六.黒鷹の居城
何か夢を見た気はするが覚えていない。
目が覚めた時には既にカーテンの開いた窓から強い日差しが射し込んでいて、グラッドの姿もなかった。
無意識に探った胸もとに変わらず布包みがあるのを確認し、起き上がる。
朝はいつも、身体の目覚めに意識の覚醒が追いつかない。
「まだ起きないのか」
呆れたような声と共に、扉から狼の
「……今、起きた」
「低血圧か? 不用心なのも大概にしろ」
グラッドは冷たく言い放つと、何かを放って寄越す。反射的に受け取って見たら、パンの切れ端だった。
「ありがとー。でも、起き抜けに喉通らないや」
「それなら勝手にゆっくり食え。私は行く場所があるから先に出る、戻って来ないから、おまえも適当な時間に出るといい」
無感情なグラッドの言葉に、ラディアスは一瞬息を詰めて、彼を見上げた。
「……どこ行くんだよ?」
「《黒鷹》のアジトだ。気になることがあってな」
ちょいと隣まで、みたいな口調で、グラッドが答える。
「乗り込むのか?」
「情報が得られなければ、忍び込むつもりはあるさ」
自分とは別の意味で緊張感のない彼に、ラディアスは何か言おうとして言葉が纏まらず、唸った。
「やめろよー……」
「天下の《黒鷹》だって、上から下まで精鋭で固めてるわけではないさ。ロン・クリシュナは組織力と行動力に優れた男だが、裏の王になってまだ日は浅い。隙間なんてモノはどんな組織にだってあるんだ。《闇竜》側としても、ただ指をくわえて動きを眺めていたのではないしな」
グラッドはそう言ったが、だから大丈夫とも思えない。裏社会をほとんど知らないラディアスは、具体的にそれを言葉にすることも出来なかったが。
「にいさんが行くなら、俺も一緒に行くよ」
邪魔だと一蹴されるかと思ったのに、グラッドは
やがて彼の口から発せられたのは、昨日の会話の続きのような言葉。
「死なない、か」
ため息と共に、吐き出される。
「私がどうするかなど今の情報では何とも言えん。どこまで着いてくる気か知らないが、私はおまえを守ってはやれないし、おまえにも私を守る能力はなさそうだ」
答えられないラディアスに、狼の
「それで気が済むなら、ついてくればいいさ。私としては、ここで別れる方が賢明だと思うがな」
結局着いてきたラディアスに、グラッドは言葉通り何も言わなかった。視線の向こうにそびえ立つ巨大な白亜の建造物を睨みながら、彼の耳は緊張したように立っている。
「結局、行かなければ判らない、か」
「行くって?」
抑えた声でラディアスが聞き返すと、彼は視線そのままに、低い声で囁いた。
「奴はここまで来たようだな」
「……どういうことだよ?」
「正確には、ここで匂いが途切れた。……血の匂いはしないし争った痕跡もないが、追跡地図は未だ働かない。こうなれば考えられるのは、《黒鷹》の居城『ブレシング・ガディス』内で生きているか、中で死んだか、どちらかしかない」
目の前の城――『
大陸最大のカジノという謳い文句で、国内だけでなく世界的にも名が知れ渡っている、歓楽都市の象徴だ。
金さえあれば全ての夢が叶う場所とも言われており、どこかの広報誌が載せた『常夜の天国』という言い方は、表向きの煌びやかさの裏に纏いつく闇の深さを絶妙に表現している。
――その実体は、ここゼルスの『裏の王城』と言っても過言ではない。
「この城は探査魔法を遮断するのか?」
「遮断する場所もある。ここは以前 《闇の竜》の居城だったんだが、その当時から所々、結界効果の施された箇所があったな」
「もしかして、テレポートも効かない、なんてことは」
恐る恐る尋ねるラディアスに、グラッドはあっさりと言った。
「陥落直前に、魔法干渉を遮断する結界が成功していたという噂もある。断定は出来んが十分有り得るさ」
複雑な顔で自分を見る
「帰る気になったか?」
「にいさんも帰るなら、帰るさ」
「何が気に入って、そんなに私に懐いてるんだ、おまえは」
心底不思議そうに聞かれ、ラディアスはへら、と笑った。
「俺って友達少ないから。見えない場所で死なれて欲しくないんだ」
「看取れればいいのか?」
グラッドはそう言って笑みに近く表情を緩めた。一瞬息を飲んだラディアスが言い返すより先に、続ける。
「敢えて忘れた振りをしているのかもしれないが。ラディアス、私は裏帝国に属する
「ちゃんと、解ってるさ」
ラディアスが答えた。視線は落ちているが、口もとは笑ったままで。
「一番矛盾してるのは、俺自身だよ。解ってる。でも本当に、グラッドとはもっといろんな話をしてみたいんだ」
「話を聞いて貰いたいんだろう?」
ひどく静かに指摘され、うつむいたまま凍りつく彼を、狼の
「おまえは拝金主義のゼルスには似合わない。だがきっと、王宮という場所にも合わなかったんだろうな。おまえは居場所を、どこに求めているんだ?」
「……さぁね」
薄く笑って答える彼に、グラッドは表情を変えず言った。
「名は体を表す、とはよく言ったモノだ。《闇の竜》はあざとい奴らばかりだが、《黒鷹》は直情で剛胆だ。機嫌を損ねれば殺されるが、《闇の竜》より市民の評価は高い」
ちら、と、濃い色の瞳が白亜の城を射る。
「《闇竜》の肩書きを引っ提げて乗り込んで行っても、まともな対応が期待出来る相手だ。それを敢えて忍び込もうというのだから、礼を欠いているのは私の方だと理解していないだろう、おまえ」
「どうやって、事実を確かめる気なんだよ」
彼は一度瞬いて、再度ラディアスを見た。
「匂いだ。奴の血の匂いが残っていれば、中で死んだことは間違いない。まだ一日と少ししか経っていないから、解るはずだ」
「グラッドは、何を確かめたいんだ……?」
なんだかどうしようもない気分になって、尋ねる。彼が聞いたことに誤魔化さず答えてくれていることに、わずかな罪悪感を覚えつつ。
「確かめたいのはまず、奴の生死だ。死んだのなら原因もだな。それと宝玉の行方。そして、彼女を殺した犯人と」
「ここで、それが分かるってのか?」
グラッドの口もとが笑う。鋭い牙が覗いて、それはどこか凄みのある
「奴が向かい消息を絶った場所は、間違いなくここだ。宝玉は奴が持っていたのだろうから、生死とそれに関わる状況が解れば行方も知れる」
ラディアスは、さらに引き留めようと思って、……辞めた。これ以上何を言えばいいか、解らなくなったからだ。
「ラディアス」
唐突に名を呼ばれ、思わず顔を上げて見返す。
「死なない、必ず戻ってくると約束すれば、安心なのか?」
不敵に光る
「それは嘘だ」
「そうだな。必ずなんていうのは嘘だ」
「ここで押し問答していても時間の無駄だからな。行くか」
邪魔になっているのは十分解っていたが、ラディアスは彼の言葉に頷いた。
自分が甘えているのだという自覚は、あったが――、叶うならもうしばらく、彼の側にいたいと願ってしまうのだ。
その理由を今はまだ、言葉にできないのだとしても。
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