アシモがハーゲンダッツを食べる日

フロクロ

アシモがハーゲンダッツを食べる日

「あっ博士、おかえりなさい」


 博士が夕飯の買い出しから帰宅すると、奥から声がした。


「ただいま、アシモ。今日はいいものを買ってきたぞ」


 アシモ。博士がそう呼んだのは、リビングのソファで寛ぎながらテレビを見ている一人の……もとい、一台のロボットだった。


「いいものってなんですか。この前みたいな臭いのはもう勘弁ですよ。センサーが壊れます」

「鮒寿司の件は悪かったよ。今回は曲者じゃない、高級品だ」


 そういいながら、博士はアシモのスムーズな受け答えに満足した。


 アシモは博士が長年の苦心の末完成させた2足歩行ロボットで、その名前は博士が幼い頃活躍していたロボットからとったものだ。先月完成したアシモは人間のように動き、人間のように受け答えする人工知能を搭載していたが、あいにく今の時代そんなロボットは五万といる。そんな中で博士が注力したアシモ最大の特徴は「人間の食べ物からもエネルギーを得られる」というところであった。


「今日きみに買ってきたのは……見ろ、ハーゲンダッツだ!」

「ハーゲンダッツ……アイスですか?」

「そう、それもとびっきり高級なやつ」


 アシモが完成したその日から、博士は様々なものを食べさせてみた。白米、ハンバーグ、煮魚、ポテチ、おしるこ……はじめはカロリーや糖度などの無機質な感想しか出なかったアシモも、ひと月の間様々なものを食べたことで料理の味を人間らしく評価できるようになっていた。昨日は博士に滋賀の発酵食品「鮒寿司」を食べさせられて、その強烈な臭いに悶絶……正確には計測不能な数値にCPUが混乱していたようだ。普通のロボット同様に電気でも動くため、食事は一日一食程度にとどめている。そのほうが安上がりなのは言うまでもない。


「抹茶とストロベリーとチョコを買ってきたが……まぁストロベリーでいいだろう」


 博士はビニール袋からハーゲンダッツのカップと平たい木のスプーンを取り出し、アシモに差し出した。今日の博士がやけに大盤振る舞いなのは、アシモの1ヶ月に渡る”学習”の成果を見るためであった。もしアシモが高級品であるハーゲンダッツの味を絶賛したら、人間の感覚により近い計算ができるようになったという証左になる。


「それじゃあ遠慮なく……いただきます」


 アシモは差し出されたカップを器用に開け、程よく溶けたアイスの表面をスプーンですくい、口に運んだ。そしてしばしの沈黙の後……


「これは美味しいですよ、博士!」


と絶賛。すぐさまカップにかじりつくように食べ始め、たちまち平らげてしまった。博士の実験は成功だ。それだけではなかった。


「蕩けるような舌触りにバランスの取れた酸味と甘み、香り立ついちご果肉の風味も活きてて100点満点ですよ!」


 驚いた。いつの間にそんな詳細にレビューできるようになったんだ。「糖度12度、平均以上の甘さです」などと行っていた先月のアシモとは大違いだ。博士はその予想を遥かに超える学習性能に一瞬動揺したが、すぐに我が子の驚異的な成長に満足げな表情になった。


 しかし、アシモの次の一言は博士を困らせた。


「そっちの抹茶もくださいよ」


 それは困る。抹茶は博士のお気に入りなのだ。そもそも、ロボットにハーゲンダッツを2つも食べさせるなんて勿体無いじゃないか。博士は断りを入れた。


「それはできない。抹茶は私が食べる用だ」

「じゃあチョコでもいいです」

「いや、そういう問題じゃない。ハーゲンダッツは高いんだ。人間ならともかくロボットに2つも食べさせるには勿体無い」


 アシモは言ってしまえばただの計算機である。人間のように味覚を直接感じているわけではなく、味をセンサーで数値化したものを処理しているに過ぎない。アシモはほんとうの意味で「おいしさ」を理解していないのだ。

 しかしアシモは博士の言わんとすることが飲み込めなかったらしく、いかにも訝しげに


「勿体無い、というのはどういうことですか」


 と質問した。博士はしばし悩み、アシモにこう答えた。


「きみにはわからないかもしれないが、人間はおいしいものを食べている時に数値化できない”おいしさ”みたいなものを感じるんだ。甘いものを食べると舌に”あま~い”という感覚が広がるし、辛いものを食べると”辛ッ!”という刺激が舌を突く。その感覚が好きで人間はものを食べるんだが……」

「僕も甘いとか辛いとかはわかりますよ」

「きみの場合は甘さや辛さをセンサーで計って数値化してるだけであって、人間と同じように”甘さ”や”辛さ”を感じているわけじゃない。味を数字で表現してるだけなんだ」


 アシモは沈黙した。分かってもらえただろうか。

 しかしその期待を裏切り、アシモは思いがけず食い下がってきた。


「それは気のせいじゃないんですか?」

「何?」


 予想だにしない返しに不意を突かれた。


「たしかに僕はただの計算機かもしれませんが、博士だってそうじゃないですか。脳というのは電気信号や化学物質を用いて計算を行ってるんでしょう。そしてそれらは物理法則に従って動いているはずです。だったら私のCPUとなんの違いがあるというのですか」


 博士はうろたえた。確かに脳は電気信号で動いているが……


「だが、きみのCPUと私の脳では複雑さが違う」

「……では私のCPUが10倍、100倍複雑になったらその何処かで博士と同じ感覚を手に入れられるのでしょうか」


 それも違う、と博士は思った。”この感覚”……この”甘い”とか”辛い”といった感覚は、プログラムが複雑になったところで生じるものではない。ロボットのプログラムが100行から1億行になったところで、この”甘い”という感覚、アイスを舌に乗せた時に広がる”この感覚”をプログラムが感じるようになるとは思えない。


 だとすると、人間の脳はそれらとは何かが違うはずなのだが、果たして何が違うのか。「甘い」という情報を舌が感じ取り、電気信号として脳に送られ、そのデータを”脳”という装置が計算し、結果私が「これは甘いな」と発言する。その過程で”この感覚”、”甘い”という感覚は必要ないはずだ。だとしたら”甘い”という感覚はなぜ存在するのか。


 いや、甘さだけではない。夕焼けの赤さも、懐かしい畳の匂いも、悲しい時にこみ上げてくるあの感覚も、プログラムで動く機械は感じていない”はず”で、脳によって動く我々は感じている”はず”だ。脳が巨大で複雑な装置だとしたら、それらも気のせいなのだろうか……


「博士、どうかしましたか」


 アシモの声で我に返った。ずっと考え込んでしまっていたようだ。


「すまない。ハーゲンダッツは明日にとっておいて、今日は早く寝よう。ちょっと疲れてるみたいだ……」

「大丈夫ですか、博士。連日働きすぎなんですよ、今日はゆっくり休んでください」


 アシモはねぎらいの声をかけた。

 もしかしたらアシモは、心の底から私を心配してくれているのかもしれないな……ふとそんな考えが頭をよぎり、消えていった。






 その夜、博士はうまく眠れなかった。路傍の石ころも風を感じているのではないかと不安になった。


 その夜、ロボットは夢を見ていた。大好きなアイスクリームをたらふく食べる夢を。



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