第48話 脇役卒業します! you're my hero/heroine
「弓弦くんが他の誰を想っていても変わらない。あたしは、弓弦くんが好き……!」
――言った……!
緊張と不安と高揚感がいっぺんに押し寄せて、頭の中が真っ白になった。掌に嫌な汗をかいているが、そんなことに気を配る余裕はなく、爪が食い込むほどの強さで拳を握り締めた。
(お願い、何か言って……)
体中の血液が沸騰し、早鐘を打つ心臓。鼓動が弓弦にまで聞こえてしまうのではないかと疑うほど強く脈打っている。
「帰れ」
沈黙を破った弓弦は、いつか見た『見知らぬ大人の男の顔』で、表情が読めない。
「お前は勘違いしてるんだ。誰に何を聞いたか知らんが、俺への気持ちは恋じゃない。お前は俺に悪いと思って義理を果たそうとしてる。同情してる。それだけだ。見誤るな。お前が好きなのは東だ」
「違うよ! あたしは、」
「今ならまだ間に合う。すぐ相手に連絡して返事を撤回しろ。その間に俺が帰りのフライトを手配してやる」
あまりに一方的な態度にカッと血がのぼった。電話をかけようとした弓弦に掴みかかってスマホを奪う。
「おい! 何を、」
「あたしの気持ちを勝手に決めないで!!」
閑静な住宅街に響き渡る怒声。これほどはっきり怒りをぶつけられたことのない弓弦は目を見張って鈴加を見下ろした。興奮が冷めやらぬ中、鈴加は弓弦の腕を強く引く。
「どうして全部一人で決めちゃうの!? そこにあたしの意志はないのに。勝手な思い込みで終わらせないでよ! あたしの幸せは、あたしが決める」
「高橋……」
睨み上げる鈴加の眼差しが真剣で、弓弦は地面に縫い止められたように動けなくなった。
「もう優しい嘘はたくさん。本当のことを教えて。あたしはちゃんと――どんな答えでも受け止める覚悟はできてる」
肩掛けの鞄から手紙を取り出し、鈴加は胸の前で掲げて見せた。
「『僕の夢は高橋鈴加ちゃんをお嫁さんにすることです。六年三組、大神弓弦』」
「ブッ!! お、お前どこでそれを!? くそっ、千晴か!」
「ここに書いてあることは本当? 今はどう思ってる? 教えてくれなきゃ返さない」
「寄こせっ!」
「いやっ!」
取り戻そうとした弓弦の手をひらりとかわし、距離を取った。鬼のような形相で迫る弓弦と、小動物系女子ならではの俊敏さで逃げ回る鈴加。なんでこんなに小回りが利くんだ、と煩わしげに舌打ちした弓弦の走るスピードが飛躍的に上がる。
「こら待て! この……っ」
抵抗虚しく、後ろからギュッと抱き込まれた鈴加は驚いて暴れた。腕の中でもがいている内に足がもつれ、バランスを崩して転びそうになる。
「わっ……!?」
「鈴加!!」
咄嗟に背中に腕を回した弓弦に抱き留められ、絶対に離すまいとする力強さと、間近に迫った美貌にドキッとする。
「怪我、ないか?」
「……! う、うん」
「そうか……」
安堵の囁きに胸が締め付けられる。鈴加は動かない弓弦が心配になり、そっと頰に触れる。
「ごめんね、助けてくれてありがとう。あの、大丈夫? 痛いところとか――」
「大丈夫……じゃねぇよ、バーカ!」
「へぶぅっ!?」
高速チョップを額に食らい、鈴加は堪らず両手で押さえた。仁王立ちの弓弦はもう通常通りの魔王っぷりを発揮している。落ちた手紙を回収し、フンと鼻を鳴らす。
「お前は本当にバカだな。人が必死でお膳立てして舞台を作ってやったのに、自分からブチ壊すアホがどこにいるってんだ」
「だ、だってしょーがないじゃん! あたしが好きなのは王子様じゃなくて魔王だって気付いちゃったんだもん」
もじもじしつつ唇を尖らせ反論した。長いため息を吐いた弓弦は腰に片手を当てる。
「……お前、俺とは友達でいたかったんじゃないのかよ?」
『あなたが好きです。ずっとあたしの友達でいて下さい!』――暗に10年前の告白を引き合いに出せば、鈴加は猛烈に首を横に振った。
