七.『死蝶』の案内で


「趣味良く造り替えたな」


 中に入っての第一声。ラディアスは怪訝そうに、辺りを見回すグラッドを見つめる。

 魔族ジェマの使うテレポートは属性依存の転移魔法と違い、無条件で場所を選ばない。しかしそれでも、明確に思い描くことの出来ない場所へは移動できない。


 ラディアスは、『ブレシング・ガディス』内の一般客が出入りする一階にしか入ったことがなかった。

 この城の広い中庭では定期的にイベントが行われ、建物内にはスタンドバーやブランドショップ、様々な娯楽施設が入れてある。度々出入りしていれば、広い敷地内もある程度把握出来ていたのだろうが、あいにくラディアスがここに来たのは数える程度だ。

 階上には、喫茶店や宿泊施設もあるが、価格単位がオカシイんじゃないかと思えるほど、高額なので、やはり行ったことはない。


 地下へ下るにつれ、飲食街、賭博場、非合法の各種取引所、そして非関係者立ち入り禁止領域と続く。グラッドが向かったのは地下の方だった。

 警備員も配備されており、一見では判らないような通路を、彼は器用に人を避け奥へ奥へと進んでいく。

 黒基調の内装を眺めながら、グラッドは低い声で囁いた。


「元は《闇竜》の居城だったと言っただろう? 前の城主は趣味の悪い男でな。当時から比べれば随分とマシになったと、思っただけだ」

「にいさんって、ここの深部に入ったことあるのか、つまり」

「ああ。私も奴も、当時出入りした事はある。奴を捜すには、もう少し降りないと駄目だな」


 真っ昼間だからか、人気は少なくはないが非常に多いわけでもない。とは言っても対立する組織の本拠地だ、グラッドの耳は緊張したようにぴんと立てられている。


「にいさん、本気で乗り込むのか?」

「おまえのテレポートは、壁や屋根があっても使えるんだろう?」


 ラディアスが頷くと、グラッドは薄く笑った。


「まぁ、気づかれるかも知れんが。【魔力探知ルーンサーチ】はまだ使えないのか?」

「まだだなー。でも、精霊の動きは分かるから、大雑把には分かるけど」

「それなら、魔法不発動の結界にだけ気をつけて、いざとなったらおまえはテレポートで逃げろ。《黒鷹》の総帥は魔族ジェマだ。この広い敷地内で、移動魔法を封じる結界はむしろ邪魔だしな、要所以外は仕掛けてはいないだろう」


 何とも大雑把な方針だ。が、グラッドは緊張こそあれ焦る様子はない。

 ラディアスの方は、彼の様子より言葉が不満で、軽く眉を寄せる。


「もしかして、なんも考えてねーの? 今さら俺だけ逃げろとか言うなよ」


 それを一瞥いちべつしただけで、狼の暗殺者アサシンはさっさと歩き出してしまった。


「ちょ、グラッド」

「うるさい、声を上げるな。騒げば怪しまれるぞ」


 それを言われれば何も言えず、視線で不満を訴えるラディアスに、彼は言う。


「事実がどうであれ、おまえが手を出す必要はないし、手を出す権利もないと覚えておけ。おまえは、裏の住人ではないんだからな」






 グラッドが何を考えているかつかめないので、ラディアスは黙って後を着いていくしかない。

 無造作に進んでいる風でありながら、彼は迷路のような構内で迷うことなく道を選んでいる。

 時々、物陰にラディアスを引き込んで息を潜めたり、ぐるり大回りしたりと、明らかに人目を避けているのが分かる。けれど、どうやって気配を察しているのかは分からなかった。


 不用意に喋って彼の思惑を妨げてはいけないので、ラディアスは終始無言で彼に従った。そうやって、階段を下ったり暗い通路を通り抜けたりして、どれくらい階下へ下ったのか。

