仮面の死神さん。

塩漬

英雄の娘

 ――ああ、もう!


「なんだってんだコノヤロー!」

「……おい、もう始まってるぞ」

「えっマジで?」


 ふと耳をすませば、絶叫が聞こえる。

 ふと周りを見渡せば煉獄が見える。

 ふと声を上げると、鬼が睨む。

 ふと買ってきたクッキーを投げれば、番犬ケルベロスが咀嚼する。

 ――ここは地獄。死んだ者が訪れる場所。生前の行いで、天国行きか地獄行きか決められる場所。すべての業が集まる場所。

 天国に行けば、苦しいことだらけだった人生が報われる。

 地獄に行けば、苦しめた分だけ、苦しめられる。色々な方法で。それはもう、あんなことやそんなことだ。

 それを全てこの地獄の主、閻魔大王が裁くのである。

 全てを知っている閻魔大王は、どんな人間にも公平に、裁きを下す。たとえそれが、杖でネズミを串刺しにしたヨボヨボの老人であったとしても。ましてや、寝返りでネズミを圧殺した赤ん坊であったとしても。

 閻魔大王は、情け容赦なく針山へと送る。地獄の業火で焼き尽くす。釜で茹でる。血の池に浸す。三叉のフォークなどで阿鼻旨の苦しみを与えそして――食う。


「食わんわ! 焼いて茹でてケチャップつけてフォークでいただきますってか。やかましいわ!」

「ソーセージって、焼いても茹でても美味しいよね」

「おい、地獄はキッチンではないぞ。まあ、確かに色々組み合わせれば何か作れんわけでもないが……ふむ、試してみるか?」


 彼女は思案顔になって、何やらブツブツとレシピを考え始めた。灼熱地獄の炎が、意味深に揺らめいた。


「え、何? 本当に何か料理すんの……?」


 その何かとは、間違いなく地獄に落ちた人間たち……いや、下手したら僕たちも材料にされかねない。

 言い出しっぺは僕だが、これはいただけない。

 絶対に作れない、作らせない、作らせるわけにはいかない――僕はそう、決意を新たにした。


 さて、そんな悪食の閻魔大王には、主人を心から慕う部下たちがいる。

 獄卒の牛頭馬頭を始めとする鬼たち、三途の川でずっとスタンバってる懸衣翁に奪衣婆、川の渡し守のカロン、番犬のケルベロスなど――え、出典がバラバラでごちゃごちゃだって? それは、君たち人間のせいだよ。君たちが何でもかんでも信仰しちゃうから、全部混ざってしまったのだ。まさに、混沌。カオスの極みである。


「そもそも、ここを冥府と呼ぶが地獄と呼ぶかで閻魔様の呼び方が変わるんだよ。実にややこしい」

「うむ、正直言って儂も困っとる」

「だそうです。みんな気をつけろよ?」


 閑話休題。


 そんな、色々な化け物が仕事をしている地獄だが、その中で一番重要な仕事を任されている者たちがいる。

 それはズバリ、死神だ。

 魂の管理を任されており、時折下界に降りて、役目を果たした魂を大切に保護して連れてきたり、間引いたりするのが仕事。

 かく言う自分もその死神の一人だ。獄卒や三途の川でスタンバってる方々に比べれば新人も新人だが、そこそこ優秀な社員として過ごさせてもらっている。期待の新星ってところだ。もうすぐ知り合いから引き継いだ部下を死神として働かせようと思っている。つまり、僕はもうすぐ中間管理職になる。出世というわけだ。

 巷では仮面を被っていることから“仮面の死神”なんて呼ばれていたりする。恥ずかしいが、文句は言わない。なぜなら、言葉の響きがかっこいいからだ。こういうのを、中二病という。これは、僕の宿命なのかも知れない。

 そして、これはこの僕“仮面の死神”さんの、“仮面の死神”さんによる、“仮面の死神”さんのためのドキュメンタリーである。


 《「アマチュア」〜送魂の流儀〜》


「……おい」 

「はい、嘘です間違えました。正しくはプロフェッsh――」

「違う、そこじゃない。いや、そこもおかしかったが! パクリダメ、絶対! あとドキュメンタリー番組ではないわ! ただの監視だ!」

「N○K様マジリスペクトっす」

「というか、新人のための手本もかねているのだ。これからしばらくの仕事は記録として残るぞ。嫌だからといって、ふざけて誤魔化すな」

「……うっす」


 まあ、簡単に言うとそういうことだ。でも割とアンタも乗ってたじゃないか。


 やだなー、めんどくせーなー、なんで僕がこんなことを――ああ、もう!


