あと少しそばで

おととゆう

あと少し

ここで暮らして、楽だったことなんか1つもなかったな。


そんな事今振り返ったところで、意味がないのはわかってる。十二分に。

それでも一応の儀式なのだろうか。耳に染み込んだ駅名に、わずかながらも感傷がこみ上げてきた。


もう2度と戻るつもりのなかった故郷は、駅前の小さな商店がなくなっていて、知らないうちに大きなマンションが建っていた。

日の落ちかけた時間帯だから、なおさらだろうか。

まるで覚えのない、別世界に足を踏み入れ

たみたいだ。

浦島太郎は言い過ぎだが、見覚えない景色に少なからず怯んでしまう。整然と整えられた景色は、どこかのチラシに載りそうな程に完璧だいうのに。


長年住んだ一応のふるさとへ帰省してきたはずなのに、まるで歓迎されていないようだ。


心許なくなって、腕時計を見た。

擦り切れた革のベルトの端が白く浮かぶ。

待ち合わせには、まだ少し時間がある。どこかで時間を潰そうかと、記憶の中を探すも通ったゲームセンターも喫茶店もまだあるのかすら検討もつかなくて、そのまま向かうことにした。

指定された場所まで、歩けば20分ほどのはずだ。ゆっくり歩けば、多少は潰せるだろう。


「なんだ。あるのか。」


駅を離れ、少しずつ町の奥へ進むと記憶の端っこに残していたものが見えてくる。ゲームセンターはなかったが、喫茶店は辛うじて残っていた。看板だけは。それに、


青い屋根の繋がった家

店じまいする八百屋

他では見たことない名前のコンビニ


石を掘り投げてた溜池。


記憶の中よりずっと澱んで濁ってるのが、薄暗くなってきた中でもわかる。

ここで待ち合わせだと言われて、大人しく来たものの、居心地の悪さはとんでもなかった。

どんどんと気温も落ちてく。


「あ。」


ぼんやりと眺めていた水面で、何かが跳ねた。

そういえば夏祭りの後に、やたらと金魚が増えるんだ。それ目当てかたくさん鳥が飛んで来る。

真っ白い大きな鳥で‥綺麗で。


そういえばあれは、なんて名前なんだろう。


足元にあった小石を蹴る。

大して飛ぶこともなく、池に落ちた。

ぽちゃん、と水紋だけはしっかり残して。


最後の紋が澱みに沈んだ時だった。


「久しぶり。」


鈴が鳴った。その音に、奥歯を噛んだ。

ここを待ち合わせ場所に指定したのは、敢えてのことだろうと、察しはつく。

だからその声にも覚悟のような鋭さが滲んでいた。

ほわっと舞った覚えのある香りに、胸をかきむしって叫びそうになるのを、


「‥おぉ。羽美、きれいになった。」


馬鹿みたいに耐えた。


「何それ。おじさんみたいなこと言わないでよ。」


最初こそなんとか笑っていたのに、ぐしゃりと顔を歪めて、八の字に下がった眉で笑おうとする目尻から雫がつたう。

それが地面に落ちる前に。


必死で腕を引いた。


腕の中に閉じ込めてしまえば、誰にも見えないだろう。それにこの暗さだ。


もっと早くこうしたらよかった。

もっと早く。多分この世に生まれる前に。


ほろほろ落ちる雫を、声も出さずに引っ込めた羽美は、ゴシゴシと乱暴なくらいに俺のシャツで涙を拭いた。多分、この時に拭い捨てたんだ。


秩序とか、倫理とか。



一応の準備を詰めたせいで大きくなってしまった荷物を、羽美は「これだけ?」と適当に車に詰めた。


「免許は?」

「あると思うか。」

「やっぱり。」


俺を助手席に押し込んで、慣れた様子で運転席に乗り込むと、ふっと一瞬笑った。

目はまださっきの涙で、濡れたままなのに。


「変わんないね。」

「‥そうか?」

「うん。」


よかった。


羽美はそれだけ言うと、車を走らせた。

溜池はあっという間に見えなくなった。

ずっとずっと、あそこにいる気がしていたのに。流れなど、一生産まれやしないだろうと思っていたのに。

こんな簡単に景色は流れてく。


かつて、あの池の前で俺と羽美は

二度と会わないと約束したんだ。

だから俺は、ここを出た。



