【番外編②】エスプレッソを一杯。砂糖多めで。

(前編)誕生日プレゼント

注)このお話の時間軸は高一の冬(アリスが転校する前)です。おもにアリス視点となっています。




 深々と雪が降り積もる1月31日の夜。

 薄暗い部屋の中。アリスは緊張した面持ちで凪人に歩み寄った。


「もう一度言う。だからちゃんと聞いてね」


 瑞々しい果実のように頬を赤くし、ターコイズの瞳を潤ませたアリスは凪人の頬を両手で包み込んだ。


「今夜は私を――好きにしていいよ」



 ※



 遡ること数日前。ひさびさに登校していたアリスは授業の隙を狙って凪人にメモを回した。


『もし百万円手に入ったらなにが欲しい?』


 ふたりの席は隣同士だが付き合っていることを隠すため目立つ形での会話はしない。そのかわり隙を狙ってメモをやりとりすることにしていた。

 スマホの連絡先を知っているのだからわざわざメモをやりとりする必要はないのだが、バレるかバレないかのギリギリな感覚を楽しんでいる点もあった。


 教師やクラスメイトたちに見られないよう隙を狙って投げるのでメモは時として見当はずれの方向にいく。

 今回もアリスが投げたメモは椅子の下に転がった。凪人はすかさず消しゴムを落とし、それを拾う振りを装いながらメモを手にとった。

 

 アリスは素知らぬふうを装いながら隣を観察していた。中身を確認した凪人の口が「ひゃくまん?」と動く。


 顎に手を置いて少し悩む素振りを見せた後、先ほどのメモの余白にシャープペンを走らせた。何事か書き終えるなりノールックで投げ返してきたメモはアリスが広げていた筆箱の中にすとんと入る。


(さて凪人くんの答えは)


 男の子らしい乱れた筆跡で綴られていたのは一言、




『店の借金の足しにする』




 である。


「……え?」


 思わず声が漏れてしまった。一瞬凪人の肩が反応したが下を向いたままやり過ごす。


 百万あったらお店の借金を返す。

 凪人らしい誠実な回答だ。親孝行で素晴らしいと思う。


(でもそうじゃなくて誕生日! バースデープレゼント!)


 今週1月31日は凪人の16歳の誕生日だ。

 年末年始は仕事に忙殺されていたせいで遅くなってしまったが交際しているのだから何かプレゼントしたいと思っていた。どうせならサプライズにしたい。そのための『なにか欲しい?』なのだが。


(こうすれば欲しいものを内緒で聞き出せるってサイトに書いてあったんだけどな。……それなら)


 今度は別の質問を書いてメモを投げた。上手く手元に着地する。

 早速中身を確認した凪人は眉をひそめて怪訝そうな顔をしていたが再びなにかを記して返してきた。


『私のモデル仲間が彼氏にあげるプレゼント悩んでいるんだけど何がいいと思う? 凪人くんと同じ高校生なんだって』


 という質問に対して、


『おれなんかよりそいつに直接聞けばいいんじゃないか?』


 と素っ気ない。


(ちがーう。あと自分以外の男の子のプレゼント考えているんだからちょっとくらい嫉妬してほしーい。ムギギって顔してほしーい)


 こうなったら、


『この前占いを見ていたら『紙に欲しいもの書いて机の裏に貼っておくと一ヶ月以内に手に入る』って書いてあったの。やってみて』


 往信用のメモとは別に可愛らしいメモをちぎって渡す。凪人はしばらく悩んでいたが覚悟を決めたように書き込んで自分の机の裏に貼った。


(よし書いた! 貼った!)


 授業が終わり凪人が席を立ったタイミングを見計らって机の下を覗き込む。モデルのアリスが怪しげな行動をとっていると周りは不審がっていたが当の本人はそれどころではない。


「よしゲット……いたっ」


 距離感を誤って派手に頭をぶつけた。


「さっきからなにしてるの? 凪人くんの席で」


 近くにいた福沢が怪しげな目線を向けてくる。アリスは「虫がいたみたいで」と誤魔化しながら急いでポケットに隠した。そこへ凪人が戻ってくる。


「ア――いや兎ノ原どうしたんだ、おでこ赤いぞ」


「あ、ううん。凪――黒瀬くんの机の下に虫がいた気がしたから追い払おうと思って。でも気のせいだったかもアハハハ、あ、私お手洗い行かなくちゃー」


 逃げるように教室を飛び出した。


(あぁおでこ痛い。でも無事入手したから良しとしよう)