「なんだってんだコノヤロー!」


 こうして、冒頭へと帰結する。“無限ループって怖くね?”という奴である。


「えーっと今日はっと……お、あの村の人か。よし、んじゃ行ってくるわ」


 大抵、ノリと勢いで仕事は始まる。そんな、自由な職場である。


「さて、仕事の時間だ」


 ――これから語られるのは、とある村のお話――


 ♢♢♢


 とある、辺境の村にある小さな教会。

 村一番の立派な石造りのその建物の一室で、数人の人間が寄り添っている。それはただの井戸端会議などではなく、重苦しい雰囲気を漂わせていた。

 シスター服を着た聖職者が、首を静かに横に降る。

 ゆっくりと、ベッドに横たわる男性の手が握られた。その男性の顔が少しだけ、緩んだような気がした。とても幸せそうで、なんの未練もなさそうな顔に。でも、それはもしかしたら、ただの筋肉の痙攣だったのかもしれない。

 小さな幼子のすすり泣く声が聞こえる。

 男性に、白い布がかけられた。

 ――臨終である。この世界で、また一つの魂が還ったのだ。

 その事実が、集まった人たち全員の頭を一拍、無にさせた。

 無事に、逝ってくれた。

 それは良かった。

 良かったけれど。


「……寂しくなる」


 ポツリと、その場にいた誰かがそう零した。

 小さな部屋に、嗚咽がこだまする。


「彼は……英雄だった」

「ああ、本当に。彼のおかげで、どれだけの村人が救われたことか」


 村を救った男。彼は、まさに英雄という称号がふさわしい男だった。

 この村で、突然流行った疫病。その災厄の始まりは一人の青年からだった。

 異常な高熱と内出血を伴い、死に至る病。

 さらに高い感染力を持つこの病は、瞬く間に村中に広まり、一人、また一人と命を奪っていった。村人たちは、この病は神の祟りであると、必死に教会にて祈りを捧げたが、それも虚しく、次第に祈りを捧げる者も減っていった。人々は絶望した。

 しかし、その災厄を前に立ち上がった者がいた。その男は村で唯一の医者であった。日々、何もできずに死んでいってしまうその現実が、悔しかったのだ。そして、彼は家族を守りたかった。病魔からまだ幼い、自慢の娘を。

 彼は奮闘した。まだ体が若いことをいいことにして、馬車馬のように駆け回った。

 そして、ついに特効薬が完成した。これは、発病してから日が経っていなければ、助けられるものだった。

 手遅れだった人々は確かにいたが、それでもこの薬によって本来死ぬ運命だった村人たちを、そして自らの愛娘を救ったのである。

 だが、この薬を完成させるために日々動いていた体は限界だった。

 自らも病にかかり、特効薬が意味をなさないレベルにまで進行していたのだ。

 そして、死神を名乗る者がやってきた。突然音も無く現れたその死神は、


「四日後、お迎えに参ります」


 と、確かにそう告げたのだ。

 するとどうだ、物の見事にその四日後、つまり今日この日、この瞬間に亡くなった。


「ただ……やはり、ひとり娘を置いていってしまうとは。まだ、この子は7歳だぞ」

「あなた……エリー……っ!」


 亡くなった男の妻が、娘のエリーを抱き締めながら、唇を噛んだ。


「お父さん……お父さん……!」


 ずっと、先程から泣いている幼子。

 母親に抱かれながら、泣くまいと必死に涙を拭い、それでも溢れ出てくるものと戦っている。

 いや、この場にいる全員が、同じような状態だったのかもしれない。

 そんな、悲しみの雰囲気。誰もが皆、英雄の死を悲しんでいる中――この村の村長は、このままではいけないと声を上げる。


「……よし。では皆の者! いつまでもしんみりとしてはおられん! 我らは彼に救われたのだ! で、あるならば、一刻も早く安らかに眠れるようにしてやるのが、我々にできる最後のお礼なのではないだろうか――「お迎えにあがりましたー! 死神デリバリーサービスでーす!」――きゃああああっ!?」

