(中編)控えめに言って、大好き。
「おっとまりお泊りうれしいなー」
鼻歌を口ずさむアリスを乗せ、柴山の車は都内をひた走る。一月も終わりとあって目に飛び込んでくるのはバレンタインを意識した華やかな装飾やディスプレイばかり。見ているこちらまで気持ちが高揚してくる。
(もうすぐバレンタインか。いつもは柴山さんや事務所の社長、現場のスタッフさんたちにお菓子をあげるだけだけど今年は大本命の凪人くんがいるんだよね。なにをあげようかな)
きっとなにをあげても喜んでくれると思う。彼の照れ臭そうな笑顔を見るとアリスの胸はきゅぅっと締めつけられ、ほわほわした暖かさで心が満たされる。
(あ、カップルみっけ)
信号待ちで車が停まる。
高校生らしき男女がおそろいのマフラーをつけて歩道を歩いていた。ふと彼女が足を止め、赤くなった自らの頬に触れる。暖房が効いた車内は温かいが外は氷点下だ。さぞかし寒いことだろう。
すると彼氏が正面に回り込み彼女の頬をそっと包み込んだ。顔と顔が近づく。キスするではと息を詰めて見守っていると、寸でのところでこらえきれないように笑い声をあげた。アリスの胸がきゅん、とうずく。
(いいなぁーカップル、いいよ。いい。うん)
彼は彼女の片手を自らのポケットに入れ、恥じらいながらも仲睦まじい様子で去っていく。車が動き出しても建物の影に隠れるまでカップルから目を離せなかった。
「アリス……怖いぞおまえ」
ぺたりと顔を張りつけていたアリスは傍から見ればかなり不審だ。窓にはおでこと頬の跡がくっきりと残っている。
「とても可愛いカップルだったんですよ。頬をこうぺたっとして、手をぎゅっとして。お互い照れていて本当にきゅーんってなるんです」
「……日本語大丈夫か?」
「Ah, oui, on peut en parler.(はい、問題ありません)」
カップルらしいカップル。アリスの理想だ。
お金や物がなくても互いの存在だけで満足。そんな幸せな時間を凪人とも過ごしたい。
「――ところで誕生日プレゼントは決まったのか?」
バックミラーを見ながら柴山が問いかけてきた。アリスははたと真顔になる。
「あぁ……」とうめいて天井を仰いだ。
「すみません。私の脳内ではすでにプレゼントを渡して凪人くんが喜んでくれて『今日はとびきり寒いから泊まっていけあっためてやるよ云々…』まで進んでいたので」
「妄想は置いといて。どうすんだ、もう日にちないぞ」
「こうなったら奥の手を使います」
「奥の手だと?」
アリスは怪訝そうな柴山を前に胸の前で♡マークを作ってみせた。
「『私を丸ごとプレゼント♡』っていうのはどうでしょう?」
「重い。却下」
即刻切り捨てられる。
「決断が早い……早すぎますよ柴山さん」
「ふざけてる場合じゃないだろ、もう明後日なんだから。本気で自分をプレゼントするつもりなら覚悟決めろ」
「うぅ……」
どうしようどうしよう。焦りでパニックになりそうだ。
「仕方ねぇ、最後のチャンスをやるよ。明日の仕事を調整して時間空けてやるから『黒猫カフェ』に探りに行って来い」
「やったー柴山さん大好き!」
こういう時頼りになる
※
「あら、いらっしゃい。なんだか久しぶりね」
誕生日前日の土曜日、黒猫カフェを訪れたアリスを出迎えたのは桃子だった。
変装のため三つ編みのウィッグに他校のセーラー服を着ているのにすぐさま正体を見抜いてしまう。見極めのポイントは「なんとなくの雰囲気」だそうだ。
「ご無沙汰してます。凪人くんは……」
視線を巡らせるまでもなく賑やかな笑い声が響いてきた。三十人ほどの老若男女がワイワイと食事を囲んでいる。
「ごめんなさい、今日団体のお客さまが来ているの。ピアノ教室の先生と生徒・保護者さんの謝恩会ですって」
凪人は教師とおぼしき女性のつかまって話し相手になっていた。眉尻がキュッとつり上がった目つきの鋭い女性だ。
「息子さん高校二年生ですって? うちの娘どう、ひとつ上だし丁度いいでしょう」
「え、おれは」
戸惑う凪人をよそに母親似の女性が隣から割り込んできた。
「お母さま変なこと言わないで。でも凪人くんって意外とイケメンよねー。そのダサい眼鏡やめればいいのに」
(凪人くんは眼鏡があってもなくてもカッコイイの!)
