第3話 二人の刑事
「そういうわけで、今日から一課の応援。川畑さんの補佐に任命されちまった」
ハンドルを握る島崎が心にもなく迷惑そうに言うと、助手席から川畑がシレッと答えた。
「うん、私が上に要請したから」
「なんだよ、川畑さんが犯人かよ」
「犯人とは失敬な。島崎君が『全く同じメッセージだ』って言いだしたからじゃないの。同一犯による犯行予告かもしれないでしょ?」
今日は黒いゴムで髪をまとめている。まだバレッタを買いに行っていないのだろう。
川畑がシートベルトを締めたのを確認すると、島崎は静かにアクセルを踏んだ。
「そう言えば、島崎君が運転する車って初めて乗るわね」
「そうだっけか?」
「今まで一緒に仕事したこと無かったじゃない」
言われてみればそうだ。
高校の頃からなんやかんやでちょこちょこと顔を見ていると、なんでも知っているような錯覚を起こしてしまうが、この二人はお互いのメールアドレスすら知らないのだ。川畑に至っては、島崎がどこに住んでいるのかも知らない。
「まさか島崎君と組む日が来るなんてね」
「なんか迷惑そうだな」
島崎が苦笑交じりに言うと、川畑が楽しそうに笑った。こんな時の川畑は大抵ちょっと意地の悪い事を言う。
「そうかもね。だって野生の勘だけで捜査しそうなんだもの」
地味に図星を突かれて、島崎は何も言い返せない。
「ってのは冗談よ。ただね、ちょっと奇遇だなって。香菜の結婚式、スピーチ頼まれちゃったのよ。島崎君の事、ネタにしてもいい?」
「なんで俺よ?」
「だってほら、香菜のお陰で私たち今こうして一緒に仕事してるわけじゃない?」
高校二年のときだった。島崎と川畑は一緒のクラスで――といっても、三年間一緒のクラスだったのだが――文化祭で自主製作映画を撮ったのだ。
その時の原作とシナリオを書いたのが新婦の香菜、そして相手役を務めたのが新郎の市村だったのである。
確かやたらとドーナツを食べる話で、殺人事件の絡むミステリーだった。ドーナツの食べ過ぎで、撮影が終わるころには島崎は三キロ太り、川畑はバストがさらに三センチ育ったとはやし立てられたものだ。
その中で、川畑と島崎は刑事役でコンビを組んでいたのだ。そこから警察という仕事に興味を持ち、二人そろってこの仕事を選んだわけだ。
今考えてみれば、あのシナリオは予言だったのかとさえ思える。
あの中では川畑も島崎も一課の刑事だった。これで島崎が二課から一課に異動になれば、同窓会のネタとしてずっと引っ張られることになるだろう。
そんな昔の思い出に浸りながら走るうちに、車は世田谷に入ってきた。
高級住宅街を走りながら、自分には一生縁の無さそうな
「こんなところに住んでる人の『価値』って、私たちのような一般市民にはわかんないわよねぇ」
同じことを考えていたのか、川畑が気怠そうな声を出す。
「犯行予告つったって、今回のは確かに『犯行』予告だけど、議員センセイのは『暴露』だろ? 強制猥褻を何件も起こしてたのをバラされただけなんだからさ」
「美術商も裏で薄汚いことしてるのかもしれないわよ」
「ほら、薄汚いことしてそうなオッサンのとこ着いたぞ。間違っても本人の前で言うなよ?」
「言うわけないでしょ。島崎君じゃあるまいし」
門扉の前に車を停止すると、ちょうど見ていたのか、中から若い女性が出てきて駐車スペースに誘導する。
「随分若いお手伝いさんね」
「美術商のくせにこんなかわいい家政婦を雇うとは、エロ議員と同じ穴の
外に聞こえないと思って言いたい放題の二人だが、車を降りた途端ににこやかな営業スマイルに切り替える。
「先ほどご連絡しました川畑です」
「お世話になります。
詩穂里と名乗った美術商の娘は、川畑と島崎を部屋に案内すると、そこで待つように告げて部屋を出て行った。
「お手伝いさんじゃなかったな」
「言われてみれば、あんな小綺麗な服装のお手伝いさんなんかいないわよね」
