【番外編③】アリッサからの告白
1.目覚めたら、アリッサ
注)このお話の時間軸は本編終了後の夏休み中です。アリッサが登場します。
初見の方はアリッサに関するエピソードを先にご覧ください↓↓ https://kakuyomu.jp/works/1177354054888429940/episodes/1177354054888792460
記憶の中のアリスはいつも泣いている。
『いかないで……いかないでよ』
先ほどまでお気に入りの水色ワンピースの裾を揺らしてはしゃいでいた九歳のアリスは一転して国際線のターミナルで泣きわめいていた。
『パパ、アリサ、いかないで』
アリスは離婚したことを知らなかった。両親の話し合いの末に自分が母に引き取られて日本に残り、妹が父とともに渡航することなど夢にも思わない。
今日だって家族四人揃ってのお出掛けだと大喜びで空港までやってきたところで父と妹だけが航空券を持っていると知って愕然としていた。
『アリス、またすぐ会えるから』
困った母親が精いっぱいなだめてもアリスの泣き声は止まらず、余計に悪化して周りの客たちにじろじろと睨まれる程だった。
見かねて父親の隣にいたアリッサが近づく。
『アリス、なく、だめよ。わらって』
涙で腫れ上がった姉の頬を撫でるものの触れた先から大粒の涙がこぼれた。
『アリサは平気なの? 私たち離れ離れになっちゃうんだよ! げーのうかい行ってレイジに会おうってゆったのに』
『アリス……』
『ゆったのに! アリサのバカ! もう知らない!!』
アリスはすっかり拗ねてしまい、搭乗口へ向かうときもムスっとしたまま軽く手を振っただけだった。目を合わせてくれない。
けれど搭乗口のゲートを通り過ぎたあと後ろから耳をつんざくような泣き声が響いてきたのを覚えている。
飛行機に乗り込むと窓の外はどんよりと曇っていた。雨が降りそうだ。
(アリス。あたしは、あたしはね……)
一足早く、手の甲に雨粒が落ちる。
姉妹お揃いで買ってもらった『まっくろ太』の縫いぐるみは自分の涙で濡れていた。
アリッサの中に残る一番強い記憶だ。
※
(重ぃ……またクロ子が乗ってるのか)
夏休みも残りわずか。夢うつつの凪人は腹部をまさぐって飼い猫を探した。
黒瀬家で飼うようになってから一年、すっかり大きくなったクロ子は未だに甘えん坊で、毎晩のように凪人の布団に潜り込んでくる。枕元や足元で丸くなることが多いのでうっかり潰さないよう気をつけながら眠りに就く凪人だったが、朝になると
今日もそんなことだろうと腕を動かしていると――。
(ん? なんだろこの手触り)
かたくて、サラサラしていて、まるで人間の頭部のような……。
「Guili-guili(こちょこちょー)」
鳴いた。
(なんでクロ子が喋るんだ?)
