第五話 魔女の切望

 ジュヌはたった一人で、待ち合わせの丘にやって来た。


「魔女さん! 会えてよかった」

「あのねジュヌ、アマは?」

「アマは、昨日、……」


 言葉に詰まったジュヌの瞳がみるみる潤んでいくのを見て、ローエは察した。


「そう……寿命さね。だいぶおばあちゃんだったから」

「アマは最後に、僕を魔女さんのところまで連れてきてくれたんです」

「役目を果たしたのさ。飼い主思いの犬さね。まるであんたの親代わりだった」

「そう、思います」

「あのね、まずはお座りなさい。これが薬さね」


 ローエは、草を編んで作った袋に入っている十二包の薬を、ジュヌに見せた。


「これがですか!?」

「魔女はね、隠し事はするけど嘘はつかないのさ」

「その言葉、前も聞いた気がします」


 涙目のままでジュヌは小さく笑い、袋を受け取ってローエの隣に座った。


「あのねジュヌ、いいかい? 調整したとはいえ強い薬さね。一ヶ月に一度、一包ずつお母さんに飲ませなさい。一年分あるから」

「一年?」

「魔女の薬は保存が利くのさ。一年後、薬を作ったら、青い鳥を遣いに出すよ」

「来年また、僕はここに来て、魔女さんから薬を受け取ればいいんですね?」

「お母さんをそのやまいで死なせたくなきゃね」

「わかりました」

「絶対に、誰にも秘密にするのさ。あの時と同じように。約束さね」

「はい。必ず」

「いい子ね。ところで――いくさは終わったのかい」


 ローエの問いに、ジュヌは悲しげに首を振った。


「今度また始まるそうです。先の戦争で父は戦死し、祖父は片足を失くして戻ってきました」

「あんたも、戦に行くのかい?」

「召集されれば、拒否できないと思います」

「あのね、ジュヌ」


 ローエは杖を手に立ち上がり、ジュヌの青い瞳をじっと見つめる。

 今までにないローエの深刻な声色こわいろに、ジュヌの背筋が伸びた。


「戦が終わって、また始まって、あんたは今、幸せかい?」

「……え?」

「わたしは、ずっと戦が嫌いでね。本当に、いやな思い出しかないのさ。戦ばかりの世の中なんて間違っているし、あと何百年生きても、平和な世界になるとは思えないのが、わたしはとても悲しくてね」


 ジュヌは、ただ一心に、ローエの言葉に耳を傾けている。


「だから、あのねジュヌ、あんたね、こんなに立派に成長したんだから、お母さんのためだけじゃあなくて、他の大勢のために生きなさい。国の誰もが安心して暮らせるように。もちろん、そんな簡単じゃあないことくらいは知っているよ。わたしはお金なんかいらないけれど、でもね、あんたのその活躍が、薬のお代ってことでいいさ。魔女からの願いさね」