窓際の席に座ったアリスはモヤモヤしながらふたりの様子を見ていた。
他の女性からアプローチされているのを前に嫉妬しないと言ったらウソになる。けれど怒りにまかせて突っ込んだところで接客中の凪人に迷惑をかけるだけだ。
水を飲みながらひたすら忍耐の時間が続く。
そこへ桃子が近づいてきた。
「お待たせしました、エスプレッソです。お砂糖は?」
「え、でも私まだなにも注文……」
桃子は人差し指を立ててウインクする。「内緒ね」と唇が動いた。奢りということだ。
「――ありがとうございます。砂糖はいりません。ここのエスプレッソは本当に美味しいから」
「分かったわ。そう言えば海外ではエスプレッソに砂糖を入れて飲むのが常識らしいわね。日本人は苦みを楽しむものと勘違いしているらしいの」
「私のパパ――父もびっくりするくらいの砂糖を入れて飲んでいましたよ。母はコーヒーそのものが苦手で煎茶やほうじ茶みたいな素朴な味が好きなんです。料理も和食が一番好きだと言って」
「そうなの。今度じっくりお話してみたいわ」
桃子との会話は楽しくて話題が尽きない。
「凪人のお嫁さん」になりたいのは彼のことが好きで好きで仕方ないというのも勿論だが、「こんな優しいお母さんがいたらな」という願いも少なからず含まれていた。
「凪人くん肌白いね。指もながーい」
ハッと気づくと例の女性がさり気なく凪人の手を掴んでいる。
(ああああ凪人くんの手を……私がなでなでしてもらうための手を……)
「学校どこ? また来てもいい?」
むぎぎ、とアリスは顔をこわばらせた。
(学校は私と一緒。席は私の隣。私の席は彼の様子を盗み見するための特等席なの)
「アリ――お客様、お顔が怖いですよ」
桃子に指摘されて我に返る。自分の頬をぱしぱしと叩いて強ばった筋肉を必死にほぐした。
「すみません。窓際の席でこんな顔していたら怖がってお店に人が来なくなっちゃいますよね」
落ち着け落ち着け、多少のスキンシップも接客には必要だ。うん。
とは言えどうしても目線は凪人を追ってしまう。いまは水のおかわりを用意するためキッチンに戻ったところだった。左腕を一瞬見てから柱時計を見上げる姿を見てあることに気づく。
「凪人くん腕時計どうしたんですか? 黒っぽいデジタル時計してましたよね」
「あぁ、昨日クロ子がオモチャがわりに遊んでいて壊しちゃったのよ。安物なんだけど防水仕様で仕事しながらでも確認できるから重宝していたみたいだけど」
「……!」
閃いた。
誕生日プレゼントは腕時計にしよう。
それならいつでも彼のそばにいられる。凪人が自分にくれた指輪のように。
そうと決めたら善は急げ。
いまからでもお店に行こうとエスプレッソのカップにかぶりついたアリスは、聞き捨てならない言葉を耳にした。
「お水なんかいいからメアド交換しようよ」
「申し訳ありませんがそういったことは」
例の女性だ。まだ諦めていないらしい。
さしもの凪人もサービスの域を超えていると困惑気味だ。すかさず桃子がフォローしようとしたが運悪く別の客から声がかかってしまった。
「早くー。いつまで待たせるの」
執拗に絡まれている凪人が気の毒になってきた。
もういっそ『彼女です!』と名乗り出ようか、思いきって腰を上げた。
その刹那。
「すみません。おれ付き合っている人がいるんです」
(付き合……え、私のこと?)
