第2話(1):イェネアの街

 イェネアの街の人の多さに、ククルは呆気にとられていたようだった。人混みに紛れて迷わないように手は引いているけど、引かれるがままに歩いているというような感じで、意識は完全に周囲に向いている。


「……すごい」


 その言葉は今日何回聞いただろうか。イェネアの街の人混み程度で驚いている様子のククルを見て、マルカは年相応の愛おしさを感じた。


「おっと、手はちゃんと握らなきゃだめですよ」

「あ、うん……ごめん。なんか、ぼーっとしてきちゃって」

「そんなに驚きました?」

「うん。この街はいつもこんななの?」

「うーん。この時間は人通りが多いですし、この中央通は一際人の往来が激しい所です。この時間この場所はいつもこんなですけど、どこでもこんなにごちゃごちゃしてる訳じゃありませんよ」


 どこでもこんな人混みだったら、マルカはここを拠点にはしないだろう。不便でも田舎町の方が良い。人が多いのは疲れるし、嫌いだ。


 さて。

 マルカはククルを服屋に連れて行きたかったけれど、生憎今は持ち合わせがない。持っている持っているけれど、全身の服をそろえるには少々心もとない金額だった。

 だからマルカはひとまずギルドに向かうことにした。


 ギルドとはすなわち同業者組合のことで、その代表格として有名なのは冒険者ギルドだろうか。住民が怪物退治などの依頼を冒険者ギルドに持ちより、それをギルドに所属する冒険者たちが引き受け日銭にする。


 しかし調査人はその多くが国に仕えているという関係上、冒険者ギルドの様な組織様式とは少し異なる。

 まず第一に、国営組織だという点。同業者組合である他のギルドと違い国が運営し、大きな街に対し一つ作られている。そのため調査人ギルドは支部の側面が非常に強い。国から調査のために出張してきた調査人の為の活動拠点なのだ。

 勿論フリーの調査人も利用できるし、ここから調査の報告なども行うことができる。


「……おっきい」


 辿りついた調査人ギルドの建物を見て、ククルは唸るように言った。確かに一般住居よりは大きいけれど、冒険者ギルドに比べれば随分とこじんまりしているようにマルカは思う。

 調査人の寮のために四階建てになっているから、縦に長い。それがそう思わせるのだろう。


 調査の報告は時間がかかるから、とりあえずお金だけ降ろして服を買いに行こう。その後寮にククルを止めるための手続きをして、彼女を部屋に案内してから調査を済ませて……。

 これからの予定を脳内で組み立てながら扉を開けたマルカだったけれど、その時彼がギルドに居るのを見つけて予定を急きょ変更。


「ムスティフさん!」


 マルカが彼の名前を呼ぶと、窓口で調査をしていたらしいリザードマンがマルカの方へと首を向けた。そしてその途端彼の眉――リザードマンに体毛は無いから目の上が、ぐしゃっとゆがめられた。