「あ、あれは! 友達ならずっと側にいられると思ったの! まさか弓弦くんがあたしを選んでくれるなんて夢見るほど図々しくなれなかったし!」
「は。じゃあ何か? お前に選ばれると信じて疑わなかった俺は図々しかったって訳だな」
ぴたっと鈴加の動きが止まる。期待に満ちた目を向けられ、弓弦はついに白状することにした。
「タイムカプセルの手紙に書いたのは本当のことだ。『お前のこと、友達と思ったことなんて一度もない』って言ったのは……それ以上にお前を大事に思ってた自分が惨めすぎて――少しも俺の気持ちに気付かないお前にムカついた腹いせだ」
「……!」
「それなのにお前は字面だけさらって真に受けて。泣きそうな顔してたけど、あの時泣きたかったのはお前より俺の方だからな。何が悲しくて告白された直後にお友達宣言だ! トラウマになったぞ」
10年間、鈴加のことばかり想っていたわけじゃない。それなりに女性と関係を持ったし、不自由を感じることはなかった。けけどふとした瞬間に鈴加への想いが燻り、煙のように充満していった。他の誰にも踏み込ませなかった境界線を容易く越えて心のど真ん中に居座ってきた鈴加を忘れることができなかった。彼女のためだけに用意された椅子は、空になってなお他者を拒んだ。はじめからそこは鈴加だけの居場所のように――
「覚悟、か……」
瞼を伏せた弓弦の長い睫毛が頬に影を落とす。オレンジ色の外灯に照らされ、二人のシルエットが夜闇の中で色濃く浮かび上がっていた。
気の遠くなるような時間――長い、長い葛藤の末に鈴加と再会した。彼女の望む相手との幸せを見届け、輝く未来への架け橋を作る――それが終われば自分は用済みで、何も知らせないまま姿を消すつもりだった。鈴加が笑顔を取り戻すことができるなら、どんな痛みも甘んじて受ける覚悟でプロジェクトNに加担した。だけど――
(『欲』なんてとっくに捨て去ったつもりだったんだがな……)
突然現れた鈴加の告白に、決意がぐらつく。否、もはや後戻りはできない。
「本当にいいんだな?」
「え……?」
「自分が何してるか分かってるかって聞いてんだ。いいか? 俺は知っての通り人が悪い。一度手に入れたものを手放すほどお人好しじゃないからな。後悔してやっぱり無理だって泣いても、絶対離さない」
ジリ、と距離を詰める弓弦の足取りは重かった。まるで一歩、一歩に警告を秘めるかのように。
「俺がどれほどお前に焦がれているか――知ればお前は逃げ出したくなるぞ」
「……っ」
視線が熱い――。
圧倒的に力の差がある捕食者に絡め取られる――そんな感覚に襲われ、頭の中で警鐘が鳴り響く。けれど燃えるような眼差しに射抜かれ、身動きができない。鈴加は乾いた喉を鳴らした。
「……離さないで。あたしを弓弦くんの『ヒロイン』にして」
「もう脇役はいやなの」と呟いた。次の瞬間、涙が溢れる。嬉しいのかホッとしたのか訳が分からず、ただ、自然のままに零れ落ちる滴を袖で拭った。すぐにふわりと――包み込むように抱き締められる。
「バーカ。この10年、脇役だったのは俺の方だ。お前は出逢った時からずっと……」
――俺のヒロインだったよ。
甘い囁きが耳朶を打ち、全身に衝撃が走った。これは夢? あの魔王が。意地悪で口が悪くて厳しくて素直じゃない、とんでもなく天邪鬼な弓弦が。
「な、なんかいつもと違うっ」
「優しい嘘はいらないんだろ? ありのままを見せてるだけだ」
「そんなっ」
「おいおい、この程度で焦ってたらこの先身がもたないぞ? お前を甘やかしたいのを必死で我慢してたんだからな。これからは遠慮なくいかせてもらう」
