第8話「探偵の仕事①」

 その日、九条家は珍しく慌ただしかった。なんと、この洋館にお客様がいらしたのだ。丁度休みだった私も駆り出され、お茶を出したり、お茶菓子を出したりと動き回っていた。

 五月になり、桃色だった桜の木々には新緑が青々と茂り、さわさわと風で揺れている。窓からリビングに視界を移すと、大きな白のソファに背筋をピンと伸ばして座る女性、高梨さんと目が合った。彼女が私の視線に気付き、ふんわりと笑む。その優しい笑顔に私は頬を染めた。彼女のまとう雰囲気が暖かいもので、なんだか自身の母親を思い出し照れてしまっていた。そうは言っても高梨さんは私の母親よりも随分年下で、どちらかというと私の方が年齢は近いだろう。

 一枚の書類に目を通していた九条さんはふむ、と小さく頷いて、高梨さんを真っ直ぐに見据えた。


「ストーカー被害、ですか」

「はい、ここ半年……ずっと続いておりまして……」


 高梨さんは怯えた様子で、これまでの経緯を語る。

 始まりは半年前に届いた一通の手紙。そこには、盗撮された数枚の写真が入っていた。

 手紙には、パソコンで書かれた無機質な明朝体で『お前を見ている』と一言添えられていたらしい。気味が悪くなり、その手紙と写真はすぐに捨ててしまったが、その後も続く手紙に恐怖を覚え、警察に相談したところ、証拠を押さえておいた方がいいと言われ、それ以来すべての郵便物はファイリングしているとのことだった。

 ストーカーは徐々にエスカレートし、手紙、無言電話は当たり前で、最近では仕事帰りに一人でいると気配を感じるらしい。実害がない為警察も動けないでいる、そんな状況の様だ。


「警察の方からこの探偵事務所を教えて頂きまして……」

「なるほど。それで、私どもに依頼したい、と」

「はい、もう耐えられなくて」

「解りました。必ず、犯人を捕まえてみせます。私どもにお任せください」


 そう言って、九条さんは各種手続きを形式的に行う。高梨さんは紙にペンを走らせつつ、邪魔にならない様に、サイドの髪の毛を耳にかけた。その仕草だけでも、とても気品があって私は思わず見惚れてしまう。

 成果が出たら連絡をすることを告げ、高梨さんはそれに頷き、帰って行った。

 ティーカップを片付けていると、九条さんが私を手招きする。何だろう、と近づくと申し訳なさそうに声を掛けられた。


「君の護衛もあるけれど、仕事は大事だからね。そこは解ってくれるかい?」

「はい、それは勿論です」

「暫く、檀も捜査に同行してもらう。大学の行き帰りは一人でも大丈夫かな?」

「大丈夫です。あの、調査って私も手伝ってもいいでしょうか?」

「……ふふっ、神凪さんは意外と好奇心旺盛なんだね?」


 そう言ってウインクして見せる九条さんは、意地悪な少年のような表情をしていた。


 次の日から私は電車を乗り継いで大学へと向かった。最初、樹菜里ちゃん(飲み会後に名前で呼んで! と念を押されてしまった。)は驚いていたが事情を話すと、それは仕方ないね、と少し残念そうだった。

 講義を終えてサークル部屋へ向かうと、先に終夜君が来ていて私を見つけるとニコニコと近づいてくる。柊夜君の後ろにブンブンと勢いよく、左右に行き来する犬の尻尾が見えそうな程の喜びようだ。


「茉白先輩、お疲れ様っす!」

「お疲れ、終夜君。早かったね」

「へへ、速攻で来ましたから。あ、そうだ先輩、この間言ってたデートの件なんですけど、今週の土曜日とかってどうですか?」

「土曜日……うん、大丈夫だよ」

「じゃあ、朝十時に駅前に集合で大丈夫ですか?」

「わかった」


 私はスマートフォンのスケジュールアプリを起動させ、予定を追加した。高校生までは手帳を使っていたけれど、こちらの方が自分に合っていると思ったので大学に入ってからは専らアプリを使っている。スマートフォンをバッグに仕舞い、私は正座し直した。