「……マルカ。久しぶりだな」

「はい! お久しぶりです!」


 マルカはムスティフの下へと駆け寄った。どうしていいか分からなかったククルは、「……おじゃまします」と小さく頭を下げてマルカの後に続いた。

 ギルド内で書き物やたむろをしていた調査人らしき人たちがマルカたちを見たけれど、すぐに興味ないという風に自分の作業に戻って行った。


「わたし、今さっきここに帰って来たばかりなんですよ。奇遇ですね」

「ああ、そうだな……。俺も帰って来たばかりだよ」


 マルカに目を合わせようとせずムスティフが言った。どうにもつれない態度でマルカを邪険にしているようだが、それは違うことをマルカは知っていた。

 ムスティフは誰に対してもこの態度なのだ。相手をめんどくさそうに、会話をかったるそうにする。彼は親切な男気溢れる人間ではあるけれど、少々人嫌いな一面があるのだ。

 いや、人嫌いというよりは、人と関わるのが苦手、といった感じ。


「お前はどうしてここに? ……って、そりゃ報告に決まってるか」

「はい。ムスティフさんも……ですよね?」

「まあな」


 短く彼は頷いた。

 しかしその「報告」は自分のものと大きく異なる。

 マルカは隣人が生きていた調査報告をするのだけれど、ムスティフは怪物を殺したという討伐報告だ。


「今回は何を?」

「サイクロプス」


 ムスティフは端的に言った。


「サイクロプス! 一つ目の巨人……ですよね?」

「おいおい、あのマルカがなんてことを聞き直してるんだよ」

「だって、ムスティフさん、……あいも変わらず一人で討伐に向かったんですよね?」

「ああ」


 何でもない風に彼は言うが、それは少しでもサイクロプスのことの知識を持っている人ならば偉業だと分かることだった。

 並みの冒険者ならば到底太刀打ちできない、暴力と殺意の塊。それを一人で難なく討伐できてしまうムスティフは、一体どれだけの力量があるのだろうか。


「あのー、ムスティフさんー」


 ムスティフの名前を呼んだのは受付嬢だった。伝統的なチェックのベストを着た、まだかなり若い女性の人。


「あ、ああ。すまん」

「じゃあこちら、処理しちゃって構いませんかー?」

「ああ。よろしく頼む」

「はあい、よろしく頼まれましたあー」


 そして受付嬢は、カウンターの上にあった書類をばさばさとまとめると奥の部屋へと姿を消していった。


「……今の方は新しい人ですか?」

「ああ、そうか。マルカは知らないのか。最近赴任されてきたんだ」

「そうなんですか。元気で明るい方ですね」

「俺としてはもう少し静かにして欲しいんだがな……」


 ムスティフは書類の無くなったカウンターに肘をついた。背の高い彼が姿勢を崩し、目線がぐっと下がる。


「それで聞きたかったんだが、マルカ」

「はい、何でしょう?」

「ずっとほったらかしだったがその子どもは?」

「……ああ、すみません! ごめんなさい置いてけぼりにしてしまって」

「大丈夫……だよ」


 しかしその声には動揺が現れていた。それが初めてリザードマンを見たことに対するものだと気が付くのに時間はかからなかった。


 リザードマンは盟約により定められし十二種族の内の一つではあるけれど、人種が気付いてきた科学をあまり好まない。これは他の亜人にも見られる特徴だった。

王もなく、宗教もなく、少数の群れで自然と共に生きる彼らを見かけることはまずない。


 ムスティフのように群れを抜け出し、他の組織に属する者は極めて少ない。それでも全くいない訳ではないけれど。


「ムスティフさんは凄い良い人ですよ。だから安心してください」

「随分ふわふわした紹介だな……」

「あとすっごい強いです」

「……まあ否定はしないけどな」


 ククルはおどおどと、ムスティフとマルカを何度も交互に見てから、「ククルです、よろしくお願いします……」と裾を握り締めながら頭を下げた。

 亜人を見慣れてない人の反応はこんなものだ。だからマルカもムスティフもそれに対してどうこう言うつもりはない。むしろ泣き出さないことを褒めてもいいくらいだった。


「どうしたんだ、その子は?」

「……旅の途中で保護しまして。今はわたしの助手です」


 ムスティフは目をぎろりと鋭いものにした。トカゲというよりはヘビの様だった。現職の様な黄色を二つに分けるような黒目がぎょろりとククルを見つめる。


「……ふうん、そうか」


 ムスティフはそれ以上ククルのことに関して尋ねることは無かったけれど、言葉通りに受け取った訳ではないだろうことはマルカには分かっていた。


「何かあったら頼ってくれよ。まあ、できることなら力になるからな」

「はい。ありがとうございます」

「時間を食う用なら早目言ってくれると助かる。仕事との折り合いを付けなきゃいけないもんでな」


 大人同士の会話に交ざれないククルは、退屈そうに服の裾を止めるピンを触っていた。


「ムスティフさんはこの後何か用事がありますか?」

「まあ、用事……みたいなものはあるな。どうした? 早速俺に相談事か?」

「あ、ならいいんですよ。折角だからお食事でも……と思っただけですから」

「ああそういうことか。なら一緒に来るか?」

「どこへ……ですか?」

「亜人のキャラバン。今この街に来てるんだよ」


*


 街の外れには石畳の広場が存在して、キャラバンが来訪した際にはこの場所を提供することになっている。亜人のキャラバンもその例に漏れず、石畳の上に無数のテントが張ってあった。

