第5話

 新学期になって一か月ほど経過し、今週末からはゴールデンウイークが始まる。部活のある人たちにとっては、最後の夏に向けての猛特訓ができる絶好の機会。そんな中、1年2年と帰宅部だった僕は、過ぎる日々を怠惰に過ごしていた。


 けれど今年は違う。僕はカメラを片手に遠出をすると決めていた。


 今までは、カメラ欲しさに小遣いをなるべく使わないように生活を送ってきていたため、長期休みも特に何かをすることはなく、いつもの日常に変わらなかった。

カメラを購入したことで、掛けられていた枷が一気に外れ抑え込んでいた衝動が一気に溢れた僕は、今年のゴールデンウイークは分刻みの予定を立てるつもりでいた。

そんな中、あの日出会った彼女からメッセージが届いた。


 ゴールデンウイーク初日。僕は、朝8時から、自宅から最寄の駅前にいた。背中にはお気に入りの黒いリュックサックを背負い、中にはカメラとレンズが入っており、ずっしりとした重みが感じられた。

今日は、春先とは思えないほどの猛暑になるとのことで、Tシャツの上に半袖のシャツ、下はジーンズと軽装で整えた。今までめったに出かけることもしなかった僕が、カメラを購入したことがきっかけで外に出かけるようになったのは、周りからしてみれば目覚ましい進化であったようで、今朝の母親の驚き様と言ったら早くも今年一のどっきり大賞に選ばれるほどのおどろきようだった。

そんなことを考えながら呆けていると、「紡君。おはよう」と後ろから呼びかけられた。


振り返ると、春の装いにぴったりと思える、白いワンピースに薄手のカーディガンを羽織った女性がこちらに笑顔を向けていた。

 彼女の出で立ちは、高校生の僕から見ると大人の女性といった感じで、少々……というかだいぶドキッとさせられた。


 先日、撮影に出かけた先で出会った彼女は、鈴音 華(すずね はる)さん。僕の住む町のすぐ隣の町でアパレル関係のOLとして働いている立派な社会人だ。

年齢は、23歳で社会人2年目だそうだ。まだまだ若いうちに入る年齢なのに、華さんはどこか大人びた雰囲気を醸し出している。


「おはようございます。えっと……」

「華でいいよ。今日はよろしくね!」

年上の女性をいきなり下の名前で呼ぶはさすがに抵抗があった。けれど、彼女はそんなことは一切気にしないのだ。つい数日前に始まった僕と華さんの関係は、ただの友人。そう……友人なのだ。


「分かりました。は、華さん。こちらこそよろしくお願いします」

意を決して下の名前を呼んでみたのだが、「まだ硬いなあ」と苦笑いをされてしまった。


「それじゃあ行こうか」

「はい」


 僕らは、駅の改札を通り、特急券を購入して開いている座席へ座った。

ゴールデンウイークということもあり、特急電車には旅行客の姿が散見された。

そんな中、恋人でもなく、ましてや友人歴も1ヶ月も満たない僕らは、これから2人で撮影の旅に出かける。日帰りではあるが、これも一種のデートなのではないだろうかと、男子高校生の妄想は止まらない。

それもこれも、連休の前週に華さんから一通のメッセージが届いたのが始まりだった。


 華さんから届いたメッセージには、「この前の写真送ってくれてありがとう。待ち受け画面にしちゃった。そういえば、ゴールデンウイークの予定ってもう埋まっちゃった?もしよければ一緒に行ってほしいところがあるんだけど……」

そんな華さんからのお誘いに、即答で「まだ予定ないです!カメラをもってまたどこかに行こうかと思っていたくらいです」と返事を返した。

すぐさま返事があり、「よかった!撮影スポットでもあるからきっと喜んでくれると思う!」と僕に気を利かせてくれたようだった。

そのあとは、撮影場所の詳しい話と日時を決めて、今に至る。


 この話を学校で明彦に話すと、俺もカメラ始めよっかなと冗談にも取れない声色で僕を羨ましがっていた。

「だってそれってデートのお誘いだろ?」と詰め寄られたが、正直僕にはそんな感じには捉えられなかった。どうして高校生の僕なんかに、社会人の女性がデートなんかに誘うことがあるのだろう。周りをよく見れば、会社内や学生時代の先輩や同級生と、デートする相手はたくさんいるだろうに。それに華さんは、傍から見ても美人だ。落ち着いた雰囲気がより際立ちこれを放っておく男性が世の中にそれほどいるのだろうか。今日になるまで、いや、正直今も彼女への疑念は残ったままだった。


「どうしたの?さっきから考え事?」

隣に座っていた華さんに声を掛けられ、ハッと我に返る。

「い、いえ。ちょっと寝不足で」

「ごめんね。急に誘っちゃって。出会ったばかりの私につき合わせちゃって」

「いえいえ。むしろ誘ってくれてうれしいというか、今日の事を考えてたら、眠れなくなっちっただけですから」

「もしかして……楽しみにしててくれたの?」


華さんの問いに、こくりと小さく頷く。


「そっか。嬉しい。ありがとう」

華さんは僕に届く前に消えそうな声で言うと、にこりと静かに笑った。


 その後電車に揺られた2時間は、お互いの事を少し話した。

僕がカメラを購入するまでの事、学校の友人の事。華さんの学生時代の話や今の仕事の話、それにお互いが行ってみたいと思う絶景スポットなど、きっと傍から聞いたその会話は、恋人同士のそれとさして変わりはなかっただろう。

僕は、生まれて初めて女性と二人きりで電車に揺られたし、駅弁というものを初めて食して感動を覚えた。


 電車で話しているうちに僕の華さんに対する疑念や警戒心といったものは、ほとんど無くなっていたと言ってもいい。けれどまだ肝心なことを聞いていなかった。

「ねえ華さん。今日って結局どこに行くの?ここまで来ちゃったけど」

「そういえば言ってなかったよね。きっと紡君も喜んでくれると思うな」

「ちなみにその場所っていうのは?」

きっと華さんは、絶景スポットに連れて行ってくれるのだ。もしかしたら秘境とか、辺り一面が花畑とか写真映えする風景のところなんだろう。

彼女は、にこりとして僕の目を見ながら答える。


「私の実家だよ。」

僕の手に取っていたスナック菓子が指からするりと逃げ出し、ジーンズに落下した。

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