五.真夜中の殺人


 ラディアスがタマゴを診察している間に、グラッドは階下に降りてパンと麦酒エールを買い、部屋で食事を始めた。


「にいさん、昼間っから酒かよ」

「麦酒なんて水みたいなモノだろう。おまえも今のうちに何か食っておけ」


 ラディアスの分も買ってくれたようだ。彼は顔を上げ、嬉しそうに笑った。


「さんきゅ」

「それで、どうなんだ?」


 干し肉をパンに挟んでかじりながら、グラッドが尋ねる。


「うーん、断定はできないんだけど、声に反応するから孵化ふか間近だと思うぜ。でもこれだけじゃ、日付特定は無理だなー」

「ふぅん」


 パンを真ん中から裂いて、グラッドはラディアスの側まで来ると片方を差し出した。


「中の子は翼族ザナリールなのか?」

「どうかなぁ。父親次第で違う場合もあるけど」

「そんなものか」


 グラッドは考えこむように口をつぐむ。ラディアスはパンを受け取り、口にくわえて、タマゴを包み直しながら応じた。


「はひゅひょふほんえ、ふぁふああぃゆん」

「解らん、飲み込んでから言え!」


 当然ながら怒鳴られ、ラディアスは肩を竦めて包みを懐に仕舞い込む。口を塞いでいた物を噛みしだき飲み込むと、改めて口を開いた。


「両親が種族違う場合って、母親に準ずる割合の方が多いみたいだから、八割くらいは翼族ザナリールだと思うな」

「孵化した後はどうするつもりなんだ?」

「それは、彼女次第かなー、て思う」


 グラッドは、そうか、と応じただけだった。


「……さて、そろそろ行ってみるか、にいさん」


 もうじき夕刻、裏の街が活気を帯びてくる時間だ。その言葉にグラッドは立ちあがり、外套コートを取って身に纏う。


「乾いたか?」

「まだだなー。一晩干しとけば、朝には着れると思うけどさ」


 視線で貸そうか、とくグラッドに手を振って、ラディアスは笑った。


「寒くないから大丈夫だ」





 その店は、路地の奥まった場所にある目立たない酒場だった。狼の暗殺者アサシンは中に入ると、まっすぐ奥のカウンターまで行き声を掛けた。


「遠見の得意な女がいると聞いたんだが、一晩幾らだ」

「一万クラウンになります、お客様」


 機械的に応じる店員に、カウンターに肘をついて身を乗り出し、声を潜めて聞く。


「なら、身請け金は幾らだ?」

「当館では、そちらの扱いはございません」

「それが、《闇の竜》の求めであってもか?」


 低く脅しつけるような声音に、無表情だった相手は一瞬で青ざめた。


「――暫しお待ちください」


 言い残し、早足で奥に引っ込むのを見送って、グラッドは呟く。


「死に掛けの竜でも、多少は使えるようだな」

「まったく、最近はこのテのが多くて腹立たしいったらありゃしないよ」


 彼の呟きに答えて――でもないだろうが、奥から出て来たのは妙齢の魔族ジェマの女。


「アンタ、『影縫カゲヌイ』じゃないか。何のつもりサ?」


 通り名らしい名を呼ばれ、グラッドは表情を改める。


「この手のが多いだって?」

「ああ、そうさ。幹部クラスならともかく、下っ端やらザコやら、果てはその辺のチンピラまで《黒鷹》やら《闇の竜》やら騙り出す始末だよ、鬱陶しいったらないね」


 女主人の愚痴は聞き流し、彼は瑠璃るりの目を向けて再度尋ねた。


「それで、遠見の力を持つ翼族ザナリールは?」

「アンタもあの子目当てかい? 狼と蝙蝠コウモリは小鳥を好くのかねエ。……でも残念、あの子は死んだよ」

「――え?」


 後ろでラディアスが声を上げた。黙ってろと言いたげに振り返ったグラッドは、その表情を見て声を低める。


「本当に死んだのか? 黒鷹はどうしたんだ」

「なんだい、それを知ってるクセに、身請けとか言って揶揄からかってンじゃないよ。あの子は本当に死んだのさ。黒鷹が迎えを寄越す、前の晩に」


 女主人の言葉に嘘がないことは、連れラディアスの表情から判断できた。


「死因は?」

「胸をナイフで一突きにされてたよ。死亡を確認してすぐ火葬にしたから、それ以上は分かんないけどね」

「その話、詳しく聞かせてくれ」


 淡々と語る彼女を見据え、グラッドが言う。彼女は形の良い眉を寄せて、煙たそうに狼の暗殺者アサシンを見た。


「黒鷹にも言ったけど、アタシは犯人捜しをするつもりはないよ。こういう店で刃傷沙汰なんか、日常茶飯事サ。死んじまった者は運がなかったと、諦めるしかないんだ。それでもいいなら、とりあえず入りな」

「では、邪魔させて貰う」


 グラッドは即答し、迷惑そうながらも女主人は、二人を客室のひとつに通してくれた。


「客室だからねぇ、寝具以外は何もないよ」

「構わんさ。話さえ聞ければな」


 グラッドはじかに床に座り込み、女主人の胡乱げな視線を受けてラディアスも、彼に倣って隣に座った。彼女はベッドの端に腰掛ける。


「悲鳴も争うような物音もなかったねぇ。そりゃ、始終貼り付いて様子見てるわけでもないし、気づかなかっただけかも知れないけどサ。それでも、相当手際のイイ奴じゃないと、出来ない仕業だろうよ」


 険のある彼女の言葉に、狼の暗殺者アサシンは瞳を上げた。


「あんたは、他殺だと思っているんだな」

「非力な娘が一撃で、自分の心臓を串刺しに出来るわけないだろ? 《黒鷹》が目を付けたってタイミングだ、アタシは《闇の竜》の嫌がらせだろうって思ったけど、違うのかい? カゲヌイ」

