第4話



「これで良し。早く撮りに行きたいな」

カメラの購入を終え自宅にすぐ戻った僕はおじいちゃんにもらったグッズをカメラに取り付けいつでも撮影に出かけられるように準備をした。けれど、学生である僕には休日にしか遠出はできない。

待ち遠しい気持ちをこれからどうやって抑え込もうか。そればかり考えていた。



 日曜日。天気は雲一つ無い晴天に恵まれ絶好の撮影日和だ。僕は昨晩の内から遠出する準備を整え、今朝は日が地平線を超えるのとほぼ同時に目覚めた。待ちに待った休日。携帯で電車の時間を確認して、朝の支度を整える。

朝食を終え、持ち物確認をすると時間は既に7時を回っていた。


玄関で靴を履いていると、背後から母が声をかけてきた。

「紡。今日は早いのね。お父さんとお話はした?」

「―――まだ話してない。帰ってきたら写真を見せるからその時でいいかな。」


母は少し困った声で、「まったく…… 明日からはちゃんとしてよ?」

母の言葉に僕は振り返らず、「うん。」と一言言って家を後にした。


 父は小学生の頃、心臓の病気で他界した。出張先で病院に運ばれ、僕と母が駆けつけて間もなく息を引き取ったのだ。僕は、優しい父が好きだった。僕に対していつも優しく、僕が行きたいといったところへは、必ずと言っていいほど連れて行ってくれたし、母に怒られ泣いているときも父は僕の味方をしてくれた。


そんな父は、僕がカメラをやりたいという夢も応援してくれて、写真展によく連れていってくれた。けれど僕は、あの写真に勝るものを見つけることはできなかった。

父はふてくされる僕に「ごめんね。」と言って謝っていた。

父が急死したのも写真展に行こうとしていた前日で、駆けつけた病院で見た父の顔は、毎度僕に謝る父の顔であった。


 僕の夢を一番応援してくれていた父はもういない。夢に近づくにつれて僕にごめんねと言う父のあの顔が浮かんで泣きそうになる。けれど僕は、父と見たあの写真をもう一度見たい。あの写真に勝るものが僕に撮れればきっと父は、「よくやった」と褒めて笑顔でいてくれると信じている。


 駅の券売機でicカードにお金をチャージし改札を通る。2度電車を乗り換え、都心から彼方離れ喧噪も穏やかな田畑に変わっていく。

午前中早くに乗った電車も目的地へ到着すれば、時計の針もてっぺんに迫るところだった。


 着いた場所は観光地としても有名で、駅の構内では地域の特産や名物が所狭しと並べられていた。

日曜日ということもあり、日帰りで来るお客さんや前日に泊まっていたお客さんで駅が賑わっていた。


 けれど僕は、その人の波をかき分け駅を出た。特産品には興味があったが、今日の目的は写真だ。川沿いに数キロにわたって続く桜並木を撮影することが一番の目標なのである。

観光名所というだけあって、桜並木のところまでは直通のバスが出ていた。多少の行列ができていたが僕はそこに並びバスが来るのを待った。


バスに乗ると、10分もしないうちに窓の外には桜並木の絶景が遠目だが広がり始めていた。

桜並木の手前の道でバスを降り、念願の目的地へと足が進む。


すれ違う人たちの中には、それなりのカメラを首にかけている人もいて、僕もこの人たちの仲間入りをしたんだなと感慨深くも思った。


 河川敷へ進むと、目線の先には終わりが見えないほどの桜並木が広がってきた。

花は薄いピンク色に染まり、一房一房がびっしりと花びらで覆われていた。

手を伸ばせばすぐ届くところに桜の花は咲いている。周囲の観光客は、自身の携帯で自撮りをして桜と一緒に撮影を楽しんでいた。


 カメラに電源を入れ、レンズカバーを外すと、桜並木の方へカメラを向けファインダーをのぞき込む。


初めてのシャッターだ……


これまでの10年間の思いが、夢が、この瞬間から現実のものとなる。そう考えると心臓の鼓動が激しく聞こえてくるようだった。

カメラ屋のおじいちゃんに教わった通り、脇を閉め、足を肩幅ほどまで開き重心を前にもっていく。


呼吸を整え、ファインダー越しに構図を調整する。シャッターを軽く押し、ピントを調節させその期を待つ。道行く人々がファインダーの中から消えたとき、人差し指にゆっくりと力を入れシャッターを切った。


