第5話 西川修
「これな。例の議員センセイのところに来たっていう手紙」
島崎が机の上に置いた手紙を見て、川畑は「あらー」と苦笑いする。先日強制猥褻で大騒ぎになった
中橋のところに届いたものと同じく、何かの印刷物の文字を切り貼りしており、その文面はやはり中橋と同じ『一番価値のあるものを奪ってやる』である。
「これ、消印は先月ね。受付局は船橋郵便局。中橋さんの方は綱島郵便局」
「千葉と神奈川か。まるで接点ねえな」
川畑が眼鏡の赤いフレームを押し上げる。
「だけどどう見てもこれ、同一犯よねぇ?」
「封筒も同じ百均メーカーの物か。これは別人とする方が無理があるな」
茶封筒にすればいいものをわざわざこうして色付きの物を使ってくるというのは、同一犯であることをアピールしてるようなものだ。
川畑は溜息をつきながら証拠品をビニール袋に戻すと、今度は書類の束を手に取った。
「中橋洋一。五十九歳。東都大学芸術学部卒。アートギャラリーナカハシ経営者。家族は奥様の
アールヌーヴォーという言葉を彼女の口から聞くのは二度目だ。どうせ教えてもらったところで翌日には忘れてしまう自信があるので、島崎は敢えて聞かない。が、どうやら曲線的なデザインであろうということは彼にもなんとなく推測できた。
「西川の方は……これね。
「七十九歳だってよ」
「じゃあ、大丈夫ね。……で、息子さん二人は独立してそれぞれの家庭を持ってると。住所は東京都世田谷区奥沢。趣味はゴルフと釣り。あれ? 奥沢って中橋さんも奥沢だったっけ」
「いや、あっちは深沢だ。似てるけどな」
島崎が即答で訂正すると、「なんで同じ世田谷に似たような地名があるのよ」などとブツブツ言っている。島崎に言わせれば、あれだけたくさんの難解な画家の名前を憶えているのに、何故日本語の地名が覚えられないのかというところではあるが。
「奥沢と深沢って近いの?」
「ああ、距離は近いな。たかだか三キロってとこだ。だが、電車だと結構遠いな。深沢は田園都市線なら桜新町、大井町線側なら等々力か尾山台。奥沢は目黒線の奥沢か東横線の自由が丘辺りだろう」
まで言ったところで、島崎は川畑のキョトンとしたような表情に気付く。
「島崎君って地図オタク?」
「は?」
「いや、地図と路線図が完璧に頭に入ってるなって思って」
「ああ、そういえば俺も今まで気づかなかったけど、結構地図は頭に入ってるかもしんねえな」
「へえぇ。ちょっと今、島崎君が初めてカッコよく見えたわ」
初めてかよ、というツッコミを辛うじて呑み込み「こりゃどうも」と気のない返事をする。
「そんなことより、二人は同じ大学卒なんだな。時期も重なってる。学内で顔を合わせることもあったんだろうか」
とは言え、片や芸術学部、もう一人は法学部。そもそもキャンパスが異なる可能性もある。
「どっちも亀戸キャンパスね。他に経済学部と教育学部が亀戸キャンパスみたい。理学部、工学部は小岩キャンパスですって」
パソコンを覗いていた川畑が報告すると、島崎がフンと鼻で笑う。
「亀戸も小岩も目と鼻の先じゃねえか」
「でも江東区と江戸川区って書いてあるわよ」
川畑が眼鏡を押し上げながら書類を目で追うのへ、島崎が椅子の背もたれに体を預けるようにして応える。
「間に荒川挟んでるからな」
「ねえ、島崎君」
ふと気づくと、川畑が島崎の顔を覗き込んでいる。
「な、なんだよ」
思わず身を引く島崎を追うように川畑が顔を寄せてきて、珍しいものでも見るかの如くまじまじと彼の顔を見つめた。
「島崎君って、昔から地図オタクだったっけ?」
「だからオタクじゃねえよ」
「今日の島崎君、私の萌えポイントにグイグイ来るわ」
「はぁ?」
「私、方向音痴なのよ。地図持ったまま迷えるから。凄いでしょ?」
「自慢になんのかそれ」
そういえば、高校に入ってすぐのオリエンテーリングの時、川畑が一人だけ帰って来なくて大騒ぎになったことがあった。地図を持ってどうやって迷えるのか不思議だったが、島崎が彼女を見つけ出して無事帰還することができたのだ。そう考えると島崎と川畑はその頃からの腐れ縁と言ってもいいかもしれない。
「とにかく――」
昔の記憶に浸っている島崎を、川畑の声が現実へと呼び戻した。彼女は立ち上がると、書類の束をトントンと揃えて島崎に笑顔を向けた。
「私はこれから当日の警備体制について上と相談して来るわ。明日もう一度中橋さんのところへ行きましょう。島崎君は中橋さんと西川議員の接点を洗ってみて」
島崎が「了解」と言い終わる前に彼女は部屋を出た。
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