夕焼けのこたつ広場

まぁち

夕焼けのこたつ広場


「先輩ってキスしたことあります?」


 いそいそとこたつに入ってきた綺麗なご尊顔に僕は問いかけた。


「急になに?」


 案の定、引き気味で怪訝な顔をされたけど、そんな顔もとっても魅力的だったのでグッドでしかない。


「…したいの?」


 ショートカットのさらさらな髪が、傾げられた首と共に僅かに揺れた。

 艶のある黒髪と切れ長な目から放たれる負の表情は思わず興奮して小踊りしてしまうレベルの破壊力である。


「いえ、別に。何となく訊いてみただけなんですけど。……あ、今のは決して先輩としたくないとかそういうことじゃないっすよ。先輩はとっても魅力的で他の女共とは比べ物にならない神秘性を…」

「はいはい、いつもの戯言だってことは分かったから黙ってなさい」

「いつも本気で言ってるつもりなんですけど」

「言われ過ぎると胡散臭くなる」

「そういうものかなぁ」


 先輩は「さぶさぶ」と身震いするとこたつの中で足をのばした。

 左隣なので距離も近いから僅かに足と足がぶつかって、ドキリとする。

 この席は所謂いわゆる定位置ってやつで、随分前から変わっていない。


「今日はどう?誰か来た?」

「先輩以外はまだ誰も」

「そっか」


 先輩は視線を逸らして、冷えた手に息を吐いた。

 視線の先には何も無い。

 誤解しないように言っておくと、特に何もないとかそういう事ではなくて、本当に

 あるのはただただ真っ白な床だけで、それが際限なく何処までも続いているのだ。

 この場にあるのはこのこたつと、頭上に広がる夕焼けの空のみ。

 真っ白な床は夕日のオレンジを反射してとても幻想的なんだけど、これも見慣れてしまえば何と言うこともなく。


「いい加減飽きましたねぇ、このキレーな景色も」


 頬杖をついて空を見上げ、言った。先輩もつられるように空を見上げて、こちらに流し目。


「贅沢な。東京じゃこんな絶景拝めないよ」

「僕東京住みじゃないですし」

「けど関東圏だったよね?」

「埼玉です」

「これといったものが何もない微妙な県だねー」

「そのリアクション三度目です。そしてこれも三度目ですが埼玉県と県民に謝れ」


 いつも通り何のためにもならない会話をして時間を潰す。ここはテレビも何もないから、喋っていなければ暇を持て余してしまう。


 ここはどこなのか。何なのか。

 正確なことは分からない。

 ただ、ここには現実世界で眠りについている人間がやってきている、ということはわかっている。

 そしてやってくる人間は皆どこか寂しげな雰囲気を持っている。明るく振舞っている人でも、その奥にある冷えた心がちらりと垣間見えるのだ。


 そう、例えば…


「おー!よかった。やっぱいたかぁー!」

「この人…とか」

「ん?なんか言った?」


 僕は笑って「なんでも」と誤魔化した。

 目の前にはいつ来たのか、ジャージ姿の若いねーちゃんがいた。標準語を喋るんだけど、まだ大阪なまりが消えてないこの二十代前半くらいの女性は、櫻井未来さくらいみくさん。結構昔――体感では二年くらい前――からここに来ている顔馴染みだ。一人暮らしの社会人らしいが、正確な年齢を訊いたらしばかれそうになったので年齢は想像である。