「今日は、講師の先生が来る日なんだけど……」

「てか、うちのサークルって何人いるんですか? 俺と茉白先輩くらいしか部室に居ませんよね……?」

「んー、幽霊部員が何人かいるね。そのうち来るとは思うんだけど……」


 そんな話をしていると、コンコンと控えめに部室のドアが音を立てた。私は客人を迎え入れる為にドアを開けた。そこには、凛とした雰囲気を纏った、着物を着た初老の女性が背筋をまっすぐに伸ばし佇んでいる。


「明元先生、ようこそいらっしゃいました」

「神凪さん、お久しぶりです。本日もよろしくお願いしますね」

「はい! あ、先生新入部員の子が今日からお世話になるんですけど……」

「服飾科一年の柏木終夜です」


 終夜君は居住まいを正し、礼儀正しくお辞儀して見せる。明元先生はその様子をやんわりと笑みを浮かべながら見つめていた。明元先生が部屋に入り、私はドアを閉める。

 明元先生は草履を脱ぎ、畳に上がり正座して終夜君と向き合う。畳に手を添えて、ゆっくりとお辞儀をしてみせた。


「初めまして、明元静江あきもとしずえと申します。このサークルの臨時講師をしているわ。よろしくお願いしますね」

「こ、こちらこそです!」


 緊張気味に終夜君もぺこりと頭を下げる。明元先生は終夜君から私に視線を送り、始めましょうか、と告げた。

 私は、終夜君に大隊の流れをレクチャーする。

 茶道は、もてなす側の亭主と、もてなされる客側に分かれていて、それぞれ役割がある。

 亭主は茶事の際に会を催すための中心となる役割で、お客様を接待する。この役は勿論明元先生だ。

 次に、半東という役がある。これはいわば亭主のサポートに徹する。お菓子を出したり、亭主が点いたお茶をお客様のもとへ運んだり、やることは多い。とても重要な役だ。私はこの半東を最近ようやく任されるようになった。それだけ、明元先生が私の事を見込んでくれているのだろうと思うと、頑張らなくてはと気持ちが引き締まった。

 明元先生がお茶を点てる小気味よい音だけが、室内を包む。終夜君は正座しながらその様子をじっと見つめていた。私はその間に買っておいたお菓子を懐紙に乗せ、終夜君の元へ運ぶ。終夜君の前に干菓子(薄茶と一緒に提供されることが多い)の落雁を置く。すると終夜君は少し困った顔をして、私を見つめた。終夜君の隣に座り、お手本を見せた。彼はそれに従い、見様見真似で私の後に続く。


「どうぞ、お菓子をお取り下さい」

「頂戴します」


 終夜君がそう言い、落雁を口に運ぶ。明元先生がお茶を点て終わり、終夜君の前に茶碗を置いた。


「お点前ちょうだいいたします」


 お茶を飲む時は、茶碗の正面を避けて口を付けるのが基本だ。なので、終夜君は私が先程教えたとおりに、茶碗を時計回りに九十度回してから口を付けた。最後にズズッと茶碗に残った泡沫を音を立てて飲み干した。これも歴とした作法で、お茶を飲み干した後に茶碗の裏側を見る為であり、道具やしつらえを楽しむ事も茶道の醍醐味だからだ。


「初めての茶道は如何でしたか?」

「はい、お菓子も美味しいし俺抹茶って苦いイメージでしたけど、お菓子と一緒に飲んだらすごく美味しかったです!」


 その言葉に、明元先生は満更でも無い顔をした。こうして終夜君の初めてのサークル活動が幕を下ろした。彼が作動を好きになってくれたら嬉しいなと私は思うのだった。

 サークル活動を終えて帰路に着く。自室に入ると鞄の中に入れてあるスマートフォンが音を立てた。


『俺、茶道にハマりそうです! あ、先輩土曜日楽しみにしててくださいね!』


 それに返信していると、部屋のドアがノックされた。急いでドアを開けるとそこには九条さんの姿があった。


「おかえり、神凪さん。急で悪いんだけど、今から調査に付き合ってくれるかい?」

「! わかりました!」


 私は急いで支度を済ませ、九条さんの運転する車に乗り込んだ。天路さんは単独で調査を開始しているそうで、有力な情報を掴んだ、との事だった。私たちは急いで天路さんの待つ現場へと車を走らせるのだった。

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探偵が恋に落ちるまでの430日 奏 ゆた @yuta_k73043

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