何でも溶かす液体

澤田慎梧

何でも溶かす液体

 00007は、某国の凄腕諜報員エージェント。今までにいくつもの「悪の秘密組織」を壊滅に追い込んできた。

 しかし今、その00007は絶体絶命のピンチを迎えていた――。


「フハハハハハッ! こうなっては流石の00007も形無しだな?」

「……くっ!」


 ほんのちょっとの油断ハニートラップから、00007は悪の秘密組織「オクトパス」に捕らえられ、ボスであるドクター・イエスの前に引き出されていた。

 ロープで両手両足を縛られ、天井から吊るされた状態とあっては、流石の00007も文字通り手も足も出ない。

 おまけにここは、未だ誰も所在を知らぬ「オクトパス」のアジト。地下五十メートルの秘密基地だ。仲間が助けに駆けつけてくれる可能性は、限りなくゼロに近い。


「さて……君をこのまま殺すのは容易い。だが、ただ殺したのでは、今まで散々に煮え湯を飲まされてきた我々の気が済まない。――なので、今日は特別な趣向を用意してみた」


 下卑た笑みを浮かべながら、ドクター・イエスが吊るされた00007の足元を見やる。

 そこには、大の大人がすっぽり入ってしまう位の、巨大な水槽が鎮座していた。水槽は、無色透明の液体で満たされている。一見するとただの水にも見えるが――。


「なんだなんだ? 一風呂ひとっぷろごちそうしてくれるのかい?」


 「ただの水ではないのだろうな」と察しながらも、00007が軽口を叩く。

 ドクター・イエスは00007の強がる様子に心底満足したような笑みを浮かべると、懐から栄養ドリンク大の小さな瓶を取り出した。


「強がりを言っていられるのも今の内だぞ、00007。これはな、『何でも溶かす液体』だ!」

「何でも溶かす……液体だと?」

「そうだ。お前の足元の水槽に満たされた液体Aと、この瓶の中にある液体Bを混ぜると、この世に溶かせない物はない、恐怖の液体が誕生するのだ!」


 「ドヤァ」といった表情でドクター・イエスが高らかに叫ぶと、背後に控えた部下の黒服達が一斉に拍手を送った。

 ドクター・イエスはクラシックの名演でも楽しむかのように、ひとしきりその音に聞き入ると、サッと手で合図して部下達を黙らせる。まるで指揮者気取りだ。


「液体Aは液体Bを加えなければ、ただの無色透明、無味無臭の無害な液体なのだ! だが液体Bを少量でも加えると、あっという間に化学反応を起こし、『何でも溶かす液体』に変化するという寸法だ!

 我が組織の開発部門の自信作よ! これさえあれば……暗殺の形が変わる!」

「……」


 恍惚とした表情を浮かべながら演説するドクター・イエスに対して、00007は冷めた表情のまま一言も漏らさない。

 それは、自らの無残な最期を前にした男の態度としては甚だおかしいものだったが、興奮気味のドクターは一向に気付く様子がなかった。


「本来ならば一リットルもあれば人間一人溶かすのに十分なのだが……喜べ、00007! お前との長い付き合いに免じて、この巨大水槽一杯の液体で骨も残さず溶かしてやろう!」

「……そこまであんたらに愛されてたとは、恐れ入るねぇ」


 そこで00007は大きくため息をつくと、渋々と言った様子で更に言葉を続けた。


「あー、ドクター・イエス。その、長い付き合いに免じてだな、液体Bを水槽の中に入れるのを思いとどまってはくれないかな?」

「……くふふ。フハハハハハッ! あの00007が命乞いか!? 愉快でたまらんわ! アーハッハッハッハッハ! ――さよならだ」


 00007の言葉が届くはずもなく、ドクター・イエスは瓶の蓋を開けると、ゆっくりと見せつけるように、その中身を水槽の中へ注いでいった――。



 ――数分後。


「あーあ、だからやめろって言ったのに……」


 誰もいなくなった部屋の中に、00007の声が響く。

 今、彼の足元からは、あの巨大な水槽が姿を消していた。――いや、水槽だけではなく、ドクター・イエスもその部下達も、部屋の床までもが姿を消していた。

 00007の足元には、ぽっかりと大きな穴が口を広げているのみだった。


 『何でも溶かす液体』は確かにその効果を発揮していた。


 液体はまず水槽を溶解させると、そのまま部屋の中へ流れ出し、水槽の間近にいたドクター・イエスとその部下達に襲いかかった。

 彼らはその事態を全く予期していなかったのか、液体をもろに頭から被ると、そのまま音もなく溶け去ってしまったのだ。

 液体は更に床を溶かしながら部屋中に広がり、ありとあらゆる物を溶かし尽くし……床下の地面をも数メートルに渡って溶かしたところで、ようやくその役目を終えた。


「なるほど、確かに恐ろしい液体だ。……使い方さえ誤らなければ、な」


 『ドクター・イエスのことだから、開発部門とやらの説明をきちんと聞かなかったのだろうな』等と思いつつ苦笑いする00007だったが、あまりゆっくりはしていられない。

 異常に気付いた「オクトパス」の他のメンバー達が駆け付ける前に、ここを脱出しなくてはならない。それにはまず――。


「このロープをどうにかしないとな。……これ、どうやったら解けるんだ?」


 複雑過ぎるロープの結び目を前に、00007は『何でも溶かす液体』よりも『どんな固結びも解ける道具』が欲しいと、心の底から思ったのだった――。




(了)

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何でも溶かす液体 澤田慎梧 @sumigoro

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