短編紀行「釧路発音別行き最終列車」

朶稲 晴

【創作小話/釧路発音別行き最終列車】

キィイイイイ、と、軋む車輪を鳴かせてホームに一両編成のワンマン列車が入ってくる。わたしはいつもの後ろから二番目の左側、進行方向を向いてボックス席の窓側に陣取り、リュックサックから本を取り出した。

この列車は釧路発音別行き最終列車。平日の夜の運行のせいかローカル路線の終電にも関わらず、帰路につくのだろうか?学生が二組と、サラリーマンらしき集団が一組、わたしの他にも乗っていた。わたしはというと、なに、野暮用で釧路に出ていて、気づいたら終電にしか間に合わなくなってしまった時間管理のなっていない間抜けな乗客だ。

わが故郷、音別。釧路まで列車でも車でも一時間はかかるその田舎町に、高校はもちろん、大学もない。音別にうまれた学生は中学卒業と共にこの町からはじめて外界に出る。わたしなんか、そりゃあもう、毎日のように浮かれ気分だったさ。列車通学をしていた四年前の感覚が、尻に伝わるエンジンの脈動を通してよみがえるようだった。懐かしい。いってしまえばその一言で足りるのだが、なんだかそれも忍びない気がする。しかし他にこの感動を表すことのできる言葉を、あいにくわたしは知らない。こんなに本を読んでも、趣味で文章を綴ることがあっても、それこそ学校で何年間も母国語としての国語や、現代文、漢文、古文、表現を習ったりしたのに、だ。やはり、その道に進むべきだったか……?

短い電子音のあとに、ため息。ドアがしまった。ゆるやかに加速するGを背中に感じつつ、釧路駅の灯りがうしろに流れて消え去っていく。ああそうだ。こんな感覚、あの頃は毎日……と意識がいよいよ本格的に本から引き剥がされる。ちょうどナオミがわがままをいって家から出てしまったところだったので、諦めてしおりを挟む。

そう、あの頃。私がまだ学生だった頃。はじめて自分のやりたいことを自分の手で探しだし、それに没頭し、おなじ志の仲間もできて、毎日が楽しかった頃。しかし私にとってこの釧路発音別行き最終列車は、その存在自体に良い思い出はなかったはずなのだ。そりゃあ釧路の学校だから地元の学生も通う。友達もほとんどが地元だ。そうなるとどうなるか。ひとりだけ、音別に帰らなくてはいけない私だけが、駅に取り残されるのだ。気軽に遊びにさえ、会いに行くことさえできない。やっと音別から出てつかの間の楽しい時間を過ごしても、帰りは列車の時間があるから、と早く帰らなければならない。それが苦痛だった。同郷の学生は何人もいたにはいたが、わたしは彼らを友人と思ったことはなかった。むしろ嫌悪していた。そのために釧路に出てまで音別を離れたかったといっても過言ではない。とくになにがあったとかではなく、ただ、疲れたのだ。一緒にいるのが。中学校、小学校、幼稚園、ひょっとすると幼児クラブから一緒だったかもしれない連中らとこれ以上一緒にいると、腐ってしまいそうな感覚があったのだ。凝り固まった価値観がそのままカチカチに腐りそうで。媚を売ってごまをすり気に入られなければ発言権さえ与えられないようなどろどろの足場が腐り落ちそうで。まあ平たくいうとわたしは逃げた。逃げに逃げた。今も音別にすんではいるが、彼らとはもう連絡もとっていない。そんな彼らと関わりを絶ちたくて、学生が多く利用する夜七時半、八時半の列車を見送って、逃げ込んだのがこの最終列車だ。この列車には、学生が乗ることはあってもそのほとんどは大楽毛や庶路、白糠で降りる音別民ではない学生だった。