ギュッと抱き締める腕に力を込めた後、弓弦はキャパオーバーで茹でタコ状態の鈴加にフッと緩やかな笑みを向けた。愛しげに頬を撫でられ、弓弦のしなやかな指先が唇に触れる。これから起きることを予感し、鈴加は羞恥心で爆発しそうになった。
「待って、」
「……怖がらなくていい。どうしても怖いなら、俺にしがみついとけ」
コツン、と合された額から熱が伝わる。鈴加は顎を上向きにされ、瞼を閉じた瞬間、唇が重なった。
「好きだ」
キスの後で囁かれた一言に、体温は急上昇。ファーストキスだったのだが、余韻に浸る間もなく二度目、三度目のキスが落ちた。角度を変えながら、躊躇いがちだった触れ方がだんだん大胆になっていく。たまらず弓弦の背にしがみつき、鈴加は無意識に甘い吐息を漏らした。
「……あまり煽るな。止められなくなる」
「!!」
悩ましく告げられ、再び塞がれる唇。絶妙な力加減で求められ、逃げ腰になればさり気なく腰に回された腕と後頭部の手が逃がすまいと引き寄せてくる。恋愛偏差値ゼロの鈴加でも、弓弦が慣れていることに気付くのは早かった。
「さ、さっきの人は」
「単なる知り合いだ。安心しろ。俺が自分から触れたいと思う女は、世界中でお前だけだ」
「……っ、ずるい。そんな風に言われたら何も聞けなくなっちゃうよ……」
過去の女性関係をとやかく言える立場にないのは百も承知。それでも嫉妬してしまうのが女心というもの。微妙にむくれる鈴加の額に優しいキスをして、弓弦は笑った。もう長い間見せることのなかった心からの笑顔――全ての悲しみを忘れて傷を癒やしてくれるような温かい笑顔に――鈴加は心を奪われた。
「もうどこにも行かないでね。って言っても、弓弦くんをずっと繋ぎ止めておけるようなものなんて何ひとつ持ってないけど。弓弦くんを好きな気持ちだけは誰にも負けないよ」
へへ、と照れ臭そうにはにかんだ鈴加に、弓弦はほとほと呆れた。
「お前、まさか本気でそんなこと思ってるんじゃないだろうな」
「え……思ってる、け、ど」
「バーカ。んっとに何も分かってねぇな……」
あからさまにため息を吐かれ、ビクつく鈴加をジロリと睨み、それから真摯に見つめる。
「俺の望むものは全部お前が持ってる」
「……っ、そうなの?」
「聞くなよ!」
ぷいっと顔を背けられ、表情が見えなくなった。けれど不本意そうに照れているだろう弓弦のことを想うと、頬が緩むのを抑えられない。
「ねぇねぇ、和馬様の声で『愛してる』って聞きた、」
「調子に乗るなバカ橋ィィ!!」
「へぶぅっ!?」
甘い空気は霧散して、本日のチョップ第二弾を命中させた弓弦は完全に魔王モードに戻っていた。でも、もう怖くない。ニヤニヤしてしまう。
「何笑ってんだ気色悪ぃ」
「ひど! 彼女に向かってキモイは禁句!」
「うるせー黙れ二次元オタク! 言っとくがN様ごっこなんて死んでもやらんからな。はつコレのファンディスクも日本に戻り次第速攻廃棄だ」
「いーーーやーーー! それだけはご勘弁を~!!」
「和馬様との愛の軌跡が~!」喚く鈴加の目の前にふっと影が落ち、弓弦の顔が近付く。チュッと触れた唇に、鈴加は硬直した。見上げればヤキモチオーラ全開の超絶不機嫌な魔王様。
「和馬和馬和馬うるせーんだよ。……俺で我慢しとけ」
Critical Hit!!
百回は床ローリングできそうな台詞に鼻血を噴射しそうになり、鈴加は(萌え死ぬ……!)と鷲掴みにされた心臓を押さえた。
「切実にバックログ希望……!」
「はぁ?」
「今のもだけど! さっきも弓弦くんがす、好き…って言ってくれた時、いっぱいいっぱいで味わう余裕なかった!」
「なんだそんなことか。んなもんいらねーよ」
――お前が聞きたいなら何度でも聴かせてやる。
罪作りな笑みと共にやや強引に繋がれた手は、10年分の愛しさで溢れていた。
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