ようやく意識が冴えてきた。薄めを開き、頭部を持ち上げた凪人。視界に飛び込んできたのは銀の髪。
「Bonjour! Commentallez-vous?(こんにちは、お元気ですか)」
そう。腹の上には美女が寝転がっていた。
「……えっあ、あえぉぇあえ!!? な、なんでアリッサがここにいるんだよ!!!」
こうして波乱含みの一日が幕を開ける。
アリッサ・シモン。
凪人の恋人アリスの実妹であり両親の離婚にともない父親とともにフランスに移住した。日本国内での知名度はまだ低いものの海外では名の知れた俳優だ。
そんな人物が自分のベッドの上で寝そべっている。こんなおかしなことがあっていいだろうか。良くない。当のアリッサは気だるげに体を起こした。
「んー? アリッサ、Summer vacation。日本来た。みんなお仕事。行くとこない、だからココきた。テンチョさんゆっくりしていけって」
つまり夏休みで帰国したものの家族が相手をしてくれないのでここを訪れ、母の許可を得て入ってきたらしい。
「だからってなんでおれの部屋にいるんだよ」
「んー? 飛行機ずっと乗ってて眠い……から」
ごしごしと目蓋をこすったかと思えば溶けかけのアイスクリームのように体を傾ける。以前会ったとき髪はアリスと同じミルクティー色だった気がするが銀色に染めたらしい。凹凸のはっきりした顔立ちによく似合っている。
服は薄手のシャツにハーフパンツという軽装で、「SHOT!」と描かれたぼろぼろのシャツは胸元がはだけて鎖骨まではっきりと見える。胸の膨らみはアリスよりもやや、高い。
(っておれのバカ、どこ見てんだ)
自分への戒めとしてべしべしと頬を叩いた。
「……ナギぃ」
細い手足を持て余すようにアリッサは凪人にのしかかってくる。カーテンの隙間から差し込む朝日を吸ったターコイズの瞳は蒼く輝き、銀色の髪は繊細な糸のようだ。どことなくアリスに似た顔が目の前に迫ったとあっては凪人の心臓は不自然に跳ねる。
「なんだよ、変な声だして」
「…………」
「って寝るなー!!」
目蓋が閉じたかと思ったら力尽きた。人の迷惑などお構いなしに三秒ほどで寝息を立て始める。上から覆い被さられたせいで布団から抜け出すのが大変だった。
「ったく」
アリッサを起こさないようカーテンを閉めたままリビングへ降りる。キッチンにいた母が「よく寝てたわね」と笑っている。柱時計を見ると七時半、すっかり寝過ごした。
「アリッサを中に入れたの母さん?」
牛乳パックとコップをだしてテーブルにつくと母が目玉焼きを出してくれた。凪人は早速塩を振りかける。
「六時ごろ新聞をとりに出たら店の前に座り込んでいたのよ。開店までお店の前で待つって言うから中に入ってもらったの。ご近所さんに変な誤解されたら困るでしょう」
「まあいいけど。いまおれのベッドで寝てるよ」
「あら。凪人を起こしてきてってお願いしたのにね」
おかしそうに笑う母の後ろでトースターがチンと鳴った。
「おなかすいた」
バターを薄く塗ったトースターにかぶりついているとアリッサが降りてきた。また眠たげだが食欲が勝ったらしい。母が追加で一枚トースターを焼く横で凪人は客用のグラスに牛乳を注ぐ。
「メルシー」
モデルとしても活躍するアリッサは180センチに迫る高身長なのに両手を添えて牛乳を飲む姿は幼い子どものようだ。自分の食事を素早く終えたは凪人は斜め向かいに腰を下ろす。
「アリスたち、こんな早朝から仕事なのか?」
「んー?」
あっという間にグラスは空になる。凪人はふたたび牛乳を注いだ。
「口の周りに白いのついてるぞ」
「拭いてー」
顔を突き出してくるので近くのティッシュを一枚抜いて放り投げた。
「それくらい自分でやれ」
「け・ちー」
唇を尖らせて拗ねるので笑うしかない。
凪人のスマホが鳴った。電話に出た途端、アリスの切迫した声が聞こえてくる。
『朝早くからごめんなさい。アリサを知らない? 泊まっていたホテルで一緒に朝食をとるつもりだったのに部屋に行ったらもぬけの殻で』
あぁなるほど、と凪人は大体の事情を察する。
「うちにいるよ。いま……あ、クロ子に牛乳をお裾分けしている」
電話口でハッと息を呑む気配がした。
『すぐに電話かわって。お願い』
