優しく痛かった

星屑

優しく痛かった


 

 

 夏は嫌いだ。蒸し暑くて、日焼けするし、汗でベタベタする。

 

 

 ミーンミンミンミン ミーンミンミンミン

 うるさい蝉の鳴き声を聞きながらシャクリと棒アイスを齧る。氷状のアイスを食べる度頭がキーンとする。

 

 夏は嫌いだけど、このアイスを食べた時の爽快感は好きだ。自分の嫌な気持ちも全部溶かしてくれる気がする。

 

 アスファルトの焼けた匂いは好きじゃない。虫が飛ぶ音も好きじゃない、蝉の鳴き声も喧しい。

 だから夏は嫌いで、だから夏が早く終わればいいと思って今日も歩く。

 

 高いところで結った黒髪がさらさらと風に流れて、空を見上げれば青い空に真っ白な雲が流れる。

 

 かさりと手に持った紙袋が音を立てる。意味もなく作るこれも、きっと無意味で。私がこうして夏休みに行くこともきっと意味なんてないんだろう。

 

 ただ行って、ただやることをして、こうして持ち帰って。必要も無いものを私は重たい思いして家に…その度やるせない気持ちになるのだから行くのをやめてしまえばいいのに。

 

 またしゃくりとアイスを食べて。楽しげに遊んでいる子供たちがいる川辺に目を向ける。きらきらと陽の光を反射した水はどうにも綺麗に見えて、それが酷く物寂しく感じる。

 

 「…ぁー」

 たらりと汗が流れてうんざりしながら胸元をはためかせ熱くても胸元に風を送る。あつい。

 

 家に帰る途中の空き地。背が高い草が生い茂ったその中で棒が二本ゆらゆらと斜めに立ちながら動いていた。

 

 「…なにあれ」

 

 しゃくりと最後の一口のアイスを食べ、飲み下す。棒は…はずれだった。別にいつものことだけど、ちょっと悲しくなる。

 

 「…」

 ちょっと歩いて、また空き地を見る。また棒が動いていた。

 

 棒アイスの棒をくわえて、噛み締める。ぎしりと音がして、口の中で棒が割れる。

 

 なぜだかイラつくこの感情の意味なんて知らない。知りたくもない。変な光景でしかないそれから目をそらし私はイヤホンを耳に挿して音楽を流す。

 

 蝉のうるさい鳴き声と、音楽と、夏の空に飛ぶ飛行機の音と車の音。全部が混ざって、気持ち悪かった。

 

 

 それから、暑くないクーラーがよく効いた部屋で勉強したり本を読んだりスマホでゲームをして過ごす。

 

 味気ない休みだ。特にどっかに出かけるわけじゃないし。ただ学校が休みなだけの日だ。

 家の中だと余計、そう思う。

 

 「雪菜ゆきなー、お買い物行ってきてくれないー?」


 母親の、だるそうな声を聞きながらぽちっとメールを送信した。返事なんて、ないって分かっていたけれど。

 

 またそうやって、暑くて居たくもない外に出る。日焼け止めを丁寧に塗って、短めのスカートを履いて、サンダルを履く。サンダルの裏がアスファルトに張り付く感じがするのはきっと気のせいだ。私が歩きたくないから、地面に足がくっつくように重く感じるんだろう。

 

 空き地の棒は、また動いていた。

 

 ミンミンと飽きもせずなく蝉にも動く棒にも空を流れる雲にもその雲の間を抜けるように飛ぶ飛行機でさえ、全てが煩わしい。

 

 また目をそらして歩く。箱のアイスを買ってこようと考えながら。

 

 

 買い物を終え、ずしりとした袋を手に持って、帰り道を歩く。蒸し暑いし、少し先ではアスファルト近くの空気が歪んで見える。

 

 空き地のすぐ横でなにやら相談事をしている子供達がいた。男の子二人に女の子一人の、計三人の子は身を寄せ合いこそこそと何かを話しては楽しそうに笑う。

 

 近くを通ると棒アイスをつまみ食いしている私の方を羨ましそうに見ていて──仕方なく一本ずつくれてやった。

 本当に仕方なく。気が向いただけだ。この暑さの中食べるアイスのうまさを知っているからだ。だからくれてやってもいいと思った。

 

 「ありがとう」

 「ありがとうございます」

 「わー! アイスありがとうお姉さん!」

 

 アイス一本で目を輝かせ美味しそうに食べる子供たちを見て、私もこんな目で食べているのかとふと考えたがそんな訳は無いと切り捨てる。

 

 空き地の棒は、動いていなかった。と言うより、無かった。

 

 あの存在がまるで嘘でしたとでもいうように。

 

 

 それから、まっすぐ家に帰り、溶け掛けのアイスを冷蔵庫にぶっ込んでまたクーラーがきいた部屋で寝っ転がる。

 

