夏の風でトランペットは吹けない

ミチル 悠

第1話 躍動する魂

カキーーーーーーン

小気味好い音がまん丸な空にきれいに響く

ベタ塗りの青の空。

もくもくともりあがる入道雲は少し不機嫌そうに太陽の陽を反射させ、それは私の目にチクリチクリと刺さった。

応援に来ていた吹奏楽のけたたましい音が耳にこびりついていた。



満塁サヨナラホームラン

だった気がする。気がするっていうのは、ちゃんとそのときのことを思い出せないからだ。

「ったーーー。。」

気づいたら球場の救護室のベッドにいた。おでこの左側がズキズキと痛むのだが、私には何が起こったのかまったく分かってなかった。

そのかわりに、おでこの痛みと、頭に巻かれた包帯から、なんとなく、何が起こったのか私は察した。

あぁ、確かお父さんと野球を見に来てて、

バットにボールが当たって、弾けるあの音が聞こえたあと、確か数秒もなかったとおもうんだけど

おでこに何かが凄い勢いで当たって、、

そういうことか。

「まったくついてないなぁ」

と思うと同時に自分の運動神経のなさを恨んだ。

窓から氷柱のような夕日が差し込み、部屋はオレンジ色に染まっていた。


「大丈夫?」

隣のベッドから声がした。

あまりにも急だったし、自分以外はだれもいないものだと思っていたから、ひどく驚いて飛び上がってしまった。色々な考えが頭を瞬時に駆け巡り、しばしの沈黙の後、

「だ、大丈夫だよ」

とだけ、緊張した喉からなんとかひねり出した。きっと彼女も何かの都合で体調を崩したり何かして、ここにきたのだろう。

「バタバタと運ばれてきたから、何事かと思ったけど、、元気そうならよかった」

「あ、ありがとう。」

「えーっと、、君も何かあったの?」

「熱中症になっちゃった」

彼女はコロコロと笑いながら言った。

「だって、炎天下の中ずっーーーーとフルートを吹くなんてまるで地獄だよ」

「吹奏楽部なんだね、大変だったろう」

「大変だったよ」

そこからしばらく沈黙の時が流れた。

夕日の氷柱はゆらゆらとカーテンの上を楽しそうに踊っている。父は、どこにいるのだろうか。


カキンッ


とっくに試合は終わったはずなのに、まだヒットの音がする。練習でもしているのだろうか。

「んー」

となりの誰かさんがつぶやく。

「ラ」

「ラ?」

「今の音は、ラだね。」

「どうしてわかるの?」

「私にはわかるの」

また彼女はコロコロと笑う。

なんか馬鹿にされたようで、少しムッとしたけど

言い返す言葉が何もなくてしばらく黙ってシーツのシワを見つめていた。

「なんでかっていうとね、


ガラッ


扉を開ける音と野太く腹から響く男の声が彼女の声を遮った。

「岡崎ー、体調どうだ?」

「あ、先生。だいぶよくなりましたぁ」

「それはよかった!心配したぞ〜。皆はもう帰ってるから、もし動けそうだったら今日はもう帰ろうと思うが大丈夫そうか?」


顧問の先生なのかな?

たしかに、試合はもう終わってるだろうだから、その応援に来ている吹奏楽部もとっくに帰っているはずだ。そして、顧問の先生らしき人は、「岡崎さん」のことをすごく心配していたようだ。


「はぁい!心配かけてすみません。」

「じゃあ救護室の外で待ってるから、準備ができたら来てくれ」


先生は、「岡崎さん」の様子を見て安心したのか来た時とは違って優しくドアを引いて外へ出て行った。

「ということで、私帰るね。、、どこが悪いかわからないけど、、お大事にね」

「あ、ありがと。、、、君も、お大事に」

「ありがとう。じゃあね」


「岡崎さん」は先生と同じように静かにドアを閉めた。

それとほどなくして、楽しそうに談笑する父の声が外から聞こえてきた。女性と一緒にいる。

ガラリとドアが開き、カーテン越しに女性に名前を呼ばれのだけど、なんだか妙に気が乗らなくて天井の模様の数を数えるフリをした。どうやら女性は、この球場の救護室の人のようだ。

「寝ているのかな」

父がカーテンを開けようとしたから、とっさに寝たふりをした。

「あれ、寝てるみたいだ」

「ん、、」

「涼、起きたか?」

「うん、、」

わざと寝起きのように目を擦る。

「頭は、まだ痛むか?」

「うん。でももう大丈夫、動けるよ」

「そうか、ごめんな、お父さんが飲み物買ってる間に。。」

「ううん、お父さんは悪くないよ。もう行くよね」

そう言って上体を起こすと、寝ているときはそこまで痛まなかったおでこが急にズキリズキリといたみだす。私は父子家庭だ。小さい頃母が他界していて、父は男手一つで私を育ててくれていた。父はいつも私に対してひとつひとつ気を使うような言動をしていて、そんな父の不器用が私の神経を逆撫ですることも少なくなかった。

「帰りにアイス買って行こうか」

「うん、いいね、ソーダ味がいいな」

このとき食べたアイスはなんだったか、私はもう覚えていない。


____________________________



吹奏楽をちゃんと聞いたのは、このときが初めてだった。

たぶん、吹奏楽部があればどの学校にもあると思うのだけど、毎年冬になると吹奏楽部は定期演奏会という一般の人も聴きにこれる中規模なコンサートを開く。

私は学校の友人に誘われて、特に予定もなかったし、寝てしまいそうだなぁと思いながらも、所謂、マセた高校生である自分は「コンサート」という響きに少し大人のような雰囲気を感じて、少しだけ、ワクワクしていた。


