終.『悪くないな』


 ――朝は、昔から苦手だ。

 赤ん坊の夜泣きに振り回され、寝不足に陥ってる日はなおさらだ。


 薄い上掛けを頭に被ったまま、手だけ伸ばしてカーテンを開けようとしていたら、いきなり布を引き剥がされた。

 寝惚け眼をぼんやり開いて見あげれば、呆れたように見おろす瑠璃の双眸。


「……にいさん?」

「相変わらず不用心だな、ラディアス。今まではおまえ一人だったから、おまえが襲われても自業自得だとしてだ。赤ん坊を抱えてこれは、どうかと思うが?」


 ラディアスは、相変わらず説教臭い狼の暗殺者アサシンをきょとんと見ていたが、不意にへらっと表情を崩した。


「にいさん、相変わらず鼻利くなー……」

「……おまえは、ほとんどテレポートを使わないから、追い易いんだ」


 もそもそと起き出したラディアスは、曖昧に笑ってグラッドを見あげる。


「どんな条件付けて、ここに来ること許して貰ったんだ?」

「召還命令から一時間以内の、ブレシング・ガディスへの帰還だ」

「……そか」


 寝癖で滅茶苦茶な頭を指で掻き混ぜて、ラディアスは視線を落とし小さく呟いた。


「ゴメン」

「なに、おまえがテレポートで送ってくれれば、一時間どころか一瞬で済む」

「……そか」


 泣きそうに笑って、さんきゅと呟く。グラッドはそれを見、床に座り込んでベッドの端に肘を乗せた。


「それとドレンチェリーが、帰りが楽なようおまえも一緒に来ればいいと。来たら顔を出せと言ってたな」

「……ハイ」


 上掛けを引き寄せそれに顔を押し付けて、答えた声はくぐもっていた。泣いているわけでないのは分かるが。


「随分と懐いたな、おまえ。ドレンチェリーに」


 掛布に顔を埋めたまま、ラディアスはぼそぼそと答える。


「んー……、大好きだ、よ」

「……アレは元だぞ?」


 いや、だが今は女かそれともなんだ? と自問自答をしているグラッドを布の隙間から窺い見て、ラディアスはくすくすと笑う。


「そう言う意味じゃねーって。にいさんは、兄さんみたいで、姐さんは、姉さんみたいで、……この子だって大好きだからいいのさ」


 グラッドは黙って瞳を巡らし、彼の隣で手足をぱたつかせている赤ん坊を見た。


「なんだか成長が早くないか? ……名前は決めたのか」

翼族ザナリールって早いんだよ。あんまり強くない種族だからさ。……名前はね」


 ラディアスが抱き上げると、赤ん坊は子猫みたいな声で笑った。その子に頬ずりしながら、囁くように答える。


「ラァラ、ってんだ」

「……そうか」

「ジンさんとか、ヒビキ君とか、会いたがるよな? 見せに行ったら喜ぶかな」


 よもや自分を瀕死に追い込んだ剣士にまで、これほど懐いているとは。そう思ってグラッドは呆れ半分にため息をつく。

 この様子だと、ロンのことも存外怖がってはいないかもしれない。


「……おまえ、ラァラを連れて旅を続ける気なのか。国へは戻らないのか?」

「うん、戻らない」


 一瞬の沈黙と、グラッドの静かな問い。


「なぜだ? ラディアス」


 答えを期待してはいなかった。それでも訊いたのは、彼の笑顔があまりに切なそうだったからかもしれない。

 曖昧な笑みのまま、しばらく彼は沈黙していたが、ぽつんと言った。


「ぜんぶ滅びちまえって、――白い賢者も星の竜も、この世にあっちゃなんねーって思うから。かな」


 黙ってグラッドはラディアスを見る。襟刳えりぐりが大きく開いた薄着から覗く肩には、先日の傷など跡形もない。

 発動のため然るべき手順と儀式を必要とする【再生リジェネレーション】の魔法さえ、詠唱もなしで使えてしまう。

 ――それが彼らの守護者の実力なのだ。


「……俺、強くなっていつか、あの人を殺そうって思ってた時期があってさ。……けどやっぱり、魔法ではどうしたって敵うはずないんだ。彼はそれを知ってて、……だから俺に精霊魔法を教えたんだと思う」

