第9話
休み明けのクラスは、まさにお通夜状態と言っても過言ではないほどだった。
担任の教師から告げられたのは、進路に向けた実力テストの実施とそのテスト結果をもとに三者面談を行うというものだった。
来年早々には、センター試験が待っており、それに向けて今回の連休中はすべて勉強に費やした者も少なくない。もちろん僕も受験組の一人なのだが、日ごろの勉強は怠ったことはないし、学内でも成績上位に常にいる。母親には、将来に困らないように国立の大学へ進学することを勧められている。正直、行きたい大学や就きたい職業は?と聞かれても思い浮かぶものはなかった。
華の高校生活は、今を楽しく過ごすことでいっぱいいっぱいなのだ。
連休中の思い出を語り明かしている中、唐突に現実を突きつけられた我々学生のメンタルブレイクは計り知れない。
「紡は良いよな。成績良いからどこの大学だって行けんじゃないのか?」
明彦はホームルームが終わるな否や、僕の席に駆け寄りため息をついた。
「明彦だってそんなに悪いわけじゃないじゃん。それにスポーツ推薦で行けるとか言ってたじゃん。それ使わない手はないって」
「まあなぁ。でも将来の事とか考えるとやっぱり勉強して行った方がいいのかなとも思うんだよな。」
そう。この男は、バスケ部の部長としてわが校初の全国大会出場という好成績をたたき出し、全国の大学からスカウトを受けているのだ。
「バスケ続けるわけじゃないんだ?」
「まあな。もちろんプロに行きたいって思った時期もあったんだけど、全国のレベルを肌で感じて気持ちが変わったよ。俺とあいつらとでは根本的に違うところがあるって」
「違うところ?」
一流の選手が連なる舞台に上がったものだけが知れる境地を明彦は、僕に語った。
明彦は心底バスケットボールが大好きなのだ。小学生の頃、一緒に見学に行ったミニバスケットの試合でその楽しさに魅了された明彦は、見学した翌週からバスケットを始めた。僕は、運動が苦手でクラブには入らなかったが、明彦の試合は何度も見に行った。明彦は、どんな窮地に立たされている状況でも、バスケットボールというスポーツを体の芯から楽しんでいるように見えた。それは、全国大会出場を決める大事な試合でも変わらなかった。
けれど、全国大会一回戦――― 明彦率いるわが校は、全国大会出場常連校に大敗を期した。悲願の出場で気迫に満ちた明彦たちは、同じコートに立つ敵チームの姿を見て、愕然としたという。
何も感じない―― 試合前の練習に勤しむ彼らの姿からは、気迫の一切を感じなかったという。しかし、いざ彼らを前にすると、その針のような冷たい眼光が、背筋を凍り付かせた。
試合が始まると、ワンサイドゲームと言わんばかりに彼らとの実力の差は歴然だった。明彦の奮闘も虚しく、そのまま全国大会から姿を消すこととなった。
試合終了後、コートに佇む明彦には、いつもの表情の一切が失われていた。
帰りのバスの前で健闘を称えるために生徒が集まっていたところに1人遅れて顔を出した明彦になんて声を掛ければいいのか、迷って出た言葉が「強かったな」と労いの言葉でもなんでもなかった。
けれど明彦は、その言葉を聞いて「やっぱすげーわ」といつもの笑顔とともに返した。その笑顔からは、負けた悔しさを微塵も見せない晴れやかな笑顔だった。
「俺らとあいつらの違うところ、それは……目だ。あいつらの目、鋭くて殺意のようなものを感じた。でも、俺たちを見てはいなかったんだ。常に上を……決勝の舞台を睨んでいたんだ。だからコートで向かい合って初めてあいつらの圧力を感じた」
「明彦たちだって、決勝戦を夢見てたんじゃないのか?」
「そりゃそうだ。けど俺たちはあの時、目の前の試合をどうにかしなきゃ。そればかり考えていた。いや、あいつらの圧に気圧されて思考を遮られていたんだろうな。バスケが好きな気持ちはあいつらには負けない。けど、勝つために必要なものが足りなかったんだ。その差で負けた」
明彦は「結局、好きなことだけやってるわけにはいかないんだよな」と複雑な感情を心にとどめながら僕に話してくれた。
僕と明彦はそのまま一緒に帰路に就いた。
「そういえば、紡は予備校とか行かねえの?」
「行かない予定だね」
「そっかあ。俺は母親に行けって進められてよ。行こうとしてるところが友達誘えば受講料が割引されるらしいし、お前がいたら勉強も捗りそうだから丁度良かったんだけどなあ。まあ、今度の実力テストの後だから、成績悪くなったら入ろうぜ」
「悪くなったらな」
その夜、僕は自室で週末に向けてカメラの手入れをしていると、華さんからメッセージが届いた。
『こんばんは。今大丈夫?』
『はい。大丈夫です。カメラの手入れしてました』
『そうだったんだ。ごめん邪魔しちゃったね……』
『そんなことないです。それより、どうかしました?』
『うん。今度の休みの事なんだけど……』
『行きたいところ決まりました?』
『決まった!でも当日のお楽しみね!』
『またですか?この前といいそういうの好きなんですね』
『その方が楽しいでしょ?じゃあ土曜日朝8時に駅前集合で!』
『わかりました。了解です!』
ゴールデンウイークの話を少し思い返すと、華さんの実家に泊まることになった翌朝は、目覚めると二人で朝食を食べ、足早に実家を後にした。あまりに長居すると家族の事を思い出しちゃうからと言った華さんの表情は、少し寂しそうだった。
華さんの実家を出た後は、電車に乗って帰路に就くものだと思っていたのだが、向かった先は近くの温泉街だった。「旅行っぽいことを何もしてないから」と僕に気を使ってくれたのか、帰りの電車まで、温泉街を観光することにした。
僕は、今後の事で頭がいっぱいだったので、正直観光どころではなかった。けれど華さんが少しでも笑顔に、幸せに近づいてくれるのならと、共に過ごす日々を目一杯楽しむことにした。
地元に戻ってからは、近くの公園や日帰りで観光地へ赴き写真撮影に勤しんでいた。
ゴールデンウイークの間だけでも、華さんの写真を100枚程撮ることになったが、まだまだ満足のいく写りには程遠かった。
休み明けからは、お互いに学校や仕事で週末にしか会えなくなる。華さんの予定もあるので、都合のいい日を華さんに指定してもらい、撮影に赴くようにしている。
僕は限られた華さんと会える一日一日に最高の一枚を撮ろうとしている今に充実感を覚えていた。
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