三.狼の事情

 青灰せいかい色の双眸に映る真剣な光を見て取り、狼の暗殺者アサシンは眉をひそめた。

 ラディアスの瞳と、彼のてのひらに収まっているタマゴとを交互に見やり、低く答える。


「貴様がさっき使ったのは、相手を少しの時間しびれさせる光魔法だ。だが属性は光ではない、……つまり、精霊使いエレメンタルマスターということになる」


 肯定も否定もせずラディアスは、彼を見あげる。


精霊使いエレメンタルマスターは接近戦に向かない。貴様、私に勝てないだろう」

「うん、でも《星竜》の血族は殺せないでしょ?」


 にぃと笑って見返す、人懐っこい瞳。


「……殺すばかりが方法ではない」


 呆れたように言って再びサーベルを抜いたグラッドに、ラディアスは、握手を求めるみたいに右手を差し出した。


「にいさん、俺と一緒にこのコ助けてやってくれ」

「……は?」


 呆れたように眉を寄せる狼の暗殺者アサシンに挑戦的な目を向けて、ラディアスは笑う。


「人殺しより、人助けの方が断然カッコイイでしょ?」

「貴様、馬鹿か?」


 大真面目な顔でけなされても、彼は怯まなかった。


「だってにいさん、コレがタマゴだって知らなかったよな。だから俺も、このコ自身が狙われてるのか勘違いで狙われてるのか、分かんないわけで」


 皮膚の切れたてのひらは、血が固まりかけてはいるが痛々しい。けれどラディアスは笑顔を崩さず、差し出した手を下ろそうともしない。


「《炎纏いし闇の竜フレイアルバジリスク》は世界規模の裏組織、世間知らずの俺じゃ情報収集すらままならないんだ。だからグラッド、《闇の竜》を裏切って俺に情報流してくれないか?」