 

 それぞれのテントの前には商品が展開され、保存食や装飾品、武具類など様々なものを取り扱っている。


 遠くの地方から運んで来たものもあるのだろう、装飾品類はこの辺りでは見ることの無い民族的な模様が刻まれていて、その形状はどれも独特だ。


「……マルカさん」


 怯えたように、ククルがマルカの服の裾を引いた。それもしょうがない、マルカは安心させるように優しくマルカの頭を撫でた。


「怯えることはねえ。キャラバンの連中は穏やか……とは言えねえけど、面倒事は嫌う性格だ。……どんな見た目をしていようとも、だからどうって言うことは無い」


 マルカは亜人のキャラバンを見るのは初めてだったけれど、正直な話、驚いた。そして感動した。こんなにいろんな種族の亜人を見ることができるなんて!

 獣人 、蜥蜴人、水棲人、植物人、有翼人、蟲人――その全ての亜人が、この広いとは言えない広場に一堂に会していた。これは感動だった。感動ものだった。彼女のように人ならざるものに対して深い関心を抱いている者は、涙を流して喜ぶだろう。


 だけれど――そういうことなのだ。彼ら彼女らを見て「喜ぶ」。普通の人間を見て喜ぶ人間は、まず居ないだろう。だからそれに喜んでいるマルカは彼らを普通だとみなしていないということで、それは差別なのだ。ないがしろにはしていないが、心理的価値が平等ではないのだった。


 亜人が差別されている理由は単純にして決して拭えないもの。その容貌だった。

 亜人とは盟約により定められし十二種族の内、人種と人ならざるものの交配によって生まれたというルーツを持つ六種族のことを指す。亜人ではないエルフやハーフリングと異なり、亜人はその容貌はあまりにも異質なのだ。


 その代表格が蟲人――アーマイゼと呼ばれる種族。

 身体の一部分が蟲のものであったり、もしくは人の形をしていてもその表皮は虫の甲殻のようなもので覆われていたりというその身体的特徴は、人間と虫の特徴を乱雑に繋ぎ合わせたようで、まともな感性の人間ならば本能的に拒絶反応が出てしまう。


「あ、いらっしゃいませー。どうぞ、ごゆっくり見てくださいねえ」


 マルカ達三人に気付いたアーマイゼの女性が、柔和な笑みを浮かべながら傍を通り過ぎた。腰から下が蜘蛛のものになっている蟲人。そもそもが亜人であるムスティフや亜人を見慣れているマルカは何とも思わないが、ククルは顔色を悪くしながらマルカの後ろに隠れた。

 表情を浮かべるのが苦手とはいえ、顔色の悪いのは浮かんでしまうようだった・


「……ククル、大丈夫ですか? 無理なようなら帰っても……」

「……ううん」しかしククルは、はっきりと首を振った。「大丈夫。……平気」


 ククルはマルカの後ろに隠れたまま、マルカの手をぎゅうと握った。

 その態度にムスティフは感心したように「ふむ」と鼻を鳴らした。


「それでも、本当に辛かったら言えよ。無理をすることじゃないからな」

「うん……。ありがとう……」


 だけれどククルの顔色は先程よりも幾分か回復していた。

 亜人の容姿に対する初見の衝撃が強かったのだろう。もう見慣れたという訳ではないだろうが、彼らに対して嫌悪感は抱いていないようだった。


「あれっ? そこにいるのはムスティフじゃないか!?」


 ムスティフの名前を呼んだのは、テントの一つで品並べをしていたリザードマンだった。緑色の皮膚のムスティフと違って、深い青色のリザードマン。尻尾は短くてえらが出ている。