「「村長おおおぉっ!?」」


 部屋いっぱいに、おじいちゃんの悲鳴と、村人たちの村長を呼ぶ声が響き渡った。

 ファサァ――と何とか生き残っていた最後の白髪が、床に散った。

 日に日に抜け落ちて行く白髪を気にしていた村長の、英雄の死を受け止め、その辛い気持ちを押し殺してせめて彼を安らかに眠らせてあげようと思ったが故の呼びかけが、突然背後に現れた人物の陽気な声によって女々しい悲鳴へと変わってしまった。

 いや、陽気ではあるのだが、何故か不気味なその声に、生命体としての本能が警鐘を鳴らしたのだろう。

 黒いフード付きのコートを身に纏い、それを深くかぶっていて髪の毛のようなものは見えない。ブーツや手袋、そしてニタァと笑う口に見える不気味な仮面を被って素肌を完全に隠している。いや、本当に素肌というものがあるのかすら怪しい。


「死……神……!」


 シスターの顔が青ざめ、フルフルと震えだした。その様子を見て、幼子がキョトンとした顔をする。

 幼子の母親、つまり彼の妻は、その人物に向けて会釈した。

 つい先日、彼に余命を告げた死神その人だった。


「おっと……これはこれは失礼、僕としたことがテンションを間違えてしまった」


 死神としては、この辛い空気を払拭してあげようという死神なりの親切心によって明るく登場したのだが、周りからすればただのKYであった。

 驚きすぎて立ったまま気絶したおじいちゃんもいるわけだから、ただ迷惑なだけである。

 というか、そもそもとして死神を認識できるのは彼の妻と聖職者のシスター、そして死期が近い村長ぐらいだ。


「村長、しっかりして! ああ、完全に気絶してる……臭っ!? し、失禁まで……」


「おい、口から白っぽいの出てないか!?」


「ほ、ほんとだ! あの貧相な体型……間違いねぇ、村長だ! あれは村長の魂だー!」


 臨終の雰囲気なんて何処へやらの大混乱。シスターの震えが止まらない。恐怖ゆえのその震えは、床がカタカタとなるほどである。おじいちゃんの震えも止まらない。老体の痙攣である。既に意識は彼方へ。口からは泡を吹いている。散らばった白髪が、なんとも物悲しい。

 だが、当の死神は自分が引き起こした大騒ぎに目もくれず、静かに眠っている彼の元に歩みを進めた。


「さて、と。**さん、約束通り迎えに参りましたよ」


 そうして、独り言を呟き始めた。彼の遺体の上を見上げて。


「――ええ、そうです。今から向かいますが、何かやり残したことがあれば――え、無い? ホントにいいの? 心残りとか――そうですか。ええ、ええ。それはよかったです。それでは、参りましょうか」