 

 外は暑い。暑くて、うんざりする。それでも。その中でも、子供たちは楽しげに遊んで…あの子達はあそこで何をしていたんだろう。

 

 あの場所には何もなくて。当然子供の遊び場もなくて。何も無いはずなのに楽しげで。そんなことを考えながら────開いたメールボックスにはやっぱり返信はなかった。

 

 それにホッとしているのか悲しんでいるのかは分からなかった。ただ、気持ち悪かった。

 

 

 次の日にインターフォンが鳴った音で起こされる。二度寝を決め込んで今は昼過ぎ、お昼ご飯を食べてないなと一階へと階段を降りていけば、真っ白なワイシャツに紺のネクタイの人が玄関で母親と話していた。

 ドクドクと痛く脈打つ胸にそんな訳ない。そんなはずないと切り捨てて、でもどこか期待して、階段を降りきる。

 

 「今日も暑いですね」

 「ええ、そうですね、でも明日は雨みたいだからちょっとは涼しくなるかも」

 「そうだと助かります」

 

 母親に手土産を渡す顔も名前も知らなかった誰か。胸は大きくドクンとはねて静かになる。

 やっぱりと思い、なんだか泣きそうになるのを我慢してリビングに置かれたご飯を食べた。

 

 味はしなかった。

 

 家の外で鳴いている蝉の鳴き声がやけに大きく聞こえ、口の中でスプーンががちりとなる。

 

 戻ってきた母親が愚痴をこぼしたのを聞き流し、食べ終わった食器を片付け、部屋に戻ろうとして玄関前の階段に足をかけたらインターフォンが鳴った。

 

 母親は誰かと電話しているらしく気づいていない。

 

 仕方なく扉を開けても誰もいなくて悪戯かと扉を閉めようとし、下を見たら子供が三人私を見上げていた。

 

 「「「遊ぼー!」」」

 

 「……」

 

 あの空き地からは家が近い私の家。どうやらこの子達も近くに住んでいて私の家を知っていたらしい。

 

 サンダルを引っ掛けて腕を引かれ出た時に。

 

 日焼け止めは忘れたし、スマホも忘れたなとどこか他人事のように思い出した。

 

 「お姉さんはこの棒運んでね」

 

 ぐっと差し出された棒を反射的に受け取って、何故こんなことになったのかと頭を抱えたくなる。

 

 子供たちは私を空き地の中に引きずり込み、私に棒を持たせた。あの動く棒はこの子達が運んでいたと言うだけだったらしい。小さな手でよいしょよいしょと運ばれていく棒を見て私も運んだ。

 

 運んだ先では一匹の猫が「なーん」っとマヌケな鳴き声を上げて寛いでいた。どうやらここはこの三人の子供たちの秘密基地らしい。木の棒と紐とで作られたガタガタの犬小屋のようなものの横には石でハナコと彫られた棒が立っていた。

 

 「ハナコ?」

 「この子の名前!」 

 女の子が私にマヌケな鳴き声の猫を見せつけてくる。三毛猫はされるがままでまた「なーん」と鳴いた。

 

 どうやらこの猫の家を作っているらしかった。

 

 同情でしかない。意味もない。餌をあげるのだって、猫用の餌じゃなく自分たちの食べ残したご飯。救いにはならない。気休めにしかならないそれを、この子達は一生懸命に行っていた。

 

 馬鹿らしいと言えるその行為に私はなんだか泣きたくなった。

 

 きっと、そうだったのだ。

 あの人も。あの人からしたら私はハナコだったのだ。

 

 最後まで面倒を見る気もなく、ただ同情し、ただ可愛がり、ただ自分の感情を満たすためだけ。そのためだけに私は一喜一憂し、こんなにもやるせない気持ちになっている。

 

 馬鹿らしい。馬鹿らしくて、不甲斐なくて、情けない。

 

 「ハナコ…」

 マヌケなこの猫は辛くないのだろうか。施される食事で生きることは。先のない同情でしか生きられないのは。

 

 「お姉さんはそっち持ってね」

 棒を地面に刺して小屋をさらに固定していく。不格好で隙間だらけ、意味なんてないそれ。でもそれでも子供たちは一生懸命に作っていく。

 

 ハナコは望んでないかもしれないのに。

 

 私はハナコに自分を重ねているのには自覚していた。悪い事だとは思わない私もきっと、この子達とおなじになりつつある。

 あの人と同じになりつつある。

 

 そしてハナコは、きっと私と同じになる。

 

 

 

 

 次の日は雨だった。ザーザーと降る雨と、鳴らないスマホ。メールボックスは相変わらず空っぽのまま。

 

 ダルげに寝っ転がったベッドから真っ黒な空を見上げた。打ち付ける雨が煩く、その代わり蝉の鳴き声はしなかった。

 