 ポニーテールにまとめた髪を揺らし、先輩に手を振って挨拶。

 次いで辺りを見回し、


「相変わらずみょーちきりんな所だなー!」


 大声。

 元気いいなぁと思いながら視線を落とすと、所在なさげ隣に立つ男の子を見つけた。


櫻井さくらいさん、その子は?」


 先輩が目ざとく気付いて、櫻井さんに訊いた。


「ん?おお、この子か?」


 どこか嬉しそうに、満足げな櫻井さんに僕は違和感を覚えた。


「いくら可愛いからって連れてきちゃったら誘拐ですよ?」

「違うわぶっ飛ばすぞ」

「はい。冗談なのでビンタは勘弁してください」


 伏せて頭を守る。櫻井さんのビンタは威力がとんでもないので怖い。

 そんな俺を見てか、先輩は「バカだなー」と笑っていた。

 やった。先輩が笑ってくれるならどこまでも道化になりましょう。


「あー、まあ、なんつーの?親戚の子っちゅーか、これからはウチの子っちゅーか」

「んん?」


 珍しく煮え切らない態度で、櫻井さん。

 察しが悪い先輩は首を捻って答えを待っている。


「あれですか。養子…みたいな」


 だから代わりに言わんとしているだろうことを先に口にした。


「…んまあ、うん」

「え、うそ!?」


 目を丸くする先輩。


「名前、お名前は?」

敦士あつしっちゅーの。ホレホレ、敦士」


 櫻井さんが肩を優しく叩くと、後ろに隠れるようにしていた敦士君はおずおずと前に出て、


「…さ、さくらいあつし…です」

「わー、可愛いー!ね!ね!」


 はしゃぐ先輩に肩をめっちゃ叩かれる。

 すみません、先輩の方が可愛いです。


「私は森長優姫もりながゆうき。で、こっちが、」

片岡かたおかゆうきです」


 流れで自己紹介。

 すると敦士君はきょとんとした様子で、


「…あれ、どっちも、同じお名前…?」

「ほう、よく気付いたな少年。何を隠そうそこのお姉ちゃんと僕は出逢うべくして出逢った運命のカップルでね、名前が同じなのがそのしょ…」

「偶然同じだけだよー」


 バッサリ切られた。悲しい。


「相変わらずバカだなー」


 櫻井さんの呆れた声。


「バカじゃないです。新聞のクロスワードとか間違え探しとかめっちゃ早く解けますからね僕」

「え、マジかすご」

「例えが微妙過ぎて凄さが全然伝わらないんだけど」


 今度は先輩の呆れ声が。


「いやいや、あの間違え探し意外とムズいぞー?」

「ですよね。素人に半端な気持ちで口出されたくないですよ」

「それな」

「うわ、出たこの感じ。急に団結し始めるの、久しぶりだぁ」


 先輩の言葉に苦笑した。

 櫻井さんが最後に来たのは多分一週間ぐらい前だったか。それまでは毎日会っていただけに、なんだか久しぶりな感じがする。

 その一週間で、大きな変化があったから尚更。


 櫻井さんはキョロキョロと物珍しげにしている敦史君の手を引き、こたつの周囲を一周して、

 瞬間、思い出したようにこちらに振り向いた。


「そういやウチがいない間何かあったん?」


 櫻井さんの唐突な問い。


「何かってなんですか?」

「いや、なんつーか


 櫻井さんも何が何だか良く分かっていない様子。


 ……ふむ、なるほど。


 やっぱり長くここに通ってる人には分かるらしい。


「んー、何かって言われると、荒川さんが来なくなったくらいかな?」

「荒川のあんにゃろう逃げやがったか」

「逃げたわけじゃないと思いますけど…」


 荒川俊也あらかわとしやさん。僕らと同じくここにいざなわれた大学生三年生で、口が悪いためよく櫻井さんと喧嘩になっていた人だ。

 現在、彼の気配というか、繋がりはこの場所から完全に消えてなくなっていた。


 それはなぜか。

 今日まで考えてきたけど、なんとなく分かる気がした。

 しかしあえてこの場では言わない。

 なぜなら彼女が――櫻井さんが一週間も空けてやってきたこと、今こたつの中に入ってこないでいることが、それと同じだと気付いてしまったから。


「…まあ、大方あいつも満足したんだろーなぁ」


 穏やかな表情で、櫻井さん。

 そこには哀愁とか切なさとか、安堵みたいなものが混ざっているようで、なんだか一段と大人びて見える。

 隣の先輩をチラリと見遣った。