羽美の部屋は、殺風景なものだった。

生活を感じるのは、隅の方に寄せられたメイク道具くらいなもので、本棚も食器棚も何も入ってなかった。

すでに運び出された後なのだろう。

この部屋も家具も、恐らく数日中には処分されるのだ。

ぐるっと部屋を見渡してると、羽美は冷蔵庫からビールを2つもって、小さなガラスのテーブルに置いた。そのテーブルすらも、緑のテープがばつ印に貼られていた。

その上からでも、カツンと鳴ったその音に少しだけ身体が跳ねた。


テレビも何もない。

俺と羽美しか、音を立てる者もない。


プルタブは、開かなかった。


スイッチと言うなら、今の缶とガラスだ。


まだ少し赤い瞳に胸が痛む。

何か言ってやらなきゃと思うのに、震えそうな手で瞼に触れた。

指先が細かく揺れる瞼を撫でて、目を閉じた羽美の唇にも指で触れる。

そうしたら、また静かに涙が落ちた。

ポトっと鳴った微かな音が、ぐわんぐわんと頭に響いてく。怖いのは羽美だけじゃない。


「大丈夫。‥大丈夫だよ、羽美。」


掠れた自分の声を呪う。

こんな甘い声を、自分が出してるなんて信じられないのに。


「誰も見てないよ。」


そんなことしか言えないんだ。馬鹿みたいに。


こくん、と頷いた頭を抱きしめてキスを繰り返した。


この時をどれほど待ってただろう。


さっきまでの静かさが嘘のように、音が響く。頭の中まで埋まってしまいそうな中で、カチカチと秒針が聞こえた。


あ、と身体が強張ったのがわかった。


羽美の手がそっと俺の耳を塞ぐ。

かすかに開けた目と目が合って、ふふっと2人笑った。


「誰も見てないんだよ、ね?正志。」


正志。


名前を呼ばれて、下がった眉を笑ってごまかした。上がった左の頬が、羽美の手で撫でられた。多分濡れていたのだろうと思う。


こんなところも似てるなんて。

苛立ちでしかなかったものが、愛おしかった。


言いたいことなら、山のようにあった。


けれど。指が辿る背に、抱いた胸に、絡んだ髪に、香る甘さに、必死に溶け込ませていた。


雪崩のように浮かぶ「もしも」を、強引にねじ伏せ、羽美に押し込みながら必死に守るように抱きしめる。

どこにもいかないように、誰にも責められないように。











「あの池さぁ、もういねぇの?鳥。」


シーツを無理やり引っ張って羽美にかけた。少し気温が低い事に気がついたけど、火照る体にはちょうどよかった。


「白いの?時々いるよ?」

「マジか。見てぇな。」

「‥そっちには、いないの?」

「さぁ。見たことない。だいたい、あんな緑の池なんかねぇもん。」

「緑って。」


ふっと笑い出した羽美は、シーツの下に隠れてしまった。追うように2人でシーツに潜りこむ。別世界。

白に包まれた中には、俺と羽美しかいない。


面倒に隔てる服もなく、触れようとしなくても体温の伝わる海の底のような場所。


泣きそうになりながら、また触れた。

高い声も低い声も、今音を鳴らせるのは2人だけ。シーツの下にある、夢の中だけだと。


湿ってく空間に息だけが詰まって来た頃、息継ぎのようにシーツから出て擦り切れた腕時計を探した。

すっかり夜なのはわかるが、何時かまではわからない。キョロキョロと秒針がなる方を探すと、ぐいっと伸びてきた腕が俺を捕まえた。


「ダメ。出ないで。」

「何時か見るだけだよ。」

「いや。戻んないで。」


羽美の指が、首に触れた。喉元を包むように持つ手で、上目で見上げてる。

シーツの中で頭までかぶって、誰にも見つからない場所にいると言うのにそれでも、朝になるのを怯えてる。


真似するように、羽美の首に手を回して当てた。

力の加減なら、俺の方が強い。

なのに、俺の首にかかった羽海の指に力が入る。


「いいよ?」


今まで生きてきた中で、1番甘い声がする。

俺の中から。


「いいの?正志、居なくなるよ?」

「いいよ。羽美がその方が楽なら。」