そうなると、あれ?釧路発音別行き最終列車という概念は嫌悪していたかもしれないが、この空間は好きだったのではないか?だいたい、人がいないから好きにできるし。弁当を食ったり、月曜日には週刊少年ジャンプをかって読んでみたり。そしてさきほどまでのわたしのように本を読んだり。絵を描いたり小説のネタを書き留めたこともあったなぁ。

なんだ。わりとわたしはこの空間が好きだったんじゃないか。

学生だったときにはみつけられなかった、プラスの面を見つけることができてわたしは嬉しくなった。いまならジンギスカンキャラメル二個くらい食えそうだ。

なんて考えているともうすでに列車は大楽毛駅を通りすぎ庶路駅へ向かっている途中だった。これは体感であって正確に計ったわけではないから真偽はどうかわからないが大楽毛を過ぎて庶路まで来れば、音別まであと少し、という気がする。ただたんに駅と駅の間の距離が短いのだろうか。それとも心理的な何かだろうか。

「こないだの地震で電気が全部ダメになたじゃねェか。なんだっけ?大規模停電のこと?」

「ブラックアウト?」

「ブラックアウトだな。」

「そう。それよ。そンときよ、カミさんも娘もバカなこと言いやがって。」

「なんて。」

「空をボケっと見上げてさ、星がきれいね、なんて。」

「そりゃアのんきなこった!オレら電気会社の人間がどれだけ苦労したか!」

「おうよ。」

「あンときは大変だったな。本社に電話しようとしてもそもそも電気が通ってないから……」

そうか。彼らは電力会社の人だったのか。あのときはご苦労さん。こちらは停電だけですんだが、震源地の方は大変だったんだっけか。もうニュースもたまにしかやんなくなったなぁ。わたしも、あのときは夜空を見上げて、いつもよりもくっきりとみえた天の川に感動したな。電気がないからテレビもつかなかったし、電波もやられてインターネットも使えなかったし、唯一の情報源のラジオはひどくノイズが混じってた。やることといえば、空を見上げることしかなくて……。みんなおなじことを考えたみたいだ。

そんな彼らも白糠で降りていった。乗客はいよいよわたしだけになった。

タタンタタン……、と規則正しく揺れる列車は蛍光灯のひかりで満たされていたが、乗客がわたししかいないこととまわりは山にかこまれてそとはうす暗かったことから、車内が明るい、という表現を避けたくなるような寂しさが充満していた。それにこの列車の今日の運行もあと一駅でおわる。そのことも、寂しさに拍車をかけていたかもしれない。

始発は白糠駅と音別駅の間の古瀬駅にも停車する。が、この最終列車は古瀬には停まらず通過して音別へと向かう。ちょうどパシクル沼のあたりだ。わたしは窓のそとを眺めた。学生の頃、朝六時半の始発に乗って学校に通ってた頃は、よく古瀬まで起きていて、あとは朝の通学時間は睡眠にあてていた。ほかの学生は予習をしたり携帯をいじったり思い思いの時間を過ごしていたが、わたしにとってはかけがえのない睡眠時間。夏はまだよかった。始発に乗る一時間前、五時半起床だったが夏はその頃にはもう日が出ていたし気持ちよく起きれたから。だが冬場は。冬は列車に乗って車内で日の出を迎えることも少なくなかった。それにわたしのいつも座る場所はドアに近い。冬の冷気が絶え間なく窓やドアの隙間からわたしの体を刺すのは、いくら車内があたたかく保たれていたとしてもあまり良い心地はしなかった。それでも、朝のパシクル沼の景色はすばらしかった。夏は青々とした草木が目に眩しかったし、冬は雪化粧して凍った水面が趣があった。だが、今は夜。そんな景色、見れるはずもなくて。車内からわずかにこぼれたひかりがすぐ近くの雪敷の線路のあたりをちらちらと照らすだけであった。目も悪く、夜目もきかないわたしは暗闇の中にうずもれた枯れ木がひしめく山々も、氷の張ったしずかな沼も、見ることはできなかった。

