八.黒鷹 対 黒狼


「――誰ですか」


 奥の壁際、机に向かう魔族ジェマの男と、側に控える上背のある人間フェルヴァーの剣士。

 穏やかながら強い誰何の声を上げたのは、剣士の男の方だ。机に向かっていた魔族ジェマが顔を上げこちらを見る。


「《闇の竜》の『影縫カゲヌイ』と言えば分かるだろう。探しモノがあって来た」


 ここまで来てなお変わらぬ落ち着いたグラッドの言葉と様子に、剣士の男は柄に手を掛けた。カチリと金具が鳴る。

 それを制するように、傍らの魔族ジェマが立ち上がった。黒髪に、射るように鋭い漆黒の双眸。遠目からでも解るほどに大柄で存外に若い。


「まぁ、待てジン。――貴様ら、どうやってここに来た?」

「『死蝶』のドレンチェリーが案内してくれた。おまえが《黒鷹》の頭、ロン・クリシュナか」


 ドレンチェリーの名が出た途端、彼は忌々しげに舌打ちしたが、グラッドの問いには首肯を返した。


「いかにも、俺がそうだ。それで、その後ろのは何だ?」


 黒く鋭い両眼がラディアスを睨む。グラッドは瑠璃の目を巡らせ、言った。


「こいつは、医者だ」

「……医者? そんなもの何故ここに連れてきたのだ?」

「そういう事情があったのさ。こいつには構わないでくれ」


 よく分からん、という風な表情で見るロン・クリシュナを、グラッドは睨むでもなくただまっすぐ見、言った。


「人を捜している。遠見の得意な翼族ザナリールの女が、夜の間に殺された。……犯人を知らないか? ロン・クリシュナ」

「……ほぅ? 貴様は彼女の、何だ?」


 猛禽もうきん類を思わせる、普通の人であれば萎縮してしまうであろう鋭い双眸。彼の凄みのある笑みを向けられても、グラッドは表情を変えない。


「彼女の幸福を願っていた、たくさんの男の一人だ。特にどんな関係もないがな」


 ロンの表情が、わずかに緩む。


「……あれは、気の毒な事件だった。朝になれば囚われと苦しみから解放され、この俺様の元で幸いを得られるはずだったのに。よりによって前夜に殺害され、しかも夜の内に火葬にされてしまい、一目逢うことすら叶わなかった――……」


 グラッドが無言で目を伏せる。ロンはその彼を強く睨んで、低く言った。


「あの殺しは《闇の竜》の差し金か? おまえほどの実力者が止めもせず、しかも他人事のように犯人捜しだと!? ふざけるな!」

「――そうだな。私が止めていれば良かったのかも、知れない」


 グラッドが細く目を開く。ひくり、と耳が動き、思わずラディアスが隣を見た、その一瞬のうちに。溶けるように彼の姿が変化した。

 四肢が細く伸び、顔が変形し、毛が伸びる。

 瞬き程度のわずかな時間で、そこに現れたのは黒銀の狼。獣は千切れた衣服を噛み破って振り捨てると、ぐ、と姿勢を低くした。


「……ロン様、お下がりください」


 傍らの剣士――ジンと呼ばれた人間フェルヴァーが抜刀する。ラディアスも唇を噛んで、なぜか取りあげられなかった自分の剣に手を掛けた。


『手を出すな、ラディアス』

「にいさん、知りたいこと分かったのか」


 狼は答えず、弧を描くように数歩、進み出る。ロンも、口もとを笑むように引きあげ、剣を抜いた。


「ふむ、おまえは先日の銀狼よりは出来るようだな。だが目的が分からん。仇討ちか?」

『――いや。ただの弔いだ』


 黒狼は唸るように呟き、床を蹴ると同時に吠えた。それを迎え撃とうとしたジンの影が、不自然な形で静止する。


「なっ……、【影縫いシャドウ・バインド】、か!?」

 影をその場に縫いつけるだけの初級闇魔法だが、移動がままならないため敏捷な獣の動きに応じきれない。

 ジンは即断で剣をあきらめて、懐から短剣を出してグラッドに放った。

 刃が毛皮を切り裂き鮮血が散ったが、勢いは止まらず――、黒銀の狼はまっすぐロンへ飛びかかる。


「――ッ!!」


 喉元を狙った黒狼の牙を柄で受け勢いを殺し、ロンは獣の胴を強く蹴り飛ばした。

 ぐぅと呻いて狼は吹き飛び、だが転がると同時に跳ね起きた。銀光がきらめいて、獣の傷が幾らか塞がっていく。


「グラッド! 死ぬ気ならやめろ!!」


 黙って見ていられず駆け寄るラディアスを、黒狼の瑠璃の瞳が睨んだ。


『生き死にを他人に指示されるのは不愉快だ。おまえにもだラディアス』


 答えを待たず、跳躍し再度ロンに飛びかかる。その牙が自分に届く前に剣を割り込ませて弾きつつ、隙あらば刃を翻し黒銀の毛皮を切り裂き血に染めていくロン・クリシュナは、真剣でありながらもひどく楽しそうだ。

