3.milk【It is no use crying over spilt milk.】

 エスカレーターに乗って映画館シアターまでのぼっていく最中、壁の至るところにポスターが張り巡らされていた。上映中の邦画ポスターかと思いきや、なんとアリッサが出演する洋画のものがほとんどだ。

 巨大な垂れ幕から『milk2』のタイトルを読み取った凪人は肩を並べているアラブ風貴婦人の顔を見つめる。


(もしかして自分の作品を観せたくて……)


 宣伝文を見ると『milk2』はどうやら大親友の女ふたりが同じ男に恋をする恋愛物語のようだ。ポスターに映る憂いを帯びたアリッサと隣で眠そうに欠伸している人間が同じとはにわかに信じがたい。


 スマホでさらに詳しい内容を確認してみた。アリッサは地方から出てきた貧しい女学生メアリー役、初恋の相手のことを心の励みにしながら生きている。そんな彼女を何かとサポートしてくれるのは同じ大学の富豪の娘サラ。ふたりは貧富の差を超えて大親友となるがある日サラが連れてきた婚約者はメアリーが思い続けた初恋の相手リチャードだった。しかしリチャードは過去の記憶を失っていて……というストーリーだ。


(って吹き替えないのかよ。字幕でストーリー追うの苦手なんだよな)


 などと悩んでいる内にいつの間にかアリッサがチケットを手にして戻ってきた。ちゃっかりポップコーン(塩味)もゲットしている。


「ごめん。チケット代払うよ」


「だいじょぶだいじょぶ。アリッサお金持ち」


 それはそうだろう。日本でも上映される洋画に出演するくらいだ、これ一本で凪人の小遣いの数百倍は稼いでいるはず。


「ありがとう。じゃあ行くか。えーと『milk2』はホール2……」


 壁の劇場案内を見ながらきょろきょろと探し歩いているとアリッサが唐突に腕を引いた。


「ここ」


 指し示すのはホール13。


「は? なに言ってるんだよここは『milk2』じゃなく……て」


 声が震えた。直視するのも恐ろしいようなポスターが貼ってあるではないか。


「ん。」


 しかしアリッサが提示したチケットにはハッキリと『恐怖の棲むマンション。君はもう妖怪たちから逃げられない』と印字されている。


「え、ちょっと、待っ……」


 背筋が寒くなる。なにを隠そう凪人は昔から怪談の類いが大の苦手だった。遊園地のお化け屋敷ですら入る前から腰が抜けてしまうのにホラー映画なんてもってのほか。論外である。


「はじまっちゃう。行く」


「ちょっと待てまだ心の準備があぁまじムリムリムリーーー!!」


 体格差に勝るアリッサに腕を引かれ、薄暗いホールにずるずると引きずられていく。どんなに泣き叫んでも無意味。もはや観念するしかなかった。


 その後、ホール13に際限なく絶叫が響き渡ったのは言うまでもない。(※他の方の迷惑なのでやめましょう)



 ※



「うぅ、こわがっだ……特に猫又がめちゃくちゃ怖かった……尻尾めっちゃあるし目を血走らせて追いかけてくるんだぜ、あんなの絶対夢に見る」


 一時間半あまりの恐怖にさらされた凪人は劇場を出てからもまだ震えていた。指先は冷えきり、生まれたての子鹿のように足元がおぼつかない。そんな状態で連れてこられた館内のフードエリアは昼過ぎとあって客で賑わっていた。運良く窓際の席を確保できたが嘔吐とはまた違う脱力感でとても動けなかった。

 そこへポテトとドリンクを手にしたアリッサが戻ってくる。ヒジャブ姿もすっかり板についてきた。


「ナギ。あーん」


 アリッサから差し出されたポテトを反射的に咥える。あまじょっぱい塩味が広がり、ようやく生きている実感が戻ってくる。


「あぁ……ありがとう。おれ叫んでばかりで迷惑だったよな、ごめん」


 声が少ししゃがれてしまうのはそれだけ叫んだからだ。

 アリッサは小さく首を振る。


「ナギ震えてた、かわいい」


 恐怖のあまりアリッサにしがみついてガタガタと震えていたことを思い出すと顔から火が出そうになる。羞恥心なんてどこかに吹っ飛び、逃げたい気持ちでいっぱいだったのだ。


「手、握った。ぎゅって」


 指先についた塩をペロリと舐めて嬉しそうだ。

 アリッサ自身は凪人の醜態を気にしていないようだがこのままではいけない。父親に頼まれてアリッサをエスコートするはずが自分がぐずぐずしていたせいで飲み物とポテトまで買わせてしまった。どうにか挽回しなければ。


「自分が出てる映画は見なくていいのか?」


 アリッサは無言のまま二、三本まとめてポテトを放り込んでいく。”見たくない”ということだろう。

 先ほどスマホで映画の情報を見たときに映画に対する手厳しい評価がちらっと見えた。ネタバレになりそうだったので具体的な内容は確認していないがアリッサがいやだと言うのなら無理強いするつもりはない。


(さて、どうしようかな)


 会話が途切れた気まずさから窓の外に視線を転じる。信号待ちで密集した人々が青になった途端おおきな波のように動き出し、それぞれの方向へと流れていった。寄せては返す波打ち際を思わせる光景に、凪人の心は自然と落ち着きを取り戻す。

 ガラガラになった喉の潤すためドリンクを一気飲みして決意を固める。


「話がある。聞いて欲しい」


 背中に力を入れて姿勢を正す。


「アリッサにはちゃんと言ってなかったよな。おれ、アリスとちゃんと付き合い始めたんだ。って言い方は少し変だけどお母さんに許可をもらった」


「……」


 アリッサは視線を上げずにポテトを頬張るが凪人はかまわず続けた。


「プロポーズもした。お互い十八歳になったら籍を入れるつもりだ。お母さんが許してくれるか分からないけど残り一年半で検討してもらうことになっている。だから――」



 聞いたことのない調子で遮られた凪人の心がざわりと揺れる。まるで無防備なところを背後から殴られたような気分だ。


「どうして……?」


 祝福してくれると思ったのに「ダメ」と否定されて想像以上に困惑していた。それほどまで仲が悪いのだろうか。でもなぜ。真意を知りたくて凪人は自然と前のめりになる。


「どうしてダメなんだ? アリスが幸せになるのが許せない?」


 違う、とばかりに強く首を振ると顔を上げた。

 アリスと同じターコイズの瞳がにじむ。薄く紅を引いた唇がゆっくりと動くのを息を殺して見守る。


「ナギが幸せになれない。絶対に」

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