第3話

「紡、おまけこの後暇?クラスの奴とラーメンでも行こうって話してんだけど、来れるか?結構安いメニューもあるみたいだぞ」

僕の幼馴染の、氷室明彦が帰宅準備をしながら話しかけてきた。

「ごめん。今日はちょっと……大事な用がある。また今度にするよ」


明彦は思い出したようにハッとした表情をして、「そうか!ついに溜まったんだ!てことはこの後行くのか?」

「うん。」

僕は喜びを噛みしめ、短く返事を返した。


 明彦とは幼稚園の頃からの幼馴染で、僕がお金を貯めている理由も知っている。周りの友人たちは、僕が頑なにお金を消費したがらないのを見かねて、遊びの輪に入れることをしなかった。けれど明彦は、毎回何かあると必ず誘ってくれる。僕も別に友達と遊ぶことをしたくないわけではない。ただ、それよりも優先したいことがあって、それを達成するには高額なお金が必要ということだけなのだ。

それを知っている明彦は、必ず僕を誘ってくれる時は財布に優しいものがあることを教えてくれる。そんな明彦との友情のおかげでクラスでも省かれることなく高校生活を送れているのだ。


「そっかー。苦節10年、長い道のりだったけど遂にここまで来たんだな。おめでとう!」

「ありがとう。ここまで頑張れたのは明彦のおかげだよ」

「礼なんていいって、それに頑張ったのはお前だぞ。俺はただお前を応援してただけだ」

明彦に夢を打ち開けてからの10年間、女房のように僕のお小遣い事情を把握し管理してくれていた事への感謝を済ませると、お互いに少し照れ臭く笑っていた。


「ほら。こんなところでしゃべってる暇じゃねーんだろ。早く行けって」

「うん。じゃあ、行ってくる」

「おう。行ってこい!」

明彦に背中を押され、教室を後にする。いよいよだ……僕は期待に胸を膨らませて帰路に就いた。


 自宅に戻ると、2階の自分の部屋にスクールバッグを放り投げ、勉強机の上にある貯金箱を手に取った。100円均一によく見かける20万円溜まる貯金箱には、小銭やポチ袋が詰まっており僕の10年間貯め続けたお小遣いのほぼすべてが入っている。今からこれを開け、夢の買い物をすることを考えると、感慨深いものがこみ上げてくる。

押し入れから工具を取り出すと、貯金箱を少しずつ開けていく。開いた貯金箱の中から小銭があふれ出し、床に広がった。

財布の中には入り切らなかったので、小さな巾着に入れて持っていくことにした。

総額20万円弱、よく貯めたものだと自分を褒めてあげたい。


 私服に着替えると、リュックサックの中に先ほどの巾着と、お札でパンパンになった財布をしまいしっかりとチャックを閉めた。

玄関で靴を履き、家を出る瞬間で、こんなに緊張する瞬間が今まであっただろうか。僕は今高校生ながら、20万円という大金を背負う小金持ちだ。道行く人たちが全員僕のお金を狙っているのだと錯覚してしまうだろう。

そんな期待と不安を抱きながら、自宅を後にした。


 僕が向かったのは、自宅から歩いて15分ほどの町のカメラ屋さんだ。僕がカメラを買うと決意してからほとんど毎日、学校終わりによく通っていた。小学生の頃、店主のおじいちゃんとは知り合いになり、写真の撮り方などをいろいろと教えてくれた。

いつも自分の孫のようだと可愛がってくれ、僕がいつかカメラを購入しに来る時を楽しみにしてくれていた。


カメラ屋のドアを開けると、チリリンと鈴の音が店内に響き渡った。

「いらっしゃい。おおー紡君。よく来たね」

カウンターの前に腰掛けて、レンズの手入れをしていたおじいちゃんが優しく手を振ってくれた。

「こんにちは」

カメラに囲まれた店内を見渡すと、今までの緊張の糸が徐々にほどけていくように感じた。好きなものに囲まれたこのお店は、心の安らぎの場となっていた。

「今日はどうしたんだい?」

おじいちゃんの問いかけに、汗でにじんだ手を握りしめ口に出す。


「今日は、カメラを買いに来ました!」


おじいちゃんは、目を大きく広げると、作業を止めこちらに駆け寄ってきた。

「そうか!ついにこの時が来たんだね!おめでとう!」

おじいちゃんからの賛辞に、照れ臭く目を逸らしてしまった。

「うん。ありがとうございます。早速、カメラを見てもいいですか?」

「ああ。見てくれ見てくれ。いや~それにしてもあの小さかった紡君が遂にカメラを購入しに来るとはなぁ。長生きしてよかったわい」

おじいちゃんは感動に浸っていた。


「そんな大げさな。でも……やっとここまで来ました」

周りの人が自分の事のように喜んでくれているところを見ると、心なしか誇らしげ思えた。


 おじいちゃんに案内されたコーナーには、ガラスケースの中に様々なメーカーのデジタル一眼レフカメラが所狭しと並べられていた。

最初は初心者用とか、安価なものから攻めていくとかそういったのは、今回は抜きだ。僕は自分の納得できる買い物をしようとここにいるのだ。だから予算の中で納まるのであれば、高かろうが気にしない。

「どれにするかい?触ってみて感触を確かめるのも大事だよ。」


ガラスケースに並ぶカメラを見ていると、どれもずっしりとした外観と桁数の多い値札に圧倒される。

昨日までは、圧倒されるだけであったが、「どうだ今日はお前たちの中から好きに選んで買うことができるんだぞ!」と今日だけ僕は強気で圧に向かっていった。

上から順にカメラを眺めていき、購入するカメラを見つけていく。


「これにする」


 僕にしては即決だったと思う。選んだのは、Nikon D750だった。2014年9月25日に発売された、ニコン社のフルサイズ一眼レフカメラだ。

以前、おじいちゃんに触らせてもらったことがあり、意外な軽さとコンパクトさに惹かれていた。車を持たない高校生が常に首から下げておくにはいい重さだったし、何より試し撮りした写真の写りが僕の感覚からしたら相当に良かった。


今回は、本体のレンズキットに加え、短焦点レンズを購入したいと思っていた。しかし、レンズキットを購入しただけで残高が底をつきそうになっていた。もう一つレンズを購入してしまうと、他の雑貨が買えなくなってしまう。どうすべきか熟考しているところに、おじいちゃんがカウンターの中から小包を取り出してきた。


「紡君。良かったらこれ使ってくれないかな?長年の夢をかなえた紡君へのお祝いだ」

そう言って小包を僕に渡すと、そのまま頭を撫でてくれた。


「あ、ありがとうございます。でもこれって……」

包装された小包を開けると、中には手入れ用のグッズやレンズフィルターが入っていた。


「長年の夢をかなえてようやくデビューするんだ。サポートくらいはさせておくれよ。」

「こんなにたくさん……なんか申し訳ないです」

「ははは。気にしないでおくれ。君を始めて見たときから、こうしてあげようと思っていたんだ」

おじいちゃんは、僕が夢を話したその時からそんなことを思ってくれていたんだ。

込み上げてくる涙を必死に堪え、深々と頭を下げ精いっぱいの御礼をした。

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