第4話 中橋洋一
「お待たせしてすみません、ちょっと仕事の電話が入っていまして」
「いえ、こちらこそお忙しいところ無理を言って申し訳ありません」
中肉中背、というより少々貧弱な感じがする。この家から想像するに、もっとでっぷりとしたタヌキのようなオヤジを想像していた二人は、イタチかテンを彷彿とさせる風貌の彼に出端を挫かれた感じになった。
「
小心者。これが二人の中橋に対する第一印象だった。おどおどと落ち着きなく二人と手元の間を移動する視線がそれを物語っていた。
差し出された名刺は味気ないものではなく、かといって華美過ぎず、適度に洒落た感じのシンプル且つ洗練されたアールヌーヴォーデザインだった。
「今回担当させていただきます川畑と申します。こちらは島崎です」
川畑に続き島崎も簡単に挨拶すると、中橋は島崎にも名刺を差し出した。
「早速ですが、実際の犯行予告を見せていただけますか?」
仕事モードの彼女は、実年齢より三つほど年上に見える。赤いバレッタが壊れて少々色気に欠ける川畑が淡々と事務的に話を進めるのを見ていると、世の男どもが彼女に声をかけるのを躊躇する理由がわかる気がする。
「それが……これなんです。一応あまり触らない方がいいかと思って袋に入れておいたんですが」
中橋が緊張した面持ちで、ビニール袋に入れた封筒を差し出した。
――封書?
思わず川畑と島崎が顔を見合わせる。てっきりメールか何かだと思っていた二人には、まさかそんなアナログな手法を使って来るとは思いもよらなかったのだ。
「お預かりします」
川畑がハンドバッグから手袋を出して装着するのを見て、島崎もポケットから手袋を出す。
郵便局の消印は一昨日になっている。宛先住所は手書きではなく、シールなどに印刷したものでもない。
「この宛先は……」
「ギャラリーのパンフレットから切り抜いて貼り付けたと思われます。こちらがうちのパンフレットでして、この部分を」
中橋がアートギャラリーナカハシのパンフレットを裏返しにして、住所の書かれた部分を指して見せる。言われてみれば、確かにその部分と同じ紙質である。
封筒は少々特徴のあるカラー封筒。百円ショップで売っているものではあるが、淡い水色のものだ。
中を覗くと一枚だけ紙が出てきた。慎重に開くと、活字を切り貼りしたようなクラシカルな文面が目に飛び込んでくる。
「私も普段からアンティークは好んでおりますが、こういった文書までこんなバロックなのが来るとは思いませんで。昭和の刑事ドラマみたいじゃないですか」
「ええ、まあ」
と話を適当に合わせつつも、平成生まれの二人には『昭和の刑事ドラマ』が今一つピンと来ない。
「犯人に心当たりはありますか?」
「いえ、全く」
『一番価値があるものを奪ってやる』。確かに口頭で聞いたものと同じ文面だ。
「これはこちらでお預かりしてよろしいでしょうか」
「ええ、もちろん。よろしければパンフレットもお持ちください」
そこにノックの音がして、詩穂里がトレイにアイスティーを乗せて入って来た。川畑は大切な証拠品を汚さないうちにビニール袋に戻し、ハンドバッグに片付ける。
お茶を出されたときに島崎はハッとした。この詩穂里という女性の香水が川畑のものと同じだったのだ。こんなにも雰囲気の違う二人の女性が同じ香水を使うのか――。
「それでは今回のエコール・ド・パリの目録を見せていただけますか?」
「私が」
詩穂里がすぐに立って、チェストの中から冊子を出してくる。この子は父の仕事を手伝っているのだろうか。
詩穂里に手渡されたパンフレットをパラパラと見ながら、川畑が「はぁ……」と溜息をつく。
「マルク・シャガール、アメデオ・モディリアーニ、レオナール・フジタ、マリー・ローランサン、パブロ・ピカソ、ジャン・ジャンセン、サルバドール・ダリ、ルネ・マグリット……錚々たる顔ぶれですね」
川畑が読み上げるのを横で聞きながら、島崎は「ピカソしか知らねえや」などと思っている。しかもピカソと言えば幼稚園児の落書きみたいな絵を描いてるオッサンだろう、くらいの偏見に満ちた知識しか無い。ここでの会話は川畑に任せておいた方が良さそうだと判断した彼は、書記に徹することにした。
「刑事さん、絵はお好きなんですか?」
「ええ、あまり詳しくはないんですが、ジャンセンなんかは好きです。神経質ながらも繊細な線描の表現が素敵だなって。あ、すみません、本当に素人なものですからこんな感想しか言えなくて」
