君を支える嘘を

@hiroma01

第1話

「君は誰?」


眼が覚めたときの彼の第一声。

何も思い出せず、頭の中が空っぽだった。

病室のベッドの横に立つ制服を着た少女は涙を流しながら嬉しそうに手を握ってくる。


「全く…幼馴染の彼女のことも忘れてるんだね」

そう少女は言った。

頭には包帯が巻かれている、その原因すらも思い出せなかった。




彼は自分の通っている高校の屋上から飛び降りたらしく、一ヶ月も意識がなかったとのこと。

何故そのようなことをしたのかなんて記憶喪失の彼でも理解はできた。


イジメが原因の飛び降り自殺。


イジメのことも、死を選んだ苦痛も思い出せない彼にはそんなことをした実感が沸かなかった。

ただ、見知らぬ親と幼馴染の彼女の泣き顔を見て悪い気がしてならなかった。



「君はね、学校ですごいイジメを受けていたの」

ゆっくりと彼女は彼の過ごした日常を語り始める。

まるで他人事のように聞こえる彼自身の壮絶な日々、吐き気すら覚えるほどだった。



それよりも辛いことがあった。

話ながら涙を流す彼の彼女を泣かせてしまっていること。

幼馴染と過ごした思い出の1コマすら覚えていないこと。


「悲しませたね、ゴメンね」

涙を流す彼女の頭に手を置いて慰めた。

自分は一人じゃない。

そう、それが何も思い出せない彼を前へと向かせた。






イジメを受け、自殺行為まで行った彼は別の高校へと編入することとなった。

それを知らされてから毎日、こうして病室のベッドで教科書と睨めっこをしていた。

退院後の編入試験、記憶のない彼には相当な苦労だった。


「あ、それさっき教えた公式使って」

唯一助けになっているのは彼女がこうして家庭教師代わりになってくれていることだ。

毎日学校帰りに欠かさず足を運んでくれている。

何よりも編入先が彼女と同じ高校だということがとても心強い。


「あ~!もう難しいなぁ!」

「ほらほら、つべこべ言ってないで解いて解いてっ」

諦めモードに入っていた彼の背中を叩く彼女。

親も彼女も応援してくれているのだ、諦めるわけにはいかない。



彼はお世辞にもイケメンといえるほどの見た目をしていない。

それに比べ彼女は清楚で真面目な雰囲気で、間違いなく美人の部類だ。

こんなすばらしい彼女がいながら自殺を図ろうとした自分に腹が立つ。



でも。


日に日に彼の中の恐怖が成長し始めている。


もしも、記憶が戻ったら。

死を選ぼうとしたほどの精神状態に戻ってしまうのではないか、と。





久しぶりで彼にとっては初めての外出。

リハビリとして一日だけ彼は外に出ることを許された。

退院していきなり外に放り出されパニックを起こさないためのことだった。


全く覚えていない風景。

あの店に入ったことはあるのだろうか、あの自販機は使ったことがあるのだろうか。

まるで初めてくるような感覚の中、腕をしっかりと絡みつけた彼女が一つ一つ説明をしてくれた。


「あの店のたい焼き結構おいしいよ」

まるでデートをしている感じだった。

いや、リハビリという名のデートなのかもしれない。


「本はあそこの店でだいたい揃うかな、それからあそこの店は高いからオススメはしな~い」

彼と歩くのがそんなにも久しぶりで嬉しいのか、彼女はずっとはしゃぎモードだった。

記憶喪失の彼を支えてくれて、思い出せないものを丁寧に教えてくれる。


「俺と君が入ったことのある店は?」

その言葉で彼女の動きが止まった。


間違いなく地雷を踏んだ。

二人の思い出を何一つ思い出せないのだ、彼女だって辛いに決まっている。


「あ…ご、ごめ…」

「大丈夫!これから増やしていけばいいって!」

一瞬見せた暗い顔が嘘のように眩しい笑顔を見せてくる。

言葉には気をつけなければいけない、彼はそう思った。



「喉乾いたからちょっと待ってて」

彼は財布を取り出して自販機の前に立つ。

小銭を出そうとした時頭の中がざわめき始めた。


まるでスライドショーのように一枚の写真が脳裏で投影された。


写っていたのはアザだらけの少年。

自販機の前で空き缶を投げつけられている彼自身。


とてつもない吐き気がして彼はその場で座り込んだ。

一瞬痛みと恐怖が蘇った気がした。


「大丈夫!?」

急いで駆けつけた彼女が介抱する。



この身体が、

この心があの時の恐怖を少しずつ思い出そうとしていた。




次の日、学校帰りに病室へ寄ってくれた彼女が心配そうに扉を開ける。


「ごめんね、せっかくの時間を無駄にして」

あんなに楽しそうにしていた彼女に素直に謝罪した。

それを聞いた彼女は俯いてまた泣き出した。


「何言ってんの、全く…」

持っていたハンカチで涙を拭いて彼のもとへと歩み寄り、カバンを開ける。

取り出したのはもちろん教材。


「ほらっ、今日も勉強するよ!」

「…え~」

「頑張る頑張る!」

嫌々な表情を見せながらも彼はやる気は十分にあった。

彼女と同じ学校で、同じ制服を着て過ごせる日常を目標にしているから。




勉強、リハビリが続く毎日。

支えてくれる親や彼女の為に必死になって頑張っていた。



そんなある日、医師にこう言われた。



「君は思い出そうとしていない、思い出すことを拒んでいる」

と。


当然だ、イジメを受けていた時のことなんて思い出したいわけがない。

だからきっと彼は鍵の掛かった思い出の箱を開けようとしないのだ。


思い出さなくちゃいけないのに、思い出そうとしてくれない。


ただ一つだけ希望があるとすれば、彼女や親との思い出の箱くらいは開けてやりたい。


