それでもこの冷えた手が

無月弟(無月蒼)

第1話

 冬は嫌い。だって寒いもの。

 吹き付ける木枯らしが体を冷やして、体温を奪っていく。春になるまで外には出たくないって、半ば本気で思う。だけど生憎、そう言うわけにもいかない。今日も学校へ行くため、家を出て駅へと向かう。


 駅……これが屋根や壁があって、寒さを凌ぐことができるような立派な造りの駅だったら、どれだけ良かっただろう。だけど生憎、私の利用している最寄り駅は、そんな立派な造りじゃない。田舎の駅と言うのは質素な造りの物も少なくなく、ホームとなる石段と、申し訳程度の小さな屋根がある程度。たしか都会のバス停が、こんな感じだったかなあ。

 そんな寒さを全く凌ぐ事のできない駅で、私は今日も一人列車を待っている。田舎の駅だから、利用者もほとんどいないのだ。


 それにしても寒い。長く待たなくて済むように時間を見て家を出てきたけど、それでも列車が着くまであと五分ある。その間ずっと、寒さに耐えなければいけないのか。れっさの中だと、少しは暖かいと言うのに。そんな事を考えていると……


「にゃあ~」


 瞬時に、耳がピクピクっと反応する。今の高くて可愛らしい声は……

 私はあわてて、辺りを見回した。すると。


「にゃあ~」


 ああああっ、ニャンコだー!

 そこにいたのは小さな小さな、黒いニャンコ。おそらく、生後まだ一か月か二カ月と言ったところだろうか、とにかく小さくて、そして可愛い!これくらいの頃の仔猫って、他には無い可愛さがあるよね!


 実は私は大の猫好き。少し離れた所からこっちを見つめるニャンコのつぶらな瞳を見ていると、つい抱きしめたくなる衝動に駆られてしまう。だけど、そんな欲望をグッと抑え込む。ここで不用意に近づくわけにはいかないのだ。

 何故なら私は猫が好きだけど、どうやら猫は私のことが好きではないらしいから。


 最初その事に気付いた時はショックだった。幼いころから野良猫を見つけては、一心不乱に追いかけまわしていたと言うのに。友達曰く、そんな事をするから猫に嫌われるのだと言う。

 いいやそんなはずはない。だって私は、こんなにも猫が好きなのだから。きっと猫だって私のことが好きなはずだと、口を酸っぱくして反論した。しかし。


『落ち着け、それはストーカーの理屈だ』


 友達は無情にも、そう言い放ったのだ

 いよいよもってショックだった。それ以来やみくもに猫に向かって行くのではなく、遠目で見守る方向に路線を変更している。だから今もこうやって、近づく事無く見ているのだ。

 触れられなくても、その愛くるしい姿を見ているだけで、私は幸せなのだから。だけどそんな事を思っていると、信じられないことが起こった。


「みゃ、みゃ!」


 何とニャンコの方から、こっちに歩み寄ってきたのだ。ビックリしていると、ニャンコはそっと私の足に寄り添って、体を擦りつけてくる。


「にゃあ~」


 くすぐったい。けど、とても暖かい。猫ってこんなにも、暖かいものだったの?

 警戒心の全くないニャンコは、私の靴の上で完全に立ち止まり、そのまま丸くなってしまった。

 どうしよう、これじゃあ動くことも出来ない。まあ列車を待っているのだから、動く必要も無いんだけどね。


 足を動かさないように身を屈めて丸くなっているニャンコに手を伸ばす。こんなに警戒心が無いんだから、触っても大丈夫だよね?

 指先がニャンコの背中に触れる。ニャンコはくいっと頭を上げてこっちを見上げたけど、嫌がる様子は無くて、調子に乗った私はつい、両手でニャンコを撫でる。


「にゃあにゃあ」


 暖かいニャンコに触れて、冷たかった手が暖かくなってきた。だけどこんな冷えた手で触ってしまって、ニャンコは寒くないだろうか?でも嫌ってもいないし……


 そんな事を考えていると、踏切の音が聞こえてきた。どうやらもう、列車が着てしまったようだ。


「ごめんね、もう行かなくちゃ」


 蹴とばさないように気をつけながら、ゆっくりと足を動かす。それでもニャンコは必死で足にすり寄ってきたけれど、行かないと遅刻してしまう。

 私は心を鬼にしてニャンコから離れ、やってきた列車のドアを潜った。


「にゃ~」


 幸いニャンコは列車の中までついてくることは無くて、ホームから名残惜しそうにこっちを見ている。

 ごめんねニャンコ君、短い間だったけど、楽しかったよ。閉まるドアからニャンコを見送って、心の中で別れの言葉を呟いた。




              ◇◆◇◆◇◆◇◆



 駅で出会ったニャンコは、私にとても懐いてくれた。あんなに猫に懐かれたのなんて、生まれて初めて。しかもそれは、どうやらただの気まぐれではなかったみたいで。何と次の日駅に行くと、昨日と同じようにあのニャンコがいて、私を見るなりトコトコと歩いてきたのだ。