 シャッターを切った瞬間、時が止まる感覚があった。

写真はその時を、その一瞬を切り取り残す。まるで魔法だ。カメラの液晶に映る桜並木は、とても美しかった。僕はまた一段とカメラにハマってしまったのだとそう思った。


 気づけば僕は、1時間ほど河川敷で撮影をしていた。

構図を変えて撮ったり、レンズを交換して背景のボケを意識した写真も撮影した。

さすが一眼レフと言わんばかりに、初心者である僕にでもそれっぽい写真が撮影できることがやはりすばらしい。この魅力に取り憑かれ撮影枚数も300枚を超えていた。


 休憩のため、近くのラーメン屋に立ち寄り昼食をすますと再び河川敷へ戻った。

帰りの事もあるので、あと1時間ほどしかいられないが、残りの時間僕は目一杯シャッターを切るつもりでいた。


桜並木を進み、目に映る景色をカメラに収める。

最後の一枚。ファインダーに入る人並みが掃けていくのを待っていると丁度日が傾き始め日の朱い陽光と桜が混じり見事な風景となっていた。

ファインダーを覗きアングルを決めシャッターに指を置き、静かにその時を待つ。


視界から人が消え、フォーカスを合わせる。そよ風に桜が靡き日光がちらりと視界に入り思わずファインダーから目を離してしまった。

「うっ」


数秒、目の痛みに堪え目を開けると、桜の木の下でポツンと佇む女性と目が合った。

女性は驚いたような表情でこちらの方に近づいてくる。

面識も全くない女性だったが、自意識過剰とかではなく、明らかに僕を見ていた。

目の前の状況に理解ができず、うろたえていると、瞬く間に僕と女性の距離は縮まっていった。


女性は僕の目の前に立つと、胸の前に手を置き心配するような声で僕に話しかけてきた。


「あの……すいません。そのカメラ……見せてもらえませんか?」

ん?カメラ?このカメラ僕のだよね?


「え?カメラですか?」

「―――はい。あの先ほど私のいたあそこを、その……撮っていらっしゃいましたよね?もしかしたらその……写真に私が写っちゃってるかも……」

そういえばさっきシャッターを切ったかもしれない。ファインダーから目を離してしまっていたけれど、もしかしたらその時……

確かに、狙って撮っていないにしても、見知らぬ誰かのカメラに写り込むのは嫌だよな。


カメラを操作し、先ほど撮ったであろう写真を表示させる。


「どうですか?ありました?」

僕の反応を不思議に思った彼女も僕の持つカメラの液晶画面をのぞき込んだ。

視線を左へやると、すぐ近くに彼女の顔があった。彼女から石鹸の香りが漂い妙な気持になる。

その気持ちを振り払うように彼女へ話しかける。


「す、すいません。すぐ消しますから!!」

僕はボタンを操作し、慌てて写真を消去しようと試みた。

しかし彼女は、僕の手を抑えそれを制止した。


「待ってください!消さないで!」

「え?でも……写っているのは嫌なんじゃないんですか?」

「そ、そうなんですけど……でも」

「じゃあなんで?」


彼女はうつむきながら、「素敵な写真……だから」


「え?」

「こんな素敵な写真を消してしまうなんでもったいないです。ほら見てください」

そう言われ、もう一度カメラの液晶画面を確認する。


 するとそこに映っていたのは、とても幻想的な写真だった。

真っ赤に染まる太陽に照らされた桜の隙間から、光のカーテンが降り注ぎ、そこに佇み桜を見上げる女性の姿が写っていた。


じっと見つめるとその写真に写る彼女は、泣いていた。


「不思議な写真じゃないですか?なんていうか、こことは違う別の世界みたい…… なんて」

彼女は頬を赤らめながらそう言った。


「確かに……いい写真です。なんていうか、僕こういう写真が撮りたかったんです。小さい頃、地元のデパートの小さな写真展でこれに似た写真を見て素敵だなって思ったんです。それで写真に憧れてカメラを買ったんですけど、その写真はこの写真みたいにどこかこの世界にある景色じゃないみたいで。いつか僕もあんな写真が撮れるかなって思っていたんです」

「じゃあ。夢が叶ったのかな?写っていたのがこんな私だけど」

「なんていうか……ありがとうございます」

そう言ってまた写真を見ると、やっぱりどこか似ている。場所も景色もまるで違うのに、この写真とあの写真展で見た写真の女性とこの女性の姿はとても似ていた。写る姿も、その涙も――――

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