98.Aの告白(第二部最終話)

「お帰りなさい凪人」


『んにゃーん(遅い遅い遅い-)』


 アリスを連れて帰宅すると母とクロ子が迎えてくれた――だけじゃなかった。


「おせぇよ」


「お邪魔してます」


「――な、なんで二人が!?」


 リビングのソファーでくつろいでいたのは来島と新妻だ。アリスも驚きを隠さない。桃子が両手いっぱいの花束を抱えて近づいてきた。


「さっき見えてね、きれいなお花をいただいたの。ほらいい匂い」


「今日ドラマの撮影終わったから花を届けに来たんだ。労われるべきはお前だろう」


「そのためにわざわざ来てくれたのか。ありがとうな」


 斜め向かいの床に座ると来島はなにかを思い出したのか薄ら笑いを浮かべた。


「榛葉は小山内レイジのマネージャーをクビにした。へらへら笑っていたけど相当ダメージ受けていたみたいだぜ」


「おまえは大丈夫なのか?」


「明日からまた病室生活だ。退院してもしばらくはマンションには戻れないだろうな。一人暮らしだとあの女が心配するだろうから」


「じゃあ義母おばさんと同居するんだな」


「仕方ねぇだろ」


 素直じゃない来島はムキになっている。

 するとインターフォンが鳴り、応対に出た桃子に負けないくらい大きな声がした。


「ここが黒瀬の家か。おじゃましまーす……ってAlice!!」


 国見だ。

 凪人の隣に陣取ったアリスを指差して目を丸くしたかと思えばその隣にいた来島を見て「小山内レイジ!!」と叫び、そして「ドール・クロエ!!」と絶叫し、最後に凪人に飛びついてきた。


