恋文便箋

霜桐ヒロ

第1話 別れ

 家の屋根の雪が堕ちる。目に見える畑や山々が白く美しい白化粧を身に纏う。

 この時期になるといつも億劫なほどに手紙がたくさんこの町にやって来る。

 都心から二時間半電車に揺られてさらにバスで一時間。小さな山を何個か下って。至る世界は目も当てられない位のド田舎。

 都会に夢を見ることさえも呆れさせる程の野風景にそっと私は白息を口から吐き出して途方に耽る。

「カレン、3丁目の田中さんちに郵便持っていきな」

 そんなド田舎なこの町に一軒しかない郵便局。そこが私の家。唯一の田舎っぽくない良心

「了解、スープ炊いといてね。凍えちゃう」

「はいはい。すぐに炊いておくから」

 厚手の手袋に掌を潜り込ませる。

 お気に入りのマフラーをしてイヤホンをつける。そのあとは耳が痛くならないようにもふもふをつける。

 よくわからないロックバンドみたいにマフラーで口を塞いで全身が煮えたぎっているような白煙をマフラーの隙間から撒き散らしながら家を出る。

 左を見ても雪が積もってよくわからない畑が広がっていて、反対側を見ても二・三件の家がポツポツと徒党を組んで軒を構えているだけの典型的なそれ

 目的地はそんな特徴もない物に挟まれた車一台すら走ることを臆する道の突き当たりを右に曲がれば何ら遠くもなくすぐに到着できる

 一歩二歩、氷の束を土に押し付けて道端に足跡を刻み込んでいく

「あら、カレンちゃん。今日も配達かい?ご苦労様だね」

 ご近所のお婆ちゃんが買い物帰りの装いで私に声をかけてくる。

「お生憎で。すぐ帰ってお風呂に入らなきゃ」

「こんなに冷え込んでるからねえ。頑張らんせ」

 そう言ってお婆ちゃんはそのまま道を離れて途方に消える。

 気付けば目的地は目と鼻の先。ガサゴソと鞄の中から小包を取り出してベルを鳴らして配達を済ませる。

「こんな寒い日にごめんねぇ。温かいの出そうかねぇ。上がっていくかい?」

「お気遣いありがとうございます。でもすぐに戻らないと。母に怒られちゃうので。」

「そうかい。ご苦労様

 お母さんにもよろしくねぇ」

「伝えておきますね。お邪魔しました」

 軽く会釈をして踵を返す。

 行き掛けに作った足跡のすぐ横をなぞるように歩いて、再び億劫な一本道に出る。

 行き掛けと変わらない反対側から見る世界をたった少しの新鮮味もなく往来する。


『君、花岸カレンさん、かい?』

 何気ない往来を遮るように恰も前からそこに居たかのように老爺が私に声をかける。

「ええ。そう、ですけど。あなたは……?」

「名乗るほどでもないさ。今のところは。

 ただ単に君に会いに来た。とだけ伝えておくべき、かな。」

 外気か心意か、私は背中がゾゾッと震えて返事をしたことに後悔をする。

「怖がらなくてもいい。僕は幽霊でも犯罪者でもない。まあ、説得力は皆無なのだろうけれど。

 ……僕はもう先は長くない。」

 老爺は私の方を片目で透かしたように見ながら続ける。

「小話を済まないね。

 かつてこの町で僕は生まれた。そのあと母は僕を産んですぐにこの世を去ってしまった。

 町を出てしまったあと16の時に父が死んで、結局は最期にはこの町に至り着いたというわけだ。母の面影を探してね。

 昔からある馴染みの郵便局の娘。最後に君にだけは会ってこの町を去りたかったのさ」

 そう嘆いて彼は肩に積もった雪を手で払って途方に立ち尽くす私を一瞥して

「最後の最後にもう一度この町に戻ってこれて悔いはない。

 機会があればもう一度出会えたら嬉しいな。」

 弱々しくそう告げて私の元から離れていく

「あの……!あなたの名前!お聞きしてもいいですか……?」

 咄嗟に、顔すら向けるのが怖かった私は背中で彼に問う。

「この老いぼれに、名乗るほどの名前などとうに無いのだけれど。

 ……そうだ。『リコリス』

 君の心に一欠片でも僕のことを刻み込んでくれるのなら、そうとだけ名乗ろう。

 僕の大好きな花の名前をね」

 数秒の余韻を経て、後ろを振り返るとそこには既に老爺の姿は跡形も残してはいなかった。

 ただただ名残惜しさと、そして何故か悲哀が寒さ以上に私の心を痛め付ける


 苦しさと寒さに震えながら自宅へ到着する。扉を開ければ真逆の世界がそこにはあって

 先ほどまでの出来事が夢みたいに感覚を惑わせる。

「おかえりなさい。なんかあんた宛に手紙来てるわよ」

「へえ。いつ届いたの」

「ついさっき。温かいのすぐ出すからリビングで待ってなさい。手紙も置いてあるし」

「ありがと。」

 靴を脱いで家履きを履いてジャンパーとマフラーを衝立に掛けてリビングに向かう

 リビングの机の上には私の名前が書かれた封筒がひとつだけ置かれている。

 裏を見るも宛名はない。唯一分かるのは都心部から送られているということだけ。

 怪しさが全面に立つその謎の封書を私はそろーっと開けて確かめる。

 何気ない便箋のが一枚。そこにはただ一言

 「花岸カレン様、いつかまた君に会いたい。」とだけ書かれている

 その手紙が私の心を苦しめて。

 そしてそれからのすべてが変わるとはその時の私は気付きもしなかった。

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恋文便箋 霜桐ヒロ @shimokiri_hiro

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