 一階に降りて、お茶を飲み下せば、母親の見ているテレビでは天気について話していた。

 

 台風が来るらしい。雷もなるらしく、家から出ないでおけという話だった。

 

 ふと、あの秘密の小屋を思い出した。出てはダメだという。ならば子供たちは出ないはずだ。

 親が出させないはずだ。

 

 ではハナコはどうなるのだろう。

 

 あのマヌケな猫は生きれるのか。

 

 あの生ぬるい場所は無事ですむのか。

 

 

 思わず飛び出した。サンダルを引っ掛けて。水浸しの道路を必死に歩く。じゃぶじゃぶと音がして、嫌な予感が、ずっとした。

 

 結局こうだ。自分の事情であっけなく見捨てられる存在なんだ。それでしかないんだ。でも、でも私は、ハナコは。

 

 確かに。

 

 「なーん」と雨音の凄い空き地、小屋の中でびしょびしょになったハナコが横たわっていた。少し疲れた様子のハナコに私はとうとう泣いた。

 

 救われていたのだ。確かに。同情でしかなかったのかもしれない。相手にとってはただの遊びだったのかもしれない。でも、それでも。

 

 私に向けられる愛が、私に向けられる思いやりが、気遣いが。嬉しくて、だから。

 

 それに確かに救われていたのだ。

 

 ハナコも私も。

 

 いくら泣いたって雨音が全部消してく。私の悲鳴も感謝も憎しみも。

 

 泣き腫らしてハナコを抱き上げる服の中にハナコを入れて家に向かった。

 

 なんでかなんて知らない。ただそうしたかった。エゴでもなんでも、そうしたくてそうした。

 あの人のように。

 

 

 「雪菜! 一体どこに行っ……どうしたの? 泣いたの?」


 家に帰れば母親…お母さんが私を心配げに見て慌ててタオルを被せてくれる。

 

 「勉強も、全部…全部頑張るからっ」

 「雪菜?」

 「お願い、この子を」

 

 ハナコを、私を。

 

 「助けて」

 もっと早く、そうしておけば良かったんだと。困ったように笑う母の顔を見て思った。

 

 けれど、必要な期間だったのだと思う。私にとっては、この不安で不快な夏は。

 

 「そんなこと気にしなくていいから、その子と一緒にお風呂、入ってきちゃいなさい、お母さんお買い物してくるから」

 

 お母さんはそう言って私とハナコを家にあげた。服の中でハナコが嫌そうに「なーん」と鳴いた。私はお風呂場についてハナコを洗って私もシャワーを浴びた。

 

 

 ハナコを乾かしているうちにお母さんは猫を買うのに必要なものを一通り買い揃えてきて、「昔私も猫を飼っていたのよ」と笑った。

 

 ハナコはいつも通りマヌケに鳴いて、その背中を私は撫でながらぽつりぽつりと話し出す。

 

 大人にとって、私の葛藤や、感情は何でもないことだったのかもしれない。どうして早く言わないのとか全てを甘く見すぎなのよとか言われるのかもしれないそれでも、それでも私は自分にとって必要だったのよと言いたかった。

 

 お母さんは仕方ない子だと困ったように笑って頭を撫でてくれた。ごめんなさいとありがとうを繰り返してお腹をひとなでする。

 

 分からない、どうなるか。

 でも、どうにかしなきゃならない。

 

 例え、メールの返信が来なくたって。

 

 例え、この先一人で戦うことになったとしても。

 

 

 「大丈夫よ、雪菜」

 

 うん、お母さん。私は大丈夫だよ。

 

 

 ────────

 ────

 

 次の日、号泣した三人の子供を連れた母親たちが私の家に来た。

 

 三人の子は私の足にしがみついて「ハナコがー!」と泣いた。

 

 忘れてなかったのだ。この子達は。ちゃんと雨の中不安で、ハナコのことが心配で。

 

 子供たちの言葉からあの小屋が壊れたのだと知った。そして泣きじゃくる子供たちにハナコは無事だと伝えようとした時お母さんが抱いてきたハナコが「なーん」と間抜けに鳴く。

 

 「ハナコ!」

 

 子供たちは鼻水と涙でぐちゃぐちゃになった顔を私の足から放して名を呼ぶ。うわぁ、汚いなと思いながら仕方ないかと笑う。

 

 夏がもう半分すぎた。

 残りの夏はきっと忙しくなって、きっといろんな人に怒られる。

 でもメールボックスはいつまでも静かだろうし、この先も私は私で。

 



 

 ────きっと、来年の夏はもっと賑やかになるんだろう。



 子供に抱っこされたハナコが、間抜けにまた鳴いた。




 

  

 

 

 


 

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優しく痛かった 星屑 @hitotuno-hosikuzu

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