「――魔女さんからの、願い、ですか」


 と言って、ジュヌは立ち上がった。

 ジュヌの瞳に灯った小さな決意の炎が、きっとすぐに大きく成長するであろうことを、ローエは予感した。

 その顔に無鉄砲な十歳の面影を重ね、ローエは慌てて言葉をつけ加える。


「あのね、あんたは絶対死ぬんじゃあないよ。この世に、それ以上の親不孝はないからね」

「わかっています。僕は絶対生き延びます。また来年、必ず魔女さんに会いに来ます」

「そうさね、また来年。薬は作っておくから」

「はい! ――あ、魔女さん!」


 立ち去ろうとしたローエを、ジュヌは呼び止めた。


「なあに?」


 ローエが振り向くと、ジュヌは少し照れたように、顔を伏せていた。


「あの……あ、握手をしてもらえませんか」

「握手?」

「いえ、その、会った証というか、約束の証というか」

「ああ、指切りの代わりかい? あのね、別に構わないけど、まだ子供っぽいところもあるのね、あんた」

「あ、はは」


 照れ笑いしながら頬を掻くジュヌに、ローエは杖を持っていない方の手を差し出す。


「しわしわの手で、恥ずかしいさ」

「そんなこと、ないです」


 ジュヌはローエの手を、大事なものを包むように、そっと両手で握った。


「ありがとうございます。来年また、必ず来ます」

「体に気をつけなさいよ、ジュヌ」

「魔女さんも!」


 手を離し、二人は今度こそ別れてそれぞれの帰路についた。



❃ ❃ ❃



『ねえローエ、あたし、おもしろくないわ』


 イムはローエの白髪頭の上で寝そべって頬杖をつき、頬を膨らませる。


「何がおもしろくないのかい?」


 手を止めず十二包の薬を用意しながら、ローエは言った。


『ねえ、だってローエは、毎年この時期になると、あたし以外の誰かのために一生懸命なんだもん』

「イムだって、いつも手伝ってくれるじゃあないかい」

『それはローエのためだからよ! でもローエは、あの男の子のためなんでしょ!』

「そう、さねえ……」


 ジュヌに会うことによって、ローエの一年が区切りとなっていることは事実である。

 材料集めから始まり、数日かけて薬を仕上げ、青い鳥を遣いに出し、あの丘で待つ。

 ジュヌに会って薬を渡し、少し会話をして、最後に握手をして別れるのが恒例になっていた。

 薬を飲み続け、ジュヌの母親は小康状態を保っている。

 ローエの願い通り、ジュヌはあれから戦争のない世の中を目指し、人を導く立場となって活動を続けているという。

 ジュヌは、腹を探り合う油断のならない交渉や、苦労ばかり重なる活動の難しさなど、誰にも話せないような愚痴をローエにこぼす。その度にローエは励まし、時には叱咤しながら、一年、また一年と粘り強く平和への道を探っているジュヌを誇らしく、また眩しく思っていた。


