4.夏まつりの夜

「おれだよアリス。休憩中にごめん、声が聴きたくて」


 電話をかけた凪人はとある店の中にいた。土間に畳に障子にと昔ながらの日本家屋を再現した店内はイグサのさわやかな香りに包まれている。

 スマホの検索で見つけてたまたま訪れた場所だったが喫茶スペースで出されたあんみつは絶品だった。特に餡子。黒猫カフェの参考にしたいくらいだ。


 あんみつの写真を撮ってアリスに送信したところすぐに反応があったので電話してみることにした。電話口のアリスの声は少しはしゃいでいる。電話をもらえたことが嬉しいのだ。


『アリサはどう? 迷惑かけてない?』


「いや、むしろおれの方が迷惑かけてるよ。ホラー映画観に行ってめちゃくちゃ叫んじゃってさ」


『映画か……いいなぁ』


「今度行こうな。ただしホラー以外で」


『ふふ、恐がりさんなんだね』


「笑うなって」


 何気ないやりとりでも声を聞いているだけで安心する。あぁやっぱり好きだなぁと自分の心が温かくなるのを感じるのだ。


 だからこそ分からない。

 アリッサがどうしてを言ったのか。


 感情に任せて口走ったようには思えない。なにか強い意思のようなものを感じた。だがポテトを食べ終わってしまったアリッサが涙ぐんだのを見て慌てて買いに行ったため理由を聞きそびれている。


(幸せになれない、か)


 「アリスが」ではなく「自分が」幸せになれないとはどういう意味だろう。今でも十分に幸せなのだからアリスと結婚すればもっと幸せになれるはずなのに。


『凪人くん?』


「あ、なんでもない。なんだか賑やかな音楽聞こえるな。いま屋外か?」


『うん。花火大会のゲストなの。事務所の後輩が体調不良で代理としてね』


「アリスなら大丈夫だな。今年の七月の大会でもばっちりトークしていたし」


 昨年呼ばれた花火大会に今年も呼ばれ、熊田笹子先生と絶妙なトークを繰り広げたのだ。大会の中継としては視聴率もかなり良かったらしい。当然ながら来年の続投も決まっている。


『あ、ごめんなさいもう行かないと。アリサのこと宜しくね。明日は会える?』


「もちろん」


『じゃあ黒猫カフェで待ってて、パパやママにも素敵なお店教えたいから。また連絡するね』


 慌ただしく電話が切れる。

 なんだか置いて行かれたような気持ちでスマホ画面を消した。

 アリスはタレントとして着実にキャリアを積み重ねている。それは喜ばしいと同時に少しだけ……ほんの少しだけ、さみしい。


「ナギ、見て見て」


 奥の部屋から襖を開けて現れたアリッサは空に見立てた淡い青に漆黒のツバメが飛び回る浴衣を着ていた。凪人は思わず拍手する。ツバメの優美さとアリッサの凜とした雰囲気がとてもよく似合っていたのだ。


「いいな。すごく良く似合う」


「えっへん」


 自信満々かと思いきやどこか恥ずかしそうに扇子で口元を覆う。


 ――なぜこんなことになっているのか簡単に説明すると。

 映画館を出て当てもなく歩いていたところ浴衣を着た外国人女性たちとすれ違ったのだ。艶やかな姿を一心に見つめていたアリッサが、


『きれい』


 と呟いた言葉を聞き逃さなかった。


 思えばここまで情けない面ばかりさらしている凪人。こんな醜態が父親に知られて「アリスとの交際ミトメマセン!」と言われたらたまったものではない。

 だから凪人からアリッサを誘い、外国人観光客向けに浴衣の着付け・レンタルしている店を見つけてこうして連れてきたのだ。


「今夜近くで花火大会があるんですよ。せっかくなのでこのままお出かけしては?」


 店員からチラシをもらう。トークゲストとして載っているのはアリスではなかったがスマホで調べると案の定アリスが出演すると訂正されていた。そのことを聞いたアリッサは行く気満々。


「祭り? アリスがいる? 行きたい。ナギ行きたいー」


「分かった分かった、分かったから腕を引っ張るな! ただし顔がバレると厄介だから日没後に出るからな」


「――うん!」


 子どもみたいに目を輝かせるところはアリスとそっくりだ。「仕方ないなぁ」と思いつつも喜ぶ顔を見ると嬉しくなる。



 ※



「おつまりおつまり」


「お祭り、な」


 店を出たのは七時前。花火自体は河川敷で行われるが屋台が建ち並ぶのは川に面した神社の境内だ。アリッサは慣れない下駄をカタカタと鳴らしながら参道を埋め尽くす屋台を順番に指差していく。