 うんうんと頷きながら、そう締めくくった。

 彼の妻も浮かばれたように、微笑んだ。幼子は怪訝な顔をする。どうしてお母さんは笑っているのだろう。お父さんが死んだのに。どうして悲しい時に笑うのだろう。


「ああ、それと――」


 去り際に、死神は思い出したかのように立ち止まり、幼子とその母親の方に向き直った。

 シスターの顔がさらに青ざめ、最早白い顔になる。次に発せられる言葉を察してしまったから。聖職者であるが故に、底知れぬ恐怖を感じたから。

 だが、察したのはシスターだけではなかった。

 母親がぎゅっと幼子を抱きしめる。絶対に離さず、この子には私がいると、そう伝えるように。

 幼子は怪訝な顔をする。どうして、お母さんは私を見て泣くのだろう。さっきまで笑っていたのに、おかしなお母さん。


 そして、死神は恭しくお辞儀をしながら、


「三日後、お迎えに参ります」


 と、そう告げたのだった。


「おい、あの白い村長が白髪と一緒にだんだん天に昇っていくぞ!」

「ああ、逝っちゃう! 村長逝っちゃうー!」

「逝くなー! 戻ってこーい! 村長ーっ!!」


 その背後では、村長が死神と共に行くことになりかけていたのだが、それは些細なことだろう。

 シスターは世の理不尽を嘆き、神に祈りを捧げ始めた。

 村人たちは天高く登ろうとして神聖な教会の屋根にハゲたてほやほやの頭をぶつけたその魂を嘆き、村長に祈りを捧げた。

 そこはまさしく、カオスであった。

 ちなみに、村長はなんとか一命を取り留めたらしい。ただ、失禁したことはともかく、髪が全て消えたためしばらく家から出てこなくなったそうな。


 ♢♢♢


 パタパタとサンダルを鳴らしながら、村を走り回る子供たち。皆、年相応の無邪気な笑顔で追いかけっこに勤しんでいる。


「まてまて〜!」

「ははは、エリーの足じゃあ、俺には追いつけないよ!」

「リョーちゃん前っ、前!!」

「え? ――いてっ!」


 どうやら、男の子が一人躓いて転んでしまったらしい。大地とキスをしたまま、ぐずってしまっている。本人は泣いている姿を見せたくないようだが、側から見れば泣いていることなど一目瞭然、バレバレであった。

 そこに駆け寄る仲間たち。彼に、手を差し伸べた女の子がいた。この村一の英雄の娘、エリーだ。


「リョーちゃん、大丈夫……?」

「エリー……」


 心優しき彼女は、他の仲間をさし置き、一番にその手を差し伸べたのだ。

 男の子は、目頭に光る粒を溜めたまま、恥ずかしそうに頬を染めて俯いてから、


「心配いらねーよっ!」


 と、精一杯の強がりと共に自分だけで立ち上がった。

 男の子のその姿にエリーを含めた仲間たちは皆、わははっと笑い合い、再び追いかけっこを再開した。今度は前も足元も、そして他の仲間たちの笑顔もよく見ながらである。

 ——平和のモンタージュが、そこにはあった。

 その箱庭の光景を眺めるシスターも自然と笑顔になる。しかし、走り回る子供たちの中のエリーの姿を見る度に、その表情に影が差してしまう。

 あの日からもう二日経っている。今日が、ちょうど三日目だ。

 シスターはこのところずっとエリーについて考えていた。

 あの日、あの死神は確かにエリーの方を向いて、三日後迎えに来るとそう告げた。


(もし、あの子が本当に今日で最期なら……)


 彼女の未来は、ただのイフとなってしまう。起こるはずだった、でも起こらなかった未来へと変わる。彼女がすくすくと育った姿を想像して今と重ねてしまうと――


(ああ、神よ! どうしてあのようなまだ未来のある幼い子供が、この世から去ってしまうのでしょうか!)


 あの子はこの村の英雄が、そしてその妻が何よりも守りたかったもの。子は、人類の宝だ。小さければ小さいほど、より大きな未来を持っているのだから。無論、子供たちは皆、この村の宝である。

 しかし、その宝が奪われようとしていた。

 絶対にエリーから目を離さないと、シスターは心に誓った。姿が見えないと、不安で心が押しつぶされそうだったから。


 太陽が、空の天辺へと到達した頃、村では小さな騒ぎが起こった。いや、騒ぎと言ってもシスターが勝手に慌てただけなのだが。


「そんなっ……もう!?」


 シスターは顔を真っ青にして、自ら率先して捜索を始めた。

 ――エリーが、行方不明になったのである。たった、数分前まで教会で花に水をあげていたのに。たった数分姿が見えないだけで、シスターの不安は爆発した。


 ♢♢♢


 この村は森に囲まれている。背の高い木々が日光を遮り、薄暗い壁が村を外から隔離しているのだ。

 夜になれば完全な闇となり、一歩先にある大木すらわからなくなる。さらに、この森には大きな熊が生息しており非常に危険であるため、村の掟では夕方を過ぎたら立ち入り禁止、また子供だけでは立ち入り禁止と記されている。

 その森の中に、一部、周りとは気色の異なる場所がある。色とりどりの花が咲き乱れ、そこだけ使う絵の具を間違えてしまったかのような花畑。

 黄色や白、赤に青と様々な色が同居するその場所。深緑色を背景にしよう。

 花畑の色を決めなければならない。闇雲に混ぜれば良いというわけではないのだ。明るい色をたくさん使って華やかにしようか。それとも、暗い色をたくさん使って静かで神秘的な感じにしようか。

