四.親鳥の行方


 腑に落ちた様子のグラッドに事情を説明して欲しいラディアスだったが、歩きながら話すのでは目立つし、誰かに聞かれる恐れもある。

 二人は一旦ゼルス市内に戻り、宿を取ることにした。


 昨晩ラディアスが泊まった所は論外だが、一定以上の価格の旅宿なら建物自体に魔法を遮断する仕掛けがなされている。ただ食いや泊まり逃げを防ぐためでもあり、泥棒や強盗の押し入りを防ぐためでもある。

 完璧な効果を期待できるわけではないが、無いよりはよほどマシだ。

 胡散うさん臭い雰囲気のグラッドと浮浪者並みに薄汚い格好のラディアスは当然、宿の従業員に眉をひそめられたが、国民証を見せるとすんなり通して貰えた。


「家出の癖に国民証があるのか」

「これねー、心配した妹が身分伏せた証書作って送ってくれたんだ」


 一瞬考え、グラットは不愉快そうに眉間にしわを刻む。


「妹って、ティスティルの女王だろう? おまえ、妹に王位を押しつけておきながら、自分は身分を保証されて気侭きままに旅歩きか」

「妹言い出したら聞かないからねー。王位は自分が継ぐって言うし、長兄は手伝うって言うし、自由にしていいって言われたから俺は旅に」

「貴様、最低の兄貴だな」


 吐き捨てるように言われ、ラディアスは他人事みたいに笑った。


「だねー。俺が長兄なら、指名手配かけて賞金首にするな」


 途端、見下すような冷たい視線が返ってきた。


「見知らぬ誰かが置き逃げしたタマゴは守る癖に、家族を助けようとは思わないのか? 何が人助けだ」

「にいさんきっつぃ」


 曖昧に笑いながら、指定された部屋の鍵を開ける。こざっぱりした部屋に汚い格好で踏み込んでいいものか迷っていたら、後から来たグラッドに問答無用で押しこまれてしまった。


「掃除して返したほういいかなー」

「余計な事だろう」


 床に付いた足跡を眺めながら呟くラディアスへ素っ気なく返答し、グラッドは窓のカーテンを引いた。外界の光を遮断すれば昼でも室内は薄暗い。


「風呂に行くなら待っててやるぞ」

「今はいい。連れてったらこのコ茹だっちゃうし、置いていくのは心配だから」


 着衣を脱ぎ、湿らせた布で顔や首や手を軽く拭き、荷物から出した替えの衣服を着る。狼の暗殺者アサシンは床に座ってその様子を眺めていたが、不意に言った。


「私に使った【麻痺の雷スパークリング】は中級の光魔法だったはずだ。精霊魔法の熟練者だろうに、おまえ、隙だらけだぞ」

「本職は医者だからねー。俺が怪我人つくったら本末転倒でしょ?」

「心情は理解してやらなくもないが、その心持ちで裏に関わるのは愚行だ」


 ラディアスは、視線を床に落とし小さく笑う。


「忘れ形見ってことは、彼の彼女さん、亡くなってるのか」

「……いや」


 グラッドは口もとを覆い何かを考えていたが、やがて低く答えた。


「彼女は《黒鷹くろたか》のものになったはずだ。生きて会えないという点では、死んだと然程さほど変わらんだろうが」

「黒鷹、……って、ロン・クリシュナ?」


 魔族ジェマ青年の表情から笑みが消えたのを眺めながらグラッドは頷く。

 《黒鷹》はゼルス王国の暗黒街を取り仕切る組織の中で、今のところ最も大きな力を持っている闇組織だ。

 数年ほど前に、当時絶頂期だった《炎纏いし闇の竜フレイアルバジリスク》の長を討ち、一夜にして裏世界の覇権を手に入れたという《黒鷹》。その頂点トップに君臨するのは、ロン・クリシュナという名の若い魔族ジェマである。


「そうだ。……おまえが彼の名を知っている事が、私はむしろ驚きだがな」


 作り笑いのような笑みを口の端に刻んで、グラッドは床から立ちあがる。


「現状ゼルスの覇権は《黒鷹》が握っていて、《闇竜》は力を奪われたも同然だ。しかし、世界的に見ればまだまだ《闇竜》は勢いを保っているし、空大陸よそに行けば《黒鷹》の力は無いに等しい。そして」


