九.白き守護者


 ジンが、全身に警戒をみなぎらせてロンの隣に立つ。その二人の眼前に音もなく、細身の人影が現れた。

 黒の城主とはまるで真逆な、白い髪と白い衣装、線の細い魔族ジェマ。透けるような白い印象の中、深紅の双眸だけが禍々しく美しい。

 ジンの顔から血の気が引く。ロンは造りモノめいた笑みで彼を見、言った。


「出たな。……《星竜》の守護者」


 大柄のロンと対峙するといっそ女性に見えるほどなのに、圧倒される程の畏怖を与える、存在感。白い魔族ジェマは二人を見て艶然えんぜんと笑う。


「私の物を、随分手酷く扱ってくれたようだな。当然、返礼は覚悟の上なのだろう?」

『やめろ、白き賢者。……そいつが帰れと言っても帰らなかったんだから、自業自得だ』


 苦々しく呟くグラッドを、ロンは睨み付けて言った。


「これが狙いなのか? 《闇の竜》は」

『……そう言われるから、嫌だったんだ』


 黒狼は無理やり身体を起こし白き賢者に向き合う。彼は、薄く笑んだまま狼を見た。


「経過に興味はない。可哀想に……、死に切れず苦しんでいるじゃないか? 私は、とっとと此処を片付けてを連れ帰りたいのだよ」

『本当に、……性悪なんだな、貴様は』


 悪意のにじむ物言いに苛ついたのか、グラッドの声に怒りが混じる。ロンも苛々したように手を剣に掛けた。


「違うというなら説明しろ、影縫カゲヌイ! 向こうがこちらを潰す気なら、俺とて黙って見ているわけにはいかんのだ」

『ああ、すまない。……私も利用された、それだけの話だ』

「何?」


 黒狼は怒ったように耳を引きつけ、喋ろうとして再び血を吐いた。唸るように続ける。


『ラディアス何か言え! 白き賢者が――いや、おまえが、ここを潰すつもりなら。私は』


 べったりと血濡れた毛皮、内蔵も深く損傷していることだろう。本来なら動けるはずもない状態で、黒狼は立ち上がって白い魔族ジェマに向かい合った。


『私は、《黒鷹》に付くぞ。おまえは私が死んでもいいのか』

「動くな、本当に死ぬぞ」


 ロンが言ったが、グラッドは瑠璃の瞳で彼を見返し、言った。


『私は死にに来たんだ。……が、おまえたちを道連れにするなんてのはゴメンだ』

「……にいさんが言うこと、聞いてくれないからじゃんか……」


 細く息が抜けるような、ラディアスの声。カミルがふ、と笑んで、魔法語ルーンを唱える。

 ――途端、グラッドの傷が塞がり折れた手足が元に戻った。ロンの足も、同様に。


『……っ! 貴様、私を治癒するくらいならそいつを治したらどうなんだ!』

「私は、性悪なのでね」


 白い魔族ジェマは、口もとだけで薄く笑う。


「救命など、死んでも願いたくないそうだ。そんな可愛くない子を助けてなどやらんよ。報復として《黒鷹》を殲滅した後、死体を持ち帰るだけだ。だがおまえは面白い事を言う、黒銀の狼。故に、今回は特例だ。ラディアスが死ぬまで猶予をやろう。この子ラディアスに望みの撤回を言わせてみろ、黒銀の狼と黒の鷹」

「……やはり話がよく見えんのだが? しかし白き賢者。貴様と、そこの死に掛けと、世に稀に見る卑劣な男だというのは、よく理解したぞ」


 憤然と言ってロンは剣を引き抜いた。ジンも、主人に倣う。グラッドは無言で血の海の中横たわるラディアスの側に行き、その口もとに耳を寄せる。

 あふれる血は止まらない。辛うじて意識を保っているのか既に昏倒しているのか、遠目からは判断つかない状態だ。狼は低く言葉を続ける。


『自由が欲しかったのはおまえか、ラディアス。聴き取ってやれなかったのは私か。……おまえは、滅びの剣の守護を利用して裏の組織を潰していくつもりなのか』


 武器も魔術具も一切持たず、白き賢者は黒い魔族ジェマの前で、ただ悠然と立っていた。その姿は無防備なのに、――同じ吸血鬼ヴァンパイア魔族ジェマなのに、その視線に呪縛され身体が動かない。