 いまだ魔法の影響下から抜け切れないジンは、剣の軌跡を紙一重でかわしながらしつこく食い下がる狼の様子に、焦燥をにじませ叫ぶ。


「ロン様っ、私に【魔力解除ディスペル】を! そやつはただの獣ではないゆえ、侮れません!」

「確かに、さすがの俺も猛獣との実戦経験はそれほどないしな! だがあの魔法は接触しなければ効果を発動せんのだ、仕方ないから自力で早く抜け出せジン!!」


 負ける気はしないが余裕もない、というところだろうか。ジンは狼の気を逸らせようと再び短剣を手に取る、そこへ。


「――っ、手ぇ出すなっ!」


 ラディアスが剣を構えて、ジンと狼の間に割り込んだ。


「……やめておきなさい。構えからして初心者の貴方に、何が出来るとも思えない」

「いいんだ、邪魔できれば……」


 歴然とした力量差にも怖じける様子のない彼を見、ジンは解せないという風でわずかに眉をひそめた。

 かといって邪魔立てを見過ごす理由もなく、和刀と呼ばれる長い剣を引き抜いて構える。

 その気配を察して、黒狼が不意に吠えた。


『斬るな、そいつは《星竜》だ!』

「何ッ!?」


 その言葉にほんの一瞬だけロンの意識が逸れた。――それぞ狼が、付け入れるごくわずかな隙を見出みいだすくらいには。そして獣の目はそれを見逃しはしなかった。

 ラディアスが、悲鳴に近く声を上げる。


「グラッド!!」


 薙ぎ払われた刃をかいくぐり、黒狼がロンの足に食らい付いた。その身体を遅れて彼の剣が刺し貫き、床に縫い付ける。

 力ずくで引き剥がした右足から、激しく鮮血が吹き出した。


「――ロン様!!」


 ジンの声が切迫して響く。

 魔力を打ち破るのはいつだって人の意志だ。ジンの忠誠心は、その一瞬に闇魔法の束縛を凌駕りょうがした。


 影を振り切りロンの元へ駆け寄ると、黒い獣を両断せんと刃を振り下ろす。その閃く銀の軌跡の先に不意に現れた、空の色の遮蔽しゃへい物。

 ざ、と肉を裂き骨を断つ鈍い音が耳に届く。

 紅く鮮血が飛び、視界を空色が掠め、ざぁっと返り血が降って顔を濡らした。血を撒いて視線の先に落下したのは、青灰色の竜の翼。

 予想外の出来事に理解が追い付かず茫然となる思考を引き戻したのは、上司の声だった。


「ジン、大丈夫だ。たいした傷じゃない」


 ロンの強い声を認識し不意にクリアになった視界に、青灰色の翼竜ワイバーンが立ちはだかっているのを見る。――どこから、やってきたのか。

 血濡れた剣を提げ、右足を獣の牙で噛み千切られながらもしっかり立つ黒い魔族ジェマの足下には、血溜まりに倒れ伏す黒銀の獣。いまだ意志のかげらぬ瑠璃の瞳がジンを見ていた。


『――止血してやれ、そいつは裏の住人じゃない』


 人であれば喉から込み上げる血で音にならないところだが、獣型時の獣人族ナーウェア心話テレパシーに近い話し方らしい。

 ロンはどこか玩具を取り上げられた子供みたいに不満げな顔で、黒い獣と青灰色の竜を見る。


 ゆらりと輪郭が溶けて、青灰の翼竜は青年の姿に変幻した。崩れるように床に倒れ低く呻くラディアスは、左の肩辺りから断ち切られて腕がない。

 傷口からの鮮血が止まらぬ彼の姿を見て、ジンはようやく、魔族ジェマの青年が本性トゥルースになり自分と狼の間に割り込んだ事を理解した。

 複雑な思いで剣の血糊と返り血を拭き取り、刃を鞘に収めて主君の言葉を待つ。

 ロンは剣を拭って収め、淡泊に答えた。


「無理だな。医術で何とかするには傷が深すぎるし、俺は魔法が不得意だ」


 ぐぅ、と唸って狼は立ち上がろうとしたが叶わず、血溜まりに頭を浸けたまま低い声を漏らした。呼応して銀光がラディアスを取り巻くが、ほとんど効果が現れない。いや、効果が追い付いていない。


『まだ、生きているだろう?』

「そうだな。生きている内に貴様は目的を言え。襲撃の意味も解らずこのまま死なれては、寝覚めが悪い」


 グラッドとラディアスの傷の差は、殺すつもりは無かったロンと殺すつもりだったジンの心理の差だろう。狼はがふりと血を吐いて、呻く。


『死に場所を選びに来たんだ、私は。そいつは邪魔しに来たんだが。死ぬつもりの私より、あいつの方が死に近いなんて、皮肉もいいところだ、死なせていいのか? 貴様は』

「俺? ……そうだな。助けてやっても構わんが、――死なないのだろう? 《星竜》は」


 笑うように問われ、黒狼は瑠璃の瞳をすがめて、唸る。


『死なない、ワケではない』


 失血のせいで蒼白を通り越し生気を失っているラディアスが、薄くまぶたを上げた。瞳だけ動かしグラッドを見て、ふ、と笑う。細く細く、息の抜けるような聞き取れない、声。

 グラッドの耳が、ぴんと立った。


『――ッ! やめろラディアス』

「……なんだ?」


 血溜まりの中、無造作に落ちていた黒曜石の剣が、ちかりと銀光を纏う。その光は陽炎が立ち上がるように形を変え、空間を歪め――……


 扉が開くように、一瞬景色が裂けた。


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