「いやぁ、こんなお若いお嬢さんにジャンセンのファンがいらっしゃるとは。大抵はマグリット辺りになると思うんですがね」
「マグリットは綺麗にまとまりすぎていて……うーん、どちらかと言えばダリの方が好きかもしれません。友人たちはマグリットやシャガールのファンの方が多いので、私だけみんなと話が合わないんです」
二人が盛り上がり始めた。川畑が素で盛り上がっているのか、打ち解けようと話を振っているのかはわからないが、島崎から見る限りではとても楽しそうには見える。
「ダリの作品で一番好きなのはなんですか?」
「ダリ本人かしら。彼自身、彼の代表作品ですから」
川畑が髭を引っ張るようなしぐさをするのを見て、中橋が笑いだした。
「これは一本取られましたな。いやぁしかし、来てくださった刑事さんが芸術のわかる方で良かった」
どうやら中橋の信頼は取り付けたようだ。先程までおどおどと落ち着きのなかった中橋がすっかりリラックスしている。島崎だけではこうはいかなかっただろう。
「少し前にジャパン・グラフィックアート展をやったんですよ。あれもなかなかに盛況でした。ヒロ・ヤマガタ、
シルクと言われても島崎には何のことだかさっぱりわからない。だが、川畑の方は「素敵!」と頷いている。
「私もジグソーパズルしか持っていないんで、シルクスクリーンが一枚あったらなぁって思ってるんですよ。ピーター・モッツの『花の階段を上って』とか大好き!」
「ああ、モッツは花をモチーフにしたものが多いですからね。シルクを買うときは、うちに声を掛けてください。お安くしておきますよ」
「ええ、その時は是非」
やれやれ、やっと本題に入れそうだと島崎が身構えた瞬間、川畑が美術談義のついでのようにサラリと切り込んだ。
「ところで、今回のエコール・ド・パリですけど、一番価値があるものってなんでしょうね?」
「こればっかりは。一番高価なものが一番価値があるかといえば、そうじゃないものでして。マグリットに人気が集まる中でも、刑事さんにはジャンセンの方が価値がある。そういうものなので」
この回答は想定内だ。問題はこの先どうやってヒントを探り出すかだ。川畑が僅かに身を乗り出した。
「中橋さんにとって、最も価値があるのはどれなんでしょうか?」
「私でしたらグスタフ・クリムトかエゴン・シーレを真っ先に挙げるんですが、今回は取り扱いが無いので……この中ではマルク・シャガールでしょうか」
「失礼ですが、こちらのお宅のクリムトはあれだけですか?」
川畑が壁のクリムトを視線で指すと、中橋が「ええ」と頷く。
「あのクリムトは私の宝です」
――早くもこの言葉を引き出すとは――と、島崎は川畑の有能さに改めて舌を巻く。
「そのことを知っている人間は?」
「この家に来たことのある人ならどなたでもご存知かと」
「この犯行予告はタイミングから言ってエコール・ド・パリを狙ったものと思われますが、はっきりそのように書いてあるわけではありません。もしも犯人の言う『一番価値のあるもの』が『中橋さんにとっての価値』であれば、狙いはそこのクリムトということになりますよね?」
「私にとって、という意味であれば、そうなるでしょう」
川畑の視線が中橋の瞳の奥にまでずかずかと上がり込んでいく。その目に臆したように慌てて身を引きながらも、彼は反論せずにはいられなかったのであろう、ややあって口を開いた。
「ですが、このクリムトは無理ですよ。死んでも渡さない」
まあ、これだけ入れ込んでいるものならば、それなりの対策は取っているだろう。確かに門扉には大手警備会社のステッカーも貼られていた。
「この部屋には監視カメラがあるんですか?」
「ええ、もちろんです。あのスピーカーについています」
部屋の四隅に天井から吊るすタイプのスピーカーが下がっており、静かに弦楽四重奏が流れている。そこにカメラが仕込んであるということらしい。これは一旦署に戻って対策を練った方が良さそうだ。
「ありがとうございます。それでは我々は署に戻って警備体制について検討し、もう一度ご報告に伺います。エコール・ド・パリも我々にお任せください」
そう言って、二人は中橋邸を後にした。
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