「みゃ、みゃ!」


 ヒタヒタヒタヒタ、柔らかな足を動かしながら、近づいてくるニャンコ。そして昨日と同じように、私の足にすり寄ってくる。


「にゃー、にゃー」


 ふふふ、この子は本当に、良く懐いてくれる。そしてそれからも、ニャンコはよく駅に現れた。毎日と言うわけでなく、たまには姿を現さない日もあったけど、いた時は毎回必ず、私にすり寄ってきてくれる。

 右足にスリスリ、左足にスリスリ。くすぐったいけど、暖かなニャンコ。ああ、このままこの子とずっと仲良くしていたい。相変わらず他の猫には見向きもされない私だけど、この子だけは懐いてくれる。それがとても嬉しかった。


 だけど幸せな時間は、得てして続かないもの。寒さも和らいで春になった頃、ニャンコはパタリと姿を現さなくなってしまったのだ。

 もしかして、事故にでも遭ったのだろうか?今でも元気でいるだろうか?いやな予感が頭をよぎる。

 もう、あの子には会えないの?あのつぶらな瞳で見る目られることも、すり寄られて暖かな体温を感じる事も、もう無いの?そう考えると、とても悲しい気持ちになる。


 そうして一か月が過ぎ、二カ月が過ぎ、季節は夏。制服も半袖の夏服に変わって、汗ばむ暑さが続いている。

 小さな屋根しかなく、日陰のできることの無い最寄り駅には、冬とは違う理由で行きたくは無かった。だけどそれでも学校に行かなければならないので、今日も家を出る。

 だけどこの日は、驚きの出会い……いや、再会があった。

 駅について、ホームにちょこんと座っていたのはなんと、冬の間あっていたあのニャンコだったのだ。


 見ない間に体は大きくなっていたけど、あのフサフサした黒い毛並みとつぶらな瞳は間違いない。今までどこに行っていたのとか、怪我はしていないかとか、気になる事は山ほどあった。だけど今ここにニャンコがいる、それだけでとても嬉しい。

 いても経てもいられなくなった私は、足早に近づいていく。また前みたいに、その体に触れたいって思って。だけど……


「にゃあ」


 ニャンコは一鳴きすると、そっぽを向いてどこかへ歩いて行く。

 ええっ、なんで?前は向こうから寄ってきてくれてたのに?信じられない気持ちになって、慌てて追いかけたけど、それに気づいたニャンコは速度を上げて、駅から去って行ってしまった。

 呆然とそれを見送る事しかできない私。そんな、君は他の猫とは違うんじゃなかったの?


 それから何度か、駅でニャンコの姿は見かけたけど、もう寄ってくることは無くて、知らないうちに嫌われるような事でもしてたのかなと、悲しい気持ちになる。

 そうしているうちに一か月が過ぎて、二カ月が過ぎて。また寒い冬がやってくる。


 その日私は、コートを羽織って、マフラーを巻いて。完全防寒で家を出た。

 そうしてやってきたのは、いつもの駅。する子そこには、あのニャンコの姿があった。

 触ってみたいとは、今でも思う。だけど夏に再会してからというもの、ニャンコは一度だって触らせてはくれなかった。もうちょっかいを出すのは止めて、遠目から見るだけにしよう、

 そう決めていた私は、離れたところに立って、列車が来るのを待っていた。すると。


「にゃ、にゃ」


 なんと可愛らしい声を上げて、ニャンコが近づいてきたのだ。

 ええっ、どうして⁉今まで全然触らせてくれなかったのに⁉

 驚く私をよそに、ニャンコはいつかみたいに私の足にその体を擦りつけてくる。体温が伝わってきて、とても温かい……って、ちょっと待って。


 ここでハタと気付いた。もしかして私が暖かいのと同じように、こうしているとこの子も暖かいのではないだろうか?だから冬の間は私のことを湯たんぽのように思っていて、懐いてきた。だけど暖かくなってから、特に夏は暑いのが嫌だから、懐いてくれなくなってたのではないのか?


「にゃ~ん」


 上目づかいで私を見上げてくるニャンコ。

 コイツめ、結局は暖をとりたいだけか。そうして暖かくんったら即ポイってわけか。そのあまりに身勝手な行動に、ちょっと腹が立ってきた。

 もうこんな奴知らない、都合のいい時だけ湯たんぽ代わりにされるだなんて、私はそんな軽い女じゃないぞって、言ってやりたかった。だけど……


「みゃあ~」


 この可愛らしい姿を見ていると、どうしても頬が緩んでしまう。私の手は今でも、この子に触れたいと思ってウズウズしている。ええい、コイツめ。この冷え切った手を食らうがいい!


「にゃにゃ⁉」


 冷たい手で両頬を掴まれ、声を上げるニャンコ。だけど驚きはしたものの、依然私にくっついたまま離れようとはしない。そんなに私で暖をとりたいのか。


 ワガママで気分屋で、自分勝手なニャンコ。だけどそれでも、どうやらこの子を嫌いになんてなれないみたい。

 なら仕方が無い。冬の間は、甘んじて湯たんぽになってあげるよ。


 冬空の下、私は列車を待つ。手と足にニャンコの、暖かい温度を感じながら。

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