 だれにも見られないようにと浮足立った気持ちで階段に向かう。が、慌てていたせいで足が滑った。


「きゃ!!」


 階段を踏み外してよろめくアリス。すると後ろからぐっと腕を引かれて体が止まった。


「なにやってんだよ」


 後ろにいたのは凪人だ。呆れた表情を浮かべつつしっかりと引き寄せてくれる。


「ケガは?」


「へいき、ありがとう」


 とっさに周りの様子を確認するが幸い誰もいない。ふたりきりだ。


「私を追いかけてきたの? 他の人……はいまいないか。でも誰か来るかもよ」


「すぐ終わる」


 掴んだままの腕を腰に回すともう片手を顔の前に伸ばしてきた。前髪をかき分けるようにしてそっと額に触れ、おまじないでもするように目を閉じる。


「痛いの痛いの飛んで行け――ほらもう痛くないだろう」


「は……はぇ」


 状況が呑み込めないアリスは顔だけを赤くする。一方の凪人は体を離して照れ臭そうにそっぽを見た。


「ごめん。昔から母さんにこうされてて。気休めだけど少しは痛くなくなると思って」


「あ、そうなんだ……それでわざわざ」


 痛みなんかとうに忘れた。

 それよりも体が熱い。


 熱くて熱くて。

 いますぐ抱きついて啄むようなキスをしたい衝動に駆られている。


 それなのに凪人は人目を気にしていまにも立ち去りそうだ。

 つい我慢できなくなり彼の制服の袖をぎゅっと握った。


「あの、さ」


「うん?」


「まだ痛くて。これだけじゃ足りないって言ったらどうする?――その、キスして欲しいって言ったら」


 凪人は意外そうに目を丸くした。さすがに大胆すぎたかもしれない、とアリスが焦りはじめたところでようやく足が動く。


(――!)


 ちゅっと短いキスが贈られる。おでこに。

 目が合った凪人は優しく微笑んで「今日はこれで我慢な」とだけ言って立ち去った。


 突然のおでこチューをされて取り残されたアリスはというと。


(あーもー私の彼氏最高かよー! これ以上惚れさせてどうしようってゆーのー!!)


 自分で自分を抱いて懊悩ジタバタしていた。

 こうなったら最高で最幸なプレゼントを贈ろう。そしてお返しとして――。


(『アリスが欲しい』って言ってくれたら幸せなのに)


 高校一年。まだ早すぎるだろうか。


(あ、もしかしてメモに書いてあるかも。欲しいものは『アリス』とか。だったらどうしよう、ふふふ)


 期待と妄想を胸にポケットからメモを取り出して意気揚々と開く。



「……」



 さらりと一言、『業務用エスプレッソマシン』と記してあった。



 ※



「で、エスプレッソマシンを買おうと?」


 事務所の応接スペースで一部始終を聞いた柴山は呆れ果てていた。アリスは先ほどからスマホで熱心に「エスプレッソマシン」を検索している。


「はい。安いものなら三万くらいで買えます。ただお店で使うとなると良いものにしたいですよね」


「高いといくらだ?」


「……四十万くらいです」


 声が暗くなった。

 中学生のころから芸能活動をしているため並みの高校生に比べればかなりの収入があるアリスでも四十万はおいそれとは出せない。


「生活費を除いた分は将来渡航する費用にとっておくんじゃなかったか?」


「ハイ……」


 力なく項垂れる。

 アリスの目標は海外で活躍する妹のアリッサと肩を並べることだ。そのために何が足りないのかをよく自覚しており、いずれ海外での生活・経験が必要だと踏んで地道にお金を溜めている。

 母親に渡す生活費、自腹になることも多い撮影現場への交通費や道中の飲食代、「黒猫カフェ」での飲食代(凪人は断るが客として少しでも売上に貢献したいアリスが押しきる)など毎月の出費はバカにならない。そのため普段着は撮影現場で使ったものを安く買い取ったり古着でコーディネートしたりと質素倹約に務めている。


「うーん。やっぱり高価な方が良質なコーヒーが抽出できるのか、ううん……」


 頭を抱えるアリスを横目に缶コーヒーを飲みながら宙を見つめる柴山。

 どう言ったものか、という顔だ。


「……これは独り言だけどな。オレが高校生だったらどんなに欲しくても四十万のエスプレッソマシンを突然贈られたらドン引きするぞ」


「どうしてですか?」


「イヤミに感じる。『あなたとは違うのよ』と財力の違いを見せつけられた気がして心の距離ができるかもしれない」


「じゃあなにをあげたらいいんですか? せっかくなら喜んでもらいたい」


 顔をまっ赤にして立ち上がるアリス。柴山は「落ち着け」とばかりに手を上下させる。


「相手をよく見るんだ」


「見る?」


「直接聞かない限り本人が心の底から欲しがっているものなんて分からない。だから注意深く相手を観察して、なにを欲しがっているか察するんだ。きっとアリスが悩んで悩んで悩み抜いた末にプレゼントするものならなんでも喜ぶと思うぞ」