じっと見つめた後、するっと離れた手が、首の後ろに回って唇が近づく。

それを受けながら、俺の手も首から離れて羽美の髪に絡んだ。



これだけは守りたい、と故郷を捨て

壊してしまえと、故郷にまた来て


この世でこれだけは、と思ってるものが腕の下で咲かせる花は千切れて千切れて。バラバラになっていくのをただ、ただ。


感じていた。












「あんた昨日どこいってたの?」


母ちゃんが苦しそうに帯を抑えて言った。

流石に今日は、父ちゃんも母ちゃんもちゃんとしてしてる。



「あ?友達んとこで飲んでて、そのまま寝た。」

「もう。やっと顔見せたと思ったら。」


ぶつぶつ言う母ちゃんは、留袖がやっぱりくるしいのかそのうち黙った。

持ってきたスーツは適当に掘り込んだせいで、すこしシワがよってしまった。

それも母ちゃんは気にいらないようで、朝からうるさい。


いい天気だった。


青くて高い空。真っ白の教会の中に光が射し込む。


その控え室で、出されたオレンジジュースを啜っていると、ふわりと甘い香りがした。


「‥正志、さんですよね?」


誰かと確認するまでもなかった。白いタキシードは、彼だけの特権だ。


「えぇ。はじめまして。」

「ご挨拶も差し上げないままで、申し訳ありません。」

「いや。ちょっと、多忙なもので。」


そうですよ!電話したって出やしないんだから!!と、横から母ちゃんが援護して、その人は品良く笑った。


「色々とお話もしたかったのですが、今日は?」

「式が終わりましたら、すぐ帰ります。」


そうですか‥と、残念そうに眉を下げた。

けどその目は、笑ってなんかない。


母ちゃんが式場スタッフに呼ばれて行った。

そろそろ、式が始まると言う。


ご親族の方は、と教会に案内される中緊張で固まる父ちゃんが見えた。


「‥いいんですか?俺、返しませんよ?」


父ちゃんに視線を向けて、にこやかに微笑んだまま彼は言った。


「お気の毒に。あなたの愛おしい人はすでに俺のものです。」


完璧な笑み。


ざわざわと式場に移動してく人の波。


「お気の毒、はお前だよ。」


ピクリと彼の形のいい眉があがる。


「羽美が殺したいくらい、愛してんのは俺なの。」


ギリっと奥歯を噛んだのか、笑みが歪んだ。

可笑しくて仕方ない。



花嫁様、御準備整いました。

スタッフに促され、純白のドレス姿の羽美が教会の前に立った。

扉の向こうは、招待客で溢れてる。



「ほら!父ちゃん、頑張ってね!正志、いくよ。」

母ちゃんに押され、教会に足を踏み入れた時


「お兄ちゃん!」


羽美が、俺を呼んだ。


「何か、ないの?私に。」


潤む瞳に、伸ばしそうな手を押し込めた。


「へぇ、キレイキレイ。」

「ほんとに思ってる?」

「思ってるよ。」


羽美の眉が、八の字に下がる。あれは、泣きそうなサイン。羽美が小さい時からのくせ。


「泣くな。不細工になるぞ。」


俺の一言に、慌てたようにメイクさんがやってきた。それに遮られ羽美の顔が見えない隙に、空を仰いだ。


「なぁ。」


「気の毒なヤツから、気の毒なお前にお願いがあんだけどさ。


羽美、頼むわ。」



オルガンの音がする。喜びを歌ってる。

これから、扉が開くのだ。

夜を捨てる時がくる。



カチコチの父ちゃんと羽美が腕を組んだ。


何か言いたげに一度俺を見た彼は、羽美の顔を見て頬を緩めた。

そんな彼を不思議そうに見たあと、羽美はふうわりと微笑んだ。


羽のような笑みで。



扉が開く。


新郎を送り出したあと、俺と羽美は固まる父ちゃんをつついて遊んだ。

また泣いたら、メイクさんが慌てちゃうから。


もう一度オルガンが鳴る前に、

「倖せになれよ。」

羽美の耳元で、それだけ言って。




彼の元に歩いてく、羽美の背中を見送った。




嵐「夜の影」

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