『ねえローエ、気づいてる?』


 イムは前髪からぶら下がり、逆さまになってローエの顔を覗き込む。


「なあに?」

『ねえ、ローエったら、前より姿勢がよくなって、顔の皺も手の皺も減ってるわ』

「何を言っているのさ。あのねイム、皺は増えこそすれ減りはしないよ」


 驚いたローエは、寄り目になってイムを見る。

 イムはくるりと一回転し、ローエの顔の前で羽ばたいた。


『だってあたしは毎日ローエのことを見てるから、わかるもん』

「わたしは変わっていないさ」

『気のせいじゃないわ! あの男の子に会うたびに、ローエは少しずつ若返ってるのよ。ねえ、どうして? あの男の子と何があるの?』

「何もないよ」

『ねえローエ、あたしに隠し事してるんでしょ! あたしにはわかるんだから!』


 と言うと、イムは素早く「幻の花」の花弁に戻っていった。

 その後、ローエが声をかけても、イムは何も言わず窓の外を見ているだけだった。



❃ ❃ ❃



 ジュヌが無理をして笑顔を作っていることに、ローエはすぐ気づいた。


「あのね、ジュヌ。あんたね、わたしの前で嘘をつくのは無駄さね」

「え……」


 ジュヌの笑顔が張りついて固まる。


「僕、何か変なこと言いましたっけ」

「いや、何も」

「じゃあ、なんでですか? 僕は何も嘘なんか言ってませんよ?」

「そうさね、言ってはいないさ。でもね、無理して笑うのはよしなさい」

「……」


 途端にジュヌは真顔になり、ローエから目を逸らした。


「わたしはね、あんたが泣き虫なことをよく知っているさ。わたしの一言で、あんたに大変な役割を担わせてしまったことを思うと、心が苦しくてね」

「いえ、そんな……。確かに魔女さんの言葉がきっかけでしたが、僕は自分の意志で、戦争のない世界を実現させたくて」

「でもねジュヌ、いいのさ、今だけは。わたしの前では、いくらでも泣き虫のジュヌに戻っていい」

「――」


 ジュヌの眉間に力が入り、乾いていた青い瞳に涙が溜まっていく。


つらかったかい?」


 こくり、とうなずくジュヌの両目から、大粒の涙があふれ出した。


「す、すみません……」

「こうしていると、まだまだ子供さね、ジュヌ」


 手でしきりに涙を拭うジュヌの頭を優しく撫でながら、ローエは初めて出会った時を思い出していた。

 こんなに立派に成長しても、泣き顔は十歳の頃の面影を強く残している。


「何があったのかい?」

「――仲間に、裏切られました」

「なんとまあ」

「ずっと、信頼していた仲間だったんです。いつの間にか相手側に買収されて、間諜として僕を狙っていて、僕はそれに全然気づいていなかったのも、本当に情けなくて」

「そうかい」

「気づいたのは僕の相棒です。本当によく気のつくやつで……とっさに僕を庇って、毒を浴びて……」


 と言いながらジュヌは、ぐっと背中を丸めて縮こまった。


「僕がしっかりしていなかったせいで、大事な仲間を二人も失ってしまった」

「ジュヌ」


 ローエの擦るその広い背中は、小刻みに震えている。


「どうして、もっと早く気づかなかったんだ……! 僕がもっとちゃんと見ていれば、寝返りを止められたかもしれない。何よりあいつを死なせずに済んだ! 全部僕が悪いんだ! 僕が……!」

「あのねジュヌ、大丈夫さね」


 覆いかぶさるようにして、ローエはジュヌを背中を抱きしめた。


「仲間のおかげで、今あんたは生きている。その子は身代わりになってでも、あんたを守りたかったのさ」

「でも!」

「助けてもらった命さね。大切になさい。あんたはこれで、またひとつ強くなった。それにね、もしあんたが仲間から助けてもらえないような人物だったら、わたしだってあんたのために薬を作ったりしていないさ」

「……」

「顔をお上げなさい、ジュヌ」


 ジュヌは涙と鼻水でぐしゃぐしゃのまま体を起こし、ローエに向き直った。

 その顔を見て、ローエは思わず噴き出した。


「泣き虫らしい、いい顔さねえ」

「ひ、ひどいです魔女さん」


 ジュヌは服の袖で、赤くなった顔をごしごしと拭いた。


「あのね、ジュヌ。わたしはね、魔女としてあんたに力を貸すことはできないけれど、せめてあんたの無事を祈るよ」


 と言うと、ローエは杖を片手に立ち上がった。


「魔女さん?」

「少しお待ちなさい」


 ローエはジュヌから少し離れた場所に立ち、呪文を唱えながら地面に杖の先端で魔法の紋様を描く。紋様が鈍く光ると、そこから蔓のような植物が生えてきた。

 次にローエは自分の白髪のみつあみをほどき、三本の髪の毛を抜いた。


「ちょっとごめんなさいね」


 ローエはいきなり、ジュヌの黒髪も何本か引き抜く。


てっ! な、なんですか魔女さん!」


 再び涙目になったジュヌの抗議を無視して、ローエは口の中で呪文を唱える。手のひらで蔓と二人の髪の毛をこよると、細く長い魔法の鎖が編み上がった。

 さらにローエが杖でくるくると宙に円を描くと、魔法の鎖は二つに分かれ、それぞれ輪の形に仕上がった。


「魔女のお守りさね。あのねジュヌ、手をお出しなさい」

「お守り……?」


 ジュヌの差し出した手にローエが鎖の輪を通すと、鎖は一瞬鈍く輝き、ジュヌの手首の太さに合わせて大きさが変化した。

 ジュヌは手首を頭上に掲げ、興味津々に魔法の鎖を眺める。

 ローエはみつあみを結い直しながら、言った。


「わたしの髪で、魔法の力を込めたのさ。あんたの身に危険が迫ると、編んである三重の鎖が一本ずつ切れるようにしたから」

「それはつまり、僕の身を三回守ってくれるということですか?」

「いや、守らない」

「え」


 ローエの即座の否定に、ジュヌは面を食らった表情になった。


「今言ったとおりさね。あんたの身に危険が迫ると、切れるのさ」


 ローエは結ったみつあみを、今作ったもう一本の鎖の輪で留める。髪の束の太さに合わせ、鎖の輪はしゅっと小さくなった。


「危険を回避できるかどうかは、あんた次第さね。魔女は占い師じゃあないから、あんたに何が起こるかまではわからない。決して、油断しないでちょうだい。これが、あんたのためにできるわたしの精一杯さね」