 グラッドが、不意に足を止めた。

 疑問符を浮かべて自分を見る連れに、薄く笑んで、言う。


「本当に、ここで帰れラディアス。この先は私一人の用事だ」

「……ニオイ、するのか?」


 狼の暗殺者アサシンは、それにはっきり頷いた。


「少し前から気づいてはいたが。この先は今までと違い、警備が格段に堅くなる。素人のおまえには危険が過ぎるな」

「仇討つのか?」


 囁くように問うラディアスに、グラッドは瞳を向けて低く答えた。


「ここまで来て分かったのは、奴が城内で血を流し死んだ、という事実だけだ。仇が誰かまでは判らん……、そもそも仇が存在するのかも」

「――なら、どうしてそんな確信めいて話すんだよ」


 ラディアスの声が無意識に高くなる、とその時。


「あらぁ。誰かと思ったら《闇の竜》の『影縫カゲヌイ』じゃない? カタギのボウヤなんか連れて、こんな所でナニしてんの」


 甘ったるく囁く声だ。びくりと固まるラディアスの隣、グラッドは表情を変えず、声のした方に瑠璃の目を巡らせた。


「こんな場所でいきなり大物に出くわすとは、驚きだな」


 そこに立っていたのは、見事なブロンドに長身の魔族ジェマの女だった。かなりの美人なのに、声はどこか不似合いなハスキーヴォイス。

 彼女は、唇を引き上げて面白がる風に笑った。


「アンタひとりなら、人に紛れて気配が分かんなかったかもしれないわね、カゲヌイ。見習いさんの研修にココはちょっと、レベル高すぎるんじゃないかしらぁ?」

「そうかもな」


 狼の暗殺者アサシンはそう言って薄く笑む。


「《黒鷹》の片翼、『死蝶』のドレンチェリーか。私が来たのは探しモノのためだ。最近ここに、宝玉をくわえた狼が迷い込まなかったか?」


 瑠璃の双眸に宿る、剣呑な光。ドレンチェリーと呼ばれた魔族ジェマは、片眉を上げてそれを見返す。


「他人サマの敷地で悪戯が過ぎるワンちゃんは、オシオキされても文句言えないんじゃなぁぃ?」

「ふうむ。ではここで悪戯をし過ぎて、狩られたか?」


 一瞬沈黙が張り詰め、彼女はくすりと笑った。


「迷い込んで悪戯したくらいで手討ちにするほど、ウチの大将は狭量じゃないわよぉ」

「確かに、そうなのだろうな」


 不穏な緊迫感が、その場に満ちる。グラッドが、低い声で囁いた。


「帰れ、ラディアス。邪魔だ」

「……いやだね」


 変な所で頑固な連れに彼は、視線はドレンチェリーに向けたままで苛々と唸る。


「おまえは何がしたいんだ」

「にいさんを、《黒鷹》に取られたくない」


 その答えに、呆れたようにグラッドは、ラディアスを見た。


「いい加減にしろ阿呆」

「アンタたちねぇ、こんな所でナニ入ってンのよ」


 どうやら囁きの中身は相手にも聞こえていたらしい。狼の暗殺者アサシンは傍目に分かるほど大きなため息を吐いて、ドレンチェリーに目を戻した。


「黒鷹の獲物を掠め取ろうとしたハイエナは、制裁を受けたか」


 答えはなく、彼女の瞳がすぅっとすがめられた。


「なにしに来たの? カゲヌイ」

「言ったろう? 探しモノだと。宝玉をくわえた狼を捜している、迷い込んだのなら連れ帰るために。だが――」


 かちりと、グラッドのサーベルが微かに鳴った。


「返せないというなら、力ずくで捜させて貰う」

「オススメ出来ないわねぇ。街中ならともかく、ここでアンタに勝ち目はないわよ?」


 余裕を滲ませる――、いや、どちらかというと状況を楽しんでいるような笑みを浮かべて、彼女は言葉を重ねる。


「アタシは現場にいなかったから、ちょっと答えはあげられないケド。なんなら大将に直接うかがってみたらどぉ? ただ、万が一にも道覚えられたら困るから、アタシにしか使えない転移魔法陣テレポーターで、行って貰うけどね。つまり、行ったら最後、逃げ道はないってワケ」


