二.追撃


 ――まただ。


 ひどく密度の高い、殺気。全身の神経を逆撫でされるような気配に、眠りの淵から引き戻された意識が警戒を訴えている。

 半眼閉じて寝た振りをしながら、神経を尖らせて向こうからの魔法に備える。

 ゆら、と入り口の辺りで影が動いた。


 上体を起こし魔法語ルーンを唱える、と同時。風を切って飛んできた何かが、彼の頭上の石に当たって弾けた。

 ぶわぁっと広がる、異臭の霧。反射的に上着をつかみ、口と鼻に押し当てる。

 これは吸い込んだら身体の自由を奪われる、麻痺の雲スタン・クラウドだ。

 刺激臭が目に沁みて視界が歪む。ラディアスは慌てて入り口から外に這い出した。……相手の狙い通りだと分かっているがやむを得ない。


 ぱり、と空気に走る電圧の残滓ざんし。自分が唱えた魔法は発動したらしい。ただ相手が幾らか上手だったようだ。

 ひたりと首筋に冷たい感触を感じ、ラディアスは座り込んだまま視線だけ動かして、そちらを見る。

 剣を扱い慣れている者の手。男のものだ。

 背後に回られたため顔は見えない。

 得物は短めのサーベル。少しでも動けば皮膚を裂かれそうなほど強く、押し当てられている。


「にいさん、獣人族ナーウェアだろ?」


 首に感じる圧力が一瞬、強くなる。図星かもしれない。


狼の部族ウェアウルフ、闇属性、……職業は暗殺者アサシンで魔術も得意、当たった?」

「……貴様は、精霊使いエレメンタルマスターだな。宝玉をどこへ隠した?」


 喉元に刃を押しつけたまま、男が問う。

 ラディアスは緊張感なく、へら、と笑った。


「宝玉? ……何かと勘違いしてんじゃねーですか?」

「奴の匂いがおまえからした、間違いない」


 ――奴、とは、タマゴの預け主のことだろうか。


「にいさん、宝玉がどんなモノか知ってるんなら、俺の荷物探してみたらいいでしょ?」

「知ってれば、な」


 曖昧な言い方だ。

 ラディアスは視線を傾け背後を見やる。――やはり顔は見えない。


「知らねぇの?」

「そんなこと、おまえに話す義務はない」


 ラディアスは黙って、喉元にあてがわれている刃を素手でつかんだ。その所作しょさに男の声が動揺する。


「何をする気だッ」


 つ、と刃に深紅がつたう。首を巡らし睨み見た青灰色の双眸が、背後の暗殺者アサシンをとらえた。

 濃灰の髪、瑠璃るりの眼、灰色の三角な獣耳。――アタリ。


「殺す気なんかねぇくせに。にいさん、俺の正体に感づいたんでしょ」


 傷ついたてのひらを開いて刃を解放すると、彼は無言でサーベルを戻した。指の跡に残っていた血を拭き取り、鞘に収める。


「……まさかティスティル帝国の王兄が、こんな風采ふうさいのあがらん格好で旅しているとは思わなかったから、驚いただけだ」

「さらりと失礼じゃありません?」


 笑顔で言うラディアスに、男は無表情に答える。


「私の任務は宝玉を取り戻すことだけだ。『両眼を失いたくなければ《星竜》に関わるな』の警告は、《闇竜》に属する者なら子供だって知っているし、藪蛇やぶへびは勘弁だからな」


 ラディアスはへらりと笑っただけで何も言わず、胸元をくつろげて布の包みを取り出した。彼が追ってきた、おそらく匂いの源を。


「やはり、隠していたのか」

「まぁね。けどにいさん、これ、宝玉じゃないぜ」


 怪訝そうに濃い色の双眸を細める彼の前で、ラディアスは包みを開いた。男は無言で、目を見開く。


「まぁ、ある意味で至宝だけどー。それはこのコの両親にとってであって」


 色の薄い瞳が、一瞬だけ冷たく光る。


「金の亡者な商人や、狩人みたいな盗賊にとっての宝だとは、思えねーんだけど?」

「……っ」


 男の表情は、絶句したように見えた。


「なぁ、にいさん。俺はラディアス、にいさんの名前は?」

「グラッドだ」


 意外にあっさり名乗り返し、彼は斜め視線でラディアスを睨み見た。


「貴様、奴とどんな関係だ?」


 問いの形で有りながら因果関係を断定されて、どう答えたものか困惑してしまう。


「……奴って、誰だよ」

「しらばっくれるな。おまえにこれを、預けた」


 ラディアスは黙って一度瞬きし、無傷な方のてのひらでタマゴを撫でた。薄い殻で隔てられてなお、確かに伝わる、命の温もり。


「会ったこともねーですけど?」

「嘘をつけ。それなら何故これを守る」


 吐き出すように言ったら、疑いの眼差しを向けられた。

 ラディアスは、視線を上げずに笑った。


「俺ねー、人助けしたいから医者になったの。にいさんが信じる信じないは勝手だけど、助けが必要なモノを助けるのは俺にとって当たり前なの。……それだけだって」

「おまえ、医者なのか?」


 驚いたような声。

 ちらりと見上げて確認する。濃い色の瞳に一瞬揺れた、素直な感情を。


「らしくねー、って思ったでしょ」

「違う。王族で医者だなんて信じ難いだけだ」

「ははっ、分かってるけど言ってみただけさー」


 揶揄やゆするような言葉に、グラッドは一瞬目を見開き、次いで尻尾の毛を逆立てた。


「貴様っ、からかうな!」

「ごめん怒るなよー」


 数刻前の張り詰めた緊迫感どこへやら。喉元とてのひらに浅い切り傷を残したままで、ラディアスは旧知の友に対するように話し掛ける。


「どうするの? それでも寄越せって言うなら、俺も容赦しないけど」



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