「たこ焼き、クレープ、かき氷、リンゴ飴、お好み焼き、どれから食べよ」


「全部食べる気かよ」


 こんなに浮かれているアリッサを見るのは初めてだ。


「日本の夏祭りは初めて――なんてことないよな。こっちにいたとき何度か行っただろう」


 ちゃっかり綿あめをゲットしたアリッサは白い綿雲を引きちぎりながら頷く。


「ママ、人混み苦手。だからパパとアリスと三人で、何回か。でもアリッサいつも迷子になる」


「分かる分かる。屋台楽しいもんな。おれも母さんや近所の友だちと来たことあるよ。レイジをはじめてからはまったく――あぁでも一回だけ来たな。同じクラスの悪ガキたちに『来なかったらいじめる』って脅されて仕方なく。その時はまだドラマの撮影中で嘔吐の症状も無かったんだけどトイレを探しているうちに迷子になっちゃったんだ。子どもだから右も左も分からなくて恐怖だった」


「いくつのとき?」


「九歳かな。七年前」


「アリッサもそのころ迷子になった。迷子の友だちできた」


「おれとアリッサが迷子仲間ってことか? ひどいなそれ」


「お友だち。綿あめどうぞ」


 差し出された綿あめをありがたく頂く。うん。甘い。


 人混みにもまれながらようやく賽銭箱の前にたどり着き、それぞれ手を合わせる。凪人が願うのはごく単純なことだ。


(どうかみんな健康で、平穏な日々が続きますように)


 アリスとの交際に病気の克服。困難だと思われたことをいくつも乗り越えてきたのだ。これ以上欲張ってはバチが当たる。健康と平穏が一番だ。


「ん?」


 ふと視線を感じた。隣のアリッサがちらちらと盗み見ている。


「どうした? なにをお願いしたんだ?」


「べーだ」


「舌出して子どもかよ。まぁいいけど。後ろも詰まっているし行くぞ」


「あっ待っ」


 慌てて追いかけてきたアリッサが段差につまずく。凪人は無我夢中で腕を広げていた。長身の割に体重はないらしく衝撃と呼べるほどのものはない。かわりに鼻腔をくすぐるのはシャンプーの匂い。アリスと同じ愛しい香り。我を忘れそうになる。


 一瞬ののち静寂が戻ってくる。


「ナギ。へーき?」


「おっうお、うん平気平気」


 人目もはばからずに抱きしめてしまったことに気づいてアリッサの体を押し返した。からかうような口笛が聞こえる。参拝を待つ周りの客たちの視線が痛い。


「いっ行くぞ」


 嘔吐の症状はだいぶ改善したものの不意打ちには弱い。アリッサの手を掴んで逃げるように走り出した。

 屋台に群がる人混みを抜けて神社の裏手にたどり着く。突然走ったせいで息が上がってしまった。それはアリッサも同様で、胸元に手を置いて乱れた呼吸を整えている。


「……ナギの手、あつい」


「あっ! ごめん」


 ハッと我に返って慌てて手を離す。

 

 気恥ずかしさから黙り込むふたり。なんだか妙な雰囲気だ。遠くから聞こえるのは花火の開催を告げるアナウンス。もうすぐアリスの出番だ。


 凪人は素早く息を整えてアリッサに向き直った。


「めぼしい屋台を回ったら会場に行こう。アリスのトークを見届けてやらないとな。えぇとなにが食べたいんだっけ、たこ焼きと――」


 歩き出した途端くいっと袖を引っ張られる。アリッサは断固として動かない。


「アリッ……」


「アリスは仕事が大事。ナギやアリッサよりも仕事を大事にする」


 唐突な言葉だった。

 凪人は首を傾げる。言わんとしていることがよく分からない。


「ナギはきっと辛くなる。アリスを待つだけになる。さみしい、かなしい、ため息つく。アリッサと同じ。そんなのナギの幸せじゃない」


「それは……」


 仕方の無いことだ。

 アリスのことを応援したいと思うし、もっと売れて欲しいと思う。

 忙しい分デートや連絡をとる回数が減るのは仕方の無いことだ。


「アリッサ。おれのこと心配してくれるんだな、ありがとう。でもおれは」


 できるだけ優しい声音で諭そうとするとアリッサが目を見開いた。涙が滴になって飛び散る。


「アリッサは――あたしは!」


 一歩二歩と距離を詰めたかと思うと背中に回された腕で抱きしめられていた。痛いほどの力で息ができない。


「ずっと、好き。あの夜からずっとナギを――凪人のこと……だいすき」

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