第6話
電車に揺られ2時間、最終停車駅の改札を出ると、辺りは山々に囲まれ、澄んだ空気に覆われていた。
軽く深呼吸し、体の中に新鮮な空気を取り込む。しかし、さっきまでの高揚した気持ちは、期待を裏切られたことで何とも言えない感情が僕の中を巡り、この見知らぬ土地の雰囲気を楽しむことが困難であった。
「ホントごめんね!事前に言ってたら絶対来なかったでしょ?紡君にどうしても来てほしかったの」
「どうしてですか?どうしても来てほしい理由があるなら言ってくれればよかったのに」
僕は、ため息交じりにそう答えた。
「理由はまだ話せない。でもきっと着いたらその理由は伝わると思うの」
「さいですか」
「ごめんね。どうしてもいやなら帰っても……」
彼女はうつむきながらそう答えた。
確かに絶景スポットに連れて行ってくれるのではないとわかったので、落胆したことも確かだし、まだ付き合ってもいない僕らの初めての出先が彼女の実家というのも、些かぶっ飛んだ話である。
ご両親へのご挨拶はどうする?数週間前に出会いました友人の田中です。高校3年生です。とでも答えるか?
そもそも彼女のご両親は、僕が来ることを知っているのだろうか。いや、きっと知らないのだろうな。目的地を言わず、僕をこんな田舎町まで連れてきた華さんだ。両親にドッキリを働くのも不思議じゃない。
けど、普段からこんなひょうきんなことをする人とは思えない。何か理由があるのも彼女の表情を見て感じ取れるのも確かだ。
「まあここまで来ちゃったんだし。行きますよ。華さんのご実家とやらへ」
「ほ、ほんと?怒ってない?」
上目遣いで覗くようにこちらを見ている華さんは、いちいち可愛かった。顔が迫ってきたので、恥ずかしさのあまり顔を少し逸らしてしまった。
「怒っている怒ってないは別として、何かあるんですよね?僕に関係するものというか、僕が喜びそうなものが」
そう言うと、彼女はホッとしたのか胸をなでおろす仕草をして、不安だった表情がいつもの優しい表情へと変わっていった。
「そっか。ありがとう」
「でも、着いたらちゃんと話してくださいね。ここに連れてきた理由」
「うん。もちろんよ」
僕たちは、そのまま、駅のロータリーのタクシー乗り場まで歩き、待機していたタクシーに乗り込んだ。
タクシーが走り出し、駅から離れていくと、すぐに辺りは田んぼだらけになった。
田んぼには水が張られ、最近植えられたであろう稲が、均等に並べられていた。田舎に来るとこういった景色が一面に広がっている。普段では見られない光景に心が休まる。
走り出して10分、タクシーはさらに山奥に入っていった。ここまで来ると、華さんの実家が実はものすごくお金持ちで、山奥の豪邸に住んでいるのではないかと思ってしまう。
落ち着いた雰囲気は、お嬢様だからこそのモノなのだろうか…… 窓の外を眺めている彼女の方を見ると、その表情は、どこか遠くを見ているようでもあった。
「そろそろ着くよ。運転手さん。その先を左に行ってください」
彼女の指示に従い、タクシーは山を抜け開かれた土地を左折した。
到着したその場所には、豪邸とまではいかないが立派な2階建てのウッドハウスが建っていた。
一軒家の手前でタクシーを降りた僕は、彼女について行くように一軒家へと向かった。
華さんは、ウッドハウスの前に立つと、その後ろにいた僕の方を向き、「ようこそ!我が家へ」と僕に向かってそう言った。
「お、お邪魔します」
さあ、ご両親とのご対面だ。
と、思った束の間、彼女にとって開けられた玄関お先には、とても人が住んでいるとは思えないほどに静けさが漂っていた。
中に入れてもらい、リビングまで行くと、その正体に気づいた。
ここにはもう誰も住んでいない。彼女はもちろん、その家族に至るまで。
空き家となったこの家は、割と最近まで誰かが住んでいた形跡があった。家具や机の上には埃が被っている形跡はないし、テレビの横に置かれたラックに刺さっている雑誌は、今年の2月に出たものだった。
その雑誌は、丁度僕も愛読しているカメラの専門誌で、名だたる写真家のエッセイや新人写真家のコンテストなどが行われている人気雑誌だった。
「ここって……」
僕が、この状況に思考を巡らせていると、「こっち来て」と華さんの声が聞こえた。
彼女の後ろをついて行くと、階段を上った2階の先に、どこか重苦しい雰囲気を出している扉があった。
そこには子供の字で『パパのへや』と書かれていた。
恐らく、華さんが子供の頃に書いたものなのだろう。
華さんは、その部屋の前に立つと、背を向けたまま「紡君に私の家に来てもらいたかった理由がこの中にある。準備は良い?」
静かにそう言うと、僕は心を落ち着かせて「はい。」と一言だけ発した。
華さんの手がドアノブにかかる。
ドアノブを捻り徐々に扉が開かれていく。開かれた部屋の中に入ると、カーテンで光が遮られて薄暗かった。
部屋の中は、少しお酢の様なツンとした匂いがした。けれど、それはどこかで嗅いだ懐かしさのある匂いだった。懐かしい匂いといっても、最近それを嗅いだことがあるような、何とも不思議な感覚だった。
華さんは、部屋の奥に進み、カーテンに手をかけた。
「これからカーテン開けるけど、びっくりしないでね?」
僕は、部屋の入り口に立ちながら、こくりと頷いた。
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