しあわせのかたち
「加奈子。加奈子が高知に移住したいのは、本当にあの町や人の為?」
私たちは自動販売機で温かい飲み物を買った後、歩道の傍に備え付けられているベンチに隣り合って座り話をしていた。
雪がちらちら降ってきていて凄く寒かったけど、どこか店に入って話をするわけにもいかないし、今日は人通りもほとんどないからここでも大丈夫。何より今聞かなきゃいけない内容なんだろうとも思ったし。
虎太郎が真面目な質問をしてくるなんて、今まで一度もなかったんだもの。それに、彼は彼なりに私の事を気にしてそう言ってくれているのを分かっていたから、嘘はつきたくないし正直にありたいと思っているから、質問には素直に答える。
「幸之助があの場所を大切に想い、守りたいと思っている気持ち。あそこに住んでみてよく分かったの。人の温かさ、助け合うことの大切さ、思いやる気持ち……。全部あの場所で教えてもらったわ。だから、私も一役買いたいと思ったからよ」
暖かい缶コーヒーを手の中で転がしながら正直に話したその言葉を、虎太郎は黙って聞いてくれていた。けど、彼はまだ納得がいかないみたいで私の顔を覗き込んでくる。
「本当に、それだけ?」
「それだけって?」
「幸之助のことは、そこに絡んでない?」
幸之助?
私が不思議な表情を浮かべると、虎太郎は私から視線をそらして白い息を吐いた。
「それだけだったら別にいいんだ。でも、幸之助のことがもし絡んでいるなら……きっと後悔するから止めた方がいいと思う」
「後悔なんて、なんで?」
「加奈子だって分かってるでしょ? 僕らと人間は生きる長さが違うってこと」
「それは分かってるけど……」
突然、そんなことを言い出した虎太郎に私はただ戸惑った。
なんで急にそんな事を言うんだろう? そりゃ、幸之助より虎太郎の方が年上で歩んで来た時間が違うから、大人の意見を持っているっていうのは分かるけど……。
私が黙っていると、虎太郎はボソッと呟いた。
「……恋慕」
「え?」
私が首を傾げて彼を見ると、虎太郎も私を振り返って言葉を続けた。
「恋しいと思えば思うほど、離れがたくなる。でも片方はどんどん老いて行くのに、片方は全然変わらないし、一緒に居られてもそれ以上はない。片方は置いて行かれて片方は置いて行かなきゃいけない。そもそも僕らと人間は、そんな間柄だよ。加奈子は、それで満足できる?」
「……」
その言葉に、思わずドキッとした。
一緒にいられればそれでいいと思ってる。でも、一緒にいるだけで満足できるかと言われたら……私、すぐには満足だって言えない。
黙り込んでしまった私に、虎太郎は頬杖をついて私を見る。
「少なくとも、幸之助は加奈子に対して強い恋慕を抱いているんだろうね。うなじにそんな印つけちゃうくらいには」
虎太郎はそう言いながら私のうなじを指さしてくるから、思わず自分でそのうなじに手を触れる。
そうだ。結局あの跡は消えないまま残っている。
「僕はね、これでもわきまえている方だよ。だって、加奈子は真吉の血を受け継いだ人間だから。真吉の代で返せなかった恩は、世代を超えたとしてもきちんと返したいと思ってた。だからこうして加奈子に会えたことで、僕はようやくあの時の恩を返すことが出来るんだ。真吉の子孫はどんなことがあっても、あらゆる事から守りたい。僕は、そんな風に思ってる。危険があるなら回避することを勧めたいし、辛いことだと分かっているならそこから逸らしたい。僕に出来ることは、それぐらいしか出来ないから……」
彼は、とても義理堅いあやかしだ。まさに忠犬だと言ってもいい。大昔に受けた恩をこうして今になっても律義に返そうとしているんだもの。彼が言っていることは分かる。きっと私の方が辛い思いをしちゃうんじゃないかって心配してくれているんだよね。
「……ありがとう。虎太郎」
虎太郎の思いはしっかりと受け取る。
言葉の中には義理だけじゃない。虎太郎の優しさも詰まってて、心があったかくなった。相手を想い大切にすることを、虎太郎も教えてくれてるんだなって思う。
でも……。それでも幸之助に感じているこの感情に気付いている以上、どうにもならない。
「……私ね、幸之助のこと好きだよ。もちろん他の皆のことも好きだけど、幸之助に対してはまたちょっと違う。あなたが言うように、これから先私はどんどん歳を取ってしわくちゃのお婆ちゃんになってくし、幸之助はきっとあの姿のまま変わらない。でもね、私思うんだ。本当に好きな人に最期の瞬間までを見届けて貰えることも、一つの幸せなんだろうなって。恋人以上の関係を望めないのは、そりゃあ少しは残念に思うけど……。でも、幸せの形はそれだけじゃないもの」
恋人以上の関係だけが幸せじゃない。いつも近くでお互いを支え合って、助け合っていける間柄で、大切に想うことも幸せなんだ。
子供が欲しいとか、肌を重ねたいとか、そう言う欲求とは違う。それよりももっと深いもの……どんな形であれ確かな絆があるかどうかが大事なんだろうと思う。
私は手に持った缶コーヒーの温かさが無くなっていくのを感じながら、言葉を続けた。
「私は、自分の最期を迎える瞬間は、幸之助や虎太郎や皆に看取って貰えることが、一番の幸せ」
「加奈子……」
「だって、一人じゃないもの」
私が笑ってそう言うと、虎太郎は何とも言えない表情を浮かべた。
「もう。あなたがそんな顔してどうするのよ。言ってる事と表情が矛盾してるわよ?」
その顔を見て思わず私が笑ってそう言うと、虎太郎は戸惑ったように視線を逸らした。
前に幸之助も言っていた「最期の瞬間を看取ることが出来る」と言ったあの言葉に、私は夫婦になるのとは別の幸せの在り方を知った気がしたんだ。
この世には、誰にも看取って貰えず気付いても貰えないまま孤独死を迎える人が沢山いる。そう考えると、人じゃなくたって誰かが傍で看取ってくれるのは、とても有難いこと。それが、自分が愛した相手ならそれ以上の幸せはきっとない。
「だから私は大丈夫よ。後悔なんかしない。皆がいてくれたら一生独身でもいいの。そもそも、元彼のせいで人間不信な部分もあるしね。だけど、幸之助がどう思うかは……彼の判断に任せるわ」
あれこれと自分の価値観だけを押し付けたくはない。彼には彼の考えもあるし、それでいいと思う。後悔しそうだって言うなら、そうならないために話し合いをすればいい。距離を空けたいなら、そうすればいいと思う。
恋愛だけの面で見れば薄情と言われるかもしれないし色々と疑われるかもしれないけど、私は彼の考えを尊重したい。どんな風になっても、私の気持ちは変わらないもの。
「でもありがとう、虎太郎。あなたはあなたなりに、私の事を心配してくれたのよね」
「……加奈子がそれでいいならいいんだ。僕は、加奈子が笑っていてくれればそれでいいと思っているから」
「うん」
私がにっこり笑うと、虎太郎もようやく安心したように小さく笑い返してきた。
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