 この花畑にアクセントを加えてもいいかも知れない。見る人の目を引き寄せるような、何かを。

 例えば、そう。女の子とかどうだろうか。


「ふふんふふーん♪」


 陽気な鼻歌を歌いながら、花畑を漁る。

 どうしてこんな村から離れた場所に来れたかというと、単純に道のようなものを通ってきたからだ。ようなもの、というのはれっきとした道として舗装されたものではないからだ。その道は、通るものを導くように、木々が隙間を空けており、誰かが何度も踏みしめたのか、地面が他の場所とは少し異なっている。

 エリーの母親が、よくこの花畑に遊びに来たと言っていたのだ。おそらく、同じようにこの花畑にやってくる人が過去にも沢山いたのだろう。

 エリーは花を探す。あまり花について詳しくはないけれど、母親から聞いていた特徴を頼りにその花を探す。母が大好きだった花を今日プレゼントしてあげるために。勿論母には内緒で、である。

 その花は、勿忘草ワスレナグサという。鮮やかな青色をしている花で、母はその花で作ったアクセサリーをよく身につけては自慢するように見せびらかしていた。

 今回は、この勿忘草で花輪を作ろう。ちゃんとお母さんに教えてもらったから。


「絶対に見つけないと。私はお母さんと同じことができるようになったって教えなきゃ」


 エリーは一つのお願い事を胸に、勿忘草を探し続けた。

 そして、日が西に傾いた頃――


「あった! この花だ!」


 ようやく見つけたその鮮やかな青色の花を、丁寧に摘み始める。これで、花輪が作れる。あれから何度も練習したのだ。きっと上手くできるだろう。

 ――グルルルル。

 ぬっとエリーの頭上に、大きな影が差した。そのシルエットは、この森に生息している体長二メートルを超える熊のものだった。のしかかるだけでエリーがペシャンコに潰れてしまいそうな程の、圧倒的な体格。

 探し物エモノを見つけたのは、エリーだけではなかったようだ。

 エリーは花を摘むのに夢中になって、まだその存在に気づいてはいない。

 熊はゆっくりと、音を立てないように接近していたのだ。全ては今、この瞬間に確実に仕留めるため。

 熊が動いた。その巨体はエリーを背後から襲う――


「……まだ、早いんだよな〜」


 ああ、しまった。

 絵にインクを落としてしまった。自信作になる予定だった、花畑と女の子の絵に。

 他とは少し異なる色。色鮮やかだった花畑に、紅く鉄くさいシミができてしまった。


 ♢♢♢


 夕刻。太陽は森の中に半分ほどその体を隠し、綺麗なオレンジ色の光で村を照らしている。

 村の掃除をしている村長の頭が輝いた。最後まで頭皮を護っていた生き残りの白髪が亡くなったため、ツルピカである。その頭によって起こった太陽光の乱反射が、人々の網膜を襲った。眩しい、眩しいよ村長。

