間違えないで
「私、卒業したら高知県に移住することにする」
私の言葉に、目の前に座っていた両親は心底驚いたような表情を浮かべた。
そりゃそうよね。突然田舎に住むだなんて、そんな事言い出すなんて思わないだろうし。
「高知に移住するって……どう言う事よ?」
「……」
一番動揺したのはお母さんだった。
お母さんは私の将来をとても心配してくれているのは分かってる。昔からお父さんのような弁護士になって欲しいって、口には出さずとも思っている人だもの。
でも私は弁護士になる為の大学を選ばなかったから、それでも「なんで」って疑問をずっと胸に秘めていたと思う。だから突然そんな事を言い出した私に、隣にいた虎太郎もとても驚いた顔を浮かべていた。
「今私が大学で専攻してるのは福祉でしょ? 元々私は人の役に立つ仕事に就くことが夢だった。高知は高齢化が進んでいて若い人がほとんどいないし、このままじゃ衰退していく一方でしょ? それに、あの場所はとても人が温かくて、あっちで過ごしている内に居心地がよくて離れがたくなっちゃって。だから私、あの場所で役立てるんじゃないかと思うの」
正直に私は思っていたことを告げると、お母さんは一人で困惑したような顔をしていた。お父さんは何も言わず黙って腕を組み話を聞いてくれているけど……。
「あなたのその志は素晴らしいと思うけど、でも高知は就職率も悪いって言うし……」
「高齢化が進んでいるなら、尚の事福祉の仕事は必要とされているはずだもの。就職に困ることはないと思うの」
「でも……私はあなたはこっちで就職や結婚をするものだとばかり……」
動揺と困惑に顔を顰めるお母さんは、自分の傍に私がいることを強く望んでいるんだと思う。それがすぐに会えない距離に行くと言うのは、単純に寂しいんだろうなと思った。
「高知に移住しようと思ったのは、他にも理由があるのよ」
「他の理由?」
「……去年の事件、あったでしょ?」
そう、元彼とのあの事件のこと。
それを聞いた両親は一瞬表情を硬くして、それまで私を見ていた視線を下げた。
この間あいつに遭遇して、思ったの。この辺にいる限り、またあいつと出会う可能性はゼロじゃないって。元々事情聴取で警察に通っている時に「この場所から離れた方がいい」って話は出ていたんだけど、両親もこっちにいるし地方に親戚がいても遠過ぎて頼れない状況だったからここにいることにしたんだ。
「あの時に警察に東京以外のどこか別の場所に行った方がいいって話、出てたの覚えてる?」
「……えぇ。覚えてるわ」
「その一件もね、あるからなの。あと……あっちに行ったら起業しようと思ってる」
「起業?」
実はこれも考えていたことの一つ。
今は資金がなくったって誰でも起業できる時代だもの。私があの場所で人の役に立ちながら他に出来ることを考えたら、起業することが頭に浮かんだんだ。
私は密かに書き貯めていた紙を二人の前に出すと、二人は顔を突き合わせるようにしてそれを覗き込んだ。
そこには私が住まわせてもらった黒川家の家の事も書いてある。
「うまく行くか分からないけど、コンビニみたいなお店を開こうと思うの。同じ仁淀川町には最近出来たばかりのビール工房もあるし、秘境の観光地みたいに開拓するのもいいと思うのよ。移動販売できる車があれば注文は電話で受けて直接家に届けられるでしょ? 一人暮らしのお年寄りにとったら交流を持つきっかけにもなるし、ついでに様子を見にも行けるから、もし何かあってもすぐに対処できるんじゃないかって思って。何より寂しがっているお年寄りがほとんどだったから、何か一つでも買ってくれたら売り上げにもなるし、これなら話し相手も出来て寂しくもないでしょ?」
物を買ってくれなきゃ話が出来ないって言うわけじゃないけど、商売として考えるならそう取らないと儲けにはならない。買ってくれる物は100円でも200円でも構わないのよ。別にこれでボロ儲けしようだなんて思ってないし、今のご時世年金だってそんなに沢山貰えているわけじゃないことは分かってる。だから、気持ちだけでも買ってくれればそれでいいんだ。
ただ、やっぱり住むんだったらそれなりに稼げる物が無いと生活が出来ないわけで。貰ってばっかりじゃ他力本願過ぎて、ただの厄介者にしかならないし。
軌道に乗せることが出来たら、外からのお客さんを受け入れる為に民泊出来るようにしたっていいと思う。一日に受け入れられる人数は決まってしまうけど、バイクで来る人も気楽に泊まれる場所があってもいいんじゃないかって思ったんだ。
これは私が勝手に考えていることだけど、もし幸之助たちがOKならあの家をほんの少し改築して民泊の部屋に使えるんじゃないかって。
資金に関しては、集まるかどうかは分からないところだけど、クラウドファンディングを利用しようと思ってる。
それに私、思ったの。
幸之助があの場所を愛して、人々の為に役に立ちたいと思っているあの気持ちに、私も一役買いたいって。
「……私も、人としての原点を教えてくれたあの場所と人の為に立ちたい」
そう呟いた言葉を聞き、お母さんは小さくため息を吐いた。
「……いいんじゃないか」
ふと、それまで黙っていたお父さんがおもむろに口を開く。
「お前がやりたいと思うものをやってみるといい。何事も挑戦してみなければわからない事だ。やりもしないで出来ないと決めつけるのも違うし、何より人の役に立ちたいと思うその気持ちを、俺は推したい。そんな素晴らしい志をもった娘を持てて、誇りに思うよ」
お父さんはにっこりと微笑んで、ぽんと私の頭に手を置いた。
「それに、もし失敗しても帰ってくる場所はここにある。これも勉強だと思ってやってこい。どうしようもなくなったり、辛くなったらいつでも帰ってくればいい。心配しないで思い切りやっておいで」
「お父さん……」
くしゃくしゃっと頭を撫でられ、私はお父さんの気持ちに胸が温かくなった。
本当は離れて欲しくないのかもしれないけど、そっと背中を押してくれるお父さんに感謝しかない。
お父さんの言葉に、お母さんもようやく納得してくれたのか「そうね……」と同意してくれた。
「ありがとう」
私は二人の了承に、心から感謝した。
実家を後にして綺麗に舗装された遊歩道を歩いていると、私の横を歩いていた虎太郎がふいに口を開いた。
「……加奈子が行くなら僕も行くからね」
「え?」
突然そう言い出した虎太郎を振り返ると、彼はとても真剣なまなざしでこちらを見ていた。
どこか思いつめたような顔をしている虎太郎に、私は不思議に思いながらもにっこりと笑い大きく頷いた。
「うん。一緒に行こう。あなたをここに置いて行ったら、また知らない人の家に勝手に上がり込んじゃいそうで心配だもの」
それにあの家なら、虎太郎が来たって全然余裕だわ。賑やかになるのは悪くない。どうせなら楽しく暮らしたいもの。
「……」
「虎太郎?」
私が首を傾げると、虎太郎は突然ぎゅっと私を抱きしめてきた。
虎太郎はいつも抱きついて来るけど、今日はやたらと真剣な顔をしているからどこか心配になる。
「どうしたの? 何かいつもと違う……」
「間違えないでよ……」
「え?」
「……僕たちと、加奈子は違うんだ」
ぎゅうっと抱きしめる手に力を込めてそう呟いた言葉に、私は目を見開いた。
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