空クジラの皮で作られた背嚢なんです」


 そう言ってマルカは、ククルの傍まで行くと膝の上に背嚢を乗せてやった。ククルは目を瞬かせた。「……軽い」と言いながら背嚢を持ち上げ、頭の上に掲げたりしてみる。


「空クジラはそのまんま空を飛ぶクジラです。どうやって空を飛んでいるかというと、空クジラの皮には宙を浮くという特性があるんです」


 空クジラの皮が浮遊することに対しては、人間の理論は通用しない。ただ、そういうものなのだ。空クジラはそういう法則で成り立っている生き物なのだ。


「……すごい。どんなものでも運べちゃう」

「ふわふわ浮いちゃうものだから、逆にこれくらい荷物をぎっしり入れておかないとどこかに行っちゃうんですよね」


 マルカはククルの持った背嚢を開いて中身をごそごそと漁る。取り出したのは黒パン二切れと瓶だった。瓶の中身は赤い果実で満たされている。


「ご飯にしましょうか」


 瓶の蓋を開けると、むわっとむせ返るような甘い匂いが広がった。


「これはなに?」

「いちごの砂糖漬けです。美味しいですよ」


 マルカは一つつまんで自分の口の中に放り込んだ。途端に口元の筋肉が緩んでしまう。もう一つつまんで、「ククル、あーん」今度はククルの口の中に。


「ちょっと甘すぎない? これ……」

「そうですか? 丁度いいくらいだと思いますけど……」


 むしろ、もうちょっと甘くてもいいくらいだとマルカは感じた。


*


「隣人とそうじゃない生物って、どう違うの?」


 簡単なテントを張って、そこに毛布を敷いて二人は横になった。

 まだ大分明るかったけれど、夜になってからでは野営の準備をするのは困難になる。そして、陽の光が入りにくい森や林の夜はそれ以外に比べて少し早いのだ。


 まだ眠くは無かったので、ククルは自分の足をもんでいたのだけれど、ふと荷物の整理をするマルカの背中にそんな疑問を投げかけた。


「犬とか猫とか兎は普通の生物だよね。じゃあ、どこから人ならざるものって扱いになるの?」

「明確な基準はないですよ」

「そうなの?」


 ククルは首を傾げた。これに関しては意外と知らない人は多い。

 まあ、知ったとしても何ら影響のない事なのだが。


「はい。そもそも『隣人』とか『人ならざるもの』というのも正式名称では無くて、ただ人から見て不思議な生き物をそう呼称してるだけなんです。ゴブリンやサイクロプスみたいな敵対種族なんかもそう呼ばれますね」

「隣人なんてそもそもいないってこと?」

「いないというか、みんな等しく生物ということですよ。ただ、その中にはちょっと不思議な生き物も混ざっているというだけで」

「ふうん……」


 ククルは足をもむ手を止めて、毛布のしわの一点をぼおっと見つめていた。何かを考えていたのだろうけれど、それはマルカには読み取れない。

 彼女はその思考に結論を出したのだろうか、うんと一度大きく頷くと再び手を動かした。


「眠くなくても、なるべく早く横になった方が良いですよ。それだけでも疲れは取れます」

「うん、そうする」

「早くに起きる分には悪いことはありませんからね」

「うん。……ところで、今更だけどどこに向かってるの?」

「イェネアの街です」


 マルカは世界中を旅しているけれど、しかし常に放浪している訳ではない。一応拠点の様な街は存在していて、それが今向かっているイェネアだった。

 世界から見れば辺境の街だけれど、この辺りでは一番栄えた都市だ。あの街で揃わないものは無いと言っても過言ではない。


「……ククル、そこで生まれたよ。物心の付いてないくらい昔で、ククルも全然覚えてないけどさ」

「……そうですか」

「うん、そうだよ。……あれ、なにかダメだった?」

「いや、そうじゃないです。全然、そういうことではないですよ」

「ふうん……?」


 ククルはマルカの反応に対して不思議そうにしていたけれど、すぐに興味を失った様で、ククルは毛布を被って横になった。


「おやすみなさい。また明日」

「はい、おやすみなさい」

「まあ、まだ寝れないだろうけれど」


 ……言葉に反して、マルカはほどなくして寝息をたてはじめた。

 ククルに表情は無いかもしれないけれど、その寝顔は普通の、年相応の少女のものだった。

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