「……おう、マウエルじゃねぇか。何年ぶりだ?」

「三年……ってところかな? そうか、お前この街に住んでるって言ってたなあ!」


 どうやら彼とムスティフは古い知り合いのようだった。「前に遠征した時にこのキャラバンと会ったんだよ」とムスティフが二人に説明してくれる。


「いやあ、その時は世話になったなあ! キャラバン隊からはぐれてワイバーンの巣に転がりこんじまって八方ふさがりだった俺を助けてくれて……。ムスティフが居なかった俺は今ここに居なかったよ」」


 ……ワイバーンは他の生物から襲われにくい崖の上などに巣をつくるはずだ。どうすれば事故でワイバーンの巣に迷い込むのだろうとマルカは不思議に思った。


「ここに着いたのは昨日の夜でな、まだ荷物の整理が終わってないから少し慌ただしいんだ。まあみんなマイペースだからさ、のんびりゆっくり品出しするもんで、今日はマトモにものは売ってないかもなあ」

「……キャラバンって旅の商人のことだよね? それで平気なのかな……?」


 ククルがマルカにだけ聞こえる声量で、ひっそりと耳打ちした。それに対してマルカはただ肩をすくめた。


「ちょっとマウエル、お喋りしてないで手伝ってくれる?」


 一人の植物人が苛立ったようにマウエルに言った。金髪のショートカットの、成人したくらいの少女だった。


「おっと、申し訳ないモーラン。昔の命の恩人が顔を出してくれたもんでなあ……!」

「命の恩人?」


 モーランと呼ばれた少女が木箱を漁る手を止めて、マルカ達の傍に寄っていた。

 植物人は体内に葉緑体を持つため、皮膚が緑色をしている。その緑の皮膚を限界まで露出しようとするような際どい下着の様な衣服に、ムスティフは目のやり場に困って天を仰いだ。


 植物人間はみんな露出の際どい服を着るけれど、それは趣味趣向ではなくて、彼らは呼吸のほかにも生命維持のために光合成を必要とするからだった。

 少しでも多く光合成をするために、なるべく皮膚を晒さなければならない。街の外では全裸で過ごす植物人も少なくは無い。


「ああ、このムスティフに俺は昔一度助けられてるんだよ」

「ふうん……?」


 モーランが鋭い目でムスティフを見た。ムスティフは「あ、ああ、まあ知り合いでな」とたどたどしい返事を返す。


「それは、その節はお世話になりました。ムスティフ……さん、ですよね。その節のお礼は、また後日改めてさせてください」


 深々と頭を下げたモーランに、ムスティフは面食らったように目を丸くした。会話からきつそうな正確に思えたが、それでも礼儀作法はしっかりしているようだった。


「いや、ただの成り行きで……。そんな大したことじゃねぇからかしこまらなくても」

「命を助けること以上に大したことがありますか!」

「でももう三年も前だし……」

「三年間もお礼をしていなかったってことなんですよそれは! いいから明日、また来てくださいっ!」


 お礼をするための約束でどうして起こっているんだろう。そこにいた四人は皆そう思っていたけれど、誰も口には出さなかった。代わりに苦笑いを浮かべる。


「……じゃあ、俺もそろそろ戻らなきゃ怒られちまうから。まあゆっくりして行ってくれよ。しばらくはこの街に滞在するつもりだし」


 マウエルはムスティフにそう言って、そしてマルカとククルに小さく手を振ってから自分の持ち場に戻って行った。


「ムスティフさんの目的って……」

「ああ、さっきのマウエルを一目見ることだったんだが……」


 ムスティフは疲れたようにほっと息を吐いた。

 他社と関わるのが苦手な彼だ、押しの強いように見えたモーランとの会話は、あの程度であれ相当の負担だっただろう。


「まあ、せっかくだからいろいろ見て回るか」

「そうですね。ククルはそれで平気?」

「うん……大丈夫」


 ククルは楽しそうに体をそわそわさせながら、キャラバンの展開する広場を眺めていた。

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