「いってらっしゃい」

「いってきますー」

学校の人たちがほとんどだというのはわかってはいたのだけど、こういう日はちょっとおめかししたくなってしまう性なので、私は白い丸襟のついた黒のワンピースを着た。上はピタッとしているのに下はAラインに広がるこのシルエットがとても好きなのだけど、なかなか着る機会がなく、クローゼットに眠っていたところ、やっと出番が来たようだ。

玄関のドアを開けると、ヒュウッと冬の空気が突き刺すように入り込んできた。冬の空気は冷たくて、痛い。頬の毛穴がキュッとしまる。


待ち合わせの場所までは30分くらい。そこからコンサートのあるホールまで一緒に行く予定だった。駅前の広場で、1組のバンドがフリーで演奏をしていた。

ベース、サックス、ドラム、トランペットで構成されたジャズっぽいバンドだった。

ベースの低い音が心地いい。サックスとトランペットのメロディをドラムが紡いでるような気がした。路上バンドは好きだ。なんの変哲もない自分の人生に、急にBGMがついて、気分が上がる。イヤフォンで自分で選んだ音楽じゃないからこその、偶然の産物的なところが私は好きだった。しかし、観客は一人もいなく自分も立ち止まって聞いているような余裕はなかったので、いそいそとバンドの前を通り過ぎ、凍える体を抱きしめながら駅へと歩いていった。


ホールは思ったより広くて、開演20分前なのに席はもうほとんど埋まっていた。「もうちょっと早く来ればよかったね」なんて話を友達としながら後ろの方に二人並んで座れる席をみつけていそいで荷物をおろした。

「すごい人」

「友達前の方にたくさんいそうだね」

「私飲み物、買ってこようかな」

友達は荷物番として席に残ってもらい、私は外の自販機へ小走りにかけた。

すると聞き覚えのある声が後ろから聞こえた。

「岡崎どっかでみてないか?」

「え、またいないの!」

「本当こまるんだけど」

あの救護室で聞いた先生の野太い声と、女子生徒が会話している。そして、、「岡崎さん」。

あぁそうか、あの日は自分の学校の野球応援にいってたわけだから吹奏楽部も当然うちの学校か。ということは、彼女も、あの先生も、同じ学校だったんだ。

そして今「岡崎さん」は失踪中らしい。久しぶりの再開は不穏な空気が漂っていた。


お茶を2本買って席に戻ると、もうホールは満席。あたりはパンフレットのページを捲る音や、小声で談笑する声がホールにくぐもって反響しており、映画館の上映前のような静かな高揚を感じていた。




コンサートは、魂が違う空間に放り入れられたような感じだった。

空はとても高く、晴れているはずなのに周りをけたたましく走り回る馬の蹄が、空の色などわからないほどに砂埃を巻き立てる。怒号や誰かの叫び声、鉄と鉄の擦れ合うキンッといういやな音。盛大な音とともに火花が飛び散ったと思うと、あたりは寂寞に包み込まれ誰かの咽び泣く声が聞こえる。先ほどの緊張感とはうって変わって、まるで冷蔵庫の中のようにひんやりとした空気がぴったりと私の体に張り付き、じわじわと孤独感が這い上がってくる。

父と初めて2人で生活を始めた頃を思い出した。仕事で帰りが遅く、いつも1人だった。母がいない。その事実はまだ幼い私を殺すには、十分すぎる凶器だった。たまに2人で食べれる夕飯には、いつもコンビニ弁当が並び、変な色のシャケや、萎びたカラアゲは私とおなじ、どんよりとした瞳でこっちを睨み返していた。コンビニ弁当よりも不味いこの空気を、父のクチャクチャという咀嚼音が震わせる。誰にぶつけることもできない苛立ちや悲しみ、そしてなにもできない自分の無力感と一緒にカラアゲを口に押し込んだのだった。そしてそのとき、私もクチャクチャと音を立てていたに違いない。そのころから、私は人とご飯を食べることが少し苦手になった。

正直私はこの時、恐怖を感じていた。逃げ出したくなったが、からだは昆虫標本のように椅子に釘で打ち付けられて動けない。その時間はまるで、忌々しい過去とディープキスをしているようだった。

暗鬱とした寂寞を引き裂いたのは、トランペットの音だった。用意されたゴール、お笑いのオチのような決まりきった段取りで現れた音ではなく、それは突然落ちた稲妻のような、一気に竹を2つに割くような、刹那の瞬間に目の前が明るく開けたのだ。その先には、晴天の空、映画のラストシーンのような壮大な景色、栄光に輝く勝利の瞬間などが見えたのだろうか、いや、そこには何も見えなかった。ただ、私の視界、思考全てを真っ白な光が柔らかくキラキラと輝きながら包み込んでいた。感動ということばは今この瞬間の前では霞んでチープに聞こえるほどに。



「なんか、救われた気がする」

シャワーを浴びながら今日の出来事を思い出す。家を出た時の冬の匂い、岡崎さんを探す声、コンサート中、確かに見えた景色、それを邪魔する咀嚼音と、トランペットの甲高い音。その音がさいたのは、あの時の暗鬱とした空気だけではなかった。心のどこかでずっと叫んでいた私の声、いままで小さすぎてノイズとしか思っていなかったその声が急に最大ボリュームになって聞こえた気がした。私の代わりに叫んでくれた。諦めていたけど、本当は求めていた結末を一瞬、見せてくれた。そう思って、その日はコッソリ、シャワーのなかでまた泣いた。涙はシャワーと一緒にスルスルと17歳の身体の表面をなめらかにつたい、排水溝へ吸い込まれていった。


「わたしにも、あの音、出せるかな」

お風呂の中に沈み込み、泡の湧き上がるブクブクという音を聞きながらそう思った。

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