(後編)雪の夜の恋人たち ※R15
注)内容も内容なのでR15です。
「え? 雪のせいで電車が止まって帰れそうにない? そんなに積もってたっけ」
午後六時半。桃子からの電話を受けた凪人は外を見て驚いていた。近年では珍しいほどの積雪で辺り一面白く染まっている。
(桃子さんが帰れない? それって、それって)
否が応でも期待が高まる。
電話を終えた凪人は困り顔でアリスの元に戻ってきた。
「今日は近くの友達のところに泊まるってさ。アリスはどうする? まだ早いけど送っていこうか」
アリスは犬みたいにプルプルと首を振った。
「ゆ、雪道を甘く見ちゃいけないと思うの! 不要不急の外出は控えて家で大人しくしてようよ! ね?」
「それもそうだな。どうせ明日の学校も時間ずらして登校することになるだろうから今日は泊まっていけよ」
やったぁあああ!!
アリスは歓喜した。万歳した。神様仏様に感謝した。
その夜はふたりでシチューを食べ、バラエティー番組を観て笑い声を上げた。
まるで夫婦になったようだ。
(しあわせだなぁ)
母が不在がちのため一人で食事をとりBGMがわりにテレビをつけていることが多いアリスにとって誰かが隣にいる日常の方が新鮮だ。それも大好きな人が。
「まーた見てる」
アリスの視線に気づいた凪人は顔の向きを変えた。
「ふふ、だって好きなんだもん」
体を傾けて寄り添うと凪人の体がびくっと震えた。それでも拒むことなく受け止めてくれる。
「深々と降る雪の日に好きな人と二人きりなんだよ。しかも誕生日……あ! そうだプレゼントまだ渡してなかった!」
慌ててカバンの中から小箱を出してくる。
「お誕生日おめでとう」
「おれに?」
「うん。開けてみて」
箱の中から現れた腕時計を見て目を輝かせる凪人。アリスがいちばん見たかった顔だ。それほど高いものではないが防水仕様で頑丈だ。これならクロ子にオモチャにされても易々とは壊れない。
「昨日こっそりお店に来て腕時計壊れちゃったこと聞いたの」
「昨日!? もしかして母さんが相手にしていた……」
この頃はまだ凪人はアリスの変装を完璧に見破ることはできていなかった。しかも店が忙しかったので余裕もない。
「じゃああの会話――」
「んー? 桃子さんとお話ししていたからなにも聞いてなかったよ?」
ウソをついた。凪人がいかにも照れくさそうなので黙っておこうと思ったのだ。
「つけてみて。それほど高いものじゃないから普段使いしてくれると嬉しいな」
そうしたらいつも一緒にいられる気がする。凪人は早速左手首にはめ、腕時計の感触を確認して何度も何度も頷いた。
「すごくいい。ありがとう。大切に使うよ」
「良かった。でね、カード見てもらいたいんだけど」
腕時計の下には『ハッピーバースデー』と書かれたカードが納めてあった。もちろんアリスが仕込んだものだ。
『凪人くんへ
お誕生日おめでとう。これからの一年が幸せなものでありますように。
ささやかですが腕時計を贈ります。使っていただけると嬉しいです。
なおこれに先駆けて昨年の夏に差し上げたAは滅多に手に入ることのない極めてレアリティーの高いお品ものです。よく褒めて(なでなでして)、構って、ぎゅっとして、どうぞ末永く大切にしてください。
あなたを心から愛するAより』
Aとは言うまでもなくアリス自身のことだ。
カードを読み上げたあとの凪人の表情といったら。
「あ、あ、ありがとう……ございます」
テンパって敬語になってしまうほどだ。つられてアリスも頬を赤らめる。
「ど、どういたしまして」
妙な空気が流れる。
甘くて、こそばゆくて、恥ずかしくなるよな空気だ。どちらかが少しでも動いたらダメになってしまいそうな。