 村はずれの小さな丘に、石でできた小さなお墓がある。そのお墓の前で、シスターとエリーが静かに手を合わせていた。

 その様子を、遠くから見つめる者がいる。


「いや〜本当にいい子ですね、エリーちゃん」

「うふふ、そうでしょう? 自慢の娘ですよ」


 木に並んで座って会話する二人はとても、和やかな雰囲気だった。片方の顔はわからないが、少なくとも一人の表情は笑顔だった。


「死神さん、私の勝手なワガママを聞いてくださって本当にありがとうございました」

「いえいえ、七日程度お安い御用でしたよ。ま、多少なりともリスクはありましたけどね」

「リスク?」

「ええ、まあ。あまり死んだ魂がこの世に留まり続けると、心残りが膨らみ過ぎて悪霊と化す可能性が高くなるんです」

「悪霊……ですか。もし、私がそうなっていた場合は……?」

「僕が責任を持ってぶっ殺します。もう死んでますけどね。クックック」

「oh……」


 エリーの父がなくなった日から四日前、つまりエリーの母が亡くなった日。

 エリーの母は、彼女を迎えに来た死神に頼んだのだ。もう少しだけでいいから、この世にいさせてくれと。死神は快く了承した。七日だけここにいてもいいよ、と。

 ついでにその隣で苦しそうに、悔しそうな顔で眠っていたエリーの父に四日後迎えに来ますねと言い残していった。

 エリーの父が亡くなったあの日、三日後迎えに来ますと言ったのは、エリーの母に向けた言葉だったのだ。

 つまり、シスターの嘆きは、ただの杞憂だったのだ。だが、それも仕方ないのだろう。何故なら、死んだはずの母親は、エリーにしか見えないのだから。

 母親は少し寂しそうに俯いて、


「……でも私たちは、最低な親です。子供がまだ幼いうちに死ぬなんて……まだ、教えてあげないといけないこととか、たくさんあったはずなのに……」

「……何言ってるんですか。貴女方が亡くなったのは、あの子を守るためだったのでしょう?」


 そう、特効薬作りに勤しむエリーの父を一番身近で支えたのは、紛れも無く母なのだ。全ては、愛娘を守るため。そして、村を守るため。結果的に二人はその病に伏してしまったが、それでも。


「娘を守るために命を賭す。最高の親子愛じゃないですか。それを誇らずしてどうするんですか」

「……っ! そう、ですね……私たちはあの子が大好きですもの」


 その言葉を聞いて、母親の顔は報われたような穏やかな表情へと変わった。

 エリーに視線を戻すと、あの花で作った花輪を墓前に献花していた。


「あの子、気づいていたのね。私は既にここにはいないって」

「子供ってのは、純粋で聡明です。あんなに小さいのに、心がしっかりしている。親の教育の賜物ですね」

「ええ、親として嬉しい限りです」

「いやはや、彼女もお母さんに似て、さぞ美人なお姉さんになるんでしょうね〜」

「まあ、お上手! でも、そうですね。安心しました。シスターもいますし、あの子はきっと、私たちがいなくても大丈夫ですね。母親の私が墨を付けておきます」

「それ、お父さんも言ってましたから、あの子はもう絶対に大丈夫だ。なんせ二人のお墨付きですから」


 ちなみにエリーの父は、エリーの母を救えなかった後悔を除けば心残りはなく、エリーについては全然心配していなかったらしい。彼女が心配性だったのだ。

 でも、親というのは少しぐらい心配性の方がいいと、死神は思った。純粋で、無邪気な子供は、それ故に何をしでかすかわからないのだから。


「――さて、と。そろそろ行きましょうか。お父さんが待っていますよ。お二人とも天国行きは確定だと思うので、生まれ変わるまで娘さんのことを温かく、のんびりと見守ってやってください」


「はい、そうさせてもらいます。 あの、今更ですけど、ここまでよくしてもらっても良かったのですか? あの子も助けていただいたみたいで……」

「ええ、ノープロブレムです。あまり一つの仕事に時間をかけすぎると後がつっかえてしまうのですがね。それでもね、僕はできるだけ死人の願いは叶えてあげたいのです」


 死神という怪異のイメージは、あまり良くない。何か見返りを求めているのではないか、何かを要求されるのではないかと不安に思われるのは仕方がないことだ。

 だからこそ、死神ははっきりと言う。胸を張って、自分の仕事の流儀に誇りを持って。


「だって、僕の送魂の流儀は、“なんの心残りも無く、気持ち良く逝ってもらう”ですから」


 そんな、普段はちゃらんぽらんだけど仕事熱心な仮面を被った死神さんは、母親を連れて、ゆっくりとあの世へと向かっていった。


(さて、この熊は一体幾らで売れるかな?)


 などと、考えながら。


「あ、そうだ。ちなみにあの花輪、お母さんからしたら何点ぐらいですか?」

「うーん、本当なら四十点なんですが、私へのプレゼントと言うことでプラス六十点!」

「おお、そいつは甘過ぎるぜ」


 後日談。

 プライドを捨てた村長が、宴会芸としてその頭を活用し、大いに笑いを取っている。

 災厄を乗り切った彼らは、たとえ以前のようにまではいかぬとも、皆幸せそうな笑顔を咲かせていた。村長も、過去最大に生き生きと輝いていた。今後、どんな災厄に見舞われたとしても、多分この村は大丈夫だろう。


 死神さんは見ている。地獄はあなたを見ている。あなたが天国行きでも地獄行きでも、きっと、気が向いたら死神さんは現れるだろう。その時が、あなたの人生において、最初で最後の救いである。


 ――村はずれの小さな丘にあるお墓。その墓前に、鮮やかな青色の勿忘草で編まれた花輪が供えられている。その形が歪で拙い花輪が、夕日に照らされて百点満点に輝いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

仮面の死神さん。 塩漬 @siozuke

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