FD ~君と紡ぐセレナーデ~


 数年後――


 @都内某所、フォーコンチネンタルホテル加瀬のフレンチレストラン『モン・エトワール』。


 照明は最小限に落とされ、キャンドルの柔らかな灯りがゆらめく店内に響くしっとりしたピアノの音。

360度夜景を見渡せる空間では贅沢に客席が配置され、プライベート感を味わうことができる。恋人同士の記念日や家族の顔合わせ、ビジネスなら大切な顧客をもてなすために予約を取るような、そんな特別な雰囲気に満ちている。


 客層から漂う上流階級の香りに緊張し、鈴加はぎこちなくメインディッシュに手をつけた。その様子をじっと観察していた弓弦はふっと微笑む。


 「鈴加、そんなに緊張しなくても誰もお前を取って食ったりしないぞ」

 「!! わ、分かってるよ」


 ビクッと反応した鈴加は顔を上げて思わず見惚れた。一枚の絵画みたいに背景と完璧にマッチする弓弦はあまりに素敵だった。食事のマナーはもちろん、店員を呼ぶ時のさり気ない仕草など、全てがスマートで文句のつけようがない。その上、食べるペースを合わせてくれていることが明らかで、慣れない高級店での振る舞いに自信が持てずもだもだしている鈴加とは大違いだ。育ちの格差を感じてつい唇が尖った。


 「不満そうだな。料理が口に合わないか?」

 「どれも美味しいよ。でも正直あまり楽しむ余裕がないというか……」

 「この店は他の客と距離があるし、店員もよく教育されているから余計な邪魔は入らない。周りの目を気にせず楽しめばいい」

 「そういう問題じゃないよ。この空間そのものが異世界レベルなの!」


 小声で抗議すると、弓弦は意外にも悲しそうに視線を落とした。面食らっていると、小さなため息が零れる。


 「そうか。久しぶりの再会だし、お前を最大限喜ばせようと思ってずいぶん前に予約したんだがな……。目の前の夜景も食事も的外れだったということか」

 「……!」

 「お前と付き合い始めてからはできるだけ独りよがりにならないよう努めてきたつもりだったが、俺もまだまだ修行が足りないわけだ」

 「そっそんなことないよ! 厳しい訓練積んでパイロットになって世界中飛び回ってるのに、こうして忙しい中あたしに会いに来てくれたんだもん、嬉しくないはずないよ! このお店だって夢に出てくるくらい素敵だし、大大大満足!」


 焦ってテーブルに身を乗り出し、一生懸命フォローした。――あぁもう何やってるんだろう! 時差で体が辛いはずなのに、そんな様子は微塵も見せず、時間の許す限り側に居てくれるのに……。猛省する鈴加を見つめ、弓弦は突然フハッと吹き出した。


 「お前、ほんっと単純だな。お人好し病は相変わらずか。この程度の罠に引っかかるなんてチョロすぎるぞ」

 「!! だ、騙したの!? ずるいよ弓弦くん! 落ち込んだフリしたらあたしが焦ると思って……っ」

 「悪かったよ。お前の一生懸命な姿が見たくてつい虐めたくなるんだ。俺の厚意を無碍にしたと反省したんだろ? いじらしくて、人目も憚らず抱きしめたくなる」

 「ブフォ!」

 「ん? 顔が赤いな。酔ったのか?」

 「~~~~っ」


 (やっぱり魔王だっ!)


 鈴加は目の前でニヤつく弓弦をめいっぱい睨みつけた。


 弓弦に告白したあの日以来、遠距離恋愛が続いている。欧州を拠点に飛び回る弓弦と、日本――東京の会社に勤める鈴加。社会人になり、学生の頃ほど休みが取れないので、必然的に会う回数は減った。それでもfacetimeや電話、メールなどでなるべく頻繁に連絡を取り合うようにしている。今日は数か月ぶりに一時帰国した弓弦とのデート。できれば喧嘩なんてしたくない。怒りを飲みこみ、鈴加は深呼吸した。