「どどどどどういうことなんだよこれは!!! なんで芸能人がこんなにいっぱいいんだよ!!!」


「えっと、あー、ごめん。おれウソついた。おれの彼女ってアリスなんだ」


「にゃにぃー!!」


「ふたりはアリスのクラスの同級生で、たまたまうちに。そうだよな来島」


「まぁな」


 自分がもうひとりの小山内レイジだと明かすつもりはなかったので来島が話を合わせてくれて助かった。

 国見はとりあえず納得したらしく、落ち着いた様子で凪人と来島を交互に見やる。


「ふぅん。そういえば前々から思っていたけど黒瀬って小山内レイジと似てるよな。こうして見ると双子みたいだ」


「だれが双子だコラ」


 来島が悪態をついたのでさすがの国見もビビる。


「ところで国見はなんでうちに?」


 国見はなおふたりをガン見していたがコホンと咳払いして凪人の隣に座った。「それはだな」と居住まいを正したとき賑やかな声がして桃子と並んで福沢が部屋に入ってきた。


「もー国見うるさい。一体な……ぎゃあ小山内レイジと新妻愛理!!」


 国見に負けないくらいのリアクションで大騒ぎする。

 福沢と国見。まさかこのタイミングで別々に来たということはないだろう。


「福沢さん久しぶり。この人もしかして彼氏?」


 声をかけたのはアリスだ。手招きして福沢を呼ぶ。

 我に返った福沢はアリスの隣に腰を下ろしながらかわざとらしく咳払いする。


「ちがうわよ、夏休み前に告られただけ。友だちですらない」


「でもバスケで全国大会に行ったら付き合ってくれる約束なんだぜ!」


「余計なこと言わないで!!」


 福沢に片想いしていた国見は夏休みを前に一念発起して告白し、交際はしていないもののなんだかんだと仲良くやっているらしい。


「ハイちゅうもーく」


 騒がしくなってきたリビングでぱんぱん、と手を叩いたのは桃子だ。


「皆さん来てくれてありがとう。今日は『黒猫カフェ』開店の五年と六ヶ月記念なの。だから親しいお友だちを呼んで楽しく過ごしたくてご招待しました」


「母さんそんな話聞いてないよ。随分と中途半端な記念日だし」


 すかさず突っ込みを入れる凪人。桃子は憂いを帯びた表情で息子を見つめ返す。


「凪人。これはあなたのためなのよ」


 どういう意味だろうと首を傾げていると福沢が「あっ」と腰を浮かせた。


「分かりました。夏休みの宿題をみんなで終わらせようってことですね?」


 その瞬間、室内の温度(体感)が一気に三度くらい下がった。



「――――――しゅく、だい……?」



 特に凪人はこの世の終わりのように項垂れた。エアコンが効いた室内だというのに次々と汗が噴き出してくる。


「そうよ凪人。事情があってとっても大変だったことはよく分かっているわ。でも親として見過ごすわけにはいかないでしょう。ね、七海ちゃん」


「たしかにお店にも一度も出てこなかったもんね。あたしは残り漢文だけだよ。凪人くんは?」


「はいはいはーい、俺もあとは数学と英語と化学を十ページ残すだけだぜ!」


「全然自慢にならないし。バカ国見」


 楽しげなふたりとは裏腹に凪人の意識が遠のく一方。

 ドラマ撮影のことで手一杯で、宿題に手をつけるどころかカバンから出してすらいない。今日はもう八月の中旬。夏休みが終わるまで、あと……。


「うわァーっ!!!!」


「きゃっ凪人くんが発狂した!」


 髪をかきむしって慌てふためく凪人を見て周りも事情を察したらしい。

 来島がバカにするように鼻を鳴らした。


「はん、もしかして凪人まーったく手つけてないのか?」


「うぅ……」


「オレは配られたその日に終わらせてある。とーぜんだろ」


「でも怜史も読書感想文がまだよね?」


 新妻に突っ込みを入れられて来島も固まった。アンバーの目が泳ぐ。


「……あんなもん何の役に立つんだよ」


「今後芸能活動するうえで話題の本や新作映画の感想を求められることもあるじゃない? うまく答えられれば仕事の幅が広がるわ。読書が苦手なのは知っているけれど頑張りましょう、わたしも一緒に読むから」


