2.おそろい

「たしかに変装してくれって言ったけどさ」


 地下鉄を歩く凪人は気まずそうに隣を見上げた。顔を隠してウィッグで変装したとしてもアリッサの高身長とスタイルの良さは人目を引く。いつ取り囲まれてもいいようにと胃薬を多めに用意してきた凪人だったが杞憂に終わった。


「まさかアラブの貴婦人スタイルとはな」


 ヒジャブと呼ばれるスカーフで目の周り以外を徹底的に隠す形をとるとは思わなかった。これなら顔の輪郭や体つきでアリッサ・シモンだとばれる確率は減る。ここ数年アラブからの観光客も多いので町中を歩いていてもそれほど違和感もない。


「変装かんぺき。アリッサえらい。ほめて」


「えらいえらい」


 アラブ風の貴婦人を褒めていいのか分からないが頭部(ただしアリッサの方が高身長なので背伸びして)を撫でる。


「ふっふー」


 満足げなアリッサは用心して真っ黒なサングラスまでかけている。変装としては完璧だが相当に目立つ。けれど本人はいたく気に入っているようなので文句は言うまい。


「――で、どこ行きたいかと思えばここかよ」


 つい最近来たばかりの店構えを前に人知れずため息を吐いた。


「いらっしゃい。――お!」


 雑然とした店内の奥カウンターから出てきた店員は凪人の顔を見つけて口端を上げる。腕には黒猫が象られた抱き枕。凪人は「こんにちは」と礼儀正しく頭を下げてから歩み寄った。


「先日はどうも。アリス、指輪を直してもらって喜んでいましたよ」


「どうってことないよ。あんな安物の修理を依頼してくる相手なんてめったいないし、それがモデルのAliceなら大歓迎だよ」


「また店の宣伝に使ったみたいですね」


「はっはっはー。まぁいいじゃないか。それより今日は彼女とのデートじゃないのかい?」


 凪人の背中をばしはしと叩いて誤魔化した店員は黒猫グッズを物色しているアリッサに視線に移す。サングラスを外したアリッサが夢中になっているのは黒猫の箸置きだ。無表情の黒猫が仰け反っていたり腹筋をしていたりあるいはテレビを眺めるオジサンのごとく寝転がっているなど形はさまざま。よく見ると背中にチャックの線が。


「さすがアリッサ・シモン。『黒猫の中の人』シリーズに目をつけるなんてさすがだね」


「黒猫の中の人……っていうか、またですか」


 こうも簡単に名前を言い当てる。ヒジャブでほぼ全身を隠しているにも関わらず、だ。凪人は問いかけずにはいられなかった。


「店員さんって何者ですか。アリスの変装もすぐ見抜きましたよね」


「それはこっちのセリフさ。アリッサ・シモンを同伴しているだけでも驚くのにモデルのAliceと付き合っている男なんて君くらいだよ」


「――それについては色々あったんですよ」


 とても一言で説明できるはずがない。


(そういえばアリスとアリッサが姉妹だってことが話題になっているの聞いたことないな)


 良くも悪くも狭い世界だ。

 ふたりが姉妹であることが知られていてもおかしくない。デビュー間もないAliceや事務所が売名のためにアピールしても不思議ではないのに。



『私……アリサのこと苦手なんだ。ううん、嫌いなんだと思う、たぶん』



 苦しげな表情で吐露したアリスのことを思い出す。


(ほんとうに仲悪いのかな。だったらどうして日本に来たんだ? 『夏休み』それだけの理由なのか?)


「おっ、あったあった。『アリッサ・シモン傷心の逃避行』だってさ」


「えっ」


 店員のスマホを覗き込むと数日前に配信されたニュースが映し出されていた。英語ばかりなので内容は分からないが目深に帽子をかぶったアリッサが大きな荷物を手に空港らしき場所にいる写真が掲載されている。


「これなんて書いてあるんですか?」


「ん? くだらないことさ。あやしげなパーティーに出入りしているとか犯罪者と付き合っているとか大統領の愛人だとか、いわゆるフェイクニュースだね。かわいそうに」


「フェイクニュースだなんて」


 大人びてはいても十六歳の少女がどうしてこんな悪意にさらされなくてはいないのだろう。彼女として付き合っているわけではなくても自分に関わりのある人が傷つく姿を見るのはいやだ。

 そう思ったらもう動き出していた。あいかわらず箸置きに夢中のアリッサに近づいて手元を覗き込む。


「アリッサ、それ買ってやろうか」


「Really?」


「本当本当。いくつか種類あるから四種類買おう、アリスとお父さんやお母さんの四人分。おそろい」


「おそろい」


 アリッサの顔がぱぁっと明るくなった。家族四人分と言われて嬉しかったのだろう。凪人が広げた手の上に「あたし、これがアリス、これがパパ、これがママ」と乗せていく。けれど四種類を選んだあと名残惜しそうに残りの種類を見つめている。しばらく考え込んだあと追加で二種類を手に取った。


「これはナギと、ナギのママの分」


「あ……、ありがとう」


 選ばれたのは「正座して洗濯物を畳む黒猫」と「正座してアイロンをかけている黒猫」の箸置きだ。超絶かわいくない。いらない。でもアリッサの目がきらきらしているので文句が言えない。仕方なくレジに持って行く。


「まいどありー。六つで三千円になります。あ、うち電子決済(キャッシュレス)はじめたから良かったら」


「おれまだ高校生なんで現金でお願いします」


「キャッシュバックがあるのにー」


 ぶつぶつ言いながらも仕事は丁寧だ。緩衝材で包まれた箸置きが六つ並べられ、ひとつずつ袋に入れられる。「ハイどうぞ」と店員から渡されたアリッサはプレゼントの中身を確認する子どもみたいにチラ見するとこらえきれなくなったように凪人の腕に飛びついてきた。


「ありがと。ナギ。ありがと」


「うん、どういたしまして」


 いままで見た中でいちばんの笑顔だった。それだけで心の中が温かくなる。アリスだってきっと喜んでくれるだろう。


(ふたりに間に何があったのかは分からないけど仲良くしてほしいな。少しずつでも。おれがもし取り持つことができるのなら……)


「ナギ。あそこ! 行きたい!」


 アリッサが示した建物を目にした凪人は少しだけ憂鬱な気持ちになった。


 映画館。

 まだアリスともデートしたことがないのに。

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