ーー契約、解消して。
1
君に向かっていく想いを、どうする事も出来なかった。
都内某所のスタジオでは、雑誌の取材兼レコーディングが行なわれていた。ニューアルバムのタイトルも決まり、完成に向けて俺達は一丸となって、
「ふっ…くははっっ!!」
――笑いの渦に巻き込まれていた。
「いや、笑い事じゃないから。ほん…っっと生殺しもいいところだから」
欠伸を連発する俺に探りを入れてきたのは、今や恋敵とも言える義人。寝不足で若干ハイになっていたのもあり、つい口が滑って『穂花を意識するあまり眠れなかった』とこぼしたら腹を抱えて笑い出した。
「いやぁ、同じ男の言葉とは思えないな。あんだけ喰っちゃ捨て――」
「ヨッシー」
同じく口を滑らす義人に目くばせする。すぐ近くのテーブルではチカと悠介がインタビューの最中だ。顔馴染みのライターにいつ何時、
「…そっちこそ、どうだったんだよ」
さりげなさを纏いきれず弱くなる言葉尻。どこか上の空だった今朝の穂花の様子に、正直気になって仕方がなかった。一晩一緒だったわけだし? なにせ相手は義人だ。
「コメントは差し控えさせて頂きマス」
「えっ? お前人のこと散々笑っておいて自分は」
「奈央くーん。次よろしくー」
しらを切る義人に文句を言うもライターさんが高らかに俺の名を呼ぶ。
「いってらっしゃーい」
「…後で絶対聞き出してやる」
ニコニコと手を振る義人を横目で睨みつつ、俺はその場を後にした。
◇◇◇
「二人とも声デカすぎ。丸聞こえ」
奈央と入れ違いに戻ってきた悠介は俺の向かいに腰を降ろすと、煙草に火をつける。
「まぁ、バレても書かないでしょ」
「や、あの人はこっちが忘れた頃にしれっと書くから」
そう言って悠介は含み笑いを浮かべながらギターを抱えると、指慣らしに適当なフレーズを弾きだした。
「で? 実際のとこどうなの。ノーコメントは無しで」
「丸聞こえだな。…まぁ、正直な話、俺も分からないっていうかなんていうか」
「うわ、ついこの間めちゃくちゃ決めセリフかましてた人とは思えない気弱っぷり」
横目で奈央の様子を伺う。インタビューは盛り上がっているようだ。聞かれる心配は無いと思いつつも声を潜める。
「告った後のこれって、どう思う?」
そう言って、届いたばかりのLINE画面を見せた。
仕事中にごめんね。
昨日は泊めてくれてありがとう。約束通り、ご馳走します。空いている日と何系が食べたいかリクエストがあったら教えてね。
「単なるお礼?」
テーブルの上に置いたスマホを覗き込んだ態勢のまま、悠介は視線だけを俺に向けた。
「やっぱ考え過ぎかー。もしかして俺、勝ってる? とか思ったわ」
大きなため息をこぼす俺に悠介は、
「あ、じゃあさ『手料理食べたい』って返してみたら? どんな反応かで度合い測れるし」
天然に相応しく怖いもの知らずなところを突いてくる。それも他意なく言えるあたり、正直一番ライバルにしたくないタイプだ。
いくら何でもそれは無理だろーと思いつつ、ダメ元で送ってみた。
――数分後。返ってきた返信を見て、思わず場所も忘れて大声を出していた。
◇◇◇
「そしたら、最近――」
「うっそ、マジで?!」
義人の奇声にライターさんの声が掻き消される。
「ヨッシーうっさい。騒がしくてホントすいません」
既に何度か面識があるせいか、ライターさんは「いつもの事でしょ?」なんて苦笑いを浮かべる。
「さてと。そしたら、次は近況報告って事で。どう? 最近」
意味深に、けれど当たり障り無く尋ねてくる彼に俺も智も慣れたもので、
「いやぁ、おかげさまで忙しくて。はっちゃける機会も無いですね。なぁ?」
「そうですねー、今はアルバム完成が第一ですから。まぁ、たまーに外をぶらっとしたり」
「あぁ、ちょっとこう遊んでみたり?」
スロット好きの智を伺うようにライターさんの右手が打つ形を取る。そこから暫くは同じくパチンコ好きのライターさんと二人して、あそこの台は絶対出ないだの今度どこそこに新しく店舗が出来るだので盛り上がっていた。
「いけないいけない仕事しなきゃだ。じゃあねー、何か新しく買った物とかは? 出来たら音楽関係以外で」
その質問に、ちょっとした考えが浮かんだ。
「あー…。僕ね、枕新しくしたんですよ。抱き枕って言うんですか? あれ、いいですよねー」
少しだけわざと張り上げた声に案の定、義人が一瞬、俺の方を見る。
「へぇ、やっぱり違う?」
「もう全っ然。今はそれが無いと寝られないですから。手放せないですねー」
さっき話さなかった仕返しとばかりに続ける俺を、抱き枕が何を差すのか知る智は隣で苦笑いを浮かべている。すると義人が反撃してきた。
「でも奈央、今朝は全然寝らんなかったって言ってなかったっけ」
ん? どうよ? とでも言いたげな口元。やっぱり、こいつに素直に話したのは失敗だった。
「使い始めてだいぶ経つし、そろそろ買い替え」
「誰がお前にやるかボケ」
―――静まるスタジオに、言った後でしまったと気付く。明らかに今の発言はおかしい。
「あ…、あー結構高いヤツだったんですよ、それ。もうくったくたになるまで使い倒してやろうかなーって」
下手に笑って見せるも時既に遅く、「出来上がり、楽しみにしてて下さいね」と何かを察したような笑みを残しライターさんは帰っていった。
「あれ、絶対面白おかしく書かれるな」
「アホだなぁ」
義人はいい気味だとばかりにニヤニヤしながら、「発売いつだったけなー」と待ちきれない様子で壁のカレンダーを確認している。自ら掘った墓穴だけに、言い返す事も出来ず煙草をふかしていると、
「言われてみれば穂花ちゃんが越してだいぶ経つね」
と、智が話しかけてきた。引っ越当初、シングルやらライブやらで慌ただしく、ろくに挨拶も出来なかったのを気にしているらしい。
「もう来てどのくらい?」
「確かあれは…」
頭を巡らせてはたと気付く。まだカレンダーの前で話し込む義人の頭をぐいと退かし日付を確認する。
「おい、今首グキッて」
「…今日だ」
「って聞いてないし」
文句を垂れる義人をシカトして上着を掴むとドアに向かった。
「奈央?」
「ごめん! ちょっとだけ出掛けて…っと」
ドアを開けた先にチカが立っていた。穏やかな笑顔の中、目だけが笑ってない。
「チカ、さん」
「出掛けるって今から?」
「ちょっと、そこまで」
「奈央の休憩時間まだでしょ」
「そこを何とか」
無言で立ちはだかるチカの頭上に悪魔の角が見えた気がした。それが全ての答えだ。
「…仕事、ですよねー」
引きつり笑いで後ずさる俺に、コクリと一度だけ大きく頷く。チカが本気で切れたら手に追えない。まだ睨みをきかせているチカと時計を気にしながら、俺は渋々と仕事に戻っていった。
Sleeping medicine 三枝 侑 @evol19
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