***



 「あっという間だったね」

 「そうだな。俺もそろそろ明日のフライトに備えて休む。家まで送っていけなくて悪い」

 「まだそんなに遅くないし大丈夫だよ! それより弓弦くんこそお仕事で疲れてるんだから、少しでも早く部屋に戻って体を休めてね」


 ディナー後、エレベーターの中でそんな会話を交わしつつ、鈴加の胸は重く沈んでいた。表向き明るく振舞っていても、拭いきれない寂しさが込み上げてくる。


 早々に仕事を辞めて弓弦のいる欧州へ渡る選択肢もあったが、せっかく苦労して内定をもらえた会社だし、何より、社会と接点を持つことで得られるものはとても多い。弓弦からも『自分の世界を、視野を広げてくれる人達との出会いは蔑ろにするな。未来の選択肢を増やす機会を大切にしろ』と諭された。


 本音を言えばすぐにでも側に行きたい気持ちが強かった。けれど思い留まったのは、弓弦の隣で肩を並べるなら、少なくとも自分が恥ずかしくないと思える女性になりたいと願ったからだ。今は別々の生活を送っていても、いずれ二つの線が一つに交わる日が来ると、弓弦が相手なら信じることができた。


 ――そう、自分は弓弦の足枷になるんじゃなく、彼との未来を守っていける力を育てていくんだ。


 気が緩めば泣いてしまいそうになり、鈴加はぐっと堪えて笑顔を浮かべた。


 「今日は本当にありがとう。おかげですごく幸せな一日だったよ。これでまたお仕事頑張れそう!」


 えへへ、と嬉しそうに笑う鈴加に、弓弦は胸が痛んだ。泣きたいときほど笑う彼女の性格をよく知っているからこそ、寂しさを耐えて笑顔で送り出そうとする優しさが身に染みる。いずれ仕事の軌道が乗ったら結婚するつもりで付き合っているのだが、思えばそのことを明確に伝えた記憶がない。言わなくても理解しているだろうと決めつけるなんて、自分勝手で思いやりに欠けていたなとこっそり自分を戒める。だが、それも終わりだ。今日はプロジェクトN以来のサプライズを用意している。


 「……悪いな、レストランに忘れ物したみたいだ。取ってくるから、ロビーラウンジで待っててくれるか? もう少しお前と話がしたい」

 「うん、分かった」


 地上階に到着し、一旦別れる。忘れ物なんて珍しいこともあるものだと意外に思いつつ、鈴加は先にロビーラウンジに進んで行った。


 空いているソファに腰を下ろし、ぴかぴかに磨かれた大理石の床に光を投げかける豪奢なシャンデリア目を奪われた。カントリーハウスを彷彿とさせる内装は高級感に溢れ、宿泊客はみな上品な雰囲気だ。イベントで使われる広々としたホールに通じる螺旋階段に視線を移し、結婚式の演出でも使えそうだな、と想像を膨らませる。本当にお姫様が王子様に手を取られて降りて来そうな佇まいだった。


 うっとり眺めていたその時、ホテルのスタッフに声をかけられた。


 「高橋様、貴女に贈り物が届いております」

 「えっ?」


 穏やかな笑みで差し出されたのは、一輪の赤い薔薇。不思議に思っていると、彼と入れ替わるように今度は別の従業員に同じく薔薇を手渡された。一人、また一人と途切れることなく、気付けば手元に花束ができている。中には偶然居合わせた招待客も混ざっていて、意味深にウインクされたり、「おめでとう」などと祝福の声をかけられ、ますます混乱する。そしてハッとした。


 (これ、はつコレで和馬様がヒロインに告白した時のシチュエーションと同じだ! 花は薔薇じゃなかったし、場所もこんな高級ホテルじゃなかったけど……)


 ドキンと心臓が高鳴る。この演出を計画したであろう人物に思い当たり、期待が膨らんでいく。


 「皆様にご案内申し上げます。ただいまより特別な日をお祝いされるお客様のため、一時照明を暗くさせて頂きます。どうぞお足元にお気を付け下さい」


 どこからともなくアナウンスが流れて、フッと視界が暗くなる。事前に計画されていたのか、従業員の人達はみな落ち着いていた。宿泊客の何名かはなんだなんだと好奇の目で辺りを見回す。


 「あっ!」


 鈴加は思わず声を上げた。パッとライトに照らされた螺旋階段の上に、愛しい人の姿を捉える。弓弦はヴァイオリンの生演奏が流れる中、ゆっくりと階段を降りてくる。


 ――うわぁ、本物の王子様みたい……!