「な、なんか暑いね。上、脱いでもいい?」
「お、おお」
ピンクベージュのニットを脱いでシャツ一枚になる。それでもまだ暑かった。
「靴下も脱いでいい?」
「う、うん」
毛編みのソックスを脱いで素足になると少しだけ涼しさが戻ってきた。
それでもまだ妙に暑い。恋をしているからだ。体全体が燃えるように。
アリスは凪人の手にそっと指先を伸ばす。
「ねぇ凪人く――」
「風呂。風呂入って来いよ。おれ、夕飯の片付けするから。な、な、な」
結局押しきられる形でお風呂に入ることになった。
乳白色の湯船につかりながらぽつりと呟く。
「凪人くんの、ばか」
※
「風呂上がったか? 寒いし羽根布団でいいよな。暑かったらエアコン使って調整してもいいから」
気持ちのよい湯船につかり、まったりした気持ちで二階に上がると既にアリスのための部屋と布団が用意されていた。当然ながら凪人の部屋ではない。
「一緒に寝てくれないんだ……」
拗ねたように唇を尖らせるアリス。
「当たり前だ。おれの部屋はクロ子が散らかしたままになっているし、それに」
「それに?」
凪人は視線を背ける。
「一緒に寝るってアリスが想像しているような意味じゃないし」
「クリスマスイヴみたいな添い寝でいいんだけど」
「もういいからさっさと寝ろ」
ぐいぐいと背中を押され、問答無用で部屋に押し込まれる。
「明日は六時半に起こすから。じゃ、おやすみ」
まずい。このままではクリスマスイヴ同様に「なにもなかったエンド」になってしまう。
「待って」
アリスは扉が閉まる前に体を反転させて背中に抱きついた。
「ごめんなさい、凪人くんに迷惑はかけない。なにもしない。だからちょっとだけ……ほんの少しだけでいいから、こうさせてて」
ここ最近急に伸びた彼の背中。耳をつけてぴたりとくっついていると心臓の音さえ聞こえる気がした。それはいつか自分の心音と混じり合ってどちらのものが分からなくなる。それも幸せだった。
「アリス」
振り返った凪人はアリスの湿った髪をかき分けた。
顔が近づいてくる。そうなったらあとは目を閉じればいい。甘くてやわらかな唇の感触を味わえる。
「凪人くんの舌、あつい」
「アリスも」
「ベー」
笑いながら何度も何度もキスをした。
「そういえばさっきのカード」
「あっ気づいた? もうひとりのプレゼントに」
凪人はポケットから先ほどのカードを取り出した。右下に切り取り線があり『これをお持ち頂いた方には粗品をプレゼント』と書いてある。チラシを参考に遊び心で書いたものだ。
「粗品ってなんだ?」
「ふふ。それはね」
思わせぶりに笑うとカバンから一枚の紙を持ってきて差し出す。
記された文字を見て凪人は目を丸くする。
「『フリー券』。なんだこれ」
「そのままの意味。自由にしていいってこと」
外は深々と雪が降り積もる。だれも来ない。音もしない。
ふたりきりだ。
アリスは緊張した面持ちで凪人に歩み寄った。
「もう一度言う。だからちゃんと聞いてね」
瑞々しい果実のように頬を赤くし、ターコイズの瞳を潤ませたアリスは凪人の頬を両手で包み込んだ。
「今夜は私を――好きにしていいよ」
「分かった。自由にさせてもらう」
長くて短い、逡巡があった。
凪人は覚悟を決めたようにアリスを見据える。
「口を開けて、目は閉じててくれ」
「くち……え、ごめん、なんで?」
予想外の返事に戸惑ったのはアリスの方だった。凪人は「いいから」と目蓋を覆ってくる。
「そのまま少し待っててくれ」
足音が遠ざかっていった。
残されたアリスは心臓がばくばくだ。
(ちょっとちょっとちょっと、なに!? 私なにされるの!?)