「魔女さん……」

「あんたには無事でいてもらわないと、お母さんだって命が危ないからね」

「はい」


 ジュヌは立ち上がり、深くうなずいた。

 ローエは手を差し出す。


「また来年、ここで存分にお泣きなさい」


 ジュヌは泣き笑いの顔で、それでもしっかりと両手でローエの手を握りしめる。


「はい。ありがとうございます、魔女さん」

「お守りが切れないに越したことはないよ」

「大切にします、絶対。肌身離さずにいます」


 ローエは微笑んで、ジュヌを見上げた。


「あのねジュヌ、わたしは自分がやりたいことをやっているだけさね。わたしはいつでも、あんたの無事を祈っているよ」



❃ ❃ ❃



『ねえローエ、これは何!?』


 小屋に戻ったローエを見た瞬間、イムは羽ばたいて、みつあみを留める魔法の鎖を指し示した。


『出かける前はこんなのなかったわよね!? ねえ、これ何? ちょっと魔法の他に、ローエじゃない何かの気配を感じるわ……』


 イムは魔法の鎖に鼻先を近づけ、目を細めていぶかしむ。


「はいはい、ちょっと座るよ」


 ローエは淡々と外套マントを脱ぎ、椅子に腰を掛ける。イムは卓子テーブルの上で、忙しなく動き回った。


『ねえ、ローエったら! これはなんなのよ!?』

「よく気がつくね、イム。こんな小さな髪留めが変わったこと」

『あたしはローエのことを毎日見てるんだから、なんでもわかるわ。ねえ、それで? それは何?』


 ローエが魔法の鎖を作った経緯を説明すると、イムは揺らめく長い髪を逆立て、七彩しちさいの瞳を大きく見開いた。


『やだ……その鎖にあの男の子の髪の毛が編まれてるってこと!?』

「そうさね」

『いやよ! この家の中にあたしとローエ以外の気配があるのはいや! 外して!!』


 イムは羽ばたいてローエのみつあみを持ち上げ、魔法の鎖を引っ張った。


「ちょっとイム、やめてちょうだい!」

『外してよこんなの!! いやよ! ねえ、ローエったら!』

「イム!」


 ローエは思わず、乱暴にイムを振り払った。

 一瞬、イムは驚いて動きを止めた。そして、ローエから少し離れて悲しげに目を伏せた。髪も揺らめきが小さく萎み、四肢の輝きが鈍くなる。


『ローエ……ねえ、どうして? そんなに、大事なの?』

「ごめんなさいね、イムがそんなにいやがるなんて、思ってもいなかったさ。でもね、これは、何もできないわたしの、せめてもの気持ちさね。ジュヌに、無事でいてほしいのさ」

『だからって、お揃いで作ったの!?』

「もしジュヌに何か危険が迫ったとき、この髪留めも切れる」

『ねえ、切れたらどうするのよ!?』

「無事を願うだけさね」

『えっ、それだけ!? 助けに行かないの?』

「行かない。行けないさ。でもね、いいのさ、無事であれば、また来年会える」


 ローエは微笑もうとしたが、思うようにならず口が不自然に歪むだけだった。

 するとローエの鼻に、イムが羽ばたいて飛びついた。


『ねえローエ、辛いの?』

「辛くないよ」

『男の子に会いたい?』

「また来年さね」

『ねえ、寂しいの?』


 ローエは寄り目になって、鼻にしがみつくイムを見つめる。


「あのねイム、わたしは寂しくないよ。イムが一緒にいるから」

『えへへ』


 照れたようにイムが笑うと、四肢の輝きが元に戻った。イムはふわりと「幻の花」の上に座り、窓の外を眺める。

 ローエも何とはなしに外を眺めながら、しばらく自分のみつあみと魔法の鎖を触ってもてあそんでいた。

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