彼に足りていないのは勇気だ。

だがそれも入院中に支えてくれた人のおかげで十分に充電できた。



そして入院中の彼は行動に出た。


誰にも聞けなかった彼の通っていた高校を調べ、電話をかけた。

名前を告げると慌てた様子で担任らしき人物に代わった。


記憶がないことを知っているようだった。


彼がどういった生徒だったのか、成績はどうか、交流はどうか。

一つずつ質問していった。

絡まりあっていた思い出の紐がほどけていく。


そして最後に、イジメのこと。


担任は彼の前向きさに負け、当時の状況を話し始めた。

まるでピースが埋まっていくかのように記憶が蘇えってくる。

病院の公衆電話の受話器を耳に当てながら彼は涙を流した。

壮絶なイジメだった。

死を選んだ理由がやっと理解できた。


全てを聞いて、全てを思い出した彼は受話器を握り締めながら泣き続けた。




立ち上がって病室の窓の外を眺めていた。

これからどうしていけばいいのか、心がめちゃくちゃだった。


そこへノックとともに彼女が現れる。


「ごめんね~、遅くなったっ」

「…」

彼は視線を向けようとはしなかった。

カバンを置いた彼女はその異変に気がついたのか、彼のもとへと歩み寄り優しく背中を叩く。


「どしたの?」

「…全部思い出したよ、伊藤さん」

ゆっくりと振り返り彼女の眼を見る。

一瞬で彼女の顔が青ざめていった。


「思い…出したんだ」

「うん」

鋭い眼差しを彼女に向けて頷いた。



「私が君をイジメていた主犯格ってことも」

「…うん」

「君を自殺に追い込んだのが私ってことも」

「うん」

この身に起きた全てを彼は思い出した。


彼女こそが彼を死に追いやった張本人だった。

様々な、そして散々なイジメを繰り返し、周りの人間すらも巻き込んで彼を的としていた。

毎日、毎日、苦しい思いをさせた女。

そんな女が、彼を死に追いやった犯人がこうして毎日来ていた。


ひどい人生を送らせた彼女を許せるはずがない。

許せるはずがないんだ。


だけど、どうしてか憎めなかった。

今彼の目の前で大量の涙を流しながら鋭い目付きでこちらを見ているこの彼女を。

泣いて許されるとは思っていないのだろう。



「イジメていることに罪悪感なんてなかった」

「・・・そう」

「だけど、だけどね・・・、君が目の前で飛び降りたとき一気にそれが襲い掛かってきたの」


自分はとんでもないことをしてきたことを。


それから病院に運ばれた彼が生きていることを知った彼女は急いで足を運んだ。

頭を強く打っているため目を覚ますかどうかわからない、例え目を覚ましたとしても脳に障害が残るかもしれないということだった。


そして起きた彼には記憶がなかった。

その場にいた彼女はそこで決意したのだ。

犯人である自分が彼を支えよう、思い出したとき彼に憎まれよう、と。


だから彼女は全てを捨て転校してここにやってきた。


彼が編入する高校がまるで彼女がずっといた学校のように思わせた。

この街がこれまでずっと二人で過ごしてきた場所と思い込ませた。


だけど、この場所は思い出そうにも知らない街だったんだ。


全て彼女の嘘だった。




静かに彼女はポケットからカッターナイフを取り出した。

刃を出して彼の手の平に乗せる。


「覚悟は、できてるから」

「・・・」

死ぬ覚悟と恨まれる覚悟だった。

彼女は深々と頭を下げる。


「ごめんなさい」


彼は持たされたカッターナイフを握り締める。

彼が受けていた仕打ちはこの程度じゃ許されるレベルではない。


でも、それでも殺意なんて沸かなかった。


「顔を上げて」

ナイフを置いて彼女の肩に手を置いた。


「ありがとう、ずっと支えてくれて」

「・・・なんで!?私が君を自殺に追い込んだ張本人なんだよ!?」


それでも。



「伊藤さん勉強苦手だったよね」

「・・・え?」

「伊藤さんって賑やかな場所が好きだったよね」

「・・・」

毎日勉強を彼に教えるために彼女は頑張り続けた。

遊ぶことが好きな彼女は彼の為にこんな何もない田舎町へと引っ越した。

彼を案内する為にどこに何があるのかを覚えた。


これからも支えていくために彼の編入先の高校へと転校までした。


いつか彼の記憶が戻り、恨まれることを覚悟しながら。


「やっぱり俺は君を恨めないや」

「・・・っ!」

そして彼女は我慢の限界が来てしゃがみ込んで泣きじゃくった。

ごめんなさい、を繰り返しながら。


そんな彼女を見て彼は言った。


「もう大丈夫だから、自分らしく生きてください」と。








黒板に名前を書く。

よく漫画やドラマで見る光景がこんなにも緊張するものだとは思わなかった。

簡単に自己紹介をし、顔を上げると一同は当然彼を見ていた。

周囲の視線が過去を思い出させる。

蘇りそうなトラウマを必死で押さえ込んだ。


「え~、皆仲良くしてやってくれ」

担任が彼の肩に手を置く。

なんとか試験で受かったこの学校でちゃんとやっていけるのだろうか、という不安が大きかった。


でも前を向かなくちゃいけない。

前に進まなくちゃいけない。


「誰か、校内を案内してやってくれ」

「はい、はいっ!」

女子生徒が大きく手を挙げる。


支えてくれた人の為に。

支えたいと思った人の為に。



「私、彼の彼女なのでやります!!」



これからも彼の傍にいることを選んだ彼女の為に。

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