 思わず目を奪われたのは鈴加だけじゃなかった。周囲の女性客からほぅっと感嘆のため息が漏れる。弓弦の行く手を照らす光は彼の足取りに合わせて静かに鈴加の下へ伸びてきた。


 永遠のような一瞬。


 薔薇の花束を抱える鈴加の目前で足を止めた弓弦は、優しく微笑みかける。


 「驚いたか?」

 「……っ、驚いたよ!」

 「ははっ、それはよかった。作戦大成功だな」


 悪戯っぽく笑った弓弦に何か言おうとして、声にならなかった。ベタ甘な演出なんて絶対しないと断言して鈴加をガッカリさせたあの魔王が。鈴加が愛してやまない『はつコレ』のベストシチュエーションを再現してくるとは夢にも思わなかった。非常に不本意で恥ずかしかったに違いない。それでも――喜ばせたい一心で用意してくれたこと、その気持ちが何より嬉しく、甘く胸を締め付けた。


 いつか映画で見たワンシーンのように弓弦が床に片膝をつき、ひときわ大きな薔薇の花を差し出してくる。


 「『この花は僕の気持ちです。受け取ってくれますか?』」


 ――しかも、和馬様の台詞付きとは憎い演出だ。


 「N様ごっこは死んでもやらないんじゃなかったの?」


 声が震えた。ドキドキして、息が苦しい。


 「そうだな。最初で最後だ。だけど――この先ずっと、俺はお前に愛を伝え続けると誓う」

 「!! そ、それって……」

 「お前の思った通りだ。これからの10年、20年――その先の未来もずっと、生ある限りお前の側にいたい。お前を喜ばせるのも、涙を拭ってやるのも俺でいたいんだ」


 「高橋――いや、鈴加」厳かに告げた弓弦の誠実な眼差しに射抜かれ、鈴加は息を呑んだ。


 「お前を愛してる。俺の全てでお前を生涯幸せにする――と言いたいところだが、俺がお前なしじゃ幸せになれない。だから、俺の幸せのためにも結婚してくれ」


 ぶわっと涙で視界が滲んでいく。薔薇を抱き締め、涙ながらに頷いていると、弓弦は上着のポケットから小さな箱を取り出した。クリスタルの箱はキラキラ輝いている。中には台座に埋まったダイヤモンドの指輪が。そのまま恭しく手を取られ、左手の薬指に指輪を嵌められる。おまけに手の甲にキスまでされ、もう限界だった。


 「弓弦くん~~~!!!」


 泣きべそをかきながら思いっきり抱き付く。弓弦は難なく鈴加を受け止め、愛しげに、きつく両腕で抱き締めた。


 「――やっと俺のものだ」

 「それはあたしの台詞……!」


 わっと拍手が沸き起こり、照明が戻っていく。祝福に包まれながら、奇跡のような瞬間に涙が零れた。これから何年経ってもこの日の事は決して忘れないだろうと――鈴加は力の限り抱き締め返した。





 ――プロポーズから半年。


 婚約した二人は結婚式に向けた準備で大忙し。鈴加のリクエストで招待客のみんなとタイムカプセルを作るイベントが披露宴に盛り込まれた。式の前日に新郎新婦それぞれに向けて別々にメッセージを書いたのは、秘密にしていた方が面白いという弓弦の提案で、お互いこっそり準備した。



 ――そして10年後。


 結婚式に出席してくれた大好きな仲間達と再会し、みんなでタイムカプセルを開けた。その時になって初めて、実は二人とも同じことを書いていたことが判明。


 「ほんとにバカップルなんだから」


 呆れたように千晴&玲二夫婦にからかわれ、二人顔を見合わせて笑った。タイムカプセル第二弾には、昔から変わらない愛の言葉が綴られていた。


 「『10年後も、大切なあなたがあたしの/俺の隣で笑っていますように』」



 *fin*

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攻略対象は王子様なので、とりあえず脇役卒業します。 水嶋陸 @riku_mizushima

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