第7夜 宇宙《そら》に懸ける

 その日のセラコム記念ホールは満員の聴衆で埋まっていた。


 すべての住民にコムネットが行き渡り、コンテンツを切り替えるだけでどんな場所、どんな状況も現実と寸分違わぬ精度で脳内構築できるこの時代、人々がわざわざ特定の場所に足を運ぶことは極めてまれだった。

 だが、この日に限っては、定員五千席のホールが一人の講演を聞くために満席になった。それどころか座り切れない聴衆で立ち見さえ出ている。

 数時間後にコムネットで配信される事は事前に発表されていたのだが、それでも人々は生の講演を聞くためにコロニー中から集まっていた。

 いや、サンライズ9のみではなく、近在のコロニーからも聴衆は続々と押し寄せた。

 会場に入りきれない人々はホールのエントランスの大型モニターに群がり、それでも収容できない聴衆は会場の建物からはみ出し、前庭に急遽設置された三基の大型スクリーンに見入っていた。


 不意に拍手が沸き起こる。

 数分の休憩を挟んで演者が再び姿を現した。

 世界中のコロニー移民の中で今、最も著名な宙航士、キャプテン、イノウエである。


「みなさん。本日はお忙しい中をお越し頂いて本当にありがとうございました。私の拙い話もいよいよこれで最後になりました。そこで、先程までの探検譚とはまた違った、軽いお話でこの講演を締めくくらせていただきたいと思います。どうぞ肩の力を抜いて、リラックスしてお聞き下さい」


 キャプテン、小さく咳払いをする。


「さて、私が初めて太陽圏周回不定期航路の船長に任命されたのは今から三十五年も前の事になります。

 その頃、民間ではまだ強化ハイドラジン化学燃料を使用する中、小型の宇宙船が主流を占めていました。私が預かることになった船のような重力制御の大型船はまだまだ新参者で、太陽圏全体を見回してみても数隻あったかどうかという状態でした。

 当然、宇宙港も船体に比べ小さく、桟橋に接岸するにはタグボートの助けなしには不可能でした。

 私が今からお話するロボットタグボート、通称ロボタグは、そういった時代の要請から生み出された船種です。

 今でも貨物ターミナルなどで彼らの末裔を見かける事がありますが、その後重力制御技術が進歩し、数年前にほとんど廃止されてしまいましたので御存じない方も多かろうと思います。

 通常、彼らは五隻でチームを組んで作業します。小柄な船体に似合わない超強力なロケットノズルを備えた無人艇で、大型船の船体に取りついて宇宙港の構内を小回り良く移動させる事がその務めでした。

 それぞれの船にはAI(人工知能)が搭載され、リーダーであるコーディネートAIの指示に従って効率よく作業を行えるなかなかの優れ物でした」


 キャプテン、小さくあたりを見回す。


「その頃はまだこのサンライズ9コロニーは建設途中で、そのロボタグチームもサンライズ3の生産ラインをスピンアウトしたばかりの新品でした。チームのリーダーは『ジェルミ』と名付けられたAIで、私達の船が初仕事であると挨拶を受けました。

 彼女は同じ時期に就航した同型のAIとは少し変わったところがあって、私達の船がまだコロニーの入港許可すら出さないうちにビーコンを出して我々を歓迎してくれました。

 入港許可を受けてからロボタグの到着までかなり待たされるのが通例でしたから、宇宙港管制の要請なしに自らの判断で機敏に動く彼女のチームは特に異色の存在でした。

 私も、そういった所を面白がる性格でしたので、私の船が寄港した時にはジェルミのチームが出迎えるのがいつしか暗黙の了解事項となっていました。

 そんなある日の事です」


 キャプテン、言葉を切るとネクタイを軽く緩めた。


「私の船は、小惑星帯で事故を起こし、航行不能になった鉱石採掘船の救出に向かいました。ところが、接舷しての救助作業中に思いがけない二次災害が発生したのです。採掘船の燃料タンクが突然爆発し、しかもまずい事に発生したデブリのうち特に大型のものが私の船のブリッジと機関室を直撃したのです」


 会場にどよめきが広がる。


「採掘船の積み荷であった金属鉱石がまるで砲弾のような猛スピードで船を襲い、船殻の広範囲に無数の大穴が穿たれました。大切な燃料、酸素、そして水のタンクも同様です。乗組員の相当数もデブリの洗礼を受けて即死しました。

 当然、自力航行は不可能で、爆発のショックで船体はわずかにこのサンライズ5の方角に漂い始めました。

 しかし、生き残った一等宙航士がざっと計算してみた所、宇宙服の貧弱な無線がサンライズに届く距離まで近づくのにかかる時間はおよそ一週間。

 絶望的な数字でした。宇宙服のボンベに残された酸素は予備も含めてたったの四十時間分だったのです」


 聴衆、キャプテンの次の言葉を固唾をのんで待つ。


「我々は迫り来る死を覚悟していました。そして、酸素も尽きかけてもはや意識ももうろうとし始めたころ、不意に懐かしいビーコンが我々の無線機に飛び込んで来ました。

 ジェルミでした。彼女はポートでの公務を放棄して我々の救助に向かってくれたのです。

 その事が我々のもうろうとした頭で理解できるまでにしばらくかかりました。そして、ようやくその意味が理解できた時、我々は宇宙服のまま抱き合って年甲斐もなく狂った様にはしゃぎ、声を上げて泣きました。