「確かに、魔法では敵わなそうだな」


 グラッドの脳裏を、カミルに斬りつけたロンの姿が過ぎった。ラディアスもきっと同じ事を考えたのだろう。


「あのヒトに剣で傷を負わせたヤツなんて、初めて見たんだ。あの黒鷹なら、いつか彼を殺してくれるかもしれない――……なんて、こんなこと言うとまた、他力ーって怒られるのは分かってるけどさ」

「……ラディアス」

「でも、やっぱり《星竜》が滅びたら、妹が泣く。兄や、甥や姪や……、やっぱりあいつらの居場所で、大切な国だから、失くしたら泣く。――泣かせたくないんだ」

「だから、脅威になりそうな勢力を潰すのか。自分を囮にして。……馬鹿だな」


 淡々と言われ、彼は小さく笑った。


「妹はあの大帝国抱えて、世界を相手に戦ってるんだ。だから俺は妹の手の届かない場所で、危険因子を潰す。――はは、ホントに馬鹿みたいだ俺」

「なら、もうやめろ」


 グラッドは床に座って彼を見上げ、緩く笑んだ。


「世界の事は世界に任せておけ。裏の事は裏の住人に。おまえは医者だろう? ――なら、世界の事も裏の事も国の事も考えなくていい。ただ、怪我人と病人の事だけ考えてろ」

「……ん」


 彼は上掛けに顔を埋め、小さくうなずいた。


「分かった、考えてみるよ」





「そういえば、ラディアスおまえ、初めから私を利用する気だったのか?」


 こういう時だけは手際良くミルクの準備をしているラディアスを眺めつつ。

 漠然と気になっていたことを口にしてしまい、グラッドは後悔した。今さら蒸し返したところで意味のないことだ。――が。


「うん」


 あまりにあっさりとした反応に、無意識に手が出た。


「いてっ」


 軽く拳骨を落とされて、ラディアスは瞳を傾けグラッドを見上げる。

 今さら怒る気もないが少しは殊勝さを期待したい、と思う自分がそれこそ今さらな、自覚はあるのだが。


「好きでも嫌いでも、利用するのか貴様」

「うん、でももうしないよ」


 悪びれた様子もないのは腹立たしいが、これは本人自身が無意識無自覚なのかもしれないな、とあきらめ気分でため息をつく。


「嘘だな?」

「んー、わかんねぇ」


 へらへら笑いながら赤ん坊にミルクをやっている彼を見、グラッドは思う。


 ――嘘ではないのだろう。


 矛盾した思考も行動も、結局すべて本心なのだ、彼にとっては。

 行き先の定まらず拠り所のない、風。

 そんな不安定な魂に、この幼い小鳥は宿り場を与えることができるのだろうか。


「……彼女、先見さきみが得意だったそうだ」


 ヒトの心も最善の選択肢も、当座の事でさえ分からないのに、未来など分かるはずがない。そんな人族が未来を垣間見てしまうのは何故なのだろう。


「もしかして、全部見通してたのかもしれないな」


 青灰色の双眸は、彼を見て穏やかに笑った。それで、グラッドの自責がほんのわずかでも軽くなるのなら――そう思って、答える。


「うん、そうだったのかもね」






 気紛れに世界を吹き渡る旋風と、太陽の真逆に終始控える影法師のようなものかも、しれない。

 彼はきっと誰が何を言っても、不安定で危うい生き方をやめることは出来ないのだろう。

 自分も恐らく、この闇に包まれた裏世界から抜け出すことは無いだろう。

 本来なら交わる必要などない、住む領域の違う者たち。そんな二人だ、いつまで一緒にいるかなど分からない。


 例えば明日、朝目覚めて相手が姿を消した事に気づいても、きっと今度は捜したりしない、――どちらとも。

 それでいいのだろうと思った。




 幼い小鳥はまだタマゴから孵ったばかりだ。彼女が成長する頃には、この風来坊も少しは旅医者らしく成長するに違いない。

 翼族ザナリールの少女に叱りつけられているラディアスの未来の姿を想像して、グラッドは笑うように口元を緩める。



 それはきっと、そう遠くない未来に到来するだろう――……、それを見るために生き延びてみるのも悪くないな、と。


 狼の暗殺者アサシンは、そんな年寄りじみたことを思っていたのだった。






 END.

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