「貴様、意味を分かって言っているのか」


 瑠璃るりの両眼に剣呑な光が揺れる。裏世界を牛耳る巨大ギルドに属する者として、裏切り者に与えられる末路は考えるまでもない。

 それを知っていて提案しているのなら、正気の沙汰ではない。


「私が命を懸ける見返りとして、おまえは私に何を与えられる?」


 等価取引は、傭兵や暗殺者アサシンといった命を遣り取りする者にとっての、鉄則だ。問い尋ねればラディアスは一度瞬き、そして嬉しそうに笑った。


「にいさん、キミが生きたいように生き、死にたいように死ぬ、そんな自由を」


 そんな取引が成り立つか阿呆、そう思ったが、口にはしない。まっすぐな青灰の双眸は不思議な圧を持っていて、グラッドは黙ったままラディアスを睨み返す。

 薄曇りの、空の色だ。

 強く突き抜ける晴天の紺碧ではなく、雨を落とす曇天の灰色でもなく。――曖昧で穏やかな、けぶる空の色。


「なぜ私を信じる?」


 命を預けるのは、信頼したということだろうか。付け狙い、いぶり出し、脅しつけた覚えならあるが、それのどこに信頼に足る要素があったのか。

 にぃ、と不敵に笑って、彼は答えた。


「にいさんの瞳、綺麗だからだ。キミは人は殺しても嘘はつかない」


 馬鹿か、思わず口にしかけて直前で思い留まる。

 本気かどうかもつかめない。あるいは向こうが自分を騙そうとしているのかもしれない。しかし――、

 面白い、ただ純粋に、そう思った。


「いいだろう。貴様がどれだけのモノを私に与えられるか、見てみたくなった」


 無表情だったグラッドの口もとが緩み、鋭い牙が覗いた。差し出されたままの右手をつかみ、力任せに引きあげる。


「痛くないのか、おまえ」


 立ちあがったラディアスは、それでもまだ手を離そうとしない。握手のようにつかんだままで、へら、と笑った。


「疲れたー。にいさん、引っ張って?」

「阿呆」


 さっさと手を振り払い、グラッドは短く魔法語ルーンを唱えた。銀光が弾けて手と喉もとの傷が消えてゆく。


精霊使いエレメンタルマスターで医者なら、自分で治せこれくらい」

「はは、さんきゅー」


 懐っこく笑ったラディアスは、笑顔のままわずかに表情を改めて言った。


「ありがとな、グラッド。よろしく頼むよ」

「礼はまだ早い。見限れば、私は遠慮なく寝首をかくつもりだと覚えておけ」


 冷たく言い放たれ、不満そうにラディアスは眉を寄せる。


「にいさんさぁ、生死をともにと誓った相棒に言うセリフじゃなくないー?」

「誓った覚えはないな」


 言葉はぞんざいだが、グラッドの表情は笑みに近かった。それを確認し、ラディアスはタマゴを包み直して懐に仕舞い込む。

 岩の隠れ場に置きっぱなしだった荷物と衣服を引っ張り出して、生乾きの上着を着ようとしていたら、頭の上に重い布が被せられた。


「うおぅ、にいさんこれって」

「濡れた服を着るくらいなら、その上にこれを羽織った方がマシだろう」


 古びているが丈夫で厚い布地。彼の纏っていた外套コートだ。


「ん、ありがたいな」

「それで、どうするつもりなんだ」


 硬い声音で狼の暗殺者アサシンは尋ねる。

 薄手の着衣の上から幅広の布何枚かを使って落ちないようにタマゴを固定し、借りた外套コートをその上から羽織って、ラディアスは答えた。


「明るくて清潔な場所で一度診察したいんだよー。成長度合いの判断と、孵化ふかの日付特定のために」

「おまえ、魔族ジェマなんだから転移魔法テレポートで戻れないのか。実家のティスティル王宮に」


 怪訝そうにグラッドが問う。彼は曖昧に笑った。


「家出しちゃってるので、戻れないんですよ」

「……他に、当てはないのか」


 グラッドは片眉を上げたが詳細には触れず、問いを重ねた。ラディアスは少し考えていたが、逆に尋ね返す。


「にいさん、にいさんを遣わしたのは《闇竜》なんだよな?」

「そうだ。……組織に属していた男が宝玉を盗んで姿を眩ませたから、奴を殺してでも取り返して来いというのが任務だった、が」


 答える声が、周囲をはばかるように低くなる。


「『追跡の地図』という魔法道具マジックツールがある。風魔法【位置確認ロケーション】や無魔法【捜索サーチ】と同じ効果で、捜索している相手の位置を知ることができる物だ。それが昨日の夜から発動しない」


 ラディアスは無言でグラッドを見た。彼は無表情のまま淡々と、先を続ける。


「最後の結果から街を特定し、匂いを追って辿り着いたのがあの旅宿だ。出て来たおまえに奴の匂いが強く染みついていたから、逃げられないよう先に魔法を封じた。……まさか魔族ジェマの癖に本性トゥルースになって逃げるとは思わなかったが」

「高尚な私達が魔物と同じ姿をとるなど、美しくありませんわ! ……ってかぃ?」


 貴族令嬢たちの間で良く聞く台詞をラディアスが真似て見せたら、失笑された。


「飛行で逃げられたのと雨で匂いが流れたのには、手間を増やされたが。追い着いて事情を問いただしてみればこの通り話が違う。私がおまえに協力するのは事実を知りたいからだ」

「にいさん、俺がそのひとを殺して、宝玉を奪ったんだって思ったんだ?」


 口もとを緩めてラディアスは言う。答えが返らないので、つけ加えて言った。


「【捜索サーチ】の魔法は知己にしか効果が及ばないはずだ。その宝玉盗んだ彼って、にいさんの同僚……、いや、友人?」

「私は、奴を捕まえ何のつもりでそんな無謀をしたのか、問い詰めたいだけだ」


 それだけを答え、グラッドは背を向け歩き出してしまった。ラディアスは慌てて後を追うと、隣を歩きながら尋ねる。


「彼は何の種族?」

人狼ワーウルフ魔族ジェマだ。属性は水」

「彼に、家族や恋人は?」


 不意に、グラッドが足を止めた。


「ラディアス、あのタマゴは何のタマゴだ?」


 振り向き自分を見た彼の視線の強さに、一瞬息を飲み込み、ラディアスは答える。


「たぶん、翼族ザナリール

「それだ」


 唸るように、狼の暗殺者アサシンは低く声を押し出した。


「そのタマゴは、奴の女が遺した、忘れ形見だ」




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