ちょうど、パシクル沼を通りすぎる頃、列車は国道の下の短いトンネルを通る。風の噂だが国道と交差するようにある線路は珍しいらしくたまにマニアが写真を撮ったりしに来ているらしい。らしい、としかいえないが。

そこを通ると海沿いに出る。ここまでくると音別駅は本当にもうすぐそこだ。釧路の町、古瀬の山、パシクル沼ときてさいごには海岸線。この路線は見所のオンパレードだなと心の中で思った。

この海も、なかなかのくせものだった。思い返すとそこまで思い出らしい思いではないように感じるのだが、このあたりのことは、なぜだか心によく刻まれている。台風が来て運転見合わせ寸前まで追い込まれた雨のあの日は、なんとか運行したのはいいものの波が高く、風にあおられ海は荒れ、この線路も飲み込まれてしまうのではないだろうかと思ったこともあった。また別の日。よく晴れた静かな満月の夜のあの日は、海面は凪いでいて、月のひかりが反射して道ができていたのを覚えている。しかし海の記憶として不思議と普段なら欠けないものが、電車通学するわたしには欠けていた。それは音。波の音。きっと列車を降りれば、ざざんざざんという心地よい音が聞こえただろうが、ここは列車の中。エンジンの音、線路を刻む音。たまになる汽笛が波の音をかき消し、記憶から奪っていた。そのアンバランスさがまた、この海岸線の風景を際立たせていたのだろう。

わたしはそろそろ降りるために身の回りを見渡した。財布は忘れていないか。本はちゃんとリュックにしまったか。切符はちゃんと持っているか。よし。

いままで暗闇の中を走っていた車窓に、ぽつぽつと赤っぽいひかりが見えてくる。音別の街灯だ。

「ごじょうしゃ、ありがとうございました。つぎはしゅうてん、おんべつ。おんべつです。」

四年前と変わらない、無機質で少したどたどしい発音の女性のアナウンス。いくつかのパターンを取り合わせた電子音。

まだ停車していないがそっと立ち上がる。揺れる体をなんとか水平に保ち運転手のいる先頭へ歩く。今日はわたしひとりだけしかここで降りる客がいないからいいけど、たまに口うるさい年配の方とかと一緒になると注意されることもある。良い子も危ないから真似をしてはいけない。いくら次で降りるからといっても焦ってはいけない。席をたつのは、列車が停車してからにした方がいい。と、やむなくすすめるが、どうしてわたしはそうしないのか。くっくっくっ、と無意識に前のめりになる体。運転手がブレーキをかけ始めたのだ。段階的に止まろうとする列車に対しまだ慣性がはたらくわたしは足を踏ん張った。そうこれ。これがたのしいのだ。まだ電車通学したての頃は体重移動がうまくいかなくて転んだこともあったけど。ふふっ。悪い大人になったものだ。

がくん、とひときわ大きく揺れて停車。音別についたのだ。さあ、四年ぶりのあの言葉を、わたしはつっかえずに言えるかな?運転手が運賃箱の前に立ち、わたしを待ち構える。わたしは緊張して少し汗ばんだ手で、切符を渡した。

「ありがとうございました。」

運転手は一瞬目を見開き、そして切符を受け取り、やわらかな笑みで、どうも、と返してくれた。よかった。ちゃんと言えた。この言葉は学生の頃から毎日欠かさず運転手に送った言葉だ。ワンマン電車の特性上、運転手はどうしても気を張り詰めるに違いないだろうと思い、入学直後から声をかけたのが始まりだ。

今日も電車を走らせてくれてありがとう。安全運転をありがとう。と。

見慣れた駅のホームに立つ。さあ、ここまでくれば家まであとは歩くだけ。駅前の温度計を見ると氷点下十度を下回っていた。わたしはコートの襟を合わせマフラーに顔を埋めて固くなった雪を踏みしめるべく一歩を踏み出した。

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短編紀行「釧路発音別行き最終列車」 朶稲 晴 @Kahamame

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