そして夜が明ける

 満月の夜に縁側えんがわで二人腰掛けながら「月が綺麗きれいですね」と言ってみたり。


 夏祭りの花火大会で君が花火を「綺麗だね」って言うのに対して、僕は君の横顔を見ながら「あぁ、綺麗だよ」って言ってみたり。

 

 だだっ広くて何もない平野で、ふたりぼっちで流星群なんて眺めてみたり。


 そんな妄想もうそうばかり繰り広げている。



 『織姫様おりひめさま彦星様ひこぼしさまは1年に1回、七夕たなばたの夜にしか会えないんだよ』

 子供のころ母親に語ってもらった七夕の物語。その頃は、二人は何て強い愛で結ばれた幸せ者なんだろうかと思った。自分も彦星様のようになってみたいと思った。

 たった10年、僕が年を重ねただけだ。

 織姫と彦星は実際じっさいには14.5光年もはなれているという。光の速さをもってしても、往復で30年かかる計算だ。物語の中でも1年に1回、現実的には30年に1回しか会えない関係とはなんと残酷ざんこくなのだろうか。

 僕には我慢がまんできないだろうな、ロマンチズムなどそっちのけでそんなことを思った。大人になるにつれて、現実を理解するにつれて僕は「人間は結局のところ自らの損得そんとくで動く惰性的だせいてきな生き物だ」ということを理解した。理解したつもりでいた。無償むしょうの善意なんてものも、無償の愛なんてものも存在しない。つまるところ優越感ゆうえつかん自己顕示欲じこけんじよく、他人からの評価を得るためにやっているにすぎないと。


 だからわからなかった。

 自分の内から溢れる感情に名前が付けられなかった。

 理由はない、ただ彼女の笑顔を見るだけでどうしてこんなにも幸せなのか。

彼女に話しかけられるだけで、なぜこんなにも心臓が騒ぐのか。楽しそうに他の人と話す彼女を見て、なぜ胸が痛むのか。

 僕にはわからなかった。

 僕はただ、彼女の近くにいたいだけだ。

 ただ、彼女に笑顔でいてほしいだけだ。

 この感情をシェイクスピアなら何と言っただろうか、モーツァルトはどう表現するだろうか。「恋」という単語で片付けてもいいかもしれないが、僕は嫌だった。


 「……さんって、付き合ってる人いるんですか?」

 「今度暇な時があったら、一緒に食事でもどうですか?」

 「…月…日、○○祭りがあるんだけど、よかったら一緒に行きませんか?」 

 何回もメッセージアプリに打ち込んでは消してきた。

 話しているときに直接誘ってみようともした。くだらない下ネタやゲームの話はするすると出てくる僕の喉が、その時ばかりは固く閉じられ浅い呼吸を繰り返すだけだった。


 薄暗い部屋の中、テレビの明かりとゲーム機の作動音だけが響く。飲みかけのペットボトルや食べ終わったカップ麺が机の端に見える。コントローラーを握りしめヘッドフォンをしてゲームをしていた僕は、ふと視界に映ったデジタル時計の日付を見る。

 「今日は七夕か……」

 『リュウさん七夕って言っても、会う彼女とかいないんでしょ?』

 こちらのつぶやきが聞こえたらしく、ヴォイスチャットからネットで知り合った人の声が聞こえる。

 「……まぁ、いませんけど。そういうシンさんはいるんですか…?」

 ネットでリアルの話を持ち出すのは嫌いだが、流れで聞いてみる。

 『わり、晩飯は彼女とデートなんだわ、次のマッチでラストかな。』

 へぇ、いいですねと相槌あいづちを打つ。自分から聞いておいてショックを受けているのを悟られたくはなかった。

 ヘッドフォン越しに、外から子供たちのはしゃぐ声が聞こえる。

 なぜか泣きたくなって、こぼれ落ちそうな涙を必死にこらえる。できるだけ明るい声でラスト行きますかとしゃべるも、正直もうゲームの気分ではなかった。


 今頃彼女は何をしているんだろうか。

 早く会って、声を聞いて、少しでも近づけたらいいな。

 そんなことを考えながら僕は無意識むいしきに呟いていた。

 「……今日は七夕か」


 完

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しらすの短編たまり場 しらす @shirasu0901

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