 初めて見る櫻井さんの表情に戸惑っているのか、こちらにあちらに視線を迷子させてあたふた。

 微妙に失礼な反応な気がしたけど、みなまで言うまいと突っ込みは避ける。


「櫻井さんも満足、したんですか?」


 僕の問いに、櫻井さんはニカッと笑って、


「ああ。満足っちゅーか、この子ためにもう休んでばっかりもいられんなー思ってなー」


 話を聞くに、敦史君は一週間前に両親を亡くしたらしい。

 敦史君の両親は駆け落ち同然で実家を出ていったらしく、親戚からはよく思われていなかった。それで親戚の人たちが引き取りを渋っているときに、櫻井さんが名乗り出たそう。


「子供は何も悪くねーだろうに…気分悪いわ」

「………………」

「ん、なにボーッとしてんの?」

「………いえ…」


 ただ、櫻井さんみたいな人が沢山いればいい世の中になるだろうなと思っただけである。


「という事で、この子の諸々の事に必死になってたらいつの間にか、寝てもここに来れなくなったんよ」

「じゃあどうして今日は?」


 先輩が不思議そうに訊いた。


「もう会えなくなるんだったら最後に別れの挨拶ぐらいしときたいなーって考えながら寝たら来れた」

「敦史君は?」


 今度は僕が訊いた。自分が呼ばれたと思ったのか敦史君がこちらを見るが、なんでもないよと手を振る。


「どうせなら紹介しときたいなって思ったらまじで連れて来れた」

「……………」


 すげえ。

 櫻井さんらしい力技である。


「ま、ウチの現状報告はそんなとこ」


 言って、敦史君の頭をぐりぐりと撫でた。

 くすぐったそうにしながらもそれを受け入れる彼の態度を見て納得する。


「もう一人じゃないんですね」

「なんじゃそら。まるで人のことボッチみたいに」

「強がっちゃって」

「うっさいわぶっ飛ばすぞ」

「敦史君の教育上悪いんでこれからは暴言に気を付けましょうねそれはそれとして土下座するので叩かないでごめんなさいすみません!」

「ちょっと、私を盾にしないでよ。ていうか肩触らないでセクハラ!」


 先輩に押し返され、それから年甲斐もなく敦史君も混じえて追いかけっこ。

 後は駄弁ったり、昔こたつを囲んだ仲間の話で盛り上がったり、


 ひとしきり騒いだら段々会話もなくなってきて。


 ――ふと気づいた時には、櫻井さんと敦史君はいなくなっていた。



「………………………………………………………………」



 こたつに入りながら先輩と二人、仰向けに寝転がる。


 荒川さんが消えたときもこうだった。

 もう会えない。

 何か繋がりのようなものが消えたことを否応なしに実感する。

 襲ってくる寂寞せきばくとした雰囲気がつらい。

 だからなのか、話す気力もなかったのに先輩に話しかけてしまう。


「先輩、それ寝たら風邪引くスタイルですよ」

「片岡君も同じじゃん」


 先輩の声もどこか覇気が無い。


「僕は馬鹿だから風邪引きません」

「さっき馬鹿じゃないって豪語してたよね」

「今馬鹿になりました」

「……バカ」

「あ、今のめっちゃ良いですね。ワンモア」

「………………………………………………………」


 姿が見えなくても本気で呆れているのが分かったので一旦黙った。


 そして、沈黙。

 また耐えられなくなって口を開く。


「櫻井さん、多分もう会えないですね」

「そうね」

「やっぱりこの時が一番辛くないですか」

「……そうかもね」

「やっぱりあれですかね、ずっと思ってたんですけど…」

「なに?」


 僅かに身じろぎする気配。


「このこたつって、心を暖めるためにあるのかなぁって」


 勢いに任せて恥ずかしい持論を展開してしまった。

 しかし今更後には引けない。


「ほら、ここに来てた人たちってみんな現実で嫌なことあって人生うんざりって感じの人たちばっかりだったじゃないですか。しかも皆ボッチだったし」


 荒川さんは妹さんを事故で亡くして自暴自棄に近い状態だった。

 櫻井さんは社内のこじれた人間関係に振り回されて精神的に追い詰められていた。

 二人とも明るく話せるようになったのはつい最近のこと。


「誰も頼れる人がいなくて、心が冷え切ってしまった人がここに集まってるんじゃないのかなって。それで寒いから、こうやってこたつに入るんです。それで同じような人達と暖を取る」