 ジェルミの運んできた酸素と非常食のおかげで我々はさらに十数時間生きのびる事が出来、後を追って駆けつけたレスキューに無事に助け出されたのです」


 会場内、水を打った様に静まり返っている。


「彼女に命を救われたのはこれだけではありません。第三回の月〜火星間ラリーでの大事故をご記憶の方は多いと思います。

 暴走した燃料補給船が泊地に突っ込んで爆発し、五十近い競技艇が巻き添えをくったあの事故で、一人の死亡者も、また行方不明者も出なかった事が当時かなり話題になりましたが、あの時四散した参加者をいち早く拾い上げる離れ業を演じたのがオフィシャルシップとして参加していたジェルミとそのチームでした。

 私もその時拾われた一人でした。彼女は、ラリーの中止を自分のことのように残念がり、いつの間に覚えたのか日本語で私を慰めてくれました。

 このきわめて人間臭いAIとのつき合いはその後も長く続きました。彼女は古くなったシステムやプラットフォームを他のチームに先駆けて交換する事で若さを保っていました。

 技術革新の激しいAI市場にありながら、実に二十年以上も第一線で、しかも並みはずれた活躍を見せる彼女に、私はひそかにライバル意識を燃やし、また、大いに勇気づけられもしました。

 そして、その間ずっと、ジェルミの識別ビーコンは私達にとって旅の始まり、そして終わりでもあり、心安らげる母港の象徴であり続けました」


 キャプテン、演壇のジュースに口をつけ、一息つく。

 聴衆からもため息が漏れる。


「しかし、それも終わりになる日がやって来ました。

 初めての大規模な恒星間探査船がこのコロニーから出港する日、港の外まで私達をエスコートした彼女は、私に向かって別れの言葉を述べたのです。

 自分はロボタグとしてはあまりに年を取り過ぎたと言い、私達の旅の安全と成功を誰よりも願っていると言い残すと静かに離れていきました。

 それが、ジェルミと彼女のチームを見た最後でした。

 探査行の間中、私は彼女の事が気がかりでなりませんでした。そして、ついに人類の生存が可能な恒星系を発見したその瞬間にも、感激より、それを報告する母港に彼女がいない事の残念さの方が何倍も勝っていました。

 彼女は私と同じだけ宇宙で生き、私達は常に同じものを見つめ続けて来たからです。私の喜びが彼女の喜びで、彼女の成功が私の誇りでもあった時代はいつしか遠くなってしまっていたのです。

 私は、おかしな話ですが、ただのAIに過ぎない彼女に友情を、いえ、それ以上の感情すら感じていたのかもしれません。

 そして、そのことに思い至った時、私も自らの引き際を悟ったのです」


 キャプテンの合図でホールの天井がゆっくりと音もなく開き、聴衆は防護ガラス越しに宇宙空間を見渡せた。

 と、そこに、巨大な恒星船がゆっくりと姿を現わした。緩やかなアールを描いたハイパーセラミックに覆われた銀白色の船体は、むしろ船というより、かつて地球の海に生息したという巨大なほ乳動物を思わせる。

 船はゆっくりとホール上空を横切り、そして見えなくなる。

 ぽかんと船を見上げていた聴衆が我にかえるのを待って、キャプテンは静かに言葉を続ける。


「今御覧いただいたのは人類初の超高速恒星間移民船です。あの船には一万人の入植者がコールドスリープの状態で乗り組んでいます。

 そして、二度と帰る事のない彼らを旅の間中見守るのが、マスターコンピューターと、そして船長である私の仕事です。

 私は引退し、地球の片田舎に戻って静かに余生を送ろうと決心していました。

 そんな老いぼれがなぜ、いまさらこの仕事を引き受けたのか、みなさん不思議にお感じになるかと思います。

 でも、このことをお知りになればおそらく納得していただけるのではないでしょうか」


 キャプテン、言葉を切ると、どこか遠くを見る目つきになり、そして一語づつ区切るように。


「移民船のマスターAIのコードネームは『ジェルミ』です。

 彼女は引退後、その並みはずれた経験と、危機に際して的確に行動する強靭な個性を買われて恒星船の最上位AIにスカウトされていたのです。

 そして、彼女が、これから先の生涯をかけたパートナーとして推薦したのが私でした。

 二度と地球に戻ることはかないませんが、私に異論のあろうはずはありません……」


 キャプテン、ネクタイを締め直し、ジュースを一息に飲みほす。


「これで、話は終わりです。つたない講演ではありましたが、今日のこの集いが、皆さんにとっても意義のある時間であったと思って頂けるのであれば、私にとってこれほど嬉しい事はありません。

 それでは、皆さん、ごきげんよう」


 会場内、割れるような拍手。キャプテン退場後もいつまでも続く。


※追記

 この講演の翌日、キャプテンとジェルミは銀河系の奥深く旅立っていった。

 その後、移民船が目的の惑星に無事到達したという簡単な記録が残されているが、キャプテンとジェルミのその後については触れられていない。


銀河系開拓期、初期の映像記録より。


(了)

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