 硬い表情のラディアスを、グラッドはまっすぐ見た。


「《闇竜》にとっても《黒鷹》にとっても、一番の脅威で目障りなのが《星竜》、つまり〈銀河〉竜ティスティル帝国だ。両者は星竜を恐れているが、同時に隙をうかがってもいる」


 狼の暗殺者アサシンが言わんとしていることを察して、ラディアスは視線を床に落とした。


「互いの不可侵を暗黙の了解として、『星竜には手を出すな』の隠語ルールが成り立つんだ。……それをよりによって星竜の血族当人が侵せば、怪我人出したくないなんて甘えでは済まないほどの大事おおごとになるぞ」

「分かってるさ」

「どうせおまえは宝玉を持っていないのだし、タマゴの件も私が黙っていれば上は興味を持たないだろう。首を突っ込まず去るというのなら、私も追わないが?」


 ラディアスは黙って目を上げる。

 睨むような瑠璃の双眸に何らかの覚悟を見いだし、声を低めて問い返す。


「にいさん、もしかして初めから《闇竜》を裏切る気だったのか?」

「私は事実を知りたかっただけだ。裏切るつもりなどないが、結果的にそうなる可能性を覚悟していたことは否定しないさ」


 言葉を探して迷いつつも、やはり、ラディアスの心は変わらなかった。


「事情を教えてくれ、にいさん」

「物分かりが悪い奴だ。関われば本格的に裏に踏み込むことになるし、星竜と知られようが知られまいが命を奪われかねないぞ」


 覚悟してる、そう言おうとして、やめた。

 ラディアスは腰に下げていた剣を外し、掲げて見せる。


「魔法の剣なんだ。『運命の剣』って銘を与えられてる。俺はこの剣を通して、ある人物と契約してるんだ」


 銀製のつばと黒曜石の剣身。柄に竜の形の意匠細工が施されていた。一目で魔法製と分かるそれは、美しいのだが酷く禍々しくもある。


「確かに星竜は、〈銀河〉竜ティスティル帝国の事だけど、隠語の謂われは帝国の背後にある……『滅びの剣の守護者』から来てるのさ」

「……守護者?」


 グラッドの声が低くなる。


「ああ、守護者、あるいは執着者。ティスティル帝国と建国王の血族は、絶対的な保護と絶対的な束縛を与えられてるんだ。それが、……北の白き賢者による守護」

「白き賢者、――カミル=シャドールか。どういうことだ?」


 《星竜》の背後に白き賢者がいる、というのは意外な情報でもないのだろう。先を促され、どう説明したものかと思いながらラディアスは続ける。


「彼の言葉を借りれば『魂の予約』。つまり飽きるまでは死なせないって保証さ。生死に関わる状況で助けを求めれば来てくれるし、たとえ死んでも蘇生させてくれる」

「……呪いみたいだな」


 グラッドが嫌悪の表情で呟いた。ラディアスは首肯を返し、話を続ける。


「家出みたいに国を出た夜、この剣を寄越されたんだ。付与されてる魔法の効果とか、発動のキーワードは教えて貰えなかったけど、これを持っている限り俺は彼のものらしいよ」

「死なせない、か。たかが一介の賢者にそれ程の力があるというのは、いささか不可解だが。有り難い守護の割に不満そうだなおまえ」


 薄く笑って言われたので、剣を鞘に戻してラディアスは苦笑した。


「だって、呪いみたいじゃないか」

「その剣は手放せないのか。持っているから呪われるんだろう?」

「手放せるけど」


 青灰色の両眼が、わずかに遠くを射た。


「最低の兄でも《星竜》の血族の端くれには違いないだろ。ただ野垂れ死ぬならともかく、囚われて国に迷惑かける事になったら申し訳ないからー、捨てないだけさ」

「なるほど。ありがた迷惑でも強力な武器には違いないという事か」


 鼻で笑うと、グラッドは言葉を続ける。


「国に迷惑を掛けたくないなら尚のこと、この件はさっさと忘れてしまうんだな。どの道おまえに裏世界は不似合いだ」

「聞いてから決めるさ」


 懲りない返事に呆れたのか、彼は瞳をすがめてラディアスをひと睨みし、話し出した。


「なら好きにしろ。……おまえにそのタマゴを託した男は《闇竜》に属する者で、まだ若い魔族ジェマだ」


 黙って聞きながら、ラディアスはソファ代わりにベッドの端に腰を下ろした。グラッドは立ったままで話を続ける。


「奴には好きな女がいた。色売りの店の翼族ザナリールの……元々は奴隷として売られていたのだろう、美人だったがひどい扱いを受けてきたらしく、耳が聞こえなかった」


 ちら、と瑠璃の瞳が様子を窺うようにラディアスを見た。怒りも嫌悪もなく、青灰色の双眸はグラッドを見て続きを待っている。


「その代わり――でもないだろうが、彼女は占いに秀でていた。捜し物や捜し人の在処を当てるのが得意だったし、予知の能力もずば抜けていた。それがどうやら、《黒鷹》の耳に入ったらしいな」