 櫻井さんは今日こたつに入らなかった。それはつまり充分温まった。満たされたということ。荒川さんも、その前の人たちも、いなくなる時は一人としてこたつに入ろうとはしなかったから、おおむね当たっているんじゃないかと個人的には思う。


「それが当たってるとしたら、皆あったまって満足したから居なくなっちゃったのかなぁ…」

「荒川さん最後に〝楽しかった〟って言ってたじゃないですか。櫻井さんは…相変わらず自由に消えていきましたけど」


 自然と漏れる苦笑。


「櫻井さんは自由過ぎ。お別れっぽい挨拶もしてくれなかったし」

「先週あたりまではまだ寒そうにしてたんですけどね。僕らじゃなくてたった一人の子供に心を溶かされちゃうとは。ヤンキーは子煩悩って相場が決まってますけど」

「ヤンキーって…それ櫻井さん聞いたらまたビンタされるよ」


 先輩が笑う。


「………………………………………」


 また沈黙が降りて、


「先輩」「片岡君」


 同時に声が上がった。

 次いで、「どうぞ」「いや、そっちがどうぞ」「いやいやそっちがどうぞ」という無駄なやり取りを経て、


「じゃあ、僕からいきます」

「うん」


 しん、と静まった世界。

 もうここには僕と先輩しか居ない。

 だから全部訊いてしまおうと思うのだ。


「先輩って、キスしたことあります?」


「…………………………………」


「あの、なんかまた呆れてる雰囲気感じるんですけど、割と真剣ですよ?」

「なんで急にそれ掘り返すの?」

「掘り返すって言うか、恥ずかしくて遠回りな言い方になる的なことなんですが…」


 ええと、とスカスカな頭の中の単語を絞り出す。が、結局出てこないので、ちょくで言うことにした。


「…学校に友達と通ったりとか、帰りに友達と買い物したりとか…れ、恋愛……したりとか、そういう、青春とか、してきました?」

「なんで恋愛のとこだけ凄く苦しそうなの」

「先輩に彼氏いたら死ねるなと」

「バカ」

「〝バカ〟のアンコールありがとうございます」


 先輩の呆れの溜め息を頂戴しつつも、顔はめちゃくちゃ熱いまま。

〝青春〟とか、真剣な時に真顔で言える単語じゃない。恥ずい。


 そうやって一人悶えていると、


「そっち、行ってもいい?」

「え、狭いっすよ?」

「いいから」


 言ってから本当にこっちに来て、僕の隣のスペースに入ってきた。


「え、い、あ、あの…」

「平静を保って。変な気起こさないで」

「起こしますよ!」

「ならさっきの質問に答えない」

「理性という理性をこの場で爆発させます」

「その言い方だとどっちとも取れる気がするんだけど…」


 文句を言う先輩を視界に入れないようにとりあえず背を向けた。

 しかし、僕の背中に当たる腕とか、微かに感じる息遣いとかのせいで心臓はバクバクだった。

 先輩はそんな僕をあえて無視したのか、気づいていないのか、ゆっくりと話し始めた。


「多分気を遣って触れないでいてくれたんだと思うけど、やっぱり気付いてるよね。姿


 自嘲するような声に胸が痛む。


「僕は馬鹿なんで気付いたのは最近です」

「はいはい、バカバカ」


 先輩の予想している通り、初めてここで彼女とあった時から僕はなんとなく気付いていた。


 


 だって僕と同じ匂いがしたから。

 そして何より、身にまとったがそれを助長させていた。

 僕と櫻井さん、荒川さんは示し合わせることもなくそれを口にする事は避けていたから、話題に上がることも無かったけれど。

 それでも刻一刻と、先輩の命が削られているのはその様子で分かっていて。

 こんな日がいつか来るだろうと思っていた。



「私、今日死んじゃったみたい」



 紡がれた言葉は、苦笑混じり。

 軽い調子で、とても命がついえたたことを話す態度ではなかった。


「生まれたときから身体弱くて小中って休みがちではあったんだけど、高校に上がってからはもう病院から出られなくなっちゃったんだよね。それで今日、ついに限界が来たってわけ。これで答えになる?」