 試すようにそう言って、ドレンチェリーの金の双眸が狼の暗殺者アサシンを見た。


「逃げるくらいなら初めから来ないさ。では頼む」


 ためらう素振りもなく即答し、グラッドはラディアスにもう一度視線を向ける。


「帰れ」

「いやだ」

「子供かおまえは」

「この期に及んでナニしてんのよアンタたち」


 押し問答の間にドレンチェリーの声が割り込んで、グラッドは複雑な表情で黙った。何か考えているらしく、眉間にしわが刻まれている。


「あぁ、なーんか見覚えあると思ったら、アンタ、《星竜》の次男じゃない」


 不意に言い当てられ、ラディアスは彼女に視線を移した。


「俺も一緒に連れて行ってくれないなら、今すぐにいさん連れてテレポートで帰りますんで」

「……えーっと、それで困るのはアタシじゃなく、そのおにーさんじゃないの?」


 呆れ声に被さるように、グラッドが【魔法封じシーリング・ルーン】を唱える。


「な、……っおいグラッド!」

「テレポートは私が行ってから使え。着いてくるな帰れ」


 そう言って、二人を交互に見るドレンチェリーより先に歩き出してしまった。


「ナニ企んでるの? ボウヤ」


 まるで捨てられた子犬みたいに消沈した目で、ラディアスは曖昧に笑う。


「死んで欲しくないだけですよー」

「……まァ、あんたたちのセカイに口出すつもりはナイケド、ここで一人うろうろしてたら危ないわよぉ?」


 彼女はそう言って、くるりと方向転換し手を振った。


「早いトコ帰りなさいな」

「……姐さん、俺も一緒に連れてってくださいよ。でなきゃ強行突破しますよー」


 ドレンチェリーは足を止め、振り返る。


「ヒヨコのクセに、アタシを脅す気?」


 ラディアスは、にぃと人懐っこい笑みを浮かべて、彼女を見返した。


「ですねー。これは一種の脅迫かもしれねーですよ」


 引き下がらない魔族ジェマの青年を、彼女は値踏みするように見ていたが。


「そうねぇ。ヤケになって暴れられたら、実力如何の問題じゃなく被害甚大……な、《星竜》だったわね。いいわぁ着いてらっしゃい、ただしアンタの魔法は封じさせて貰うわよ? 差し当たって、三十分くらいはね」


 言葉と同時に、ドレンチェリーの指にあるリングのひとつがぽぅっと光った。ラディアスは眉を寄せて唸る。


「あっひどい」

「ナニ言ってンの。ウチとしてはアンタなんて連れてっても、百害あって一利なしなんだから。むしろ感謝して欲しいくらいだわ」


 楽しげに笑って、彼女は顎をしゃくった。


「さ。道案内さえ置いてっちゃうなんて、相当急いでるんでしょ? カゲヌイは。早く着いてらっしゃいな」






「どうして追い返さなかったんだ、ドレンチェリー」

「そんなのアタシに言わないでよ。アンタの連れでしょ? カゲヌイ」

「私はいいさ、鬱陶しかろうが連れだ。だがおまえたちにとっては、懐に火種を囲い込むようなモノだろうが」

「あら、こっちの心配までしてくれてアリガト。だって、置いてったら上の階で暴れるって言うんだものぉ。それで藪蛇やぶへびになっちゃったら、あとで大将に怒られるのアタシじゃない」

「確かに、状況理解のあるおまえの視界内の方が、賢明なのかも知れんが」

「……なにも、聞こえる所で言わなくたっていいじゃないか、傷つくなー」


 後ろでぼそぼそと抗議するラディアスを、グラッドは視線を傾け軽く睨んだ。


「見届けるのは構わん、だが手は出すな。さもないと、今度は【永眠スリープ】にするぞ」

「グラッドこそ、俺相手に魔法力無駄遣いしなくていいって」

「ホント、仲良しねぇアンタたち。心の準備は大丈夫なの?」


 ドレンチェリーがため息混じりに声を掛ける。そしてグラッドを見た。


「武器は預からせて貰うわね、カゲヌイ」


 彼は黙って腰のサーベルを外し、彼女に渡した。それを受け取って、彼女は真横の壁に手を触れ艶やかに笑う。


「幸運を祈ってるわぁ。いろんな意味で、……ね」


 ゆらりと足下のタイルが発光し、魔法陣が浮き上がる。それが二人を呑み込み――、一瞬のうちに二人は、広く大きな部屋に立っていた。



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