ほぼ立ち上がっていたアリスは空気が抜けるように着席し、静かに様子をうかがう。
「え~どんな子?」
「そうですねぇ……」
考え込む凪人。
自分をどう見ているのか知るチャンス。アリスは石のように固まって凪人の言葉を待った。
「変わり者です」
さぁっと血の気が引く。確かに自分は多少変態ちっくかもしれないが。
「おれみたいな地味でなんの特技もない男を好きになるんですから、とびきり変わり者ですよ。あんなにキレイなんだから他に男はいくらでもいるはずなのに、なんでよりによっておれなんかに引っかかるかなって、いつも不思議に思ってます」
凪人の言葉はたんなる謙遜ではない。
アリスだって当初は「レイジにそっくりの男の子みっけ」くらいの軽い気持ちでアプローチしていたのに、いつのまにか本気になっていた。
炎上騒ぎで弱っていた自分の心の奥の、どうやっても手が届かないところにスッと入り込んできたのが彼だったのだ。
「美人なのに驕ったところがなくて、それでいて子供みたいに無邪気で明るい。なにに対しても一所懸命で、仕事に対する姿勢は同年齢ながらすごく尊敬しています。時々暴走してびっくりするほど強引なときもありますけど」
苦笑いする彼の脳裏には自分の姿が映っているのだろう。
「ただ、おれのことが好きなのは分かるけど授業中にじっと凝視されると居心地が悪いのでやめてもらいたいと思っています」
(……ごめんなさい)
だって無意識のうちにそちらに目が向いてしまうのだから仕方ない。
「でも」
凪人は破顔した。
照れくさそうな、それでいてどこか誇らしそうな笑顔。
「そういうところも全部含めて好きなんです。控えめに言って、大好きなんです」
好き。
好き。
好き。
控えめに言って、大好き。大好き。大好き(エコー)
もう今すぐにでもダッシュで飛びつきたい。
そして同じことをもう一度、今度は自分の目を見て言ってもらいたい。
「ねぇ店長さん、なんだか暑くない?」
ピアノの教師が手団扇であおぎながら暖房を止めるよう要求してきた。
あれほど絡んでいたその娘はスマホに夢中で凪人には目もくれない。
一方の凪人はそそくさとキッチンに戻り、アリスはお手拭きを顔にあてて恥ずかしさを隠していた。
凪人とアリスの愛の完全勝利(?)である。
※
明けて、次の日の夕方。
仕事を終えたアリスは柴山の車で黒瀬家に送ってもらった。
「いらっしゃい」
玄関で出迎えた凪人はアリスをリビングへと促す。
「ありがとう。桃子さんは?」
「趣味の料理サークル行ってる。巷で噂の料理やお菓子の情報を入手しつつ、店を売り込むための広報活動の一環なんだって」
「えっじゃあ私たちふたりきり……じゃないね、クロ子ちゃんがいたね。にゃーん」
恥ずかしさを誤魔化すように足元のクロ子を抱き上げるがじたばたと暴れて逃げられてしまった。
「よし、じゃあ始めるか」
ソファーを示された瞬間アリスの胸が早鐘を打った。
(始める!? ここで!? なにを!!?? ま、まさか――)
「なにしてんだ、上脱いで早く来いよ」
先にソファーに座った凪人がちょいちょいと手招きする。彼の灰色のタートルネッグからちらりと覗く首筋を目にした途端ドキドキしてきた。
「脱ぐって……ちょ……なに言ってるの、ま、まだ夕方五時だよ。こんな早い時間にそんな……そんな、桃子さんが帰ってきたらなんて言い訳するの……」
顔から火が噴き出しそうだ。まともに顔を見られない。
すると凪人は目を丸くして――。
「なにって英語のテスト勉強するんだろう?」
思考停止。
「………………てすとべんきょう?」
「うん。来週小テストがあるって言ってたじゃないか。だから勉強教えてほしいってメモに書いたよな」
「え……」
急いでメモを見る。
『今度の日曜うちに来ないか? 仕事終わってからでも(改行)
いいから英語の勉強教えてくれ 』
なんということだろう。見たいところしか見てなかった。
視界には入っていたはずなのに「認識」していなかった。
「今夜は雪の予報が出ているし早く始めよう。母さんが帰ってきたら一緒に夕飯食べような。そうしたら家まで送っていくから」
しびれを切らして立ち上がった凪人がアリスからコートを脱がせて近くのハンガーにかける。
「……うん。わかったぁ」
まさか泊まりを期待していたとは言い出せず、アリスは頷くことしかできない。意気消沈していたところへなにも知らない凪人が近づいてミルクティー色の髪を撫でた。
「冷たいな。外寒かっただろう?」
これはチャンスだ。
アリスは思いきって凪人に抱きついた。
「すごく寒かった。だからあっためて欲しい!」
「あっため……えと、じゃあ、湯たんぽでも持ってくるか?」
「…………」
「なんだよその冷たい眼差しは」
ふたりが勉強している最中、予報より早く雪が降りはじめた。窓際のお気に入りスペースにいたクロ子だけがそれに気づいて金色の目を細める。
「にゃーお(これはいつになく積もりそうね。ま、アタシにはどうでもいいけど)」
またたく間に白く彩られる町並み。それはアリスにとって予期せぬチャンスをもたらすのだった。
――後編につづく。長くなってごめんなさい。
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