二.追撃
――まただ。
ひどく密度の高い、殺気。全身の神経を逆撫でされるような気配に、眠りの淵から引き戻された意識が警戒を訴えている。
半眼閉じて寝た振りをしながら、神経を尖らせて向こうからの魔法に備える。
ゆら、と入り口の辺りで影が動いた。
上体を起こし
ぶわぁっと広がる、異臭の霧。反射的に上着をつかみ、口と鼻に押し当てる。
これは吸い込んだら身体の自由を奪われる、
刺激臭が目に沁みて視界が歪む。ラディアスは慌てて入り口から外に這い出した。……相手の狙い通りだと分かっているがやむを得ない。
ぱり、と空気に走る電圧の
ひたりと首筋に冷たい感触を感じ、ラディアスは座り込んだまま視線だけ動かして、そちらを見る。
剣を扱い慣れている者の手。男のものだ。
背後に回られたため顔は見えない。
得物は短めのサーベル。少しでも動けば皮膚を裂かれそうなほど強く、押し当てられている。
「にいさん、
首に感じる圧力が一瞬、強くなる。図星かもしれない。
「
「……貴様は、
喉元に刃を押しつけたまま、男が問う。
ラディアスは緊張感なく、へら、と笑った。
「宝玉? ……何かと勘違いしてんじゃねーですか?」
「奴の匂いがおまえからした、間違いない」
――奴、とは、タマゴの預け主のことだろうか。
「にいさん、宝玉がどんなモノか知ってるんなら、俺の荷物探してみたらいいでしょ?」
「知ってれば、な」
曖昧な言い方だ。
ラディアスは視線を傾け背後を見やる。――やはり顔は見えない。
「知らねぇの?」
「そんなこと、おまえに話す義務はない」
ラディアスは黙って、喉元にあてがわれている刃を素手でつかんだ。その
「何をする気だッ」
つ、と刃に深紅がつたう。首を巡らし睨み見た青灰色の双眸が、背後の
濃灰の髪、
「殺す気なんかねぇくせに。にいさん、俺の正体に感づいたんでしょ」
傷ついたてのひらを開いて刃を解放すると、彼は無言でサーベルを戻した。指の跡に残っていた血を拭き取り、鞘に収める。
「……まさかティスティル帝国の王兄が、こんな
「さらりと失礼じゃありません?」
笑顔で言うラディアスに、男は無表情に答える。
「私の任務は宝玉を取り戻すことだけだ。『両眼を失いたくなければ《星竜》に関わるな』の警告は、《闇竜》に属する者なら子供だって知っているし、
ラディアスはへらりと笑っただけで何も言わず、胸元を
「やはり、隠していたのか」
「まぁね。けどにいさん、これ、宝玉じゃないぜ」
怪訝そうに濃い色の双眸を細める彼の前で、ラディアスは包みを開いた。男は無言で、目を見開く。
「まぁ、ある意味で至宝だけどー。それはこのコの両親にとってであって」
色の薄い瞳が、一瞬だけ冷たく光る。
「金の亡者な商人や、狩人みたいな盗賊にとっての宝だとは、思えねーんだけど?」
「……っ」
男の表情は、絶句したように見えた。
「なぁ、にいさん。俺はラディアス、にいさんの名前は?」
「グラッドだ」
意外にあっさり名乗り返し、彼は斜め視線でラディアスを睨み見た。
「貴様、奴とどんな関係だ?」
問いの形で有りながら因果関係を断定されて、どう答えたものか困惑してしまう。
「……奴って、誰だよ」
「しらばっくれるな。おまえにこれを、預けた」
ラディアスは黙って一度瞬きし、無傷な方のてのひらでタマゴを撫でた。薄い殻で隔てられてなお、確かに伝わる、命の温もり。
「会ったこともねーですけど?」
「嘘をつけ。それなら何故これを守る」
吐き出すように言ったら、疑いの眼差しを向けられた。
ラディアスは、視線を上げずに笑った。
「俺ねー、人助けしたいから医者になったの。にいさんが信じる信じないは勝手だけど、助けが必要なモノを助けるのは俺にとって当たり前なの。……それだけだって」
「おまえ、医者なのか?」
驚いたような声。
ちらりと見上げて確認する。濃い色の瞳に一瞬揺れた、素直な感情を。
「らしくねー、って思ったでしょ」
「違う。王族で医者だなんて信じ難いだけだ」
「ははっ、分かってるけど言ってみただけさー」
「貴様っ、からかうな!」
「ごめん怒るなよー」
数刻前の張り詰めた緊迫感どこへやら。喉元とてのひらに浅い切り傷を残したままで、ラディアスは旧知の友に対するように話し掛ける。
「どうするの? それでも寄越せって言うなら、俺も容赦しないけど」
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