「ちっ」


 強く諭されては従うほかない。カバンからタブレットを取り出すと早速電子書籍をあさりはじめた。新妻も身を乗り出してふたりでどの本がいいか話し合っている。


「――凪人くん」


 くいっと袖を引いたのはアリスだ。その眼には強い決意がにじんでいる。


「私も宿題手伝うよ。なんたって今日はお泊まりなんだし」


「「「泊まり!?」」」


 不用意な一言のせいで全員の注目を浴びた。「あぁバカ……」と額を押さえる凪人をよそにアリスはどこか誇らしげに髪をかきあげる。


「そう。お互いの親公認の下、正式に凪人くんと付き合うことになったの。彼女なんだからお泊まりくらい当然でしょう」


 大げさに反応したのは国見だ。


「マジかよ! 泊まりって……泊まりってアレだろ福沢!」


「こっち見ないでバカ」


 まだ初々しいカップル(仮)の慌てぶりをよそに来島と新妻は「ふーん」と無反応だ。


「じゃあオレも今日は泊まっていくかな」


「怜史が泊まるならわたしも」


「えっ、えぇっ」


「悪いけどあたしは夕方には帰るわ。国見はどうすんの?」


「もち福沢を送っていくに決まってるだろ。彼氏かっこかりかっことじだからな」


 和気藹々としてきたところで桃子がやってきて声をかけた。


「みんな夕飯食べていってね。今日はオムライスよー!!」


 拍手と喝采が起きる。

 随分と騒々しいが、こういう夏休みもいいかもしれない。膨大な量の宿題を前にしつつも凪人は自然と笑みを浮かべてしまった。


「なぎとくん耳貸して」


 アリスが身を乗り出してなにやら話しかけてくる。耳元で囁かれたのは。


「ふたりきりでのお泊りは我慢するけど、そのかわりお風呂一緒に入ってシャンプー流しっこしようね」


 さらっと爆弾発言をしてくるので危うく心臓が止まりそうになった。



 ※



「こんばんは、お邪魔します」


 愛斗が訪れたのは九時過ぎだ。玄関まで迎えにきた桃子は人差し指を口に当てる。


「いらっしゃい愛斗さん。ちょこっとだけ静かにね」


「?」


 桃子に案内されたリビングで目に飛び込んできたのはソファーやカーペットの上でそれぞれ横たわる凪人・アリス・来島・新妻の姿。


「うーわ、死屍累々」


「みんなで夏休みの主題をしていたんだけど夕飯食べたら眠くなっちゃったみたいで。この様子じゃ朝まで起きないかもしれないわね」


「へぇー。じゃあ俺たち大人はゆっくり飲みますか」


 そう言って手提げ袋から取り出したのは『魔王』だ。途端に桃子は目を輝かせる。


「わたしの大好きなお酒じゃない。よく知っていたわね」


「ある人が教えてくれたんです。桃子さんが好きな銘柄だって。……あの、茅野って名前は」


「わたしの旧姓。カヤちゃんって呼ばれていたこともあるわ。ありがたく頂戴するわね、一緒に飲みましょう。おつまみを用意するわね」


 嬉々として枝豆の用意をはじめる桃子。何事か考え込んでいた愛斗は小さくかぶりを振った。


「はい。いただきます」






 ※






(――……なぎと、くん?)


 アリスは夢を見ていた。

 それは青い空に蒼い海が広がる砂浜の光景。全身にまとった純白のウエディングドレスの裾が潮風に揺れる。


 周りにはだれもいない。

 アリスひとりの足跡が砂浜に点々と続いていた。


 ふと不安になって走り出そうとしたとき目の前に黒いものが翻った。

 黒猫だ。

 アリスの祖母の国では黒猫は幸福を運んでくると言い伝えられている。


『クロ子……? それともまっくろ太?』


 アリスはしゃがみこんで手を伸ばした。

 艶やかな毛並みをなでると黒猫は「にゃあ」とだけ鳴いて走り出した。茂みに飛び込んでからもしばらく見つめていると後ろで声がした。


『アリス』


 ハッとして振り返る。優しい声が響いてきた。


『花嫁がいなくちゃ式がはじまらないだろう。さ、行こう』


 手を伸ばしてきたのは銀色のタキシードを着た最愛の人。片腕には先ほどの黒猫が抱かれていて、目が合うと「にゃあ(おめでとう)」と鳴いた。


 彼は言う。眩しいほどの笑顔で。


『幸せになろうな。絶対に、世界一幸せに――』




「……はっ」


 アリスはうっすらと目を開ける。

 電気が消された薄暗い天井が視界に入り、夢だったことを自覚した。隣を見ればスヤスヤと寝息を立てる彼がいる。


 むくりと起き上がったアリスは夢の中の彼よりも幼い寝顔を覗き込む。



「私、あなたに一目ぼれしたみたい」



 それが彼との奇妙な関係の始まりだった。

 小山内レイジによく似た顔立ちの地味で目立たない少年。


 一目惚れして、

 キスをして、

 デートをして、

 本気で好きになって、

 二度目のキスをして、

 なにもないお泊まりをして、

 ケンカをして、

 もっともっと好きになって、

 止まらなくて。


 彼女――ミルクティー色の髪にターコイズの瞳を輝かせる現役高校生モデルのA――は、にこやかに微笑んだ。


「これからもよろしくね、黒猫くん。いろいろと」


 そっと手を伸ばして前髪をかきあげると額に優しく唇を押しつけた。


「ん……」


 軽く身じろぎした凪人は期待に反して目を開けることなく再度寝息を立てる。アリスはくすりと笑った。


(夢の続きは楽しみにとっておこう。だって――)


 頬を寄せ合い、彼の温もりを感じながら目蓋を閉じる。穏やかなまどろみの中で黒猫の声を聞いた気がした。



 おやすみなさい。

 夢の続きはまた今度。何年後かのあなたとの未来で。




 おわり。






【作者より】

 たくさんの応援、レビュー、温かいコメントいつも嬉しく思っています。

 本作はこれにて一旦完結となります。最後までお付き合いいただき誠にありがとうございました。


 引き続き応援・コメント・レビュー大歓迎です!!

 これからも凪人とアリスをよろしくお願いいたします。


★本作の経緯やキャラの裏話が読める「あとがき」はこちら↓

https://kakuyomu.jp/works/1177354054889206614/episodes/1177354054892179889

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