「さあな。私は殺害依頼は聞いてないから、知らん」


 表情を崩さずに問いをかわすグラッドを睨み、彼女はため息混じりに言葉を続けた。


「男なんてのは勝手だよ。金と権力で女をどうにでも出来ると思ってンだからね。あの子だって、黒鷹が身請けを無理強いしなければ、死なずに済んだかもしれないのにサ」

「……それで、黒鷹は納得して帰ったのか?」


 女主人は、苛ついたように鼻を鳴らした。


「納得もなにも、死んじまったモンはどうしようもないだろ? アタシはまだ金は受け取っちゃいなかったし、遺体はとうに灰と煙だ。向こうが腹を立てて犯人捜しするにしろ、それ以上はアタシの知ったコトじゃないね」

「ねえさん、彼女の遺体って夜のうちに焼いたんだ?」


 それまでずっと、黙って話を聞いていたラディアスが、言った。

 女主人は笑みに近く唇を引きあげて、答える。


「朝までそのままにしてたら、黒鷹が遺体を連れてって、金にモノを言わせて蘇生させてしまうだろ?」


 聞き咎めるように瞳をすがめたグラッドと、黙って見返すラディアスを、交互に見て。彼女は言い加えた。


「他殺でも自殺でも死体は売らない、これはウチの方針だ。鎖で繋がれたまま何度も生かされるくらいなら、とっとと魂を解放されて自由な来世を望むべきだと、アタシは思うよ」





 それ以上の情報を聞き出せるはずもなく、二人は一旦、旅宿に戻って来た。今日は休もうとグラッドに言われ、他に動きようがないのでラディアスもそれを聞き入れる。

 交互に風呂と食事を済ませ、ベッドに入った頃には日付が変わっていた。


「……さて。どうするつもりだの問いが、いよいよ現実味を帯びて迫ってきたわけだが」


 ラディアスは黙って、グラッドの低い声を聞いている。


「《闇竜》が取り返したいのは宝玉、《黒鷹》が手に入れたかったのは彼女だ。おまえがタマゴそれをどうするかは任せるが、これ以上は深入りせずさっさと街を出ろ」


 隣から答えはない。狼の暗殺者アサシンは暫く黙っていたが、やがて目を開け視線を傾けた。

 カーテン越しに届く薄い月明かりを弾いて、瞳が光る。


「彼女を《黒鷹》から取り戻したかったのは、おまえだろう? ラディアス」


 ひと呼吸分の沈黙の後、くぐもった声が返る。


「ああ」

「自分のモノでない威を借るのは、好きじゃない」

「……好きじゃなくても、理解してくれてたんだな」


 軽く、ため息みたいに息の抜ける音がした。


「ゼルスの街はおまえに似合わない。国へ帰れとは言わないが、誰かに甘えて生きて行ける街ではないぞ」

「にいさんは、どうするのさ?」


 あからさまな話題逸らしにしか思えなかったが、グラッドは答える。


「何度も言わせるな。私は、事実を突き止めるだけだ。その結果 《闇竜》を裏切るとしても、《黒鷹》に刃向かうことになっても、構わん。それが私の決めた私の生き方だ」

「にいさん、自分一人で楯突ける相手じゃねーって言ってたじゃないか」

「私は暗殺者アサシンだ。人を殺すため命を掛けるのが、生業なりわいだ。生きたいように生きる、……それが私にとって最上の生き方なのさ」


 沈黙するラディアスに、言い加える声は穏やかだった。


「死なせない、か。それは蘇生の保証であって、不死者アンデッドとは違うだろう? 傷を負う痛みも、死に瀕する苦しみも、免れているわけではない。……もっと楽に生きたらどうなんだ」

「にいさん、暗殺者アサシンのクセに優しいな」


 ぽつんと応じたラディアスに、グラッドは答えない。しんと落ちる沈黙の中、聞こえるのは互いの静かな息遣いのみ。


「……自分のことだとムリヤリ蘇生されるなんて迷惑だって思っちまうのに、ヒトのことだと何とかして生き返らせたいって思ってしまうのは、どうしてなんだろな」

「遺された自分が哀れだからだろう」


 返ってきた答えは明瞭で、そうか、……と、ひどくすんなり納得してしまう。


「もうしばらく、にいさんの側にいたいな、俺」

「阿呆」


 これまた即答されて、返す言葉もない。

 迫り上がるように言葉が喉をついて、ラディアスはそれを吐きだすように呟いた。


「――悔しいんだよ。自分の命ひとつどうにもならない、大嫌いな奴に守られてる現実が。強くなりたい、……けど、誰かを苦しめて得た力でなんか、なりたくない」


 返る声はなかった。規則正しい呼吸の音。眠ってしまったのかもしれない。

 胸の中にはまだ、塊みたいな葛藤がわだかまっていたが。

 それ以上吐きだすこともできず、ラディアスは無理やり瞳を閉じて意識を閉ざした。





 子供の反抗期か、とか、そもそも暗殺者アサシンに甘えている時点で大矛盾だ、とか、言ってやりたいことはいろいろあったが。

 グラッドは、寝たふりを決め込むことにした。


 彼女の死という事実は、自分でさえもかなりの衝撃だった。であればラディアスはそれ以上だったろう。

 たかぶった神経を落ち着かせるのに、夜の闇と眠りが有効なことを彼は知っていた。

 明日のことは、明日になってから考えればいい。

 表層の意識は研ぎ澄ましたまま、傍らの気配が眠りに引き込まれるのを確認して、グラッドもまた浅い眠りに意識を委ねた。


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