 ※



(見るって言ってもね)


 英語の授業中、アリスはこっそり隣を盗み見た。

 熱心に黒板を見ている凪人。長い睫毛が瞬きする様子を見ていると飽きない。その睫毛を伏せて英単語をノートを書きとる姿を見ていると映画鑑賞でもしているように引き込まれる。


(きれい)


 雑誌やテレビの現場で接する男性たちに比べれば凪人の顔は特段整っているわけではない。どこにでもいるただの高校生だ。けれど白い首筋や細めの体型、首元まで着込んだ学生服にどこか子どもじみた黒猫柄のシャープペンを握る指先、全てがきれいだと思った。


(私の彼氏――なんだよね)


 なんだか信じられない。

 オーディションに落ちたショックであんなことを言った自分を追いかけて来てくれて、好きだと言ってくれて、隣の席同士で内緒で付き合っているなんて。

 考えただけで胸がどきどきする。こんなに幸せな気持ちは知らない。


 ふと凪人がこちらを見た。何事かと目を見開くアリスに手を伸ばしてくる。


(ちょっと待ってそんな突然……)


 思わず目をつむったとき。


「……原、兎ノ原さん、聞いてますか。この英文を読んでください」


 ハッとして前を見ると教師やクラスメイトたちに注目されていた。きょとんとするアリスに凪人が教科書を示しながら耳打ちしてくる。


「98ページ」


「えっ、あ、はいっ」


 急いで立ち上がり98ページを開く。

 母がハーフで父がフランス人のアリスにとって高校レベルの英文を読むのは容易いことだった。流暢な言葉遣いで一ページ分朗読したところで「はい、ありがとう」と許可がおりて着席する。


「来週英語の小テストをしますからちゃんと予習復習しておいてください。兎ノ原さんは大丈夫だと思うけれど余所見よそみしないで授業に集中してね」


 淡々と授業が進む中、アリスは恥かしさでいっぱいになっていた。


(なに意識してるの。凪人くんが授業中にそんな大それたことするわけないじゃん)


 凪人の病気はまだ完治していない。注目されると嘔吐してしまう恐怖をつねに抱えながら日常生活を送っているのだ。


 本来ならモデルと付き合うリスクを考慮して接触を避けてもおかしくない、それでもなお彼は自分を好きだと言ってくれた。


(それだけで十分だよ。うん、満足)


 無理やり自分を納得させて黒板を見る。

 と、横からの視線を感じた。


(――あ)


 凪人だ。頬杖をついて何気ないふうにこちらを見ている。

 念のため周りを確認するが教師がアリスを指名したわけではない。


(じゃあこれって)


 どきん、と心臓が鳴った。

 好きな相手のことを無意識に見てしまうのは当然のこと。アリスはしょっちゅう凪人を盗み見しているが、凪人も時折こうして自分を見ていたのかもしれない。


(どうしよう、緊張する)


 見られることには慣れているはずなのに急激に喉の渇きをおぼえた。

 こっそり盗み見られるのはこんなにも恥ずかしいのだ。しかも大好きな彼氏に。

 体の火照りを抑えるためぎゅっと唇を噛むけれど凪人の視線は変わらずこちらを向いている。


「……アリス、これ後で見てくれ」


 囁きとともにポケットに何か入れられる。制服ごしに彼の手を感じた瞬間思わず叫びそうになってしまった。



 その後、宝物のように持ち歩いていたメモを取り出したのは仕事先に向かう車内だった。緊張しながら内容を確認してみる。


 そこには……。


「――おいアリス。顔、気持ち悪いぞ」


「えーそうですか?」


 柴山に指摘されるまで自分がどうしようもなくニヤけていることに気がつかなかった。


「まぁいいけど現場に着くまでには戻しておけよ。一応クール&ビューティーで売ってんだから」


「はーい」


 握りしめたメモにはこうある。




『今度の日曜うちに来ないか? 仕事終わってからでも』




 日曜日は凪人の誕生日だ。

 ということは。


(お泊りの誘いかも――いやそれしか考えられないでしょ!)




 期待に胸を膨らませ、中編につづく。

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