十三.風の望む場所へ


「アンタは、どこまで気づいていたの? ラディアス」


 昨晩は瀕死の重体だった癖に、一晩休んだらすっかり元気になった問題児は、ドレンチェリーに寄越された服に着替え、ついでに不揃いに伸びていた髪も切られ、見た目だけは別人のようだ。

 ジンが調達してくれた粉ミルクを湯に溶かしながら、ラディアスは彼女を見て懐っこく笑う。


「うんー、グラッドほとんど話してくれなかったから、背景的な部分については全然。けど、彼が彼女を殺してないってのと、グラッドが死ぬ気だったのは、分かったですよ」

「ふぅん。グラッドは確かにそんなカンジだったから分かるけど、彼が殺してないってのはどうして?」


 純粋な興味なのか試しているのか問い尋ねるドレンチェリーに、彼は一枚の紙を渡した。


「これさ、俺の枕もとに、このコと一緒にあったんです」


 怪訝そうにそれを受け取って開いた彼女は、きょとんと目を見開いた。


「……手紙?」

「彼の手紙ですね。……それ、守ってくださいでも、養ってくださいでもなく、愛してくださいって書いてあるんですよ。全部、込められてると思いません?」


 守り、育て、慈しんで、教え、養う。――そのすべてを、集約して。

 黙って紙を返すドレンチェリーを見て、彼は泣きそうに笑う。


「もしかしたら彼の子かもだし、そうじゃないかもだけど、好きな彼女の子をそんな風に思えるヤツが、自分勝手な情愛で彼女を殺すワケねーって、思っただけですよ」

「……アンタねぇ、泣きたいなら我慢せずに泣きなさいよ」


 穏やかに言い諭すように言われて。ラディアスは視線を手もとに戻した。


「我慢、てか。俺、泣けないんです」

「なんで?」

「サイテーの自覚、あるからじゃないかなー」


 ドレンチェリーは立ち上がり、彼の耳を指でつまんで引っ張った。


「いて」

「自覚あるんなら治しなさい? なんならアタシが教育してあげるわよぉ、手取り足取り」

「あは、あんまり無駄な時間割かねーほうが……ててて」


 放してくれない指に、痛さで呻きつつ視線で抗議する。彼女は指を放し、腰に手を当てて言った。


「そんなだから、黒サマに毛嫌いされるのよぉ? ウチの大将実力主義なんだから、甘えたこと言ってると本気で海に沈められるわよ?」


 一瞬沈黙し、ラディアスはまた笑った。


「仕方ねーや。あのヒトから見たら俺、サイテーどころか、クズ以下だろうから」

「分かった、アンタ、マゾでしょ?」


 ぴんと額を爪で弾かれ痛みに眉をしかめるラディアスの顔に、彼女はぐいと顔を寄せる。


「アンタ、大将やグラッドとは方向性違うけど、馬鹿じゃないし実力もあるでしょが。……どぉ? アタシの研究手伝う気があるなら、可愛がってあげるわよぉ?」

「…………」


 ラディアスは黙って目を見開き、至近に迫った美女の顔に気圧されるように固まっていたが、やがてにこりと人懐っこく笑った。


「俺、このコと出て行きますよ」

「なんで? グラッドが大将と交渉して、アタシに任せるって事でアンタをここに置いてもいいって言わせたのに?」

「――生きてくれるんなら、いいから、それで」


 泣けないという言葉を本当なのかも知れないと、ドレンチェリーは思った。態度も行動もことごとくサイアクなのに、彼は本当に、キレイに笑うのだ。

 扱いに困るのは事実でもグラッドが放っておけないのは、きっとこういう部分を知ったからなのだろう。


「言っとくケド、アンタ。捕まってるって自覚ある?」

「だってー、大将に失せろって言われたし」

「アイツが何て言ったって、アタシがアンタを解放しない限り、アンタは捕虜なの。オッケー?」


 強烈な美人に至近で凄まれて、ラディアスは緊張感なく、へら、と笑った。





 ――その剣は、『運命の剣イリーラ・ソード』という銘を持つ。


 彼らの守護者が与えた魂の自由を奪う枷であり、運命を守護者の望むままに導く呪いの魔法剣。

 手放しても、一定の時間を経過すれば手元に戻ってくるのだ――、まるで取り憑かれているかのように。


 手錠のはめられた手を机の上に乗せ、剣先を立てて継ぎ目に当てる。軽く勢いを付けて突き下ろすと、キンッ、と鋭い金属音を立てて手錠が壊れた。

 勢い余って皮膚が傷ついたが、ラディアスは布で縛って止血し、立ち上がる。

 幼子を抱き上げ、空いた方の手で荷物を持った。

 青灰色の双眸を細めて部屋を一瞥いちべつし、笑う。


「ごめんな。ありがと。バイバイ」


 唱えられた魔法語ルーンに迷いはなかった。景色が揺らめき割れ、一瞬のうちに部屋は、誰もいない空間になっていた。





 《黒鷹》の執務室。様々な書類に目を通していたグラッドが、不意に顔を上げる。その気配に、ロンもつられて顔を上げ彼を見た。


「どうした?」


 グラッドは黙って立ち上がり、紙の束を纏めて揃え、執務机に置いて、言った。


「言った通り忠誠は誓う。だが、ここに住む事は出来ない」

「……どういう事だ?」


 不機嫌そうに睨むロンの双眸をまっすぐ見返し、グラッドはわずかにため息をついた。


「私はもう暫く、あいつに付き合ってやりたいんだ」

「あれなら、ドレンに任せて置いてもいいと言ったはずだが、忘れたのか?」


 ラディアスの話になると、殺気を帯びて機嫌が降下する。普通の人なら泣いて逃げ出すほどに、だ。


「自主的に出て行ったようだ。追って連れ戻すと言うなら私が出て行く理由もないが、そこまでは要らんのだろう?」


 ぺき、とロンの指の間でペンが折れた。彼はグラッドの問いには答えず、低い声で唸る。


「貴様がそこまであれに執着するのは何故だ? あれのどこにそれ程の魅力があるのだ? そうやって貴様らが甘やかすから、ますます付け上がるのだろう……!?」

「執着――なのかは分からん。自分でも」


 グラッドは呟き、口もとだけで笑った。


「あいつの意図には正直驚いたし、腹も立った、私だってな。だが、元を正せばあいつは巻き込まれただけだ。自分のでも、まして恋人でも、知人ですらない女の子供を押し付けられて、だがあいつは一度も、それを迷惑がることなく愚痴も言わず、むしろ命懸けで守ろうとしたんだ。好悪の情など所詮主観に過ぎんから、理解してくれとは言わない。だが、おまえが自分に理解できないモノを頭ごなしに否定するような男なら、私の方でそんな主人は願い下げだ」


「調子に乗るな、狼!」


 がつん、とロンの拳が机を叩いた。椅子から立ち上がり、怒りの燃える双眸でグラッドを睨み付け、《黒鷹》の頭は凄絶に笑う。


「――口の減らない獣だ、モノの言い方に気をつけろ貴様。主人を呼ぶ時は『ロン様』と言え、タメ口を叩くな! ……良かろう? 拘束は解いてやる、好きな場所に行って住み着くがいい。ただし」


 猛禽の目が瑠璃の双眸を睨み据える。言葉にされたのは、魔力をはらんだ呪縛の魔法語ルーン


「どこにいようとも、俺様の呼び出しを受けて一時間以内に馳せ参じない場合は、死ぬより辛い苦しみが待ち受けていると思え」


 狼の暗殺者アサシンはそれを聞き届け、瞑目めいもくして頭を垂れた。


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