有無を言わせぬ口調にただならぬ怒りを感じ、言われたとおりスマホを差し出した。クロ子の頭を撫でていたアリッサはきょとんと目を丸くしつつ電話口に出る。
『(※英語)アリサどうして勝手にいなくなるの! 心配したんだからね! しかもなに枕とウィッグで自分が寝ているみたいに偽装して抜け出すってどういうこと、パパなんてびっくりして腰抜かしそうになったんだからね! ぎっくり腰がこれ以上悪化したらどうするの』
ワーワーと声が漏れ聞こえてくる。
早口の英語なので凪人にはなんと言っているのか分からないが物凄く怒っているだろうことは伝わってきた。
「ごめんなさいアリス。反省してる」
一方のアリッサは淡々としたものだ。スマホを耳から離し、クロ子のお腹を撫でている。
『う……分かった、もういいから早く戻ってきなさい。お腹すいてるでしょう』
「へいき。いまナギが食べさせてくれた」
『どういう意味? そもそもどうして凪人くんのところにいるの?』
「ナギ、アリッサと一緒に寝てくれた」
『――――は!?』
「ナギの体、すごくあったかい。すき」
『はぁあああ!? 私だって……私だって一緒に寝たことあるもん! まだ恋人らしいことあんまりしてないけど凪人のくんのことが大大大好きな気持ちはアリサにも誰にも負けないもん! きっと近いうちに一緒にお風呂入って火照った体を持て余すようにベッド入ってぎゅって――聞いてるのアリサ!』
「……あ、ごめん。おれだけど」
電話の向こうで悲鳴が響いた。
『い、いつの間に替わったの。どこから聞いてた?』
「少し前から。でもおれ英語分からないからなに言ってたのかはあんまり」
『そ、そうなんだ』
ホッとしたような吐息がもれる。
「でもラブとテイクアバスは分かった」
『いやぁー!』
パニックに陥っているのかバタバタと音が聞こえてくる。ようやく静かになったと思うと唐突に別人の声がした。
「ハロー、マイケルですよー。コンニチワ」
すぐに父親だと分かった。凪人は慌てて背筋を伸ばす。
「こ、こんにちは。お久しぶりです。ご挨拶が遅れて申し訳ありません、じつはいまアリスさんとお付き合いさせていただいて……」
『あー、オケオケ。緊張しなくていいデース。アリスの恋人。結構結構。ところで折り入ってお願いがあるです』
「お願いですか?」
『アリッサ、一年ぶりの日本で行きたいところたくさんあるですね。でも今日忙しいね。ワタシとミドリ、結婚記念日。アニバーサリーですね。デートするです。アリスはもうすぐ柴山さん迎えにきてお仕事ですね』
「つまりおれにアリッサをエスコートしろと言うことですね」
『アリッサ大きな仕事控えてキンチョーしてるですね。助けてあげてほしいです。そう遠くない未来にアリッサはきみの妹になるんですから優しく。これ大事』
試練だ。そう思った。
アリスの父はアリッサへの対応で黒瀬凪人という人間を見極めようとしている。
ならば断る理由はない。
「分かりました。引き受けます」
『ありがとですねー。お、アリス』
『パパなに話しているの! 凪人くん、アリサとふたりきりなんて絶対にダメだからね、だってアリサは――』
そこで通話が切れた。
最後にアリスがなんと言おうとしたのか、釈然としないものはあるが自分を認めてもらう絶好のチャンスだ。
「というわけで、今日はどこでも好きなところに付き合うよ。去年は店で吐いてアリッサにも迷惑かけちゃったけど今はだいぶ克服したから」
猫じゃらしに似たオモチャでクロ子と遊んでいたがアリッサは凪人の声に気づいて振り返った。アリスと同じターコイズの瞳が細められる。カメラの前と違ってふだんは表情に乏しいアリッサだが穏やかな眼差しは喜びを表しているのだと伝わってきた。
「そのかわり変装はしてくれよ。ファンやパパラッチみたいなのに追いかけられるのはイヤだから」
「Sure! デート、行く」
ぴょんと腕に飛びついてきたので「そういうことはしません」と断って丁寧に引き抜いた。アリッサは唇を尖らせる。
「け・ちー」
凪人は知らない。
自分がアリッサにとって初恋の相手であることに。
もっと大事なことも。
いまはまだ、思い出していない。
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