 言葉にすれば数秒。だけど語られたそれはあまりにも重い。

 語った本人があっけらかんとしているのが痛ましかった。

 こんなことを思うのはエゴなんだと思うんだけど、僕は先輩の為になにかしてあげたいと強く思った。


「…先輩は何か後悔とかないんですか?」


 僕は先の高鳴りも忘れ、振り返った。

 目の前に見える先輩の顔は困ったように笑っていて、


「一つだけあるかも。後悔じゃなくて、今やりたいことだけど」

「なんです?」


 ともすれば照れてはにかんでいるようにも見える先輩に目を奪われ、


「片岡君の寂しさを埋めてあげたい」

「………………え?」


 予想外の告白に目が点になった。

 なんだ、それ。

 そんなの一歩間違えたら愛の告白みたいじゃないか。

 戸惑い、赤面する僕。しかし続く言葉に、


「片岡君は現実に帰る場所がないんだよね」


 息を呑む。

 世界が一瞬止まったような感覚。

 先輩の言葉には確信を持った響きがあった。


「な、なんで……」


 言った覚えはない。悟らせるようなことをした覚えも。

 いつから?

 いつから先輩は気付いたんだろう。



 ――――



「なんとなく分かるよ。病院でそういう雰囲気見慣れてたから。それに片岡君はいつも一番乗りでここにいるんだもん。帰れないからずっとここ、いるんでしょ?」


 ぐうの音も出ないほどに当たりだった。

 まさかそれだけで気付いてしまうとは。


「さっき私が言いかけたこと、今言っていい?」

「え、あ、はい」


 僕は頷いた。


「どうしたら片岡君は暖まるの?どうしたら満足する?何が、片岡君の未練?」


 優しく、ゆっくりと先輩は問う。


「私、死んでる人って初めて見たから、こういうの生きてる奴が偉そうに言うべきじゃないのかなって、今まで言えなかったんだけど…」


 言いにくそうに、視線を泳がせ、


「やっと同じ土俵に立てたから、言ってみた」


 やっと言えたと、先輩は笑った。

 同じ立場にならなければ偉そうな事は言えないとは、不器用な考え方だ。けれどそういう真っ直ぐで忌憚きたんのない所が僕は好きで。


 だから――


「同じ土俵とか、言わないでくださいよ。先輩には、生きて幸せになって欲しかったです」

「ありがと。…あ、けど勘違いしないでね。私は精一杯生きたよ。生きようとした。お母さんとお父さんに泣いて欲しくなかったし。だからこれは全力で闘った結果なの。だからなんて言うかな、悔いはない」

「男らし過ぎませんか」

「それ褒めてる?」

「ご想像にお任せします」


 当然褒めてる。

 そんな気持ちは伝わらなかったのか、先輩は少し不満そうだった。

 しかし、話すのはやめない。


「最初のうちはね、いつも病院で、友達もろくにいなくて、お父さんもお母さんも来るのは夜。寂しくて、虚しくて、こんな人生ならもういっそ消えてしまいたいって思った。だけどその日の夢で、寒そうにこたつで暖を取ってる片岡君と会ったの」


 僕もそれは覚えてる。死んだ後、目覚めたらいつの間にかこのこたつの前にいて、そしてすぐに先輩がやってきたんだ。


「それで片岡君のバカな所に元気づけられて、今まで頑張ってこれた。だから今度は私が助ける番」


 だから教えてと。

 先輩は真摯に僕を見つめた。


「僕は…」


 どうしたいんだろう。

 なんで満たされないんだろう。

 この場所で色んな人と喋って、バカをやって、充分幸せだったはずなのに。

 なんで僕はこの場所に留まっている?