「それまでは誰も、彼女をモノにしようとかは思わなかったのか?」


 グラッドは薄く笑う。


「店側にすれば『人気商品』だ。身請け金は幾ら高くしても一時の稼ぎだが、置いておけば金蔓かねづるだからな、放したくなかったんだろう」

「なるほど。……それで、《黒鷹》か」


 実質、表のゼルス王家より強大な権力を持つ闇組織。その裏の帝王に求められて、店側が断れるはずもない。


「黒鷹が女として彼女を気に入ったのか、占術の能力に目を付けたのかは知らんが。今までは金さえ持っていけば会えたのに、二度と会えなくなると知って、奴は彼女を連れて逃げようとしたのだろう。それで持ち出したのが、力の弱まった《闇竜》内で一番価値の高い宝玉――、換金のためか魔法効果を狙ってかは分からないがな」

「……で、その彼の行方が消えた、と」


 グラッドは頷き、言い添えた。


「宝玉の効果で上手く逃げおおせたか、黒鷹に見つかって殺されたか、どちらかだろう。だが状況からして、彼女とは会えたが逃げ切れず、途中タマゴをおまえに押しつけて、そのあと殺されたと見るのが、妥当か」


 ラディアスは黙って、胸に手を当てる。

 置き手紙を見た時、直感で、預けた相手はもう生きていないかもしれない――そう思った。当然のように翼族ザナリールの女性を考えていたが、盗業術を持った魔族ジェマなら、寝ている自分が気づかぬよう部屋に侵入し、出ていくのは造作なかっただろう。


「……彼女は生きてるのかな」

「黒鷹が女を殺す理由はないだろう」

「彼と彼女って、好き合ってたの?」


 グラッドはその問いに口をつぐむ。今となっては知りようもないが、漠然とした確信はあった。


「嫌いな男に、自分の子を預けたりしないんじゃないか?」


 程度を測りかねるとはいえ、好意を持っていたのは事実に違いないだろう。

 ラディアスはうつむき加減の上目遣いで彼を見、尋ねた。


「にいさん、彼女取り返しに行くんでしょ」

「相手は《黒鷹》だぞ? 私一人で楯突ける相手ではないだろうが」


 呆れたように答えるグラッドに向けて、ラディアスは小声で何かの魔法語ルーンを唱えた。狼の耳がぴくりと動く。


「何の魔法だ?」

嘘発見器センス・ライ。にいさん、黒鷹の所から彼女を取り返したい、イエスかノーかで答えてみて?」

「……貴様、死にたいか」


 怒ったように獣耳を引きつけて、グラッドがサーベルを抜く。


「俺を斬ったら、このコも割れちゃうから勘弁してー」

「首より上なら問題あるまい?」


 穏やかならぬ殺気に本気を感じ、ラディアスは肩を竦めて両手を挙げた。


「ゴメンナサイ。……俺、医者だから、嘘かホントかって何となく分かるんだよ」


 短く息を抜き、狼の暗殺者アサシンはサーベルを納めて顎を上げ言い放った。


「取り返せるかなど知るか。私が知りたいのは事実だ、もしも黒鷹が奴を殺したのなら、私は奴の仇を取る、それだけだ。どうだ嘘があったか?」

「……ありません、すいません」


 それだけ、ではないのを知ってしまった。だからといって、それ以上聞き出すのはさすがに無粋だろう。


「何にせよ、彼女のいた店に行かないと何も解らん。どうするつもりだラディアス、来るというなら止めないが、タマゴが割れても知らないぞ?」

「大丈夫、割らせない」


 その答えに同行の意志を読み取って、グラッドはため息をついた。


「まったく。暗殺者アサシンと医者なんて奇天烈な組み合わせだな」

「あー、それじゃにいさん、今日から足洗って堅気になりなよ」


 瑠璃の双眸を巡らせて、彼はラディアスを睨む。


「なんだその、横暴な意見は」


 青灰色の双眸は、ただ穏やかに笑っただけだった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る