 それが口惜しくて、ロンの双眸は怒りを宿し険しくつり上がっている。


『敢えて死に近い場所へ突き進むのは、生死を弄ぶ守護者への当て付けか? その反面、その守護つるぎを自分の目的を果たすために利用するのか。……見た目によらず屈折しているな。おまえは』


 虚ろに目を開けたまま、ラディアスの瞳がわずかに動いて黒狼を見た。痛みではない苦痛に表情を歪め、息が抜けるだけの声が何かを囁く。

 その言葉はロンにもジンにも聞き取れない。恐らくカミルにさえ。


『阿呆』


 狼が、言った。


『おまえが私に約束したもの、そんなモノは本当は簡単に手に入るんだ。ラディアス、もう暫く付き合ってやる。……だから、自分の命を取引の材料にするのは、もうやめろ』


「……っかんねーよ」


 掠れる声が、微かに空気を震わせ、届いた。


「死にたい。……でも、まだ死にたく、ないよ」


 途端、ぽぅと金の光がラディアスを包む。グラッドが離れた場所にあった彼の片腕をくわえて側に置いた。

 白き賢者は、酷薄と言ってもいいような笑みで囁く。


『死なせないよ。私が、飽きるまでは』

「とっととそれを連れて出て行け白き賢者、さもなければ、貴様の首が胴から離れることになるぞ」


 怒気混じりのロンの言葉に、カミルはふ、と笑う。


「元気の良いことだなロン・クリシュナ。望みは撤回された、今回は私は帰るよ。次があるのなら、せめて魔族ジェマらしく魔術を磨いておくのだな」

「余計な世話だ!」


 怒りに任せたロンの剣が鋭い三日月を描き、カミルの白い髪が数本切れて、落ちた。すぅっと額に滲む朱の線を無造作にてのひらで拭い、彼は面白がるふうに口の端をつり上げる。


「私が、首を切られて死ぬと思うか?」

「……死ぬだろう普通は」

「はは、そうだろうな」


 ゆらりと再度、空間が裂ける。白き賢者はするりとその裂け目に身を滑り込ませ、かき消すように消えてしまった。


「二度と来るな疫病神!」


 忌々しげに言い捨てるものの、どうしようもない安堵感を誤魔化すことはできない。ロンは深く息を吐き出して、置き捨てられた元凶を睨みつける。

 傷は塞がったものの全く身動きできないラディアスの傍ら、黒狼は瑠璃の瞳で《黒鷹》の二人を見て呟いた。


『まったく。生き延びた挙げ句、これだけ貸しを作ってしまって』


 ロンはそれを聞き逃さなかった。不機嫌の絶頂だった表情が変化し、口もとが機嫌よさげにつり上がる。


「外傷が塞がっただけだ、どうせ駆け回る余力などないだろう? ……ジン! あの狼をとっ捕まえてやれ!」

「は、はい……?」


 その場を支配していた殺気が失せたせいかどこか茫洋としていた剣士は、気の抜けたような返事をしつつ座り込んでいるグラッドの側に行き、覗き込むようにして言った。


「そう言う訳ですから、一緒に来て頂けますかね」

「暴れるようなら、鉄製の首輪も用意してやるぞ?」


 まるで悪戯を思いついた子供のように楽しげなロンの様子を見つつ、グラッドはうんざりしたように唸る。


『首輪はいらん。どうせなら衣服を貸してくれ』

「何を言うか。貴様はその姿が最高に魅力的だ、しばらく獣のなりでいろ」


 立ち上がりジンの後に付いて歩き出しつつも、グラッドは振り返って、放心したように床に倒れ込んでいるラディアスを見遣った。


『黒鷹。この期に及んで図々しいとは思うが、……あいつをどうするにしろ、一度ゆっくり話をしたい。追い返す前に会わせてくれ』

「ああ、善処しよう」


 政治家みたいな彼の答えに、黒狼グラッドは再度、重くため息をついた。


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