楽しみなような、怖いような。
緊張して待っているとふたたび足音がした。
「お待たせ。目は閉じたまま、もう少しだけ口開けてくれないか」
「こ、こう?」
「うん。そのままでいい。いくぞ」
舌先に神経が集中する。
そこへ――。
(なに、これ)
硬くて冷たくて――甘い。
「チョコレート!?」
アリスはバッと目を開けた。目が合った凪人は頬を掻く。
「もうすぐバレンタインだろう。店で出すチョコレートの試食してもらいたかったんだ。まずは味。次に見た目。正直な意見を聞きたくて」
凪人が手にした皿の上には色も形も様々なチョコレートが乗っている。アリスは前のめりになって覗き込んだ。
「可愛い形。これは女の子の顔ね。こっちは猫。帽子にティーポット、ハート型の杖に王冠――もしかして不思議の国のアリスをイメージして?」
「うん。それをモチーフに作ってみたんだ。手作りだから十四粒セットで一袋にして個数限定で販売するつもりなんだけど」
「……これは?」
「あっ」
アリスが気づいたのは「A」の形を模したチョコだ。ラズベリーを練り込んだ赤いコーティングに金粉が散らしてある。
「それは特別な……、十袋に一粒しか入れないつもりのチョコなんだ。それが入っていた人は幸せになれるってキャッチフレーズで、その、アリスにいちばんに食べてもらいたかったんだけど言い出せなくて」
語尾が小声になるのはそれがアリスをイメージしたものに他ならないからだ。食べてもいいのかと断ってからAのチョコを口に入れた。甘くてなめらかな舌触りが最高に美味しい。
「すごく美味しい。きっとお客さんみんな気に入ってくれるよ。私が保証する」
それを聞いた凪人はいくぶんホッとしたようだった。アリスはすべてのチョコレートを試食して自分なりの感想を告げた。凪人は熱心にメモに書き留めている。
「こんな感じかな。味も個性があって美味しいけどインパクトが足りないかも」
「インパクト? たとえば?」
にやり。アリスはほくそ笑んだ。
「たとえば私みたいな」
「うわっ」
腰にぎゅっと抱きつく。
だが一瞬で引き剥がされ「ありがとうおやすみ!」と扉が閉められた。アリスは慌てて扉を叩くがビクともしない。
「ちょっと凪人くん! 凪人くん開けてー!! この意気地なしー!!!」
いつぞやのお泊まりの繰り返しであった。
ふたりはまだ高校一年。先は長い。(※この数日後アリスは桃子から「ちゃんと手順を踏みなさい」とやんわり窘められることになる)
扉の向こうからは苦し紛れとも思える声が消えてくる。
「今日はここまでだ。いまの意見を踏まえてチョコレート作らないといけないから。そのかわり今度お礼としてなんでも言うこと聞くから」
「本当に!? じゃあねじゃあね、私が”ある呪文”を口にしたらキスして欲しいなー。いくよ、『開けゴマ!』」
「それは却下!」
「『オープンザドアー』」
「それもダメだ!」
「『助けてーキスしないと死んじゃうー』」
「もうさっさと寝ろ!」
こうして夜は更けていく。
別々の部屋で。
※
「凪人、いまいらしたお客様の注文とってきてちょうだい」
「ん、分かった」
バレンタインから数日後。凪人は疲弊していた。
「不思議の国のアリス風チョコレート」は大好評だった。というより三十分ほどで完売した。というのも、試作品をもらったアリスが意見を聞きたいからと柴山やスタッフたちに配ったところ事情を知らないひとりがオンスタにアップしてしまったのだ。
アリスからは詫びの連絡が入ったがチョコレートの噂は瞬く間に拡散し、当日は店の前に長蛇の列ができた。当日渡せなかった客に郵送するため、凪人はここしばらく徹夜している。
「お待たせしました。ご注文をおうかがいします」
席にいたのは赤紫のニット帽をかぶったメガネの少年だった。凪人は精いっぱいの笑顔で接客する。
「じゃあ、エスプレッソを一杯」
「はい」
「砂糖多めで」
「はい砂糖多め……え?」
『エスプレッソを一杯。砂糖多めで』
それはあの夜にアリスと(最終的に)決めた『キスの注文』だ。
「注文、お願いしまーす」
見れば男性客はメガネを外して舌を出してくる。そう、変装していたアリスだ。
「――かしこまりました」
凪人はおおきく息を吐き出す。仕方ないな、と言わんばかりに。
「ではお客様、大変お手数ですが店の裏口までご足労ください。とびっきり甘いエスプレッソをご馳走します」
番外編『エスプレッソを一杯。砂糖多めで』おわり。
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