 なぜ――。


「……………………………ぁ」


 ふと、思い出したくもない記憶が浮かび上がってきた。

 僕がここに来る前の、生前の記憶。

 深夜。降りしきる雪。

 静まりかえった世界をひたすらに歩く。

 僕は逃げていた。

 僕は弱かったから、おじさんから受ける暴力に反抗できなかった。

 いや、僕は反抗してはいけなかった。



 ♯   ♯   ♯



 本当の両親が死んだのは中学一年生のとき。親戚の人たちは葬式で泣きもしなかった僕を気味悪がって拒絶して、最終的に遠い親戚の夫婦の家でお世話になることとなった。

 そこは日常的に暴力が振るわれている場所だった。

 だけど僕は反抗なんてできる立場ではなかった。だって息子でもない他人を養ってくれているのは他でもない、おじさんたちで、文句が言えるはずもなかったから。

 おばさんは顔を歪ませて何度も謝った。けれどその顔はどこか安堵しているようにも見えて。


 ああ、僕は彼女の身代わりなんだと、気付いてしまった。


 高校生に上がった年の冬、おばさんはいなくなった。多分どこかで静かに暮らすんだろうと、どこか冷めた思考で考えていた。

 暴力は一層激しくなっていった。おばさんに逃げられた苛立ち全てを僕にぶつけているみたいで、このままこれが続くのなら死ぬかもしれないと本気で思った。

 だからおじさんが寝静まった深夜、僕は逃げたのだ。

 急に怖くなって必死に家から逃げた。

 外は雪が降っていた。

 寝間着のままだったから、身を突き刺すような寒さだった。そのときは「逃げる」ということに頭を支配されていて冷静な判断ができていなかった。

 ただあてもなく、一面の雪景色を歩いて、歩いて、歩いて。

 いつのまにか倒れている自分に気付いて、寒くて、その感覚も無くなって、そして、そして――――



 ♯   ♯   ♯




「――――――――――――――――」



 気付くと、僕は先輩に抱きしめられていた。


 視界がぼやけて何も見えない。もしかして、泣いているのか。

 確かめようにも、先輩の身体が押さえつけていて、腕が動きそうになかった。


「…ぁ、の……どう、しました?」

「…教えてよ」

「……え…と…?」

「泣いてるだけじゃ…分かんないよ…っ」


 今度は先輩が泣いていた。

 どうして先輩が泣いているんだろう。

 分からない。

 けど、その涙は多分僕のためのもので。


 それが分かった途端、抑えきれない激情が湧き上がってきて、一緒になって僕も泣いた。


 喉が枯れるくらい。

 まるで僕が僕じゃないみたいに。

 抱きしめ合って、みっともなく。


 そうか、僕は、



 ――――――ただ、誰かの胸の中で泣きたかったんだ。



 *  *  *


 それから僕と先輩は互いのことを話した。

 つらかったこと。悲しかったこと。楽しかったこと。嬉しかったこと。

 話すことが無くなるくらい、ずっと。

 全て吐き出して、互いに憑き物が落ちたように穏やかになっていた。

 話が終わった頃には、僕たちはこたつから自然と出ていて。

 もう必要が無くなったんだなと強く実感した。

 この世界との繋がりが薄れていくのが分かる。


 だから、言っておかなければならないことは言っておこうと思った。


 感慨深げにこたつを見つめる先輩に向けて――


「僕は先輩が好きです」

「………………………………」


 返ってきたのは視線だけ。

 流石に少し焦る。


「あの、何か反応をもらえると嬉しいかなって…」

「あ、うん」

「反応薄いなぁー」

「だって、それ聞き飽きてるし。改めて言われても微妙っていうか…」


 この話題になると先輩は塩対応だった。


「一応言っておくと、ここまではっきり言うのは今回が初めてですからね」

「うそ?」

「まじです」


 大きく頷くと、先輩は「そうだっけ…?」と首を捻った。

 ……うん。なんつーか、締まらない告白だなぁ。自業自得な気もするけど。


「私ね」


 先輩は一つ咳払いをすると僕に向き直った。

 当然、僕は黙って続きを待つ。


「普通とはちょっと違う学生時代送ってきたから、大切な親友とか、恋人とか、居なくて」


 近付き、僕の両手を握る。

 僕が見下ろして、先輩が見上げる形。

 今までこたつに座ってばかりだったから、その身長差に少し驚く。


