第7話 トリブ酒の陰に

 昼食はどうということもなくラグーシャ料理、夕食になってトリブ料理が供された。昼はまだ疲労の残るソフィアの顔色も夜にはすっかり良くなり、懲りずに酒をチラチラと。ラグーシャには珍しい陶製の容器を傾けて注がれる酒は、彼女の瞳にキラキラと瞬いた。しかしジョシュアは初めから自分のだけしか酒を頼んでいない。一人軽く口をつけて苦笑した。


「喉元過ぎればなんとやら。俺なんて初めて二日酔いになった時は次の宴会が怖かったっけ。レミちゃん大物になるよ」

「ふ、二日酔いになんてなってないんですから。でもトリブのお酒、気になるわ」

「お嬢様!昨日あんなにお飲みなったばかりなのに、もうお酒が欲しいんですか!」

「気になるだけよ。そんなに怒らないでってば」

「レミちゃん、お酒よりごはんを食べましょう。我が国の料理はお口に合いますか?」


 今晩テーブルに供されたのは野菜や魚介の揚げ料理。ラグーシャで一般に目にする物より色が薄くフワフワしたころもを身に纏っている。しかしいくら柔らかそうな衣とはいえ、ソフィアの若い歯は小気味よく音を立てて差し込まれた。


「おいしい!丸っこくてかわいい見た目なのにサクサクしてる〜ベスさんたちはこんなおいしい物をしょっちゅう食べてたの?」

「お気に召したようで何よりです。僕の家だと月一回出るくらいでしたけど、三年兵殿はどうでありました?」

「俺の実家じゃ週一度。肉も小魚も山みたいに揚げられて出されたっけ。昔は辟易してたけど懐かしいな」

「山みたいに!是非ともご家庭の味を堪能させていただきたいわ」

「なら家に来るといいさ。俺の母ちゃんはもてなし好きだから喜ぶだろうぜ」

「ええ。本当におじゃましちゃおうかしら」


 リップ添えた光る唇で笑うソフィアの横で、ミシアがガタンと卓を揺さぶり身を乗り出す。真っ赤な頬に、ジョシュアが箸で摘む海老の尾が溶け込んだ。


「男性のお宅に上がるだなんて、なんてはしたない!」


 ジョシュアは苦笑いで済んだがソフィアと割合純情なベスが頬を染める。まだ幼い彼女だって、ミシアが言わんとすることはなんとなく判った。


「み、ミシアさん、はしたないだなんて」

「ご飯食べるだけよ。ミシアったら、男と女とくればすぐ変な関係に結び付けたがるんだから」

「いーえ、私は男の本性ってものをよく知ってるんです!そうやって言葉巧みに女の子をたぶらかしては弄ぶんですから」

「これのどこが口説き文句なのさ。しかしミシア嬢は容姿端麗、きっとモテることだろう」

「それがね、お付き合いしてた人って一人しかいないのよ。ほんの小さなころに。それから交際を申し込む相手なんて数えきれないくらいいたのに全部断ってるの」

「お、お嬢様!そんなことわざわざ言わないでください!」

「へえ、なぜまた」

「もう男にはこりごりしたんです!ほんの小さな頃っていっても、与えられたトラウマは絶大的なんですからね」

「よっぽどマセたショーネンだったらしいや」


 「俺もお近づきになりたかったね」と言いかけて、通りかかった客の尻がぶつかった。手の甲に酒が飛び散る。客の男は慇懃に謝罪した。


「これは申し訳ありません。御手を汚してしまいまして。どうぞ、代わりのお酒をご注文させてください」

「いや、自分の不注意でもあったんです。なにもそこまでしなくても」

「すみません、こちらの方に同じ物を二つ」


 ジョシュアの手元にあったのは一本で二本とは豪儀、より高級な物を敢えて頼まないのは彼の自尊心を傷つけないための配慮か。好意の酒はすぐに並べられた。男は少々の雑談を交えた。


「ラグーシャよりお戻りですか。演習があったと聞きましたが」

「ええ、あちらさんと合同で」

「しかし陸軍もこうした豪華特急を使うとは、洒落たことをなさいますね」

「いえ、我々だけなんです。他の連中は軽装甲車の隙間に挟まりながら先に帰りました」

「おや、あなた方お二人だけで。またどうして」

「いやね、ちょっと見つけちゃったものがあるもんだから。それをどうするか色々と手続きしてたら置いてけぼり食らったんですよ」


 しばらく、ほんの少し間があった。ジョシュアは内心唇を噛んで、なぜこの列車に乗っているのか根掘り葉掘り聞かれることを恐れた。上手い噓も酔いの回る頭では思いつかず、ベスを見た。彼はそっぽ向いて先輩に応える。

 しかし紳士は深堀りせず、穏やかに笑っただけだった。


「そうですか。怪我の功名とも言いますね。いや、少し違いますか」

「きっとそうです」

「ではこれで。先程はすみませんでした」

「いえ、こちらこそ」


 丁寧にお辞儀すると彼は離れた席に向かい、同じような風体の男女数人に混ざった。洒落た団体である。一風変わった空気に思い出す先程見かけたバンドの集団、しかし今は楽器を携えていなかった。


「演奏は今夜ないらしいや」

「演奏って?」

「昼間乗り込んでくるのを見かけたんだ。楽器らしいケース持ってたから何かのバンドなんだろうって」

「知ってる?」

「さあ。ベスは?」

「僕も分かりませんね。バンドったって何千何万もいますし」

「灯りを落としてジャズでもさ、色っぽいのやってくれたらムード出るんだけど」

「いいですかお嬢様、こうやって男は何もかもを利用して乙女を毒牙にかけようとするんですからね」

「まだ引きずってやがら」


 席についた紳士にジョシュアたちの会話が聞こえていた。反応することもなく、先程の柔和な表情を消し去って窪んだ目の影甚しい。まるで別人の様相で、仲間が注文していたウィスキーを手に取った。

 仲間は四人いる。男が三人、紅一点の女が一人。背の高い男が一度ソフィアの方を向いて、顔を戻すと頬杖ついた。


「偶然も偶然ですね。ここまで仕組んだわけじゃないでしょう」

「もちろんだ。ただ接点を持たせるにしても、人の心情まではコントロールできん」

「わかんないわよ?私たちだって偶然会ったはずだったじゃない」

「そう。でも蓋を開けてみればパズルのピースが揃ってた」

「そんなに多いピースじゃないけどな」


 一人がグラスを掲げた。他も倣って酒を手に腕を伸ばす。紳士が静かに音頭を執った。


「それでは、完成したパズルに乾杯しよう。後ろにある煌びやかな額縁で飾れることを祝して」


 額縁とは彼らだけに通じる隠語だった。皆はそれぞれのを思い描きながらグラスを重ねた。

 当の額縁たちは曲者を彩られようとしていることに気づかず、呑気なままに華やぐ談笑を続けていた。

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皇女殿下の車窓より――野戦服より愛をこめて 森戸喜七 @omega230

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