確かに、淡い水色のブラウスに白い小花の散った青いサーキュラースカートを身に着けて、上品な佇まいを見せていた。
「お嬢さん、私たちと同い年か、もう少し下くらいじゃないかしら?」
「ああ、多分な」
美術商の邸宅は、彼の趣味なのだろうか、ヨーロッパの古城をイメージした洋風建築で、『洋館』という言葉がよく似合う。これで人里離れた薄暗い山奥に蔦に絡まれながら建っていればミステリーにありがちな密室殺人の事件現場になりそうな感じだが、生憎ここは東京世田谷であり、絡まっているのは淡いピンクのバラと濃紫のクレマチスである。どう頑張ってもクローズド・サークルを創り出すのは不可能だ。
こんなところに住んでいるのは一体どんな男なのだろうかと思いつつ、二人は案内されるまま中に足を踏み入れた。
家の中はアンティークの家具が品良く配置され、外観に負けず劣らずのこだわりが見て取れた。
猫脚革張りのゴージャスなソファに居心地悪く体を預けて室内を見渡すと、壁には造り付けの暖炉があり、その上にはアールヌーヴォースタイルの大きな花瓶に活けられた花が飾ってある。
ソファセットも傍のチェストも全てチェリーブラウンで統一され、頭上にはうるさすぎないデザインのシャンデリアが下がっている。この辺りのバランス感覚が美術商のセンスの良さを窺わせた。
「あのでっかい花、なんだあれ」
物珍し気に室内をキョロキョロと見まわしていた島崎がボソリと呟く。
「あれ、ヒマワリよ」
「ワインレッドのヒマワリなんて初めて見たよ」
「周りの家具や花瓶の雰囲気に合わせて色を選んでるんだわ。ゴッホの『ひまわり』には黄色しか無かったかしらね。最近は茶色やワインレッドのヒマワリも日本に入って来てるのよ」
「へ~」
「ヒマワリの周りにベージュの花あるでしょ。あれはバラ。淡い黄緑からくすんだピンクへのグラデーションが綺麗な小さい花は、オレガノ・ケントビューティ。凄くセンスいいわよね」
ワインレッドのヒマワリにベージュのバラなど、島崎にとっては初めて目にするものばかりである。川畑の博識に目を白黒させていると、彼女が声を潜めた。
「この前の祖師谷の殺人事件、旦那が奥さんに刺されたやつね。ジュリアって言うベージュのバラを庭に植えたことで奥さんが逆上して包丁で一突き。被害者の浮気相手の源氏名がジュリアだったのよ」
人間、一体どんなところでどんな知識がつくかわかったものではない。できればもう少し精神衛生に良い知識のつき方をしたいものである。
「ベージュのバラが植えられるような家に住んでる連中の考えることはわからんな。貧乏で良かったよ、この絨毯の価値もわからん」
「私たちの給料じゃ買えないから安心して」
「これ、ペルシャ絨毯ってやつ?」
「そうね、多分クムシルクの最高級品よ。このサイズならどんなに安くても五百万は下らないでしょうね」
どこからそんな情報を仕入れてくるのか、川畑にはいろいろと謎が多い。
「俺んちのカーペット、同じサイズでホームセンターで三千円で買ったぞ。買い物上手だろ? 結婚するならこういう男を選べよ」
「安物買いの銭失いって言葉が日本にはあるのよ」
島崎のアピールは徹底的にブロックされているようだ。だが島崎も負けていない。
「適材適所って言葉もあるな」
「確かに『島崎君にペルシャ絨毯』なんて『猫に小判』みたいなものね」
島崎に笑顔を投げかけると、川畑はソファから立ち上がり、壁の方へと向かった。
壁にはクリムトと思しき絵がかけられている。この部屋へ入るまでの廊下には、ミュシャの作品がいくつか飾られていた。この家にあるだけでもかなりの額になるだろう。レプリカでなければ、だが。
川畑がクリムトを傍で見ていると、ドアが開いてこの家の主人が入って来た。
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