「だから、そういう人とさっきみたいに触れ合って、思いっきり泣きたかったんだなって、思った」


 先輩の顔が近付いて来て。

 夕日に照らされた彼女の顔がとても綺麗で。

 僕は魔法にでもかかったように動けなくて。

 ただ目を見開いて。


 そして――


「――――」


 何か柔らかいものが唇に押し当てられた。


 呆然と、離れていく先輩の顔を見つめ。


 それが先輩の唇だと、数秒経って気付いた。


「………………」


「これが返事って事で…いい?」


 先輩は頬を真っ赤に染めて、そっぽを向いた。


「あ……」


 僕は確かめるように自分の唇に触れて、


「こ、これはあれですか。言葉なんて要らねぇ、漢なら行動で示すぜ的な!」

「いや私女だけど」

「知ってます知ってます!」


 僕が訳の分からんことを口走っている事は分かってる。

 けど、や、これ、いや、ねぇ!


「夢なら覚めるな…!」

「夢の中みたいなものだけどねここ」

「そういう萎えること言わないで下さい!」


 嬉しさのあまりちょっとの間神様に祈るポーズ。

 その間先輩の「バカだなー」みたいな視線が突き刺さったけど、こればっかりは止まらなかった。

 しかしそこで思い至る。


「あ、けどやっぱりちゃんとした言葉が欲しいです」

「急に冷静になったな…」

「やっぱり告白という儀式には言葉で応えるものかと思います」

「えぇー…」


 先輩は前髪をくるくると指でいじる。

 仄かに赤くなった頬が何とも可愛かった。


「………このこたつって、結局何だったんだろうね?」


 あ、逃げた。


「そんな事はどうでもいいんです」

「どうでもよくないよ。私たちを引き合わせてくれたとっても素晴らしい場所じゃない」

「…む」


 逃げるための口実なのは丸分かりなんだけど、そう言われると真剣に考えてしまう。


「僕の推測でよければ話しますけど」

「うん。話して話して」


 なんだか安心したように前のめりな先輩。

 ちくしょう可愛い。


「ここは多分死後の世界と、現実世界の境目なんですよ。だから僕みたいな死者と、現実世界にいる皆と出逢えた」


 先輩が頷く。


「誰が造ったんだーって言われたら神様じゃね?と答えるしかないですけど、何で造ったんだーって言うのは多分これで合ってると思います」


 また恥ずかしい事を言おうとしてるが、先輩が割と真剣に聞いているので、最後まで言う。


「一人でも多く幸せになってもらうため。です」


 だからこの世界は他にも沢山あるのではないだろうか。

 ここではこたつなんて形を取っているけど、例えば、公園とか、喫茶店とか、そういう形で。


 そう考えると、世の中そんなに捨てたものでは無いなと思う。


「恥ずかしいこと平気で言うよね、片岡君って」


 からかうようにニヤニヤと、先輩。


「ま、そういう考えは好きだけど」

「あ、今の。今みたいなのお願いします。もっとストレートに」

「げ、掘り返してきた…」

「それを聞けないと成仏しようにもしきれません」

「ヤダ、恥ずい。キャラじゃない」

「駄々をこねないで下さい。それが出来ないならエロいことしますよ」

「それは絶対嫌!」

「そこは恥ずかしがりながらもモジモジしながら「いいよ…?」って言う所です!」

「怒る部分がめちゃくちゃキモイ!」


 あーだこーだと言い合う僕と先輩。


 怒ったり、笑ったり。


 今までの人生で一番はしゃいでいて、幸せで、


「あー、もう!分かった!言う!言うから!」


 先輩も笑顔で。


 だけど、僕たちは消える。


 世界は理不尽で、善人悪人関係無く不幸は降り注いで、淘汰していく。

 そんな世界を許したくはない。

 けど、そんな恨み言を言っても、きっと無駄なんだ。

 悪意ばかりじゃ楽しくないから。

 僕たちは、与えられた一時の幸せを噛み締めていく方が、ずっといい。


 ―――だから。



「――――――大好き」



 この暖かい一瞬しあわせを胸に抱いて。


 先輩と二人、手を繋いで。


 ありがとうと。


 出逢った人たちと、この夕暮れのこたつ広場に一礼し――



 僕たちは世界へ溶けていった。









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